昨日は親族の方の納骨式に参加してきました。
式では孫たちが参加しなかったので、人数は少なかったのですが、時の流れを感じました。
昔はいとこたちが集まって遊んでいたとき、親(今の自分たちくらい)は、おじさん、おばさんと呼んでいましたが
(もちろん、今もそう呼んでいますが)、一同に会すると、もうそのおじさんやおばさんたちは何人か亡くなり、
そして、もうみなおじいさん、おばあさんになってしまいました。
自分の親ももちろん含まれますが。
遊んでくれたおじさんたちも、歩くのに杖は使っていないとしても、なんだか弱弱しく、本当に老人になってしまった。
老いとは、誰にでも平等に訪れるものだと、認識しました。
どんなに医学が発達し、アンチエイジングだ、高度医療だと言っても、やがていずれは歳をとるということなんだなあ。
今は子供たちの成長を見守るのに精いっぱいですが、いずれ学校を卒業して、自分たちで生活しだしたら、残された
自分たちは何をしようと考えておかないと、日々過ごして、老後を迎えて、そして終わり、となってしまいますね。
今は忙しいから、考えるのは後にしよう。
ということはやめて、今から考えておかないといけないと思いました。
育児ブログ・ランキング
式では孫たちが参加しなかったので、人数は少なかったのですが、時の流れを感じました。
昔はいとこたちが集まって遊んでいたとき、親(今の自分たちくらい)は、おじさん、おばさんと呼んでいましたが
(もちろん、今もそう呼んでいますが)、一同に会すると、もうそのおじさんやおばさんたちは何人か亡くなり、
そして、もうみなおじいさん、おばあさんになってしまいました。
自分の親ももちろん含まれますが。
遊んでくれたおじさんたちも、歩くのに杖は使っていないとしても、なんだか弱弱しく、本当に老人になってしまった。
老いとは、誰にでも平等に訪れるものだと、認識しました。
どんなに医学が発達し、アンチエイジングだ、高度医療だと言っても、やがていずれは歳をとるということなんだなあ。
今は子供たちの成長を見守るのに精いっぱいですが、いずれ学校を卒業して、自分たちで生活しだしたら、残された
自分たちは何をしようと考えておかないと、日々過ごして、老後を迎えて、そして終わり、となってしまいますね。
今は忙しいから、考えるのは後にしよう。
ということはやめて、今から考えておかないといけないと思いました。
育児ブログ・ランキング