なぜ、原発再稼働ができるのか。
今年は、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下から71年目を迎える。
8月5日、「市川房枝記念会女性と政治センター」主催、脱原発セミナーに参加した。
午前中の基調講演を、小出裕章氏(元京都大学原子炉実験所助教)が行い、
午後から、シンポジウムが開かれた。
小出氏は、1949年生まれ。「原子力の平和利用」という夢を描き、長年原子炉研究に携わってこられた。
しかし、研究途中、原子力発電の危険性に気づき、研究現場から脱原発の発信をし続けてきた。
小出氏は言う。
人類は、原爆投下により、何を学んだのか。それは、「原爆は恐ろしいものである」ということ。
そして、「原子力は猛烈な力を持っている、この力を平和のために使いたい」という学びであった…と。
1954年7月2日の毎日新聞には、次のように書かれている。
「原子力を潜在電力として考えると、まったくとてつもないものである。しかも石炭などの資源が今後、
地球上から次第に少なくなっていくことを思えば、このエネルギーの持つ威力は人類生存に不可欠なものと言ってよいだろう。
…電気料金は2000分の一になる。…火力発電のように大工場もいらない。…山間僻地を選ぶこともない。
ビルディングの地下が発電所ということになる.」
この考えに、小出氏自身も「正しいと思った」と回顧している。当時は反核運動をしている人も、被爆者の人々も、
原子力に夢をかけていた…とのことだった。
しかし現実は、全く違っていた。
①原子力発電一基を一年間動かすのに、ヒロシマの原爆で燃えたウランの1000倍燃やさなければならない。
つまり、一年間で『死の灰』をヒロシマの1000倍作ることになる。
すでにヒロシマ原発130万発分の『死の灰』が、六ヶ所再処理工場に集められている。
たかが数十年の電力のために10万年から100万年の毒物を生んでいる。
そして、このままで行くと、原発の燃料は、化石燃料より早くなくなる。
②原発により生まれる電気料金は、その他の発電より高い。日本は世界一電気料金が高い国である。
③原発の技術が絶対的なものでなかったから、都会に原発は造らなかったという事実。
原子力にかけた夢は、まさに幻であった。
2011年3月11日。福島第一原発事故。
ヒロシマ原爆の168発分のセシウム137(核分裂生成物の中で一番人間に危害を与える放射性物質)
を大気中に放出した。
汚染水は、遠くない将来海に流すだろう。
排気筒(エントツ)はいずれ倒壊するだろう。
7,000人の作業員の被ばく。投入したロボットはすべて戻ってこられない。
何年たったら現場のことが分かるのか。それすら分からない。
セシウム137の放射能量が100ベクレル/1㎏以下の鉄は野放し状態。くず鉄となりフライパンになっている。
京都大学原子炉研究施設内に「放射線管理区域」(放射線による障害を防止するために設けられる区域で法令により、取り決められている)がある。
本来、人が立ちいれない。水を飲んでもダメな区域。そのような場所に今、人々が大勢住んでいることになる。
放射線被ばくは、微量でも健康被害を受ける。
放射線ガン死の年齢別依存性では、原子力を選んだことに責任のない子ども達は、全年齢平均(30歳)の4倍から5倍である。
国は「逃げたい奴は勝手に逃げろ、補償はしない」という。
それどころか、一度逃げた人たちに、汚染地に帰るよう指示。補償金の打ち切りも表明している。
人々は、汚染地で暮らすしかない状態に追い込まれている。
2015年10月10日。国道6号線の「清掃」作業に学校児童が動員された。車で通る時は窓を閉めて、止まってもいけない所である。
今原発再稼働に向かっている。
なぜ、今、再稼働ができるのか。
それは、「どんなに破局的な事故を起こしても、誰一人責任を取らずに済み、処罰もされない」ことを学んだから。
次の悲劇を防ぐためには、原発事故の責任者をきちんと処罰すること。
そうしなければ、悲劇はまた起こる…。
と小出氏は結んだ。
福島第一原発事故が起きた今。私たちはどう生きるべきか。
原発事故が引き起こした途方もない被ばくと環境汚染。責任のない子ども達の負担…。
原発を推進していく大きな流れを止めきれなかった、大人としての責任を果たしていきたい。
今年は、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下から71年目を迎える。
8月5日、「市川房枝記念会女性と政治センター」主催、脱原発セミナーに参加した。
午前中の基調講演を、小出裕章氏(元京都大学原子炉実験所助教)が行い、
午後から、シンポジウムが開かれた。
小出氏は、1949年生まれ。「原子力の平和利用」という夢を描き、長年原子炉研究に携わってこられた。
しかし、研究途中、原子力発電の危険性に気づき、研究現場から脱原発の発信をし続けてきた。
小出氏は言う。
人類は、原爆投下により、何を学んだのか。それは、「原爆は恐ろしいものである」ということ。
そして、「原子力は猛烈な力を持っている、この力を平和のために使いたい」という学びであった…と。
1954年7月2日の毎日新聞には、次のように書かれている。
「原子力を潜在電力として考えると、まったくとてつもないものである。しかも石炭などの資源が今後、
地球上から次第に少なくなっていくことを思えば、このエネルギーの持つ威力は人類生存に不可欠なものと言ってよいだろう。
…電気料金は2000分の一になる。…火力発電のように大工場もいらない。…山間僻地を選ぶこともない。
ビルディングの地下が発電所ということになる.」
この考えに、小出氏自身も「正しいと思った」と回顧している。当時は反核運動をしている人も、被爆者の人々も、
原子力に夢をかけていた…とのことだった。
しかし現実は、全く違っていた。
①原子力発電一基を一年間動かすのに、ヒロシマの原爆で燃えたウランの1000倍燃やさなければならない。
つまり、一年間で『死の灰』をヒロシマの1000倍作ることになる。
すでにヒロシマ原発130万発分の『死の灰』が、六ヶ所再処理工場に集められている。
たかが数十年の電力のために10万年から100万年の毒物を生んでいる。
そして、このままで行くと、原発の燃料は、化石燃料より早くなくなる。
②原発により生まれる電気料金は、その他の発電より高い。日本は世界一電気料金が高い国である。
③原発の技術が絶対的なものでなかったから、都会に原発は造らなかったという事実。
原子力にかけた夢は、まさに幻であった。
2011年3月11日。福島第一原発事故。
ヒロシマ原爆の168発分のセシウム137(核分裂生成物の中で一番人間に危害を与える放射性物質)
を大気中に放出した。
汚染水は、遠くない将来海に流すだろう。
排気筒(エントツ)はいずれ倒壊するだろう。
7,000人の作業員の被ばく。投入したロボットはすべて戻ってこられない。
何年たったら現場のことが分かるのか。それすら分からない。
セシウム137の放射能量が100ベクレル/1㎏以下の鉄は野放し状態。くず鉄となりフライパンになっている。
京都大学原子炉研究施設内に「放射線管理区域」(放射線による障害を防止するために設けられる区域で法令により、取り決められている)がある。
本来、人が立ちいれない。水を飲んでもダメな区域。そのような場所に今、人々が大勢住んでいることになる。
放射線被ばくは、微量でも健康被害を受ける。
放射線ガン死の年齢別依存性では、原子力を選んだことに責任のない子ども達は、全年齢平均(30歳)の4倍から5倍である。
国は「逃げたい奴は勝手に逃げろ、補償はしない」という。
それどころか、一度逃げた人たちに、汚染地に帰るよう指示。補償金の打ち切りも表明している。
人々は、汚染地で暮らすしかない状態に追い込まれている。
2015年10月10日。国道6号線の「清掃」作業に学校児童が動員された。車で通る時は窓を閉めて、止まってもいけない所である。
今原発再稼働に向かっている。
なぜ、今、再稼働ができるのか。
それは、「どんなに破局的な事故を起こしても、誰一人責任を取らずに済み、処罰もされない」ことを学んだから。
次の悲劇を防ぐためには、原発事故の責任者をきちんと処罰すること。
そうしなければ、悲劇はまた起こる…。
と小出氏は結んだ。
福島第一原発事故が起きた今。私たちはどう生きるべきか。
原発事故が引き起こした途方もない被ばくと環境汚染。責任のない子ども達の負担…。
原発を推進していく大きな流れを止めきれなかった、大人としての責任を果たしていきたい。