気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
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はじめての俳句🖊9~フリージア

2021年05月10日 | 喜代の俳句

切りたてのフリージアあるお仏壇

季語:フリージア(春)

【フリージア】南アフリカ原産のアヤメ科の多年草の花。細い葉の間から茎が伸び花を連ねる。

花色は黄・白・紫など。切り花として好まれ、高い芳香をはなつ。※歳時記

作品の背景:お仏壇に庭から切ってきたフリージアを飾ったところ、お仏壇がまるでお線香のように香った。

提出した句:フリージャの香りも載せてお仏壇

先生の添削:「フリージア」と「お仏壇」の組み合わせが意外でいいですね。季語は「フリージア」と記すのが一般的のようです。

また、上五が上六となっているのが少し気になります。そこで添削例では、作品の背景にお書き下さった「切ってきた」を活かしました。

【切りたてのフリージアあるお仏壇】

フリージアは香りも含めて私の一番好きな花です。特に黄色、花言葉は「無邪気」。

今年は沢山咲き、何回も仏壇に飾ることができました。

5月は義母の亡くなった月で、母の日もあります。

義母が亡くなったのは5月1日(平成10年西暦1998年)68歳でした。

もう20年以上経ち、昔と言っていいくらいの時が過ぎました。

でも亡くなった日はとても忘れられない一日になっています。

  ここからは自分の記憶のためにもと書いたので、少し長いです。もしお時間がありましたらで・・・

義母は4月27日ころから始まった体調不良(おもに吐き気)がなかなか収まらず、GWが明けたらお医者さんに行くと言っていました。

しかし29日になっても吐き気が治まらず(救急車は嫌だと言うので)

30日に、夫と私で少し前に義母が帯状疱疹で入院した病院で見て下さるというのでその病院に連れて行きました。

義母はその4年前ほどからリウマチを患い、ほとんど家事もできず歩行も困難になっていました。

リウマチの痛さに、帯状疱疹の痛さが重なって、病気前は50キロ以上あった体重が38キロほどになっていました。

その日は、即入院となったけれど、いろいろと検査し「食欲が戻ったら退院できるでしょう」という担当医の話なので、夫と私は帰りました。

帰りがげに義母が「夕餉の支度が出来なくなってごめん、これでコロッケでも買って…」とお財布を私に預けました。

それが私と義母の最期の会話になろうとはその時は露程にも思いませんでした。

 

よく日5月1日、私は千葉の友人と会うために横浜駅近くのデパートで12時の待ち合わせ予定でした。

病院から「お義母さんの様態が急変しているのですぐ来て下さい」と連絡があったのは11時ごろ、さあ出かけようとした時でした。

夫も息子達もおらず義父は気力、体力が落ちていて行くのは無理なのは見てわかるし、

約束した友人に電話をしたけれど家を出た後なのか連絡がつかず(当時は携帯も持っていない)仕方ないのでそのまま病院へ向かいました。
(結局友人は待ち合わせ場所に来てしまい、私の自宅に電話して事情が分かりそのまま千葉に帰ったのでした。

病院に着くと義母は個室に移されており、私がその病室に着くと「今、血圧が50です。上がれば良いのですが…」と言って看護師さんは出て行ってしまいました。

その時義母は大きないびき状態で、血圧も上がる気配もなく、私は一人ではどうしようもないと思い担当医のところへ状況を聞きに行きました。

すると今夜を通り越せばと…まだみんなを呼ぶような事態ではないような返事でした。

でもどう見ても義母の様子はおかしい・・・やはり一人では耐えられないと・・

「すみません、私は嫁です。血のつながりのある人達を呼んでもいいですか?」と訴えてしまいました。

変な訴えでしたがなんとか了解を得て夫に連絡し、夫の弟妹、義母の妹夫婦にそして息子達にも連絡をしてもらいました。

3時間ほど経ったころに、皆次々と駆け付けて来てきましたが、最後になった義弟が来たころにはもう心臓マッサージを施していました。

そして6時、結局誰とも会話せず、末子の到着を待っていたように、義母は息を引き取りました。

急性腎不全でした。痛め止め薬などの副作用で稀にあるそうです。その(まれ)になってしまったのです。

  

私が夫と結婚したのは24歳、その時義母は44歳でした。

若いうえに、横浜生まれの横浜育ち、生粋のハマッ子で、埼玉の田舎で育った私は、自分とのギャップに圧倒されていました。

よく笑い、よく泣く、喜怒哀楽のはっきりしていた義母。

「実母と一緒に暮らしたのは18年、お義母さんとは倍の付き合いになるでしょう」と言った私に、

「私を80歳で殺さないでよ!」と返した義母がそんな早く亡くなるとは思いませんでした。

しかも10歳も年上の義父を残して!

    

当時18歳だった義母が、イケメンだったお義父さんをゲットする際に、下駄の鼻緒をわざと切って目の前でこけてみたという…。

それをすげ替えてあげてまんまとゲットされてしまったお義父さんとの結婚のいきさつを聞きました。

まるで面白いドラマのようです。

今ならヒール👠を折るのでしょうか?何やってんだか?と通り過ぎられたりして・・・。

若いのに嫁にしてしまったからとお裁縫やお料理を習うようにと、お義父さんがあげたお小遣いを、

「あの時は観たわ、観たわ!洋画!(カサブランカ)なんか良かった!」と言って映画鑑賞に使ってしまったという義母。

20歳になった次の月に夫の母になった、今でいうヤンママだった義母、先妻のお子さんですか?とよく言われたと笑っていた。

フリージアの花言葉【無邪気】が似合いそうな人でした・・・。

今日の仏花(アスター紫)です。

花言葉:恋の勝利、私の愛はあなたの愛より深い、信じる恋・・・これもお義母さんに似合いそうです。

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