流離未踏

流れの果てにあるものは・・青天霹靂

志村望郷懐古旅

2020年11月10日 | 旅みたいな・・
出井川緑道から離れて坂道を上がる。コーヒーの良い香りが鼻先をかすめる。

志村城山公園 (東京都板橋区志村2-17)

「城山熊野神社(志村城跡)」 (東京都板橋区志村2-16-2)
きょうは天気がいいので七五三で詣でる家族連れが多い。和服に馴染めずにむずがる幼児が微笑ましい。

まだ、小学校に上がる前なので四~五歳くらいだったと思うが、その頃この神社下に住んでいたことを思いだした。

田舎から出てきた若い父と母は農家が営んでいたアパートを借りて住んだ。
玄関脇にソテツの木があったのを覚えているが、写真で何度か見ているのでその記憶だろう。
父はタクシーの運転手の職を得たばかりなのでアパートは会社の近くだったと思う。

当時の高島平は広い農地が広がるだけで荒涼とした風景が果てしなく続いていた。
見えるのは送電鉄塔か熊野神社辺りの緑濃い森くらいで東京と田舎の区別もつかない私にとってはどちらも似たようなものだった。

ほろ苦い記憶が微かに残る。
当時の我が家はひどい貧乏所帯で日々食べるコメにも事欠く始末だった。
あとで聞いた話だが、田舎育ちの母親は自分で買いに行くのが恥ずかしく、私に小銭と米穀通帳を持たせて少しばかりのコメを買いに行かせた。

梅雨だったのか?雨が降り続いたある日、いつものようにコメを買いに行った帰り道。
雨でぬかるんだ泥道を転ばないように米の入った紙袋を胸元に強く抱えて歩いた。
濡れた紙袋の底に穴が開いて米が少しずつこぼれているのに気づかず、コメの量が半分以下に減った紙袋を母に手渡しながら泣いてあやまった。

泣きじゃくる私の背中を撫でながら母親は「いいんだよ、ごめんね」と言ったのを今でも覚えている。

秋の旅は感傷的になりがち・・
コロナ過で年内に墓参りに行くことも叶わないので記憶に残る母を思い出して供養する。

御成塚通りを進み、延命地蔵堂脇の坂を降る。頭からつんのめりそうになるほどの急坂だ。

坂下から清水坂(旧中山道)を上り返す。

清水坂 説明板

都営三田線は清水坂下で地上に出て高架区間に入る。

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麻婆肉味噌うどん

2020年11月09日 | 吉田屋で何食べる?
いつもの麻婆肉味噌をうどんにかけて・・ズルズルッ!
今回は乾麺のうどんをゆでるときに重曹を加えてみたが、ゆであがった麺の香りが中華麺風でいい感じ。

「麻婆肉味噌 レシピ」
豚挽肉、ニンニク多目、玉ねぎ、豆板醤(トウバンジャン)、赤唐辛子を炒める。
酒で溶いた豆鼓醤(トウチジャン)、甜麺醤(テンメンジャン)、コチュジャン、各大さじ1~2杯と麻婆豆腐の素を加えて混ぜる。
仕上げに水溶き片栗粉をからめて、とろみがついたら出来上がり。

出井川(でいがわ)緑道

2020年11月08日 | 旅みたいな・・
大きくグルリと回って出井川緑道。 (東京都板橋区東坂下2-1-5付近)

散策路に沿って西に向かう。

国道17号を越えて左右に蛇行する水路跡を進む。

いい感じの藤棚。来年の五月頃に再び訊ねてみたい。

正面の環八通りを越える。

水路跡は都営三田線の線路と並行し駐輪場に変化する。
左手の高架上の駅は「志村三丁目」。

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ソーキ煮付

2020年11月07日 | 吉田屋で何食べる?
近所でやっていた沖縄フェアで買ったソーキ煮付。
賞味期限がギリギリだったので半額だったが、「とうぶんは、大丈夫さ~」という売り言葉にウンウンと頷きながら買物かごに入れた。

久しぶりに食べる豚の骨付きあばら肉(スペアリブ)の煮付はやわらかく煮込まれてやや甘目。ナンコツのコリコリ食感を噛みしめながら、今は行くこともかなわない沖縄の海や街を想う。

浮間中秋旅心

2020年11月06日 | 旅みたいな・・

池の周囲を巡りながら進み、行く秋を静かに味わう。

長後さくら橋を渡り、新河岸川を越える。

「長後さくら橋の由来」
昭和初期の地図からは元の荒川の蛇行具合がよくわかる。浮間公園はその蛇行跡。
長後さくら橋の白抜き文字部の上、王子区浮間町と記された部分は荒川放水路が完成する前は川口市の一部だった。

新河岸川右岸を下流に向かって進む。右手は蓮根川緑道の入口。

イタズラ書きを塗りつぶした部分がアートに見えないこともない。
眼とか描き入れたら面白いかも・・

出井川(でいがわ)緑道の起点辺りだが・・ここから中には入れない。

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