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~球児たちの あしあと~

兵庫球児100年のあしあと 37

2018-06-15 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 37では、育英が33年の時を超え悲願の優勝。

33年・・・この長すぎる時間に、どれだけの育英球児が汗と涙を流してきたのだろう。

そう思うと、とても感慨深い優勝だ。


第72回大会(1990年)

~育英、33年ぶりの奪還~


第72回大会決勝で力投する育英の戎信行投手


1990(平成2)年の第72回大会は豊岡こうのとり球場が会場に加わり、

但馬で初めて夏の高校野球の球音が響いた。


16強はノーシード組8校を占めた。

8つよいは公立が参加6年目の神戸高塚のほか、御影工、加古川西、この年の選抜大会に出た川西緑台、

私立は育英、報徳、東洋大姫路、滝川第二の各4校。


決勝は戎信行(元オリックスなど)をエースに擁した育英が打撃戦の末、

9-8で東洋大姫路を下した。

実に33年ぶりの栄冠。


監督の日下篤は

「苦しい試合だった。最後まであきらめなかったのが勝因」

と選手をたたえた。


1点差の明暗。

その後の両校の歩みは対照的だった。

勝った育英は復活の自信をステップに、3年後の第75回大会で全国制覇を果たす。

敗れた東洋大姫路は第74回、75回大会とも初戦で姿を消した。


神戸新聞 吉岡猛逸氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)


兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)



兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)


兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)


兵庫球児100年のあしあと 36
第70回大会(1988年)
第71回大会(1989年)


兵庫球児100年のあしあと 36

2018-06-15 | 高校野球

白球回想 夏の兵庫大会史

兵庫球児100年のあしあと 36


第70、71回大会には創部間もない2チームが兵庫高校野球の歴史に新たなあしあとを刻んだ。

第70回記念大会は、滝川から伝統を受け継いだ滝川第二が何と5年で初の兵庫頂点へ。

節目の大会であるが、現在のように東西に分けて行われた大会は第80回が初めてのこと。

この年から健闘光るチームへ敢闘賞が贈られるようになった。

惜しくも優勝は逃したものの、選手たちの良き思い出のひとつになりますね。

しかし・・・敢闘賞自体があることを初めて知った。

現在は素晴らしい応援を魅せてくれたスタンドの応援プレイヤーたちを讃え

応援優秀賞が贈られるが、何年に始まったのだろう・・・。

前年の69回大会から勝利校の校歌斉唱が聞かれるようになったが、

70回大会に、スコアーボードに校旗が誇らしげに掲げられるようになった。

今は当たり前に見る光景だけど、熱い戦いの後の静寂のあの瞬間は、

勝った選手、敗れた選手、両者に想いを馳せながら健闘を讃える

私にとって心落ち着ける貴重な時間だ。

この頃の兵庫大会開会式、開幕戦を甲子園で行っていたということにも驚きだ。

甲子園県兵庫球児の特権と言えば・・・だけど、他府県と同様に

優勝して目指してきた場所へ初めて・・・再び立つ。

それがやっぱりいいな。

しかし辿り着けなかった選手にとっては、深く大切な思い出となったことは、ただ良かったと思う。

今夏の開会式、開幕戦は明石トーカロ球場で行われる。

決勝はほっともっと神戸で・・・

全く個人的には、決勝は明石トーカロ球場で観たかった。

あの場所は硬式軟式球児とも想い入れのある兵庫球児たちにとっての聖地だと思うんだ・・・なぁ。


第71回大会は神戸弘陵が初優勝。

甲子園では、2回戦 佐賀商業に6ー2で初勝利、3回戦は尽誠学園に3-1で惜しくも夏を終えたが、

時代は昭和から平成へ。

史上8人目となる先頭打者ホームランも飛び、さらに思い出深い夏となったことだろう。

この後、神戸弘陵は兵庫の頂点から遠ざかっている。

今チームにはご縁ある室井投手が最後の夏を迎える。

チームとしては29年ぶりの夏二度目の頂点を目指し頑張ってほしい。

記事に紹介されている写真がカラーになり、身近に感じる時代へ進んできた。


第70回大会(1988年)

~滝川第二創部5年でV~


第70回大会で初優勝を果たし、歓喜に沸く滝川第二ナイン


1988(昭和63)年の第70回記念大会は加古川東が西宮東、滝川、高砂のシード校を連破して

29年ぶりにベスト8へ進み、新設された敢闘賞を受けた。


決勝は滝川第二が7-4で東洋大姫路を下し、2年前の決勝の雪辱を果たした。

創部から5年目の初優勝。

佐野貴英(元大洋)が主将を務めた滝川第二は全国選手県1回戦で、

戦前の第18回大会以来という降雨コールドゲームで高田(岩手)を破り、

夏の甲子園大会兵庫勢通算100勝をマーク。

県高野連理事長の釜内和夫は

「兵庫の輝かしい伝統に新たな一ページを記した」と祝福した。


第70回大会から勝利校の校歌とともに校旗も掲揚されるようになった。

甲子園球場まで兵庫大会開会式後の開幕試合を制した姫路東の遊撃手、的場慎は

「あこがれの甲子園で校歌を聞けて最高の感激」と取材に答えている。


第71回大会(1989年)

~神戸弘陵、初の頂点~


第71回兵庫大会で初優勝し、甲子園に出場した神戸弘陵ナイン


1989(平成元)年の第71回大会は、プロ注目の本庄雅章をエースに擁した

関学の18年ぶり8強進出が話題となった。

当時の高校球界では珍しい長髪のナインは伸び伸びプレーした。

北播勢の頑張りも目を引いた。

社が8強、小野は13年ぶりの16強。

三木東も出場12年目で初勝利を挙げ、3回戦は延長十八回の死闘を制した。


神港学園、東洋大姫路、津名、神戸弘陵が準決勝へ進み、決勝は25年ぶりの神戸対決に。

参加163校監督の最年長、57歳の高木太三朗が率いる創部7年目の神戸弘陵が

11-1で神港学園を破り、初優勝を果たした。

高木は「選手が元気いっぱいだったので必ずやってくれると思った」と会心の試合を振り返った。


エース前田勝宏は西武に、全国選手権で大会史上8人目の先頭打者本塁打を放った

主将の出口幸夫は巨人に入団した。


神戸新聞 吉岡猛逸氏


兵庫球児100年のあしあと 1~20
第1回~第40回大会(1915~1958年)


兵庫球児100年のあしあと 21~30
第41回~第61回大会(1959~1979)


兵庫球児100年のあしあと 31
第62回大会(1980年)


兵庫球児100年のあしあと 32
第63回大会(1981年)


兵庫球児100年のあしあと 33
第64回大会(1982年)
第65回大会(1983年)



兵庫球児100年のあしあと 34
第66回大会(1984年)
第67回大会(1985年)


兵庫球児100年のあしあと 35
第68回大会(1986年)
第69回大会(1987年)