竹田ゆかりのブログ

竹田ゆかりの活動記録
教育問題や時事問題に関する思いなど 

21日、鎌倉市議会議員選挙結果

2013-04-23 09:11:34 | 日記


4月21日(日)鎌倉市議会議員選挙の投開票が行われました。

▼今回の選挙、投票日があいにくの冷たい雨の中で、投票率も低く、44.99パーセントと最低記録の選挙でした。開票は深夜11時すぎに確定が出ました。

▼私、竹田ゆかりは、多くの方の御支持をいただき、2195票、5位で当選する事ができました。
選挙期間中訴えてきました「どの子も安心して学び、誰もが安心して暮らせるまちづくり」をめざし、様々な課題に、全力で取り組んでいく決意を致しております。

▼選挙結果については、神奈川新聞で掲載していますので、ご覧ください。
http://www.kanaloco.jp/st/2013election/kamakura_shigi.php



▼なお、「選挙後のあいさつ行為の制限」(公職選挙法第178条)があり、ネット上で「当選御礼」をすることは、公職選挙法で制限が加えられていますので、お礼等のあいさつは申し訳ありませんが、控えさせていただきます。
 

 
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どの子も安心して学び、誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(7)

2013-04-13 18:46:18 | 日記
どの子も安心して学び、
    誰もが安心して暮らすまち…鎌倉(7)


鎌倉の暮らしを支えるには…をテーマに私の考えを書きます。

私は、若者も高齢者も住み続けられる公共サービスの充実を目指しています。
鎌倉の高齢化率は大変高く、30パーセントに迫る勢いです。地域によっては48パーセントにも上ります。また、ご高齢でお一人で住まわれていらっしゃる方も大勢いらっしゃいます。

若いころは、多少駅から遠くても、自然環境の豊かな地を選ばれ、子育てをされていらっしゃった方々。今は、お子さんが成長されて独立。高齢となったご両親だけで住まわれていらっしゃるケースが多くみられます。
若いときは何ともなかった坂道、遠い道のりも、年齢とともに困難になってきているように思います。
先日お伺いしたお宅では、「なかなか買い物に行けなくて…。クリーニングは時々まとめて取りに来ていただいて助かります」とのこと。
でも…と私は思うのです。衣食住は足りても、人はやはり行きたいところに自由に生きたいものです。
フランスで言われだしたと聞いています。移動権…という権利。私たちには様々な権利があるけれど、行きたいところに行けること、それも大切な権利です。
買い物だけでなく、自由に生きたいところに移動できる環境整備に、市は努力すべきだと思うのです。

一方、鎌倉に住みたい若者にとっては鎌倉の地は値段が高く住みにくいです。子育てもしにくい状況にあります。(医療費、遊び場等)
頭が痛くて、熱もあるのに病院に行かずに保健室で過ごす子も出てきています。
また一方、空き家が目立つ団地や地域がかなり見受けられます。

高齢者が地域の中で住み続け、若者も地域の中で住むことのできる条件整備が必要です。
私はこの間、鎌倉市内にお住いの様々な方々とお会いしてお話を伺ってまいりました。
これからも地域の中に入り、地域の方々と願いを共有しながら、課題の解決に当たりたいと思います。

そしてまた、市民が互いによりどころとなる、地域コミュニティーを支援したいと思います。
地域の中で子どもが生かされ、高齢者が生かされ、障害を持つ方が生かされ、役立つことで、必要とされ、存在を感じられる地域を目指します。

話は変わりますが、私が御成小学校で6年生を担任していた時のことです。総合学習の学習で、「誰もが暮らしやすい鎌倉のまちづくり」というテーマで学習をしました。
あるとき、車いすの方をお招きしてお話を伺うことになりました。その方はたくさんのお話をされた後、最後にこうおっしゃったのです。

「御成小学校は素晴らしいバリアフリーの学校だけれど、駅からここまで車いすで来られないのですね。折角鎌倉に来たけれど鶴岡八幡宮の上までいけないのが残念です」と。
子どもたちはびっくり。子どもたちは早速市長さんに手紙を書きました。そして、鶴岡八幡宮の宮司さんに会いに行きました。

その後しばらくして御成小までの道が拡張されました。

弱者の立場になって、気付くということ、そのことが積み重なって、行政を動かす力になるのだと思います。

弱者の視点に立った公共サービスの充実を市民の皆さんとともに推し進めたいと思います。
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どの子も安心して学び、誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(6)

2013-04-13 10:27:15 | 日記
どの子も安心して学び、
  誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(6)


 湯河原町で、また痛ましい出来事が起こってしまった。
学校は、「アンケートで初めていじめの事実を認識した。異変や兆候はなく、相談を受けたこともない。いじめで悩んでいたという話も聞いていない」と話している。

どんなに小さないじめでも、それは人権侵害であるということ。
命にかかわることかどうかは、本人さえも分からないということ。
子どもは、大人が考えているほど心が強くないということ。
子どもはくらしている世界が大人ほど広くはないということ。

なぜ声を上げなかったのと、大人は思うかもしれないけれど、声を上げられない子もいるのだということを学校やまわりの大人は認識しなければと思うのです。

1994年。日本は子どもの権利条約を批准しました。世界で158番目。当時GDP世界ランキング2位の日本がです。
批准した国は5年に一度取り組みの結果を報告をすることになっています。それをもとに、国連の子ども権利委員会で審議され分析されます。

2010年に国連・子どもの権利委員会から出された改善勧告には次のように書かれています。(次は2015年)
ユニセフの調査した結果を引用して「日本の子どもには、孤独感を感じている子が多い、15歳の子どもの30パーセントがさみしいと感じている」
これは、他のОECD諸国より群を抜いて高い数値です。

また、次のように分析されています。
「自己肯定感が低い。日本の子どもたちは豊かな人間関係が作れていない。そのことが決定的な原因」
「なぜ豊かな人間関係が作れないのか、それは日本の教育現場において行き過ぎた競争が進んでいるから。子どもたち一人一人の可能性が伸ばし切れていない」と指摘され、改善するように勧告が出ているのです。

社会全体が競争の原理にさらされて、教育も例外ではない状態にあります。
もう一度、日本の子どもたちが置かれている状況を、私たち大人がしっかりととらえる必要、改善していく必要があるのではないかと思うのです。
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どの子も安心して学び、誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(5)

2013-04-13 06:29:14 | 日記
どの子も安心して学び、
    誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(5)



お早うございます。昨日は、大変多くの方々にブログを見ていただき、本当に驚いています。有難うございます。
では昨日の続きになりますが…。

その前に、鎌倉平和スピーチフェスティバル(鎌倉平和弁論大会)のことについて、もう少し書かせていただきます。

日本の子どもたちが、国際社会の中で生きていく上で、説明能力、プレゼンテーション能力、コミュニケーション能力、語学力が不足している…と言われますが。それもその通りだと思いますが…。
その前に、問題にしなければならないのは、「自分はどう思うのか…」という、自分の考えが持てるか…ということではないでしょうか。

どうも自分の考えをはっきりと表明することが、協調性に欠けるかのような見方が日本にはあるように思います。
そうこうしているうちに、長いものに巻かれて生きていく中で、自分の考えが作れなくなり、発言することに臆病になり…。

実は、私は、退職してから地域の方々とお話しする機会が多くなりました。
そして、鎌倉市には様々な活動を通して、地域を支えて下さっている方々がたくさんいらっしゃることを知りました。
正に鎌倉の財産と言ってよいのではないでしょうか。

しかし、先日あるお宅に伺った時のことです。
「どうしましょう、私の次に役を受けて下さる方が見つからなくて」とおっしゃるのです。その方はかなりご高齢の方でした。

また、別のお宅では、お体が不自由なお連れ合い様の介護をされながら、週に一度ヘルパーさんを頼んで、私はボランティア活動に出かけている、という方に出会いました。
鎌倉には様々な活動をされていらっしゃる方がおいでですが、次につないでくださる方がいなくて苦労されています。

鎌倉にお住いの皆さんがともに平和について考えていく場として、日ごろ感じていらっしゃること発信する場として、また、社会福祉について考えていく場として、
鎌倉平和弁論大会を開催したいと考えています。


さて、私は鎌倉の自然・歴史・文化を次世代につなげなければ、と考えています。
鎌倉では、戦後間もなくから、開発か保全かを争点に、市民運動が起こってきました。そして、様々な市民団体が政策を誘導し、条例成立などを推し進める役割を果たしてきました。
これから先も、私は、市民団体の活動が市政に反映されるよう、また、市からの支援がなされるよう、後押ししていきたいと思っています。

また、一方で、鎌倉は歴史・文化の豊かな街でありながら、鎌倉で育つ子どもたちが、郷土鎌倉について学ぶ環境が整っていないように思われます。
私は、「鎌倉歴史博物館」を造り郷土の学びに生かしたいと考えています。

発掘されたり、寄贈されたりした資料や芸術作品が今どんな状態になっているか…
実はほとんど手つかず、未整理のままになっていると聞いています。
歴史的遺産・芸術作品は大切に保存しておけばいいのではありません。
学校教育に、市民の学びに生かされてこそ意義があるのではないでしょうか。

そして、子どもたち自身が分かりやすく鎌倉について学ぶ場がないことは大変残念です。
私は何回も6年生を担当してきましたが、そのたびに横浜歴史博物館に出かけて行って学習を深めてまいりました。
しかし、スクリーンに映し出されるのは、横浜の歴史です。

鎌倉に住んでいながら、鎌倉の子どもたちは、全国の6年生の子どもたちが学ぶ内容程度になってしまう可能性があります。
もちろん、身近にある史跡や寺社を間近に見る環境にはありますが、それで、鎌倉を学んだことにはならないように思うのです。
鎌倉子ども風土記を読むと、実にくわしく昔の鎌倉の様子が分かりますが、情報が豊かな分、6年生が読み解くのには難しい面もあります。。これだけの情報があるのに、大変もったいないと思うのです。

鎌倉の近代史に詳しい方々が元気でいらっしゃるうちに、実現したい、実現しなければと思っています。
私は、資料保存としての機能を持ちながら、子どもも大人も観光客も、鎌倉の歴史と文化が学べる、鎌倉歴史博物館を作ることを提案したいと思います。
また、世界遺産登録実現にむけての取り組みの陰で、鎌倉の緑の保全が後回しになっている問題も解決しなければと思っています。

今夜は、鎌倉のくらしを支えるには…をテーマに書きます。読んでいただけること、心より願っています。

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どの子も安心して学び、誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(4)

2013-04-12 22:19:59 | 日記

どの子も安心して学び,
誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(4)


1958年8月10日、鎌倉市民の有志の請願により、市議会全会一致で、鎌倉平和都市宣言が採択されました。
その中で、「日本国憲法を貫く平和精神に基づいて…」と謳っています。

「戦争は人の心から起こるのだから、平和の砦は人の心の上に築かなければならない」(ユネスコ憲章)

鎌倉が真に平和都市であるためには、私たち鎌倉市民の心の上に、平和の砦を築いていくことが大切なのだと思います。
私は、平和教育・人権教育を充実させ、鎌倉の子どもたちが平和を守り、人権を大切にする心を育てたいと思います。

大きないじめ事件が起こると、出される緊急アピール…。いじめは子どもも教師も、悪いことだとわかっているのです。
人を大切にするということはどういうことなのか、学校生活のあらゆる場面で子どもたちとともに考え、人権意識を育んでいくことが大切ではないでしょうか。

やがては大人になる子どもたち…
やがては鎌倉を支えていく大人になる子どもたち…
人権意識をしっかり持った隣人の住む町・鎌倉でありたいものです。

また、平和教育・人権教育を通して、教員自らが、体罰に手を染めず、子どもたちの心に真摯に向き合い、子どもたちを大切にする学校を目指したいと思います。

そして、鎌倉市民が平和の大切さについて、ともに考える場として、鎌倉平和スピーチフェスティバル(鎌倉平和弁論大会)の開催を目指します。

明日は、「鎌倉歴史博物館の必要性について」書きます。明日読んでくだされば、必ずや賛同していただけると思います。



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どの子も安心して学び、誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(3)

2013-04-12 08:37:48 | 日記
どの子も安心して学び、
    誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(3)

(三日目)
ブログに慣れていないので、プレビューではちゃんと打てているのに、ブログを開けてみるととんでもないことになっていたり、字が真っ赤になってしまったり、そうこうしているうちに、8時を過ぎました。
そんなわけで、今夜打つ予定の思いを、今打ってみることにしました。

この度、様々な物議をかもした教育長人事について、私が思うことを書いてみます。

6か月間、教育長が決まらないこと、その責任が議会に、議員に、あるのでしょうか。
私はそうは思いません。
6か月間、教育長不在だったから、誰でもいいのでしょうか。
そうではないと思います。

そもそも、教育委員5人の方々はどんな仕事をするのでしょうか。
教育委員会は、教育に関する一般方針を決めるところです。
たとえば、鎌倉の教育目標。
たとえば、鎌倉の子どもたちが使う教科書を決めます。
大変重い決断をするところです。

 教科書の検定を合格したからと言って、どの教科書でもいいわけではないのです。
子どもたちの思考の流れに沿った教科書もあれば、つめこみタイプの教科書もあります。
学ぶ力をつけることのできる教科書もあれば、参考書に近い教科書もあります。
鎌倉の子どもたちの実態に即して、どんな学びが必要なのか専門的な見地から教科書を採択できる教育委員会であって欲しいと思います。

教育は政治的に中立でなければなりません。
教育は専門性が必要とされる分野です。
さらに言うならば、鎌倉の教育、鎌倉の子どもたちを良く知る方こそ、教育委員・教育長にふさわしいのではないかと思います。


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どの子も安心して学び、誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(2)

2013-04-12 08:01:12 | 日記
どの子も安心して学び、
    誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉(2)



昨夜のつもりが夜明けになってしまいました。すみません。
(二日目)
私は長い教師生活を通じて、多くの子どもたちに出会ってきました。そして、たどり着いた思いがあります。
それは、「子どもに悪い子はいない…」ということです。子どもは時として大人を困らせてしまうことがあるけれど、初めから、困らせようと思っているわけではないということ。 むしろ健気なまでに、大人の期待に応えようとして、一生懸命に生きているということ。

だから、しっかりと子どもの話に耳をかたむけて、気持ちを受け止めてあげると、子どもは心の中に正義をもっていますから、やがて、自ら自分を律して、前向きに歩み始めるんです。
私は、そんな子どもたちの心に寄り添い、豊かな学びを作っていける鎌倉を目指したいと思います。
先日も書きましたが、わが子を救うために父親が脱いだあのジャンバーに、私たち大人が今ならなければならない、子どもたちの暮らしと学びを守らなければならない…と思うのです。

また私は、鎌倉の教育予算の確保・充実につとめたいと思っています
鎌倉の「学校配当予算」は、市の財政事情を理由に、どんどん削られてきています。 しかし、削れるものと、削れないものがあります。
教育費はどうでしょうか。教育は、今を逃すことができないのです。 成長している今を逃すことができないのです。
学校では、備品がなかなか買えなくなりました。

たとえば、家庭科で使うミシン。一台を5人から6人の子どもたちで使っています。自分の番を待っているだけで、一時間が終わってしまうこともあります。

音楽室のアコーデオンはボロボロです。合奏にも支障がでています。
一年に一度、劇団やミニオーケストラなどを呼んで、目の当たりに演劇や音楽を鑑賞することも難しくなりました。 鑑賞費として補助されていた予算がなくなったからです。本物に出会った時の子どもたちの感動は、大変なものです。子どものその後の気持ちや暮らし方にまで大きく影響を及ぼしているといっても言い過ぎではありません。

「碎啄同機」という言葉があります。 ヒヨコは生まれる時、殻の中からくちばしでつつくのだそうです。その時を逃さず、めんどりは外から優しくつついてあげるのだそうです。そこで初めてうまく殻が割れる…。つつくチャンスを逃すと、殻はうまく割れない。

正に教育は「碎啄同機」なのです。
教育予算の確保で、子どもたちを豊かに育てることのできる鎌倉にしたいと思います。

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どの子も安心して学び、 誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉

2013-04-10 08:10:32 | 日記
どの子も安心して学び、 
    誰もが安心して暮らせるまち・・・鎌倉


皆さん、おひさしぶりです。毎晩メールをチェックするたびに、多くの方々が読んでくださっているのに、更新できなくて心苦しく思っておりました。今日から四夜連続、私の心の中にある思いを綴っていきたいと思っております。よろしくお願いいたします。
(一日目)
政権が代わり、様々な政策を打ち出してきていますが…。私はやはり教育が心配です。子どもたちの学ぶ権利を守ることより、国際競争に勝つための人材育成に偏ってきているように感じるのは私だけでしょうか。
教育は本来、「子どもが人間らしく、自分らしく、豊かに生きてていくための権利」です。
どんな教育を受けるかによって、その子のその後の人生は変わります。可能性も開けます。
ですから、「教育は子どもにとっての命綱」といっても過言ではないのです。
だからこそ、教育という営みは真剣勝負でなければならないと思うのです。そして、こどもたち一人ひとりの力が最大限に伸ばされるよう取り組む責任が大人・国にはあるのです。

退職してから、子どもたちの家を訪ねることがあります。卒業文集に書いた気持ちそのままに、夢の実現を果たしている子、あるいは夢に向かって頑張っている子に会えたときの嬉しさはひとしおです。しかし、すべての子が順風満帆というわけではありません。

夢や希望を見つけてほしい学校という場で、自信を失ってしまった子や、学校に行けなくなってしまった子、やっと社会に出たけれど自分の力を発揮するところが見つからない子など…様々です。
私は、子どもたち一人一人が希望と自信をもって、豊かな人生を切り開いていけるよう、鎌倉の教育のために全力を尽くしたいと思っています。

 そのためには、まずもって、「子どもたち一人ひとりに目の行き届く学校」にしなければなりません。

「最近の先生はいつも忙しそう…」「いつも仕事に追われているみたいね…」「帰るのがずいぶん遅いし、疲れているみたい。」 「子どもたちにしっかりと向き合えているのかしら…」そんな声をよく聞きます。
そしてまた、学校現場で働く方々からは、「私は子どもが好きで教師になったのに、子どもに丁寧に向き合う時間がなかなか取れない」「いろんな雑務に追われて、本当にやりたい子どものための明日の準備をするのは夜中です」との嘆きを耳にします。

私自身、定年を迎える最後の日まで、朝3時4時に起きてその日の準備をしていました。
学校現場にこそ、「心のゆとり、時間のゆとり」が必要なのです。
子どもたち一人ひとりに目の行き届く学校教育の実現」に向けて、その環境整備に取り組みたいと思っています。

そのためには「すべての学年の35人以下学級」をめざして、行政に働きかけます。
文科省は「費用対効果が証明できない」といって、見直す方向に進もうとしています。 教育効果は、数字のように、目に見える形で証明できるものではありません。しかし40人学級の弊害は明白なのではないでしょうか。
学級の人数が増えれば…… 子どもの心の変化を見落とす可能性が高くなります。
子どもの何気ないつぶやきを、聞き逃す可能性が高くなります。
学習中、子どもの発言チャンスも少なくなります。
ノートを見てもらう機会も少なくなります。
子どもは日々変わります。その成長に気付ける学校でありたいと思います。
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