問われているのは「専門家の自律性」
先日、ある教育学博士の話を聞く機会を得た。
“教育行政の民主化をどうはかるか”というテーマだった。
その中で彼は言う。
政治的中立とは何か。
該当する外国語は存在しない。
そもそも、政治的中立なんてありえない…。と
教育行政学研究において、教育長や教育委員会や教師の職業集団の自律性を「専門家の自律性」と規定してきたけれど、日本の法制度において、教育長も、教育委員も教師も「専門職」として規定していない。
「政治的中立性」を問うのではなく、「専門家の自律性」を問うべきだ…というような話だった。
学校現場において、教師の専門的な判断より、校長の職務命令が優先する日本はおかしい。…と結んでいた。
「教師が教科書を選べない日本」「公教育費支出がОECD31か国中最低な日本」「子どもの相対貧困率が世界ワースト4である日本」
子どもの豊かな学びを放置して、集団的自衛権行使で一体何を守ろうとしているのでしょうか。
今日は熱くなりました。
先日、ある教育学博士の話を聞く機会を得た。
“教育行政の民主化をどうはかるか”というテーマだった。
その中で彼は言う。
政治的中立とは何か。
該当する外国語は存在しない。
そもそも、政治的中立なんてありえない…。と
教育行政学研究において、教育長や教育委員会や教師の職業集団の自律性を「専門家の自律性」と規定してきたけれど、日本の法制度において、教育長も、教育委員も教師も「専門職」として規定していない。
「政治的中立性」を問うのではなく、「専門家の自律性」を問うべきだ…というような話だった。
学校現場において、教師の専門的な判断より、校長の職務命令が優先する日本はおかしい。…と結んでいた。
「教師が教科書を選べない日本」「公教育費支出がОECD31か国中最低な日本」「子どもの相対貧困率が世界ワースト4である日本」
子どもの豊かな学びを放置して、集団的自衛権行使で一体何を守ろうとしているのでしょうか。
今日は熱くなりました。