竹田ゆかりのブログ

竹田ゆかりの活動記録
教育問題や時事問題に関する思いなど 

救命救急士の配置

2015-10-27 17:10:26 | 日記
鎌倉消防救命救急士2名、1394人の子どもたちの安全を守る

10月23日。第51回鎌倉市陸上記録大会が、開催された。
鎌倉市17校の小学6年生が、藤沢市善行陸上競技場で一堂に会して記録に挑戦する大会だ。
100メートル走・800メートル走(男子は1000メートル走)・ソフトボール投げ・走高跳・走り幅跳び。
その中から、自分が参加する競技を選び、練習を重ねて当日を迎える。

子どもたちは、この第二種公認陸上競技場で、自分の記録を更新したい思いでいっぱいだ。
時として、無理をしすぎて、事故やけが、体調不良につながることもある。

これまで、これらの対応にあたっていたのが、養護教諭2名だ。
2名の養護教諭を出す学校は、その日一日養護教諭不在となる。
また一方、対応にあたる養護教諭にとっては、その日初めて会うおよそ1400人の子ども達。
細心の注意を払って対応にあたるが、もちろん医療行為はできない。
藤沢市では、当日医療従事者を配置している。

鎌倉市においても、医療従事者の配置をすべく9月一般質問で指摘した。
(竹田ゆかり市政通信第10号参照)

一般質問の日、議場で質問内容を聞いてくださっていた消防長が、その後教育部長・教育長へ
「救命救急士を派遣することが可能ですよ…」と持ちかけてくださり、
このたびの救命救急士2名の派遣がかなったと聞いている。

陸上記録会当日、開会式で救命救急士お二人の紹介があった時、
応援席の子どもたちや、保護者から歓声が上がったとのこと。
子どもたちも保護者の皆様も、どれだけ安心されたことでしょう。

早速、消防長にお礼の電話を入れると、
「安全を守ることが、消防の姿ですから…」と、さり気なくおっしゃっていた。

目指すべき理念をもって、日々仕事に取り組まれていらっしゃることに改めて感謝したい

総合教育会議

2015-10-15 16:58:11 | 日記
総合教育会議 大綱とは何か

「地教行法」の改正により、本年度から各自治体の「総合教育会議」で教育大綱づくりが行われている。
本改正により、首長の教育行政への関与・権限が強められ、その結果、「教育の中立性・継続性・安定性」が損なわれることはないか…。
首長が、権限を越えて、教育内容や教育の在り方に踏み込むことがないよう、昨年12月議会において一般質問をした。

鎌倉市総合教育会議第1回目(7月7日・傍聴20人)では、大綱策定方針案が話し合われた。
その中で、市長から「教科書採択方針、教職員の人事異動の基準等は、大綱に盛り込む内容としてふさわしくないと考えている」
との発言があり、当然のことではあるが明確に述べられたことは、評価したい。
しかし…。

第2回目(10月13日・傍聴7人)では、事務局(経営企画)より大綱(素案)が示され、
説明のあと、「基本理念」の意見交換に入った。
ところが、ある委員から、「キャッチコピーがあるとインパクトがあっていい」「こんなのどうでしょう」と言って、
具体例が挙げられた。
引き続いて別の委員が「キャッチコピーは耳に残るものがいい。私も考えてみたが、こんなのはどうか」と話が続き、
3人の委員がそれぞれに考えてきたキャッチコピーのお披露目タイムとなった。この展開には驚いた。
教室でこのような展開になった場合、教師は「まず、中身について議論してからですよ」とたしなめるところだ。

お披露目があった後、市長が「キャッチコピーを作っていくということで良いですか」と言ってまとめ、
事務局で文言整理をすることになった。
中身の議論もないのに、なんだか、変だ。

その後やっと、基本理念(案)「未来を拓く『生きる力』を育み、大人も子どもと共に学ぶ共育を進めます」の審議に入った。
その後の様子は、いずれアップされる議事録をご覧いただきたい。
5人の委員の教育観の違いが実によく分かる。

残念なのは、委員間でのやり取りが全くないことだ。
出されっぱなしの、それぞれの意見をこれから事務局がまとめていくのだろうが、
どうまとめていくのか。

そもそも大綱とは何か。辞書で引いてみると太い綱。転じて、おおもと。と書かれている。
さがみはら教育大綱は、基本姿勢と重点的取組3項目だけである。
しかも、方向性を示しているだけである。
私は、それで十分であると思う。
なぜなら、あまり具体的すぎると、任期中の市長の考えが色濃く反映されていくことになり、
「教育の中立性・継続性・安定性」が損なわれかねないからだ。
鎌倉市の素案では、基本目標1~8.重点施策①~⑧が提示されている。
市長から
「徳育の充実、そのために地域全体で取り組んでいく仕組みが作れないか…今後議論させていただきたい」
との意見が出された。このは単なる意見交換ということなのか?
教育大綱に盛り込みたいということになると、問題だ。

これは、2014年2月、ある会派の代表質問への答弁で、市長が
「市民の規範意識・道徳性を高めるため…徳育基本条例を作る」と述べことにたいして、
私が、「鎌倉市民に規範意識・道徳性が乏しいというのか!」と質問したことに、
「そうではない…」と答えた市長答弁に矛盾するからだ。

大綱とは何か。どうあるべきか。
教育委員の皆様の見識に期待したい。



高橋哲哉氏の講演を聴いて

2015-10-11 15:41:39 | 日記
高橋哲哉氏の講演を聴いて

昨日婦選会館で、高橋哲哉氏の講演「沖縄に向き合う“県外移設”論をどう受け止めるか」を聴いた。
私は、「米軍基地の偏在性を、国民全体で考え解決すべき…」というお話だろうと思いながら、会場に向かった。

高橋氏が提示した資料によると、今年7月、某新聞社が行った世論調査で、
国民の86%が「日米安全保障条約締結によるアメリカとの同盟関係」について賛成している…。
との結果が出ている。

そしてまた、同じ世論調査の中で
「あなたは日本の安全保障上、沖縄に米軍基地が必要だと思いますか」
の問いに、74%が必要だと答えている。

高橋哲哉氏は言う。
なぜ、「沖縄に…」と問うのか…と。
「日本に…」と問うべきであろう…と。

高橋氏は、「米軍基地は、そもそも『本土』(沖縄以外という意味)が引き取るべきもの」という。
        …「本土」という言葉は適切ではないが、沖縄以外の地域を総称する適切な言葉がないため、
           「」をつけて使用することとしたと説明あり。

その論拠は、
日本全体の0.6%の土地(沖縄県)に、米軍施設の74%が集中し、人口で言えば、1%の沖縄県民が、
米軍施設74%を引き受けているという事実から、公平性を保つため…ということではない

「そもそも、日本に米軍基地を置くことを国会で承認した1950年(旧安保)においても、 1960年(安保改定)においても、
沖縄選出議員は国会に1人もいなかった。つまり沖縄県民の民意が全く反映されていない。
だから、沖縄県民に基地を引き受ける責任はない…。」と述べられた。

そして、「今、日米安保条約を破棄しない限り、基地を受け入れざるを得ない日本の国民の、86%が
「日米安保条約」に賛成している。そうであるならば、基地を受け入れる責任は、『本土』にこそある…」という。
静かな語り口の中にも、きっぱりと言い切る強さが、「本土」に暮らす私の心に強くのしかかる。正に…。

しかしながら、なぜ74%もの米軍基地施設が沖縄に集中しているのか。
高橋哲哉氏の話は続く。

「1945年。戦況が厳しくなる中、本土決戦に備えて、沖縄は時間稼ぎのための捨石となった…。」
「1947年、9月。昭和天皇はマッカーサーに『米軍の長期にわたる沖縄軍事占領を希望する』と伝えている。
そして、1951年9月。サンフランシスコ条約3条により、日本は主権を回復したが、沖縄は米軍の支配下にはいった。
そこから、暴力的な手段で沖縄県民の土地接収が始まり、基地が拡大して行った。
しかし、当時はまだ『本土』に多数の米軍基地があった…。」と。

「いったん、アメリカに撤収した海兵隊は、1953年、朝鮮戦争勃発とともに日本に戻り、分散駐留。
しかし当時、日本国内では、反基地運動・反米感情・反戦感情の高まりがあり、
基地を一般市民から隔離することになり、沖縄に集中させることになった。」(海兵隊元大佐証言)

「日本は戦後70年間、平和憲法のもと、『9条があったから、戦争に巻き込まれることがなかった』というが…。
日本国民の8割が支持する安保条約によって、日本に米軍基地があり、そこから米軍は戦地に出撃し、枯葉剤を撒き、空爆をし、
多くの他国民の命を奪ってきた。ベトナム・アフガン・イラク…。アメリカの戦争にずっと加担してきたではないか。」

「経済成長に満足し、対外的にアメリカへの基地提供で防衛してもらい…。
日米安保体制と自衛隊と憲法9条の三者セットで成り立ってきた戦後日本の「平和」は
沖縄を犠牲にすることで初めて可能だったのではないか
…。」

高橋氏は、「私は、日米安保条約維持に賛成する者ではない。……問題は、反戦平和運動が、
『安保廃棄・米軍基地撤去』を目標に掲げ続けることで、
沖縄からの県外移設要求に向き合うことができずにいることである。」と著書の中で述べている。

講演内容の大筋をまとめたが、
氏の著書「沖縄の米軍基地―県外移設を考える」(集英社新書)を是非、購読されることをお勧めする。

「私たちは、安保体制と基地問題と沖縄の置かれた現状に本当に向き合ってきたのか…」と自分に問いかける一冊である






市政通信第10号

2015-10-08 20:41:16 | 日記
市政通信第10号ができました

昨日(10月7日)より駅頭配布を始めています。
今日は鎌倉駅西口での配布でした。

配布を始めてしばらくすると、足早に改札口に向かう人の流れの中から、
「先生、お久しぶりです!」と元気な声が聞こえました。
その方向を見ると、小学生の頃の面影を残した○○君の姿がありました。

きっと電車の時間が迫っているでしょうに、
今、大学で生理学の研究をしていること。
そして、行く行くは、教師なることを目指している…等々話してくれました。

別れ際に、「先生!がんばってくださいね!」と言われ、
昔、私から応援されていた彼が、私を応援するまでに成長したことが、なんとも嬉しくて、
しばらく、市政通信を配布する手を休めて、後姿が雑踏に消えるまで嬉しさをかみしめていました。

この子達の夢がかなうように、戦争などに駆り出されることにならぬように、
がんばらねば…と思いました