(調布市・深大寺 1/30撮影)
『今朝の天気』
(8:00頃)
今朝の温度(6:00) 室温 リビング:19.8、 洗面所:22.0、 湿度(リビング):21%
(昨日の外気温 東京、最高気温:18.2、最低気温: 6.4
本日の予想気温 最高気温:22、最低気温:10)
冒頭の写真は、地元調布市の深大寺の本堂です。天台宗といっても密教系(台密)のお寺で、今日のタイトルの中国天台とは多少系統が違うのですが、関連がないわけでもないので、冒頭の写真としてみました。
さて、カテゴリーの「仏教思想」で記事を書くのは7ヵ月ぶりです。昨年8月に、『仏教の思想』(全12巻)の整理が終わりましたという記事(過去記事)をUPさせていただいて、その後何をしようかと思っていてほぼ何もせずに7か月経っていました。
そこで、そろそろボケ防止に少しは頭を使おうと、その過去記事の時にもお話しした「中国編」4巻の再整理を始めることにしました。主には、天台(法華)、華厳、禅、浄土の各々の宗派の成立、発展に関わってきた高僧を年表形式で整理することです。
ということで、天台宗からスタートをさせ、やっと年表の作成が終わりましたので、今日はそれをご紹介します。
もっとも、年表を作成していて、中国天台のことについて結局何も覚えていないということが分かりましたので、年表だけでなく、概要整理もしようということにしました。まあ、言ってみれば復習ということです。ということで、年表からスタートして、この後中国天台思想の概要を整理してご紹介していきたいと思います。
『仏教の思想5 絶対の真理<天台>』概要
-中国天台宗・天台智顗の思想-
1.天台智顗の経歴と中国天台宗の系譜
1.1.天台智顗の経歴
538年荊州(けいしゅう湖南省)華容の生まれ、俗姓・陳氏 南朝の名門
南朝の梁(502-57)の時代に生まれ、陳(557-89)、隋(589-618)にかけて生涯を送った。没は597年、60歳。
1.2.中国天台宗の系譜
中国天台宗は、天台智顗がその思想を確立した実質的な開祖者ですが、智顗の師南岳慧思(えし515-77)のそのまた師である慧文(えもん、生没年不詳、北斎時代の人)を開祖とする考え方もあります。さらに、『法華経』のもととなった「空思想」を確立したインドの思想家龍樹(二世紀)を開祖者とする考え方もあります。このため、龍樹、慧文、智顗の何れを開祖にするかにより、何代目の継承者とするかの数え方も変わっています。
なお、龍樹の著作の漢訳者でインドよりの帰化僧鳩摩羅什も慧文、智顗の思想に大きな影響を与えたと言われています。
智顗が確立した『法華経』を最高の経典とする天台思想は、二祖の灌頂(かんじょう561-632)に引き継がれますが、次第に衰退(第一期中国天台宗衰退期)します。その後六祖湛然(たんねん711-82))の時に復興し、この頃より華厳宗との対立が顕著となります。
湛然の後七祖道邃(どうすい、生没年不詳) 、行満(ぎょうまん、生没年不詳))らが引き継ぎます。(両名より日本天台の開祖最澄は天台教学を学びます。)しかし、その後の100年間は第二期の天台宗衰退期となります。
100年後再び天台宗は復興しますが、宗派内に華厳思想の影響を受けた一派「山外派(さんがいは)」が台頭します。このため、天台宗は本来の天台宗に復帰すべきとする一派「山家派(さんげは)」との間で対立、分裂します。
分裂後の天台宗は、山家派に中興の祖といわれた四明知礼(しめいちれい960-1028))が出るなど、その後も天台宗本家として引き継がれていきます。一方、山外派はやがて衰退し消滅します。
本日はここまでです。この後、週一ペースぐらいで整理した結果をご紹介していければと思っています。よろしければお付き合いください。
なお、概要の内容については、『仏教の思想』(全12巻)をもとに作成したノートからエッセンスを取り出して整理しています。ということで、元資料は『仏教の思想』(全12巻)になっています。この本の文章そのままを多く使用しています。したがって、個人の参考として限定してご利用ください。もちろん、私個人の解釈間違いもあるかと思いますので、その点はご容赦いただき、さらにご指摘いただければ幸いです。