久しぶりにゆっくりお城を中心に公園内を散策してきました。
「せーの、キャッスル!キャッスル!」「ガラケーショット!」(???でしょ!)というわけで、石垣もお堀も撮ってみました。
上段(左から)家康像、大手門、産湯の井戸、本多忠勝像
中段 三河武士のやかた家康館
下段(左から)能舞台、同じく能舞台、花時計、乙川河川敷
公園もずいぶんきれいに整備されていました。特に最近二の丸などの発掘調査が行われたとのことで、
その二の丸跡には新しい建物(能舞台)が造られていました。発掘による陶器などの出土品が、特別展示と
いうことで、家康館で展示もされていました。
お城のそばを流れる乙川(矢作川の支流)の河川敷も見事に整備されていました。昔はここに花見の時期には
見世物小屋やサーカス小屋が並んでいたのを懐かしく思い出します。花時計は、私が中学校の頃できたと思います。
当時は家康館のあたりに小動物公園も出来、二の丸跡の能舞台のあたりは鹿が飼われていました。公園に落ちている
ドングリをやると喜んで食べるのです。いずれも懐かしい思い出です。
そうそう、ちょうどお城の周りでは、子供たちが写生をしていました。実は私も小学生の時にここで写生をしました。
市内の小学生の恒例行事として今も続いているのでしょうかね。その時描いた絵、どんな絵だったか今でもなんとなく
覚えています。
幼き日のhiroベさんと重なるわけですね♪
かつての乙川に並ぶサーカス小屋や花時計のご記憶・・・
そういうのって、大事だと思うんです。
能舞台の復元も勿論往時を知る手掛かりにはなりますし
これからも文化的遺産の継承となりましょうが
一方で庶民の記憶って、遺しておかないと、どんどん
散逸してしまって、時代が見えなくなっちゃうと思うんです。
城そのものは、それこそ、卓偉くんのような番組でも
ガイドブックでも、いくらでも学べるでしょう?
そういう意味で、岡崎ご出身のhiroベさんのご記憶は
貴重ですし、面白くうかがいました。
どうもありがとうございます♪
勝手な解釈ですが、有難いお言葉です。
写生は、桜の葉が青々とした時期でしたから、やはり
5月ごろだったのかもしれません。
恒例行事だとしたら、この行事は残ってほしいです。
子供の時の楽しかった(私には苦いかな~笑~)
思い出になります。
もう小学校時代の記憶というのはほとんどありません。
特に学校での日々の生活、どんなだったか、覚えていません。
その点、花見やお祭りなどの行事は、やはり楽しかった
記憶なのでしょうね。
それだから、岡崎が呼んでいる、と感じるんだと思います。