公園への転居は認められたけど、公園の占有権が認められたわけではないという点が先の判決のミソだ。誤解を恐れずにいえば、ボクは公園へのホームレスの「居住」が常態化してよいと思っているわけでは決してない。例えばこういうことだ。かつて阪神大震災の時に、大量の仮設住宅が家屋を失った被災者のために公園に建設された。救助にあたる自衛隊の基地も設営された。炊き出しをするNPOの飯場しかりである。だけど、復興が終わるとそれらは撤去された。ちょっと遡って、戦中戦後の公園は避難民はもとより、食糧難の時代にあって畑に姿を変え人民の命をつないだ。さらに明治時代に遡ると、公園は、路上から追い出された居住人たち(江戸時代の路上生活者)を受け容れるいわば「遊水池」として機能した。こういう「使われ方」がまさに公園ゆえの機能なんだと思われる。その意味で、「公園の占有は常に認められない」という前提は普遍的なものでない、といいたい。
事実上、他施設に完全にホームレスを収用することが難しい以上、一定期間、公園で受け入れるくらいの寛容さがあってもよい。計画し尽くされたタイトな近代都市空間にあって、公園はそのような「あいまいな機能」をもった数少ない空間といえるだろう(それ以前に当然パブリックスペースである)。であればこそ、公園は「ホームレスを受け入れる」ということによって、他では代え難い役割を担っていると認識したい。むろんそれが法的には認められないとしても。。。近代都市といえどこのようなルーズな空間が少しぐらいあってもよい。
ただし、である。周辺住民が、利用者が、力づくでホームレスを排除したい、となれば話は別だ。そんなにホームレスに公園を占拠されるのがいやなら、コミュニティが一致団結して力づくでホームレスを追い出せばいいのである。ここで、「それは行政の仕事だ」、というのは無効だ。行政が手をこまねいている以上。行政にできないことは我々市民1人1人が草の根からやるしかないのである。もしそれができないというのであれば、そういうことだからホームレスなんぞに公園をハイジャックされるのだ、とボクはいいたい。西欧の公園史をながめれば(公園は近代西欧が生んだ文明装置であると同時に文化のゆりかごであった)、公園とは本来これくらい「切実」なものであるはずなのだが、日本の公園はいまだになんだかよそよそしい。そんなことだから、ホームレスに獲られちゃうのである。(つづく)
事実上、他施設に完全にホームレスを収用することが難しい以上、一定期間、公園で受け入れるくらいの寛容さがあってもよい。計画し尽くされたタイトな近代都市空間にあって、公園はそのような「あいまいな機能」をもった数少ない空間といえるだろう(それ以前に当然パブリックスペースである)。であればこそ、公園は「ホームレスを受け入れる」ということによって、他では代え難い役割を担っていると認識したい。むろんそれが法的には認められないとしても。。。近代都市といえどこのようなルーズな空間が少しぐらいあってもよい。
ただし、である。周辺住民が、利用者が、力づくでホームレスを排除したい、となれば話は別だ。そんなにホームレスに公園を占拠されるのがいやなら、コミュニティが一致団結して力づくでホームレスを追い出せばいいのである。ここで、「それは行政の仕事だ」、というのは無効だ。行政が手をこまねいている以上。行政にできないことは我々市民1人1人が草の根からやるしかないのである。もしそれができないというのであれば、そういうことだからホームレスなんぞに公園をハイジャックされるのだ、とボクはいいたい。西欧の公園史をながめれば(公園は近代西欧が生んだ文明装置であると同時に文化のゆりかごであった)、公園とは本来これくらい「切実」なものであるはずなのだが、日本の公園はいまだになんだかよそよそしい。そんなことだから、ホームレスに獲られちゃうのである。(つづく)
法的な問題は、静岡大の憲法学の笹沼さん)が、展開していたと思います。緊急避難として、法的にみとめられるのではないか、という議論だったと思います。たしか。
後段の周辺住民のくだりには、少し不満を持ちました。公園に住んでいると、立ち退きなどのやり取りは、行政(管理側)と行われます。でも、大切なのは、公園利用者とホームレスの関係だと思っています。ここまでは同じです。ぼくの住んでいる公園では、利用者とホームレスの関係は、とりあえず、悪くはないと思います。利用者とホームレスが立ち話したり、あるいは、犬の散歩をバイトとしてやったり、ということがあります。それは、多くのホームレスが、掃除をきちんとしたり、利用者との関係をよく保つための努力をしているのが、一つの原因ではないか、と思います。マスコミを通じてだけホームレスのことを知る人が想像するより、現実には、ホームレスと利用者の関係は良好のことが多い気がします。
公園の切実さの例として、コミュニティが団結してホームレスを追い出す、ということをあげるのは、なんか乱暴だなぁと思いました。切実だから、といって、それが、暴力的になってもいい、というわけでもないでしょう。切実だからこその知恵、もあると思います。公園のよそよそしさ、というのが本旨で、ホームレスのことは半ば逆説的に言及しているのは分かりますが、少し気になってしまいました。
「公園ハイジャック」とは何とも激しく、切実なお言葉と受け止めました。
確かに日本の公園・・・公園と言わず緑地全般に言える事ですが、全てが「他人事」に感じる事が多いと思います。
又は、何事も無く、順調に行っている間は自分のおかげ、
問題が発生すると役所のせい。
そういった他人事主義が強く、役人のみならず、個人レベルでの責任転嫁、なすりつけあいが多く、悲しくなります。
自分たちの居心地の良い場所を造るには、個人レベルで責任を持って行動する事が大切と感じます。
勿論、官民力を合わせて・・・。
最近の話題では、ゴミ問題と通じるものがありそうですが・・・。
公園・緑地ジャック!気をつけたいと思います。