hiroべの気まま部屋

日ごろの出来事を気ままに綴っています

父からの手紙:第23回(不明分1:1986年?87年?9月))

2014-02-27 09:34:03 | 父からの手紙
 父からの手紙23回目をお届けします。

 先回最後の手紙をご紹介しましたが、そこでお話ししたように、年月が不明分が3通ありますので
それを紹介して、この「父からの手紙」を終えたいと思います。今回は、その不明分の1です。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。


 不明分1(1986年?87年?9月) 

 拝啓
 九月も早や中旬、朝夕の涼に初秋を感じる季と成りました。
 皆様御変り御座いませんか。

 御地も御同様と想われますが、今年は不順な天候で夏らしい暑い日が少なく秋を迎える様に想われます。

 七月はKA‘母方の伯父’の壱周忌が有り、亦HE‘母方の叔父の妻’の御父様が亡くなられ(豊田市)引續き
私の兄(戦死)の法事などで割に家を外に致しましたが、八月は七尾の御母様の七回忌で丁度夏休みでも
有り、KO‘長兄’達が一週間程不在でしたので留守番でした。

 尚、私も体の頂子が一寸想わしくなく墓参(八月十五日)取止めましたが、此の頃やゝよいので、
一度遊びながら大塚‘父の実家:蒲郡市’にとも想って居ります。

 十五日は学区の敬老会が梅園小学校で催されK子‘長兄の長女’達が(幼稚園年長組)唄と踊りを見せて
くれるとの事です。

 尚、例年の事ですが、天満天神の御祭も来ます。二十三~二十五日迄、今でわ煙火も上げる場所も無く
淋しい想ひがしますが、綿菓子や金魚掬ひなどごたごたした店が多くさん並ぶのは昔のまゝで、子供達の
夢多い日で有ると想ひます。

 尚、市会議員の選挙が近づいて居り(来月二日)新い人の出馬も噂されて居り、暫くの間うるさい日々の
様に想われます。

 SI‘三男’達が、先日瀬戸大橋参観の旅行が有ったとかで御土産くれましたが、此の事はKO‘長兄’達には
話して居りませんが、其の後一度遊びに行った時、友人と新しく仕事を始める(会社を造る)との事で書類など
見せてくれましたが、老婆心かも知れませんが私と致しまして現在の会社で割に重く用いられている様に想われます
ので、今のまゝで居てくれたらと一寸心配致して居ります。

 御母様には、御父様なき後随分御心配労が多い事と拝察申上ますが、出来るだけ御力添え下さる様、御拝意の程
宜敷しく御願ひ申上ます。

 何も出来ず申訳有りませんが、皆様の御健康切に御祈り致し居ります。

 想付くまゝ、近況右まで
                                   SK‘父’
 HM‘私’
 ME‘妻’

 九月十二日


                                              敬具


最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
父親と息子 ()
2014-02-27 16:05:43
女親と娘だと、しょっちゅう長電話ですが、
男親と息子さんだと、そうもいきませんよね。
其れゆえのお手紙なのでしょう、ご近況報告の中に思いやりがにじむようです。

お父様は蒲郡のご出身なんですね。
蒲郡プリンスホテル(現クラッシックホテル)に、一度ゆっくり行きたいな~~と
谷崎の『細雪』を読むたび思います。
返信する
釉さん (hiroべ)
2014-02-27 16:36:34
そうですね。
用事でもない限り電話したことないです。ご紹介した父の手紙の始まりが
結婚式がらみの内容でしたが、よく電話をしたのはあの頃ぐらいですね。
結婚するとの報告も電話でした。父の、ホッとしたような声を今も
何となく思い出します。

クラシックホテルの前が、橋でつながった竹島で、子供のころは両親に連れられて、
よく行った思い出があります。当時から、地元でも高級ホテルとして
有名でした。
是非一度お出かけください。私も、次兄が蒲郡にいるので、久々に行きたいと思っています。


返信する
懐かしく・・・ (albi)
2014-02-27 20:34:14
お手紙を読み進めていくうち、懐かしく思える文面があり
ドキリ。

実は我が夫、サラリーマンから独立した者なのですが
・・・と言っても技術系ですから、仕事内容は変わらなかったのですが。

その時、亡義父が反対してたなぁと。
もう20年近く前の話ですが、懐かしく思い出しました。
返信する
albiさん (hiroべ)
2014-02-27 21:37:24
ご主人、真面目で実直な重役さんタイプかと思っていたら、チャレンジャーな
社長さん、ということだったのですね。
ご長男ではないですよね。さすがにそれだと義父さんはOKしなかったでしょうから。

男4人兄弟でしたが、全員性格が違うのです。夢想家で貧乏芸術家のあの長男、
変人でだけど天才肌の勝負師の二男、破天荒でチャレンジャー情熱家の三男、
そして、甘えん坊で、絶対リスクは採らない四男(私)というわけです。

三男は、工業高校(土木)を出て、小規模の土木会社に就職(その後転職)、現場監督などで
全国を回っていましたが、その後東京で、当時の大手の住宅販売会社に就職、
TOPセールスマンとして頑張っていましたが、手紙の頃に
地元に戻って、新築住宅のあっせん業者
として独立し30年近く今も仕事を続けています。

ということで、前にもお話した気がしますが、長男と三男まるで違った性格で
夢想派と情熱家+超現実派がいつも衝突しています。

内輪話が、ちと、長くなりましたね。(汗、笑)


返信する
子どもがいくつになっても (虹いろカエル)
2014-02-28 08:18:41
我が家も次男が2年前に独立して心配しました。

親は、子どもがいくつになっても心配の連続です。

お父様のお手紙を拝見しながら、細やかな暖かい

方とつくづく思います。そして、有難いなぁとも。

早世した父に会いたいとふっと思いました。
返信する
虹いろカエルさん (hiroべ)
2014-02-28 09:17:15
当時兄(三男)は40歳ぐらいだった、と思います。

若くして結婚、子供も大きくなっていて、もう一財産築きたい、と思っていたんでしょうね。
バイタリティーの塊の様な兄でしたし、義姉もしっかりものでした

気の優しい父は、兄のそんな性格も知っていたので、何も言えなかったのだと思います。
返信する

コメントを投稿