安全保障関連法案の 撤回を求める意見書」について、賛成討論に立ちました。
7月1日、鎌倉市議会6月最終本会議において、陳情2、議案13、動議1について、審議・採決されました。
議員提案による、「安全保障関連法案の撤回を求める意見書」について、賛成者として討論に立ちました。
以下、賛成討論全文です。
現在、国会において、昨年閣議決定されました「集団的自衛権行使」にあたっての法整備として、「安全保障 関連法案」が審議されています。
この法案は、「集団的自衛権行使」を「合憲である」とした、昨年7月の閣議決定そのものが、正しかったのか!という視点で議論されるべきものだと考えます。
私は「集団的自衛権行使容認 閣議決定」自体が、 間違いであるとの立場から、「関連法案は撤回されるべき」とした、本意見書に賛成するものです。
当初、安倍総理が目指したものは、憲法9条の改正でした。しかしながら憲法改正には、憲法96条に明記された発議要件、衆参両院で3分の2の賛成を得なければなりません。現在の衆参両院の構成では、発議要件を満たすことに厳しさが想定されます。そこで、安倍総理は、憲法改正の中身では意見が割れるが、憲法96条を改正し、発議要件を「衆参両院 過半数の賛成」…とするならば、3分の2の賛成を得ることができる…と目論み、まず先に96条改正、その後、9条改正に踏み込んでいく予定であったことは、これまでの発言や自民党の「憲法改正案」にあるように、容易に想像できるところです。
ところが、それに対しては、「裏口入学と同じである」等々、様々な批判が沸き起こり、世論の合意が得られないとなると、一転、憲法改正ではなく、「憲法の解釈を変える」という暴挙に出ました。いわゆる解釈改憲、「集団的自衛権行使容認、閣議決定」をおこなったわけです。
そもそも憲法は、国家権力を制限し、国民の自由と権利を保障し、国民を守るためにあるわけであり、その憲法を守るべき立場にある政府が、国民的議論や国会での議論を省略し、その解釈を変える、ということは、立憲主義の否定であり、あってはならないことです。
これに関しては、昨年6月、本鎌倉市議会において、陳情第4号他2件の『集団的自衛権行使を容認する「解釈改憲」に反対する 意見書を求める陳情』が、総務常任委員会において審議され、全会一致をもって採択されました。また、本会議においても、多数の挙手により、採択されたところです。
その後、全国各地の議会から、「解釈改憲反対を求める意見書」が多数挙げられました。しかし、その世論に耳を傾けることもなく、政府は、今国会での「関連法制定」に向けて、一挙に法案11本の提出を行いました。
この法案は、これまで、自国の防衛以外の目的で行使することができなかった自衛隊の武力を、アメリカ等の求めに応じて、海外においても行使できるようにするものです。自分の国(日本)が攻撃されなくても、「密接な関係」にある国(アメリカ)が攻撃されたときに、いっしょに防衛するという、集団的自衛権行使を可能にし、自衛隊の活動範囲を拡大しようとするものです。
ご存じのとおり、これまでの政府見解は、「憲法9条の下での、武力行使が許されるのは、個別的自衛権の行使であり、集団的自衛権の行使には、憲法9条の改正が必要である」としてきました。日本国憲法 制定以来、長きにわたって、国会で議論を尽くす中で、「他国防衛を本質とする、集団的自衛権行使は9条下では認められない…」との解釈を、一貫して示してきたのです。その9条には「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳われています。この憲法を持つ日本が、アメリカの要請に応じて、アメリカが戦争をする地域で、アメリカ軍の後方支援をすることができると…どう読み解けば、可能と言えるのでしょうか。
この憲法解釈を変えるにあたって、当初、根拠としようとしたものは、「砂川事件最高裁判決」でした。判決文の「わが国が主権国として持つ、固有の自衛権は、何ら否定されたものではなく、…必要な自衛的措置を取りうる…」というものでした。しかし、与党協議の中において、「裁判では、集団的自衛権が問題になっているわけではない…」との議論があり、その後は、1972年政府見解、「…必要最小限度の自衛措置容認」を根拠としてあげるようになりました。しかし、引用して用いられるのは、「我が国の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫・不正の侵略に対する場合に限られる…」の部分であって、後半部分の「したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することを、その内容とする、いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない!」という部分については、触れられていません。意図的に一部分を切り離し、都合のよい部分だけをとりあげて論拠の中心に据え、閣議決定することは、国民をだましていることで、許されることではありません。
11法案が提出され、これまで国会では、自衛隊員のリスクや、戦闘地域での具体的な場面において、それが自衛的な行為なのか、戦闘行為なのか…などが議論されてきました。
さる6月4日、衆議院憲法審査会において、与野党から推薦された参考人の憲法学者3氏全員が、この安保関連法案は「憲法違反」であると表明し、その後、憲法学者らの批判が拡大し、現在、圧倒的多数の憲法学者が「違憲である」としています。
そして、廃案を求める声明の賛同者は広がっています。
また、元内閣法制局長官も、国会の場で初めて公式に「違憲」であると表明しました。憲法学者と法制局長官という、まさに専門家が違憲であると、断じたわけです。
にもかかわらず、専門的な見地からの指摘に、理屈で反論できなくなると、今度は、「憲法の番人は、最高裁であって、憲法学者ではない」と反論、そして、「合憲の根拠にそぐわない」と、一度封印した砂川事件最高裁判決を、もう一度持ち出してくるとは。国民をあまりに愚弄したものといわざるをえません。
これまでの国会審議の中においては、武力行使をする要件として、政府は「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が、根底から覆される明白な危険」と言っていますが、果たして、どのような状況を指しての言い回しなのでしょうか。具体的な例として、ホルムズ海峡封鎖が挙げられています。日本にとって、中東からの石油が途絶えれば、確かに利益が害されます。国民の生活に不都合が生じます。しかし、そのことで、直ちに生命が脅かされたり、自由が制約されたりすることになるでしょうか。備蓄や他国からの供給、他の代替エネルギー確保などが議論もされずに、「わが国の存立が脅かされ」と判断するのでしょうか。
さる6月29日、衆議院特別委員会で、内閣法制局長官は、昨年7月1日以降たびたび安部首相がパネルを持ち出し、集団的自衛権行使が必要としてきた「避難する日本人を乗せた米輸送 艦船の防護」について、「法案が成立しても、単に米輸送艦が攻撃を受けることで、武力行使の新3用件にあたるものではない」との見解を示しました。
武力行使の用件も実にあいまいです。
安倍総理は、「自衛隊が、かつての湾岸戦争やイラク戦争のような戦闘に参加するようなことは、今後とも決してない」と言っていますが、はたして信じられるでしょうか。アメリカの要請を断れるのでしょうか。また政府の「総合的な判断」のもと、戦争に入っていくのではないでしょうか。
「人道支援」などの名目で行われたイラク派遣でさえ、インド洋を含めて派遣を経験した自衛隊員の54人が自殺をしています。これは、イラクなどの戦闘に参加した、米国軍隊員の6人に1人がPTSDを発症した、と言われる事実と符合し、実態は戦闘そのものであったことを示しています。
安倍総理は、安全が確保されている場所で、後方支援するといいますが、実際は自衛隊が後方支援する場所こそが、戦闘現場になるのではないでしょうか。
アメリカの先制攻撃が、国連総会で非難されても、ただの一度もアメリカの戦争を非難したことがない日本は、今後、アメリカの言われるままに、集団的自衛権を発動することになり、攻撃されれば、戦闘になり、武力行使をすることになるのです。結局この法案は、憲法9条を破壊する法案、ということになります。
これまでの国会議論では、質問の論点をすり替え、同じ答弁の繰り返しや、あいまいな答弁で、なんら国民の納得のいく説明がなされてきませんでした。あいまいなままで、法案を成立させ、運用しやすいようにしていると思われてもしかたありません。このまま戦後最長95日の会期延長をして(それも最後は土曜・日曜日ですが)、強引に法案を通し、日本の平和・安全を大きく変化させることは許されません。
他国の戦争に加勢する集団的自衛権の行使を可能にする法案。
日本が攻撃されてもいないのに、日本の自衛隊がアメリカの戦争に参戦できるための法案。
日本を海外で戦争する国に作り替える法案。
戦争によって、平和な国を作ることはできません。
改めて申し上げます。立憲主義を否定する閣議決定にもとづく、憲法違反の安全保障法案は撤回すべきです。
各種世論調査でも国民の多くはこの法案成立に反対し、成立による国の行方に、大きな不安を抱いています。日本国憲法のもつ平和主義を大転換する、これら法案は直ちに撤回すべきです。(以上全文)
採決の結果、退席者2、賛成13、反対10で、可決されました。
戦後、全国に先駆けて、平和都市宣言をした鎌倉市議会として、本議案を可決できたことは、大きな意義のあることです。
議会は、議員構成だけで決まるわけではなく、「市民の声が議会を動かすことができる!」と実感できた結果でした。
政府は15日にも採決をするとしていますが、国民の声が高まる前に進めてしまうつもりです。
論点はすべて出尽くしたと言いますが、何ら納得のいく答弁もなく、あいまいな答弁、同じ答弁を繰り返すだけで、十分な審議をしたと言えるのでしょうか。
今年の夏は、「国民の声が、国会を動かす夏」に是非ともしていきたいです。