たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

志願兵が語ったタラビヤド戦

2015-08-30 20:47:40 | シリア内戦

                   タラビヤド空爆

       

ISISに参加するため、ヨーロッパからの志願兵がシリアに来ていることはよく知られている。

逆にISISを倒すために、ヨーロッパからの志願兵がYPGに参加 していることは、ほとんど知られていない。YPGに参加する志願兵が所属する部隊は、「ロジャバのライオン」と呼ばれる。

彼らは6月15日のタラビヤドの戦闘に参加した。

タラビヤドの戦いは、ISISの敗北となり、クルドに勝利をもたらした。クルドはジャジーラとコバニの2州を結合することに成功した。

      

シリアのクルドは西クルドとも呼ばれる。彼らは自分達をロジャバと呼ぶ。ロジャバの土地は3つの飛び地に分かれていた。首都はカミシュリである。

YPGの本部はカミシュリの東、車で2時間の所にある。

  IBタイムズがヨーロッパからの志願兵数人にインタビューした。志願兵たちは戦闘で経験したことを語っており、生きた証言となっている。

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クルド人の土地に着くと、英国人志願兵は短期間の訓練の後、キリスト教徒の村を守る任務についた。その数週間後、彼はタラビヤドに送られ、他の2人のヨーロッパ人と共に戦闘後、市内の掃討をした。

 英国人志願兵がタラビヤドの戦闘について語る。

「YPG はT55戦車を持っていたが、ISISはドゥシュカ機関銃でよく守った。空爆がISISを追い払った」。

28歳の、別のヨーロッパ人志願兵が付け加えた。「YPG は空爆の援護があるので、自信を持ちすぎている。彼ら自身は大したことをしていない」。

 3人の志願兵に与えられた任務は、タラビヤドの戦闘後、市内に潜んでいるISIS残存兵を掃討することだった。

 ISISが逃げ出した多くの町と違って、タラビヤドは地雷がしかけられていなかった。地雷をしかける余裕もなく、あわてて逃げたのである。

英国人志願兵が話を続けた。

「市内に入ると、ISISの宣伝と西洋を敵視するスローガンが目に付いた。誰もいない町並みはきれいで、花が植えられていた。家の中に入ると、水道の水がちゃんと出るし、電気がつく。店のショーウインドウにはコカコーラなど西洋の商品が並んでいる。宣伝プラカードに『パンを無料配布します』と書かれていた」。

35歳のドイツ人志願兵が口をはさんだ。「ISISは住民の心をつかむ術を知っている」。

英国人志願兵が話を続けた。

「市内に動物の檻(おり)があった。何のためか、用途はわからない。

最初わずかの住民の姿しか見かけなかっが、ISISが逃げ去ると、多くの住民が現れた。

              英国人志願兵

          

金髪のドイツ人が小麦畑を背景に語った。

「タラビヤドでの勝利後、YPGは戦闘は終わったと考えた。しかしISISは自動車爆弾と仕掛け爆弾で攻撃してきた。YPGの司令官が無能だったので、人々がバタバタと倒れた」。

彼はYPGのお粗末な軍事技術をあからさまに批判する。YPGを批判するのは彼だけではない。外国人志願兵の多くが、そして志願兵募集の責任者も、退役米兵もYPGの戦闘力の低さを指摘する。

 ドイツ人志願兵は続けた。

「訓練を受けていない17歳前後の兵士がいる。彼らは遠足気分でやってきて、仲間が殺されるとショックを受ける。その後彼は人間が全部敵に思えてくる」。

 

国連の報告によれば、タラビヤドでの戦闘により、2万3千人が難民となった。数百人の難民が1週間以内に帰宅できた。

しかしYPGが民族浄化を行っている、という非難が絶えない。

民族浄化の事実についてまだ確定していないが、YPGを間近に見たドイツ人志願兵はそれを確信している。「YPGはアラブの村を破壊する」。

 ジャジーラ州の長官は、これに反論する。「YPGがトルクメン人とアラブ人を追い出しているという話は事実無根だ。一部でそうしたことが起きるのは、戦争では避けられない。組織的・計画的なものではない。現在調査が進行中だ」。

長官が嘘を言ってないとしても、兵士を統率できていないようだ。

間近で見聞したドイツ人志願兵が語るだけではない。YPGが他の民族を略奪したり、迫害しているという報告が幾度となく、なされている。これらがすべて虚偽とは考えられない。

 

ロジャバの首都カミシュリには戦傷者のための病院がある。病棟は簡素であり、粗末に近い。クルドの医療はレベルが低く、西洋人にショックを与える。

一部屋に数人横たわっていた。一人はギリシャ人で、頭を負傷しており、話したがらなかった。

 もう一人、24歳のミラド・デリックが、負傷した経緯を語った。タラビヤドの南方で、彼は肩と腕に3発の銃弾を受けた。しかも、思わぬ相手から撃たれた。

ミラド・デリクが語った。

「タラビヤドで勝利した我々(YPG)はラッカに向かって南下した。動揺したISISは、ラッカに住むクルド人を脅迫した。ISISは、ラッカのクルド人が、攻めてくる我々(YPG)と呼応することを恐れたのだろう。

 クルド人の家族はISISを恐れ、ラッカから逃げ出した。逃げるクルド人の中に、隠れISISが紛れ込んでいた。

人々はラッカからタラビヤドに向かって逃走していた。その中の女性2人・子供2人・男性2人が、我々に向かって発砲し始めた。彼らは民間人の車に乗っていたので、我々は最初発砲しなかった。しかしすぐに撃ち返し、銃撃戦になった。私と仲間(YPG)の3人が負傷した。3人のうち1人は女性だ」。

最後にデリクは笑みを浮かべながら言った。「私は再び戦場に戻るつもりだ。ロジャバの国を建設するのに貢献したい」。

 

隣りの部屋には、両足を切断した20歳の男性がいた。彼は自分が重傷を負ったことについて語った。「YPGに参加したとき、こうしたことが起きるのを覚悟していた」。

彼は戦闘服を着たままで、胸にバッジを着けていた。オジャラン指導者の顔が描かれているPKKのバッジである。

彼はタラビヤドの南方で任務に就いていた。ある夜、彼が寝場所に選んだ空家が倒壊し、彼の両足をつぶした。「私の友人が、閉まっているドアを開けようとしたら、爆発が起きた。友人は死んだ」。

両足が不自由であるにもかかわらず、彼は戦線に復帰するつもりである。

YPGの士気は高く、祖国ロジャバのために戦うという信念は揺るがない。しかし、兵士の損傷は増え続け、指揮官は戦闘方法を改善する能力がない。志願兵の多くがYPGに幻滅して、去った。

(原文)Syria: Anti-Isis Westerners fighting for Kurds disillusioned with YPG's 'school trip with guns' tactics

By Sofia Barbarani in Syria July 6,

貼り付け元  <http://www.ibtimes.co.uk/syria-anti-isis-westerners-fighting-kurds-disillusioned-ypgs-school-trip-guns-strategy-1509470>

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        タラビヤド入口

     

        <アラブとクルドの対立>                    

クルド人によるアラブ人の迫害の根底には両者の対立がある。

反アサド闘争が始まると同時に、クルド人とアラブ人の反目が生まれた。2012年11月、両者の戦闘で、数百人が死亡した。反アサド闘争の中から、クルド対アラブの対立が生まれていく様子を玉本英子が伝えている。

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自由シリア軍が、シリア政府軍に攻勢をかけ、町を占拠したことが、そもそものきっかけだった。

ラアス・アルアインは人口3万ほどの町で、クルド人、キリスト教徒が多数を占め、アラブ人は少数だ。ほとんどがアラブ人からなる自由シリア軍による町の支配に市民は大きく反発、地元のクルド人たちが大規模な反対デモをおこなった。自由シリア軍は、そのデモ隊に発砲、市民に暴行を加えたのだった。

 これに対し、YPGはクルド人防衛を名目に、自由シリア軍へ攻撃を開始した。およそ3か月にわたる戦闘で、自由シリア軍は敗退、2月末、停戦合意が交わされた。現在、町の南地区をYPGが、北地区を自由シリア軍が支配する状態だが、緊張は続いている。

 クルド人の女性は戦闘がはじまった時、自由シリア軍に家を追い出された。戦闘が終わり家へ戻ると、壁や部屋の中は銃弾のあとだらけで、貴重品はすべて盗まれていたという。

 (全文)    <玉本英子のシリア報告>21 

     クルド組織YPGと自由シリア軍の激戦地へ   2013年5月23日

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ラアス アルアインはアラビア語である。クルド語ではセレカニエである。場所は一番目の地図にも示されている。

         

 

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タラビヤドでYPGがISISに勝利 6月

2015-08-20 20:13:33 | シリア内戦

6月15日、クルド人部隊がタラビヤドのISISに勝利した。

           

タラビヤドはラッカに近く、ISISの重要拠点だった。タラビヤドはトルコからラッカへの入り口であり、ここから武器と外国からの志願兵が流れ込んだ。また密輸の石油を輸出した。タラビヤドからラッカまでの距離は85kmである。

                 

                                    (地図) AFP

6月15日、YPG(クルド人部隊)が、タラビヤドのISISに勝利した。米国がISISを空爆し、YPGを支援した。現在YPGは米国にとって最も信頼できる地上軍になっている。

         

                                     (写真)Reuters

タラビヤドを失うことは、ラッカのISISにとって大打撃となる。米国は、ISISの首都ラッカの攻略を真剣に考えており、タラビヤド攻撃はそのための布石である。

今年の初め、米国は地上軍を出してでも、春までにモスルを奪回するつもりでいた。イラクのモスルとシリアのラッカはISISの2大拠点である。しかしモスルの話はうやむやになってしまった。ラッカを攻略すれば、その埋め合わせになる。

       <クルド、支配地域を結合>

                 2014年2月

   

              2015年5月

       

                                                  (地図)wikipedia

ラッカを標的とする米国の作戦のおかげで、YPGはコバニとタラビヤドとハサカの3地域を結ぶことに成功した。クルドはシリア内戦を、思わぬ方向に持っていくかもしれない。

トルコのエルドアン大統領は、これに脅威を感じた。「クルド人はシリア北部に独立国をつくろうととしている」。

           

 ISISの支配地は西のアレッポまで至るが、トルコとの国境地帯をクルドが支配している。ISISはトルコと隔てられた。

 

       <5月、ハサカ州での勝利>

5月初旬以来の戦いで、クルド人部隊はハサカ州の広い地域をISISから奪い取った。米国は空爆によってクルド人を支援した。ISISの首都ラッカ攻略をめざす米国にとって、地上軍が必要であり、クルド軍(YPG)を同盟相手とした。

        <ハサカからスルクへ>

                 

                                (地図)UPI

6月になって、YPGはハサカから西に進んだ。タラビヤドに至るためである。寄せ集めのアラブ人部隊も加わった。6月12日、YPGはスルク周辺でISISを打ち破り、18の村を解放した。YPGはISISの装甲車2台と弾薬を積んだトラックを破壊した、とYPGの報道官が述べている。戦いで9名のISISが死亡した。YPG側は2名死亡した。スルクはタラビヤドから20㎞南東にある町である。

 

町の周囲で激しい戦闘が続いており、スルクの町に攻め入ることができない、とYPGの指揮官が述べている。

YPGの報道官がロイターに戦況を伝えた。「ISISの戦闘員の多くが逃げ出したが、町の中に自爆攻撃兵が残っており、仕掛け爆弾が仕掛けられている。我々は町の中心部に入ることに、慎重になっている」。

                        スルクの入り口

                                                                                 

自爆攻撃兵は少人数なので、無理に戦うまでもない。時間をかけて、決心を動揺させればよい。YPGはスルクを包囲したまま、様子を見ることにした。YPGは包囲を維持するための人数をスルクに残し、主要目標であるタラビヤドに向かった。

              <タラビヤドでの戦闘>

 スルクでの戦闘では、自由シリア軍と地元の部族軍が、YPGと肩を並べ、最前線で戦った.自由シリア軍の部隊名は「リワ・タフリー」・「ラッカ反乱旅団」・「サナディド軍」である。

 

タラビヤド攻撃には、これらの部隊は参加していない。代わってブルカン・フラトというアラブ人部隊が参加している。ブルカン・フラトはタラビヤドでの勝利後、自由シリア軍の旗を掲げた。

              

                                   (写真) Lefteis  Pitarakis

ブルカン・フラトは少人数であり、主力はあくまでYPGである。コバニとハサカのYPGが援軍を送り、YPGは増強されている。

 

6月14日 、タラビヤドのISISはの大部分が退却した。橋を2つ爆破して、あわてて退却した。残っているのは150名で、援軍が来なければ、彼らも退却するという。

YPGは町を包囲した。 

                          タラビヤド 東側入り口

                 

                                                                        (写真)  Reuters

6月15日、YPGは南東の地区を制圧してから町の中に侵入し、西に進んだ。

前日の夜から当日の明け方まで、米軍と有志連合が5回以上ISISを空爆した。明るい時間帯にも空爆している。米国はタラビヤドでの勝利を重視しているからである。

            

トルコのエルドアン大統領は、アラブ人とトルクメン人を空爆しているとして、欧米を批判した。「クルド人テロリストは欧米の支援を受け、ISISが去った後の空白を埋めている」。

 

国境検問所付近の戦いで、YPGが勝利した。ISIS数十名がトルコ軍に降伏した。トルコ軍は逃げて来るISISを逮捕し、外国人ISISだけどこかへ連れて行った。地元のISISは国境検問所の近くの建物にとじ込めた。国境のトルコ側はアクチャカレである。

 

町に侵入したその日、YPGは町を制圧した。6月15日である。

                        

                                 (写真)busines insider

 2万3千人が難民となった。彼らはアクチャカレの検問所に向かった。

          

                                            (写真)daily mail

クルド・アラブ連合軍が勝利したので、避難民の多くがすぐ帰ることができた。一時避難にすぎなかった。しかしトルクメン人とアラブ人は帰って来れなかった、という話がある。「YPGはトルクメン人とアラブ人を追放した」とトルクメン人の指導者が訴えている。

ISISに協力した一部のトルクメン人・アラブ人が追放されただけか、YPGが組織的に民族浄化を行ったのか、わからない。

タラビヤドと周辺の村々は、クルド人が多数であるが、トルクメン人とアラブ人が混在している。

トルクメン人の武装組織は、自由シリア軍と共闘し、クルド軍から距離を置いている。

最後に、ISISが笑いながら行った所業を付け加える。

住民がいなくなり、ISISだけになると空爆しやすい。ISISは、検問所付近に集まっている人々を追い返した。

         

  (参考)

貼り付け元  <http://www.reuters.com/article/2015/06/13/us-mideast-crisis-syria-idUSKBN0OT0F120150613>

貼り付け元  <http://www.upi.com/Top_News/World-News/2015/06/14/Kurdish-fighters-make-gains-north-of-Islamic-States-capital-in-Syria/7221434310650/>

貼り付け元  <http://www.dailymail.co.uk/news/article-3124844/Syrian-Kurds-seize-control-main-road-encircle-Islamic-State-town-spokesman.html>

 

 

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シリア北部の分割に乗り出したトルコ

2015-08-08 20:51:52 | シリア内戦

これまでイラクについて書いてきたが、シリアで気になることが起きたので、それについて書く。

         <トルコの方針転換>

724日、トルコの戦闘機が、シリアにあるISISの基地と武器集積所を爆撃した。トルコがISISを攻撃するのは、初めてである。2014年の8月以後のISISに対する空爆に、トルコは参加していない。2015年初頭、シリアに地上軍を派遣してくれ、と米国が要請したが、トルコは断った。「シリア北部に飛行禁止区域を設定するなら、地上軍を出してもよい」と条件を出した。

飛行禁止区域の設定は、シリアの領空権を奪うことである。シリア政府軍は北部の反政府軍を空爆できなくなる。アサド政権は空爆に頼っており、北部が米国とトルコの領空になれば、北部の戦いは反政府軍の勝利となる。

        <代理人に戦わせたトルコ>

トルコはアサド政権打倒を第一の目的としてきた。にもかかわらず、自国が直接アサド政府との戦いに巻き込まれることを注意深く避けてきた。そして、アサド政権と戦う反政府軍を全面的に支援した。自分は戦わず、代理人に戦わせる策略に徹した。

 

         <国境を超えたトルコ>

724日シリア内のISISを爆撃したことは、トルコが作戦を大きく変えたということである。トルコはシリア北部に飛行禁止区域を設定することを米国に要請した。米政府は、飛行禁止区域の設定を決めていないとしているが、「 ISIS不在地帯をつくる」軍事行動計画について、トルコ政府と合意した。

トルコはシリア北部をトルコ領として分割することを決意したのかもしれない。

 

       <方針転換の原因>

これまでISISに対し寛容だったトルコが、考えを改め、ISISを敵として認識するようになった原因は、トルコ内で起きた2つのテロ事件である。人が多く集まっていた場所での自爆テロにより、多数の死傷者が出た。3日後、別の場所で小さな軍事衝突が起き、トルコの国境警備兵がISISによって銃撃された。トルコ軍兵一人が死亡し、二人が負傷した。

 

        <スルチでの自爆テロ>

720日、トルコで爆弾テロが起き、30名が死亡した。負傷者が100名近くおり、その中にはひん死の状態の者もいる。シリアとの国境に近いスルチという町で、集会があり、参加者が犠牲となった。大学生が中心となって構成する団体が、コバニの再建支援のための集会を開いていた。トルコのダウトオール首相は、自爆による攻撃の可能性が高いとの見方を示した。また、現地紙は自爆犯は18歳の女だと報じた。

 

       <コバニの戦いを支えたスルチ>

 

            

 

スルチから国境を越えてシリアに入ると、コバニである。2014年の後半、コバニは内戦中のシリアで、最大の激戦地となった。メディアの関心もコバニに集中した。

2014年6月以降、ISISイラク北部を制圧し、イラクとシリアの国境を消滅させた。勢いに乗ったISISは、9月16日、コバニの攻略に取り掛かった。ISISは戦闘に習熟している。イラクで武器を獲得している。コバニのクルド人は風前の灯となった。しかしコバニはクルド人の土地である。祖国を守るという意思は強く、持ちこたえた。クルドの女性も戦闘に参加し、世界の注目が集まった。

 

     <コバニを攻撃した理由>

ISISがコバニを攻撃した理由は明瞭である。ISISの首都ラッカから近い。ISISはラッカを不動の拠点とすることに成功し、シリアとイラクにまたがる支配地を獲得した。ラッカからトルコまでは、比較的近い。ISISはトルコとの連絡のために、国境地帯を確保したい。しかし国境地帯はクルドの土地である。

       シリアの民族分布

   

              (地図)the atlantic

(地図の説明)クルド人の居住地が黒茶色の斜線で示されている。

 

2013年、ISISはアサドに対する戦いの友軍という顔をして、タラビヤドに乗り込んだ。タラビヤドはクルド人が多数住む町であるが、アラブ人・トルクメン人が混在している。そのため、ISISは入りやすかった。クルドの土地にISISが入ることは難しい。

クルド人は「自由シリア軍」とは別の立場で、反アサド闘争をおこなっていた。

タラビヤドはラッカに最も近い国境の町である。トルコからラッカへの入り口を獲得したことはタラビヤドにとって大きな意味があった。しかしISISはシリア北部に勢力があるにもかかわらず、国境地帯はわずかしか支配できていない。

 

   

ISISは国境の町をもう少し獲得したい。トルコとの交通は生命線である。武器と志願兵が入ってくる。タラビヤドの次ISISが狙いを定めたのが西隣のコバニだった。(最初の地図参照)     

    

      <トルコからラッカへの入り口=アクチャカレ >

タラビヤドがラッカに近いこと、トルコからの入り口で思い出されるのは、後藤健二さんである。

2015年1月27日、ISISは後藤健二さん解放の条件を変えた。ヨルダンで死刑囚となっている仲間の女性の解放を要求した。サジダ死刑囚と後藤さんの交換の場所はアクチャカレだ、とISISが指定した。国境を隔て、トルコ側がアクチャカレであり、シリア側がタラビヤドである。

 

       

                                            (地図)VOA

話題が変わってしまうが、後藤さんの事件後しばらくして知った事をここで書いておく。

富士テレビは、後藤健二さんがアクチャカレに向かったと報じた。富士テレビの現地案内人がこの情報を得たらしい。この現地案内人は日本人女性であるが、数日後トラックと衝突して死亡した。

ISISのラッカ長官の補佐官が、「湯川遥菜は処刑するが、後藤を殺すつもりはない」と語っていたという。西谷文和氏の知人のシリア人が、ラッカ長官から聞いたという。以上の2つの情報は、後藤さんが解放に向かっていたことを示唆する。サジダが獄を出て、イラクに向かった、とヨルダンの新聞が報じた。サジダはアクチャカレに行かずとも、ISISに渡せばよい。

後藤さんとサジダ死刑囚との交換が決まり、事が進んでいたが、カサスベ中尉の解放を要求する声がヨルダン世論にわきあがり、急きょ取りやめとなった。

 

タラビヤドとコバニはラッカに近く、ISISにとって重要である。今回自爆テロが起きたスルチの位置を再び示す。スルチとアクチャカレを赤色で示した。

 

 

    <ISISがトルコ軍兵士を殺害>  

スルチでの自爆テロの3日後の7月23日、キリス付近の国境で、5人の武装テロリストがトルコ軍の前哨基地に発砲し、下士官1人を殺害、2人の兵を負傷させた。トルコ軍が応戦し、ISISの戦闘員1人が死亡した。続いてトルコ軍は戦車4台を出動させた。

     

          (写真) aljazeera

武力衝突が起きた場所キリスはアレッポの北にあり、アレッポの反政府軍にとって重要な基地がある。(地図参照)

 

     <トルコの真の意図>

トルコは慎重な姿勢を捨て、「シリア北部にISIS不在地帯をつくる」ことを決定した。トルコは今まで裏で操っていたが、今度は自ら乗り込んできた。シリア内戦に国家が直接参入した。すでにシリアはこれ以上悪くはならない悲惨な状態なので、どうでもいいことかもしれないが、各戦闘集団の力関係を分析せずにはいられない。平和への道は遠い。

 

   <ISISが突然トルコの敵になった?>

ISISがトルコを攻撃した2つの事件について書いた。事実はそうであるが、ISISはトルコの敵だろうか?

これまでトルコはアサド政権を第一の敵とし、第二の敵はクルドとしてきた。

トルコ政府は次のように公言している。

「米国がISISを空爆することは、アサドとクルドに幸運をもたらしている」。

トルコはISISに対する空爆を苦々しく思っていた。トルコの友を攻撃し、トルコの敵を利していたからである。

 

    <トルコの真の敵はクルド>

何故クルド人がトルコの生来の敵なのか、まず地図を見ていただきたい。

      クルド人の居住地

   

 

 クルド人は広い地域に分布している。クルドは、国家を持たない最大の民族と言われる。人口は2500万~3000万人である。国連加盟国には人口数百万の小国が多数あり、3000万人の人口を擁する国家は堂々たる中規模国家である。クルドが「少数民族」と呼ばれることは不自然な感じがする。国家成立の秘密が何であるか、を物語る。

     分割されたクルドの居住地

   

 

 第1次世界大戦後、1920年のセーブル条約で、トルコのクルド人はトルコ・イラク・シリアの3つに分断された。セーブル条約とは、第一次大戦の勝者である英・仏・露の連合国と、敗者となったトルコとの講和条約である。英・仏は自分たちの利益に従ってトルコを分割した。

 

 

分割直後から、トルコ・イラク・シリアのクルド人はそれぞれの国に対して独立運動をおこなってきた。大戦終結後、民族自決が講和の理念となっており、クルドの独立も実際に議題になり、いったん独立が決まった。しかしトルコのケマル・パシャの圧力により、クルド国家の形成は取り消された。クルド人は自分達だけが除外されたことに憤慨した。

 

トルコからの独立を願うクルド人は、長年独立闘争をつづけてきが、2013年にトルコ政府と停戦協定を結んだ。しかしクルド人は決して独立をあきらめていない。

 

  <国家形成へ向かうシリアのクルド人>

現在、シリア北部のクルドは小さな独立国になろうとしている。コバニでISISに勝利したからである。アサド政権は弱体化しており、イドリブを失った今、アレッポ奪回の可能性は消えた。

小さなクルドの独立国がシリアにできるのを見たなら、トルコのクルド人たちは、自分達も独立しようという気持ちになり、独立闘争闘争を再開するだろう。

イラクのクルド人はすでに大幅な自治権を獲得しており、情勢次第では完全に独立する。

 

3分割された2つの地域が独立へ近づいており、とり残されたトルコのクルド人は、独立への願望をかきたてられている。これはトルコにとって悪夢である。

3つの地域の中で、トルコのクルド人とシリアのクルド人は民族が同一なだけでなく、部族も同じである。トルコからの独立闘争を長年おこなってきたクルド人政党(PKK)と、シリアのクルド人政党(PYD)は互いに兄弟のような関係にある。はPKKのオジャラン党首は、シリアのクルド人からも尊敬されており、彼の肖像画を家に飾っている。

 

   <PKK(トルコのクルド政党)の独立計画>

兄政党のPKKが弟政党のPYDに独立をけしかけている、とトルコは見ている。まずシリアのクルド人に国家をつくらせる。その小独立国を作戦基地にして、PKKはトルコと戦い、独立を勝ち取ろう、という計画である。

トルコは東部の重要な、広い地域を失うことになる。とんでもない話である。シリアで悪さをしているISISはトルコに害を与えない。スルチとキリスの事件は例外的であり、不可解な感じもする。

クルドは一貫して危険な敵である。万一でも、トルコのクルド人が独立するかもしれない、と考えることは、トルコにとって恐怖である。

トルコが方針を一変した原因は、クルドの独立が現実的になってきたからではないだろうか。

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