日田市議会議員 いかわたいき(居川太城)のブログ。

議員活動やプライベートも含めて感じた事、思った事を等身大に記載して参ります。

原点

2011年04月13日 02時20分03秒 | 日記
僕が政治家を目指そうと決意した原因は色々ありますが、今日は原点の話をしたいと思います。
写真は日田市内のある場所です。


ここが…、この場所が、僕の政治家を目指そうと思った原点です。


僕の兄は知的障害者です。
分類すると「高次脳機能障害(こうじのうきのうしょうがい)」になります。


今でもハッキリと覚えていますが、僕が3歳の時に、兄はこの場所で車に跳ねられました。

キキキキィィィ!!

と、けたたましい音と共に兄は僕の目の前で車に跳ねられ、地面で気を失う前に兄が発した言葉は…

「おか…あさ…ん」

の一言でした。
それからの記憶は僕には無く、次の記憶は病院で全身包帯まみれの兄でした。

事故の影響で兄は脳に障害を持ち、先程申しました「高次脳機能障害」になりました。


※高次脳機能障害…交通事故や頭部のけが等で脳が部分的に損傷を受けたため、言語や記憶、行動等に障害が起きた状態。


ここからが僕を含め家族が本当に辛い体験を多々します。
普通の行動・普通の言葉を言えない兄は、普通の生活さえできなくました。買い物や遊び等、外に行けば周りの人達からは奇形な目で見られ、時には、あからさまに声に出す人も居ました。
僕はそんな周りの視線が未だに悲しくて腹が立ちます。
兄だってなりたくてなったんじゃない!それ以上に、感受性が強い兄や家族だって悩んで苦しんでいるんだ!
なんでそんな目で見るんだ!やめてくれ!

と、子供ながらにずっと思ってました。
仕事やプライベートの時間を削ってまで面倒を見てる両親、そんな家族の苦労や悩みをずっと近くで見てました。少年時代は兄の事でイジメにあってましたが、両親にこれ以上負担を掛けたくないためずっと黙ってました。

大人になり市役所に兄の事で何度も家族と相談に行きました。しかし、市役所での対応は、たらい回しの後回し。
しましには障害者施設のリストを渡されて、

「これで自分達で調べて下さい。」

と言われました。
僕は頭にきました。僕達は散々調べて、行動して、現状ではできないからここに来てるんだ!自分達で?ふざけるな!


日田市の現状や職員の対応はもう信用できませんでした。


日田市は人口7万人の小さな街で、その内障害者は2千人ほどいます。言い換えれば個々の違いはあれど、2千組の家族が同様の体験をしております。

ある障害者を持つ両親はこう言いました。
「周りから奇形な目で見られるのは障害者を持つ家族が最初に当たる壁だ、それを乗り越えていくしかないんだよ。」

僕は……


違うと。そういった社会が悪いと思いました、僕達が作り上げた社会なら、僕達が作り替える事ができるんじゃないかと?
僕は政治家になるのが目的ではありません、あくまで手段に過ぎません。
少しでも障害者に優しい街や社会にしたいだけなんです。
僕が障害者を持つ家族の代表として、市政を少しでも変えたいだけなんです。
少しでも僕みたいな辛い思いをする家族や人達を救いたいだけなんです。