食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

日本神話と古代の食(1)-古代日本(4)

2020-08-28 23:07:03 | 第二章 古代文明の食の革命
日本神話と古代の食(1)-古代日本(4)
今回は、『古事記』の中の食べ物について見て行こうと思う。古事記は712年に太安万侶によって編纂されたと伝えられている。『古事記』は720年に完成した『日本書紀』とともに、日本神話の基になっている。そこには神話時代のエピソードに込められた人々の食べ物に対する考え方や思いが込められていると考えられるのだ。

まずは日本の創成期のお話しである。

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日本は男神のイザナギノミコトと女神のイザナミノミコトの2神によって生み出された。2神は結婚し、協力して淡路島を始めに日本列島の島々を生み出し、また、海や山、石・木・水・風などのさまざまな神々を生んだ。ところが、イザナミが火の神を生んだところ、陰部にやけどを負って亡くなってしまう。

イザナミのことが恋しくて仕方がないイザナギは、黄泉の国(よみのくに)まで逢いに行く。すでに黄泉国の食事を口にしてしまったイザナミは一緒に戻れないと言うが、やはり愛しい夫が逢いに来てくれたのだから帰りたいと言い、黄泉の国の神々と話し合うことにする。そして「その間は決して私を見ないでください」と言って奥に引っ込んだ。

しかしいくら待ってもイザナミが戻って来ないため、イザナギは火をともして屋敷の奥を探ると、イザナミの体は腐ってうじ虫がたかり、頭、胸、腹、陰部、手足には八種の雷神がうごめいていた。その姿に恐れおののいたイザナギは逃げ出してしまう。恥をかかされたと怒ったイザナミは足の速いヨモツシコメ(黄泉醜女)に後を追わせた。追いつかれそうになるのを見たイザナギが髪飾りを投げるとブドウが育って実がなった。シコメがその実を食べているすきに逃げようとするが、また追いつかれそうになる。今度は髪のくしの刃を折って投げると、タケノコが生えてきた。シコメがそれを食べている間にイザナギは逃げ切ることができた。

ところがイザナミは、さらに自分の体についていた八種の雷神達に1500の軍勢をつけて追いかけさせた。十拳(とつか)の剣をふりながら逃げるイザナギが黄泉の国とこの世の境の黄泉比良坂(よもつひらさか)にたどり着くと、そこになっていた桃の実を3個とって投げつけた。すると、軍勢は皆引き返して行った。そこでイザナギは桃の実にこう言った。
「桃の実よ、私を助けたと同じように、この世に生きるあらゆる人々が苦しみ悲しむ時に助けてやってくれ」
そして、大いなる霊の力と言う意味の「オオカムヅミノミコト(意富加牟豆美命)」の名を与えた。



最後にイザナミが追って来た。イザナギは黄泉比良坂(よもつひらさか)を大岩で塞ぎ、イザナミに離婚を宣言した。すると、岩の向こうからイザナミが「愛おしいひとよ、こんなことをされるのならば、あなたの国の人間を、1日1000人首を絞めて殺しましよう」と言う。それにこたえてイザナギは「愛おしい妻よ、そうするのならば、私は1日に1500の産屋を建てよう」と言い返した。こうして、この世では1日に1000人が死に、必ず1500人が生まれるようになったのである。
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この黄泉の国の話では、まずヨモツシコメがブドウの実とタケノコに気を取られてイザナギノミコトを取り逃がしてしまう。このことから、ブドウとタケノコはが当時の人々に美味しい食べ物として認識されていたことがうかがえる。

このブドウとは古来日本に自生するヤマブドウの一種と考えられる。と言うのも、西アジア原産のセイヨウブドウが日本に伝えられるのは鎌倉時代初期のことだからだ。

ヤマブドウには強い酸味があるが、独特の風味があって美味しい果物だ。また、抗酸化物質のポリフェノールや鉄分がセイヨウブドウよりもずっと多く含まれており、最近では健康増進効果を狙ってヤマブドウの商品化が進められている。

なお、ヤマブドウが手に入って焼酎などに漬け込んで果実酒にしてしまうと、酒税法に引っかかるので注意が必要だ。酒税法では、穀物やブドウを酒に入れてしまうと家庭内のみで飲んだとしても無免許製造となる。

日本でタケノコとして食べられるのはマダケとモウソウチクである。マダケは日本に自生していたとも言われており、古くから食べられていた。一方、モウソウチクは801年に僧侶の道雄上人が唐から持ち帰ったとされていることから、古事記のタケノコはマダケと考えられる。採りたてのマダケのタケノコは、そのまま生で食べても美味しい。

黄泉の国の話で際立っているのがモモの存在感だ。モモは雷神たちを追い払うほどの霊力を有する果物として描かれている。モモは縄文時代に中国から伝えられたと考えられているが、中国においてもモモは仙果(神仙に力を与える果実)と呼ばれ、邪気を追い払って不老長寿を与える果物と考えられていた。おそらくモモが日本に持ち込まれた時に、モモに関する言い伝えも一緒に入ってきたのだろう。また、イザナギによってモモが黄泉の国からこの世界に持ちこまれるという話は、モモが中国から日本に伝えられたことを暗示していると考えられる。

神話の中のお話しであっても、それなりの確かな背景があるようだ。


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