【1日目 7月19日(木)】
北欧4か国の旅行、最初の訪問地はフィンランドでした。
(右は泊まったホテル)
7月19日の11時に成田をたって、ヘルシンキ空港に到着、すぐに市内のホテル(オリジナル・ソコス・プレジデンティ)に入ったのは夕方5時ごろでした。
その後1時間ほどホテル周辺の散歩をしました。ホテルは、ヘルシンキ市街の中心地に位置します。散歩したのはホテルから港までの繁華街でした。
この日のヘルシンキは晴れ、気温は28度と夕方でも散歩するには結構暑かったです。
左上段左:市立美術館、左上段右:ウスペンスキー寺院(ロシア正教会)、右最上段(中央の建物):ヘルシンキ中央駅
右中央(写真の奥):ヘルシンキ大聖堂、下段の2枚:港
こちらは市街の様子です。左上段左、ヘルシンキ市内には2両連結の市電が走っています。右最下段は地元で有名なデパート、左下段:公園に銅像がありましたが???です。
【北欧ミニ情報】
ここで、ヘルシンキでのちょっとした情報です。まず、すし屋さん、海外での人気は凄いようですが、ここヘルシンキでもお店がどんどん増えているとのことです。
(左上段右の写真)だけは、翌日の朝バスの中から撮った写真ですが、ヘルシンキ市街では戸建ての住居を見ることはありませんでした。すべてが集合住宅です。そして、駐車は有料ですが、路上駐車OKです。但し、駐車場所は決まっていないため、帰宅して最初の仕事は駐車場探しということです。
【2日目 7月20日(金):午前】
夕方に散策した中心街のプチ紹介だけでも結構スペースを取りましたが、翌日が本格的なフィンランド観光、午前中はヘルシンキ市街の2つの観光施設を訪れました。この日は曇り時々雨の蒸し暑い一日となりました。
一つ目は「ヘルシンキ大聖堂」でした。
ヘルシンキ大聖堂は、ルーテル派の本山でヘルシンキのシンボル的建築物です。
教会の前立つのはロシア皇帝のアレキサンドル2世像(写真右)です。【北欧ミニ情報】フィンランドはスウェーデンに600年、その後ロシアに征服されていました。スウェーデン時代は、強いスウェーデン化が求められフィンランド語の使用も禁じられていたのを、ロシア統治にかわり、アレキサンドル2世時代には、フィンランド語の使用が許されたため、フィンランドの人に親しまれ銅像になっているとの現地ガイドの説明があった気がします?
アレキサンドル2世像の立つ場所は「元老院広場」と呼ばれ、広場の左側には「ヘルシンキ大学」(写真、左下)があります。なお、左上の写真は、大聖堂近くにある「旧大統領官邸」で、海外の要人との会談などで使用されるとのことです。直近ではトランプ・プーチン会談で使用されたとのことでした。
【北欧ミニ情報】ここで、また北欧ミニ情報、北欧4か国のキリスト教の教会はすべてルーテル派ということです。
大聖堂の後訪れたのもルーテル派の教会で「テンペリアウキオ教会」でした。
昨日の記事の冒頭の写真は入口で予告編でしたが、『え!これが教会?』という外観でした。そして内部も同様でした。それが、今日の記事の冒頭の写真です。
超現代的な建物で、写真では分かりづらいですが、ドーム型の天井で天窓から光が差し込む構造です。むき出しの岩も斬新な設計ですね。コンサート会場にもなるとのことで、是非聴いてみたいものです。
以上、本格的な観光、初日の午前は二つの教会でした。午後からはヘルシンキの郊外の町、ポルヴォーを訪れましたが、それは次回に。
なくて集合住宅とビル店舗ビル・オフィス
なので、街づくりが綺麗で容易ですね
ロシアに隣接して統治の期間が長かったから
このように統一されたんですね、でもどこの町でも
教会を中心として・・文化が発展して
その教会が過去の慣習だとか決まりなどに
とらわれずに超近代的な教会として・・
そのユニークな発想には、驚かされました
そんな中で 寿司・・の看板が観られて
更に人気とか・・嬉しいですね
その割にロシア色がなくて・・いいですね
続きを楽しみにしています (*^^*)
戸建ての住宅はないか探してみたのですが、
結局見つけれませんでした。「皆無」は私の観察
結果で、正確かどうかは?です。
いずれにしろ、市街の人口増対策としてして集合住宅が
造られたという説明はツアーガイドからありました。
それとおっしゃるように高層ビルは皆無です。
その点すっきりした街並みです。ただ、集合住宅
を中心に100年ほど経っていて、個々の建物は
綺麗とも言えません。
長く他国の支配を受けたフィンランドだけに独立の
気概は特に特に強いのだと思います。
北欧4各国いずれもそうかもしれませんが、観光振興という
視点も含めて、独自文化を誇る国民性は明確な気がします。
お坊ちゃん風の夫はぴったりですが、しっかり者の奥様は私とは、ずれますけれどねェ 笑。
良いお仲間に囲まれ、さすがハイグレードなツアーでしたね♪
以前、母とフィンランドを旅した時、母が1952年のヘルシンキオリンピックでの感動を語ってくれました。
敗戦国でありながら、いちはやく五輪開催をしたことに
少女だった母は感動したのだそうです。
おばあちゃんになって出かけた、その国では、みんな愛想はないけれど、親切だ・・・とも感激していました。
シベリウスや叙事詩「カレワラ」、そもそも「ムーミン」だって民族意識の現れですもんね♪
集合住宅がないのは、街暮しと週末の郊外でのコテージとを割り切っているからでしょうね。
ヘルシンキのプチクルーズをすると、お洒落な(高そうな!)一戸建てが立ち並んでいます。
うらやまし~~!
テンペリアウキオ教会は、この上が、ちょっとした公園風な原っぱになっているんですよ。
本当に岩の教会だなぁとゴツゴツした地面を歩けます。
冬は厳しくて、忍耐力にはどこにも負けない、
みたいなものがありそうです。
特に、フィンランドは他国に支配されていた期間が
長かっただけに、まずは堅実にということなんだろうと思います。
集合住宅もその一つの表われなんでしょうね。
言葉は全く分かりませんが、TVを観ていてともかく
いわゆる地味で、そのことを強く感じました。
現地の日本人ガイドさんも同じことを言っていて、
その点はフィンランドの生活でのちょっぴり不満に
なっているようでした。
それでも、幸福意識指数は断然日本より上、
いずれにしろ、「やっぱり、我が家が一番!」
ということでしょうか。(笑)
ともかく、フィンランド市内はお庭のようなものなんでしょうね。
フィヨルドまで暫しお待ちください。