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仏教思想:中国華厳思想概要(その2)

2021-01-26 08:34:49 | 仏教思想
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 中国華厳思想概要の2回目です。前回(その1はこちら)は中国華厳宗成立の系譜についてみてきましたが、今日は、前回予告のように、中国華厳宗の成立・発展に影響を与えた思想や宗派、さらに華厳宗を支えた高僧について取り上げます。


1.3.中国華厳宗の成立・発展に影響を与えた思想、宗派
①「即事而真」の思想の継承
 南北朝末期から隋代(西暦六〇〇年前後)において、北周の武帝の廃仏毀釈による仏教の発展の遮断後、隋の仏教復興運動によって、インド仏教とは違った、漢民族の精神生活の支柱となる中国仏教の形成をみます。
 それは、現実の中にこそ真理が存在するという考え方で、皮肉にも廃仏毀釈を行った武帝の「即事而道」(現実の中に道を見いだそうとする考え方)の考え方に強く出ています。
 この考え方は、大乗仏教のなかにみられる「煩悩に即して菩提をみる」という考え方と結びき、現実の中に真理をみようとする「即事而真」の思想を成熟させるものであったのです。
 この即事而真の思想は、鳩摩羅什の弟子であった僧肇(そうじょう、374-414)や、やがて宗派的に対立する天台宗開祖智顗(ちぎ、538-597)に強くみられる思想であり、この思想を華厳宗も継承することとなります。
(僧肇、智顗にみる即事而真の思想の源 下表1参照)
 
 華厳宗第二祖智儼は以下のように説いています。
→大乗仏教の根本理念である「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」の考え方は「即事備真」を表すと。(「備」とは具すること)
→完全なる真は事に即さなければ存在するものではない。
 ↓
 華厳における事と理の融即を説く思想の基盤となった思想といえます。

②唯識系諸宗派の成立
 現実に立脚した真理としての「即事而真」の思想を継承することとなった華厳宗ですが、同時に、華厳宗の成立・発展に強い影響を与えた思想があります。それが「唯識思想」です。
 唯識は、インドの仏教思想家の無着(アサンガ310-390頃の人)と世親(ヴァスバンドゥ320-400頃の人)兄弟により大成された思想です。
 兄弟により著された著作が漢訳され、それらの著作をもととした仏教宗派が中国で成立、それらの宗派が華厳宗の成立・発展に大きな影響を与えました。
(華厳宗に影響を与えた仏教宗派 下表2参照)
 

1.4. 華厳思想を形成した高僧
  華厳宗は、杜順(557-640)にはじまり、第二祖智儼(ちごん 602-668)、第三祖法蔵(643-712)によって集大成されたといわれています。
 新宗教の成立には二つの要因が必要であり、一つは神通力をそなえた特異な宗教者の出現(=開祖者)、もう一つはその宗教者の宗教体験の内容を説明するためのもの(=組織者)の出現があげられます。華厳宗の伝統説にしたがうと杜順が開祖者ということになりますが、異説もあります。
 以下、開祖者杜順、二祖智儼、三祖法蔵のそれぞれの人物像をみていきます。

①杜順の伝記とその神秘性
 信ぴょう性の高い杜順の伝記には、道宣の『続高僧伝』(七世紀中葉)や法蔵の『華厳経伝記』などがあげられます。
『続高僧伝』では、杜順は、性は杜氏、雍州(ようしゅう)万年県の人、十八歳で出家、因聖寺の僧珍(*)に仕えたとあります。
 また、『華厳経伝記』などによると、杜順は「普賢行」を修していたと推定され、普賢行こそ華厳の実践であり、それによって華厳宗の開祖とすることはできます。(唐代の澄観(第四祖)、宗密(第五祖)の時代に杜順を開祖としたものと思われる。)
  普賢の行願とは、『華厳経』「普賢行願品」第四十に説かれている10種の広大な行願を意味します。(下表3参照)
 
 特に(9)は、あらゆる衆生に随順することだが、衆生の能力は各々異なり、それら千差万別の衆生一人一人に対して暖かき目をもって見守ることが求められます。
 杜順は民衆の崇敬を受け、それは口伝され、人々の知るところとなり、晩年長安に迎えられ、多くの人の崇敬を集めたのです。
*僧珍:野に伏して止観行を修していた人、遊行僧と思われる。学問研究者ではなく、ひたすら坐禅を修していた人と思われる

②智儼の学風
 智儼の経歴を以下に示します。(表4)
 
 智儼は、単なる学解の人ではなく、どこまでも坐禅や止観を合わせて修した究道の人であったという。『入道禅門秘要』という究道の書物があったと伝えられています。

③華厳思想の大成者・法蔵
 中国華厳思想は三祖法蔵によって大成されたといわれています。(詳細は後述)
法蔵の経歴を以下に示します。(表5)
 
 法蔵が生きたのは、女帝則天武后による武周王朝時代でした。則天武后は、『大雲経』(妖僧懐義(えぎ)、法明が参画して作ったもの)を利用して、宗教的権威をも得て、悪逆無道をつくします。しかし、反面、純粋に仏教を保護しました。
 法蔵も多くの被援助者同様、武后の支持を受けながら、華厳の教えを説いたのです。
 法蔵の主な著書としては、 綱要書としての『華厳経五教章』(略称:『五教章』)と注釈書としての『探玄記』があげられます。

 

 本日はここまでとします。次回は中国華厳思想の影響を受けた人々、それと三祖法蔵以降の中国華厳宗の動向についてみていきます。しばらくお待ちください。





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