前回、中東政策会議の「シリアの経済」の前半を訳した。今回はその続きである。経済の各分野について語られている。自由貿易により、国際的な競争力のない繊維工場が倒産したことなど、具体的に語られている。シリアは市場経済を導入したが、競争力のある製造業がなく、経済の自由化のメリットは少ない。伝統的な繊維工業が倒産するなど、マイナス面も大きい。
この報告は2011年夏に発表されているので、内戦と無関係である。2012年以後は、著者が親アサドか、反アサドかによって、経済評価も変わってしまう。2011年夏は、デモが収まる可能性も残っていた。シリアがどうなるかは誰にもわからなかった。
客観的な観察者として、報告の著者は次のように書いている。
「シリアが抱える問題は巨大で、現在の社会的混乱が無事おさまったとしても、前途多難である。また仮に体制転換が起きたとしても、新政権はこれらの問題を引き継ぐことになる。これらの問題はシリアの社会的発展の遅れと結びついており、体制転換によって簡単に解決する様な性格のものではない」。
======《シリアの経済:現実と課題②》=======
2011年夏 Middle East Policy Council
The Political Economy of Syria: Realities and Challenges
by Bassam Haddad
《エネルギー》
天然ガス生産量
年 1998 1999 2000 2001 2002 2003
億立方m 53 54 55 50 61 62
2004 2005 2006 2007 2008
64 55 57 56 55
原油採掘量
年 1998 1999 2000 2001 2002 2003
千バレル/日 576 579 548 581 548 527
2004 2005 2006 2007 2008
495 450 435 415 398
エネルギー産業はシリアの主要な収入源である。政府は油田への海外投資を期待している。今年の3月中旬、インドの ONGC ヴィデシと英国に本社があるIPR地中海デイベロープメントがユーフラテス流域に新しく3つの油田を発見した。これらの油田から日々1万バレルの原油の採掘が見込まれており、従来の大油田の減産をある程度穴埋めできる。
今年新しい4つの天然ガス処理工場が稼働し始めた。日々1600万立方メートルを処理することができ、シリア全体でのガス生産量は1日2800万立方メートルとなる。2011年には3600万立方メートルとなる予定である。生産されたガスの大部分(2000万立方メートル)は電気省へ送られ、発電に使用される。これにより政府はより多くの現金を国内に保有できる。
2010年ー2011年、シリアは1日に37万7000バレルの石油を採掘しなければならない。しかし、さらなる新油田の発見は期待できず、 1990年代末から2000年代初頭の生産量を回復することは難しい。政府は油田の枯渇におびえているが、新しい油田の発見とガスの増産により、少なくとも今後10年は何とかなると考えている。
新油田の発見は政府にとって幸運であるが、そうなると政府は改革の意欲を失うだろう。
石油・鉱物資源大臣のスフヤン・アローは、電力の有効利用と代替エネルギーによる発電を提案している。国民への燃料補助金も見直すべきだ。ディーゼル油購入のための補助金は政府にとって毎年15億ドルの負担となっている。ディーゼル油が格安で買えるため、レバノンやトルコに密輸して利益を得ることが横行した。ナジ・オタリ前首相によれば、補助金によって安く購入されたディーゼル燃料の約25%が国外に密輸されている。かといって補助の打ち切りによって打撃を受ける低所得者が多いので、時間をかけて徐々に減額することしかできない。
石油・天然ガス以外に、もう一つ重要な収入源がある。石油・ガスの通過国として、シリアはますます重要性を増している。まず第一に、エジプトの天然ガスを・ヨルダン・シリア・レバノンに送るアラブ・ガス・パイプラインがある。これをトルコのパイプラインに接続する計画がある。
実現すればシリアはアラブのガスをトルコに輸出できるし、同時にトルコ・イラン・アゼルバイジャンのガスを輸入できる。政府は財政赤字を穴埋めすることが可能になる。そして改革の意欲を失うだろう。シリアの経済には縁故主義が浸透しており、健全で合理的な経済とは言えない。長期的な発展の観点からは改革が必要であるが、政権はひっ迫しなければ、改革を後回しにするだろう。
《観光、サービス業、建設》
実質GDPを構成する分野の成長率:%
年 2005 2006 2007 2008 2009 2010
農業 7.8 10.2 -13.5 -8.7 5.4 2.2
工業 -3 0.6 3.8 5.5 -0.9 5.3
サービス 13.3 3.4 16.6 8.3 3.9 3.8
(出典) エコノミスト 情報班
2009年、410万人の観光客がシリアを訪れた。観光収入はシリアのGDPの約11%を占める。これによってサービス業が潤っている。
観光業と財政における改革により、今後数年建設業も成長するだろう。しかしダマスカスのような都市では、建設ブームが過熱し、地価が高騰し、世界の上位レベルになっている。ここ数年湾岸の建設会社数社が参入しており、プロジェクトの規模がおおきく、質も向上している。
建設業にのみ投資が集中し、農業と製造業が放置されることはシリア経済全体の健全性を損なう。その例が農村の崩壊と農民の都市への移住である。建設ブームは一時的に経済を向上させるが、観光業とサービス業の拡大は国民全体の生活向上に結び付かない。観光業は固定資本(工場の建物や機械)の蓄積につながらず、職業における技能を高めず、富の再分配を行わない。
《工業》
この分野は石油とガスの新たなプロジェクトへの投資によって維持される、というのが一般的な見方だ。しかし石油の埋蔵量が枯渇にむかっているので、投資をしても将来的な保障がない。
さらにシリアは世界的な経済危機を乗り越えたが、工業製品に対する国内需要は激減した。2008年に比較し2009年は80%減だった。
繊維工業が最も打撃を受けた。経済危機の影響だけでなく、中国からの輸入品の増加もあり、シリアの企業はこれに対抗できず、立ち直るのが難しい。
自動車、テレビ、コンクリート製造など、重工業に対しては、ある程度の投資があった。
2009年の中東・北アフリカの発展報告によれば、海外直接投資は製造業に対し10%だけだった。薬品は目覚ましい成功を続けており、国内需要の95%を供給している。これはアラブ世界で2位である。55の国に輸出しており、14000人を雇用している。
《公企業と私企業の協力》
政府は私有財産制への移行に慎重であり、公企業の活性化に重点を置いた。「公企業と私企業の協力」という方針のもとに、民間の活力を取り入れることを試みた。これは20年前に着手されたが、何度も中断された。2010年政府は本腰を入れて、再びこれに取り組んだ。この試みは経済的には有望だったが、政治・社会体制にとっては冒険的で、危険だった。この時点では、まだほとんどの国民が公企業で働いていた。政府は国民への補助金を減額し始めたが、あいかわらず福祉的な恩恵と補助金を支給していた。
「公企業と私企業の協力」のさいかいにより、企業は共同の所有として設立されたが、徐々に私人が実権を握り、しばしば完全な私企業に移行した。
新しく生まれた私企業の多くは公企業との契約に依存しており、政府からの優遇措置に頼っていた。私企業の所有者が政権とつながる者や政権内部の者だったので、こうした特権が与えられた。私企業の多くが不健全だった。
こうした状況下では、公共的な物資を社会に供給するためには、現存する公企業の活性化が望まれた。
採算の取れない、非効率な公企業は国家の財政にとって負担になっており、独立採算性の企業に変えることが計画された。2010年の夏の時点で、黒字の公企業は260の中の10%以下だった。
公企業の改革は国家と社会の両方に有益だったが、海外の援助国や国際金融機関の間で不評だった。彼らは公共企業の数が減ることを望んでいた。特に赤字の公企業はそうであった。
しかし民営化は国民の犠牲を伴う。そのため国際社会の希望に反することになるが、シリア政府は公企業を残す方針である。そして公企業の再生のために、さらなる投資をするつもりである。しかし公企業の運営体質ににメスを入れるつもりはない。
構造改革をせず、新たな投資が現在の制度と法律の下で行われるなら、失敗に終わる可能性が高い。非効率で赤字を出し続ける公企業は近い将来破局を迎えるだろう。
その結果国際社会が奨励する私企業だけが残るだろうが、シリアの私企業の実態は政治・経済的なブローカーである場合が多い。私企業のトップの仕事は政府から資金を引き出し、政府の仕事を請け負うことである。彼らの仕事は、製品を作り、販売することではない。シリアはブローカーの利益だけが保護される社会になるだろう。
ブローカー的企業が多いとはいえ、私企業はシリアの経済を支えている。2000年私企業はGDPの52.3%だったが、2007年60.5%になった。薬品、冶金、繊維は、現在私企業が行っている。一方で私企業が増えたことは批判の的になている。「政府は多くの国民に最低限の生活を保障する責任を放棄した」。
当然ながら、起業の機会はすべての人に平等ではない。シリアの銀行はリスクを回避する傾向が強く、融資を得るのは敷居が高い。特に大規模プロジェクトは融資が得られない。中小規模のプロジェクト場合、起業家はラミ・マクルーフのような大資産家にたち打ちできない。マクルーフは縁故資本主義の象徴として国民から不満を買っている。彼の商業帝国は、政権と大統領の家族との強い結びつきがなかったら、成立しない。実際シリアでは、権力と結びつきががあれば、法的な障害がなく、経済的な制約もなく、思いのままに事業を進めることができる。シリアは昔から、有力者を中心とする縁故社会だが、現在は新しい形の縁故主義が猛スピードで成長している。
シリアでは、私企業は市場経済の健全なプレイヤーではなく、大部分は国家と自由市場の破壊者である。健全な私企業は例外的な存在である。
《経済改革と問題点》
現在の社会的混乱にもかかわらず、改革への取り組みが中断しなければ、シリア経済の展望は明るい。2005年、第10回バース党指導会議で、バシャール・アサド大統領は「社会主義市場経済」を打ち出した。石油の埋蔵量の激減という現実を前に、シリアの政治エリートたちは、経済改革を受け入れた。
その結果、2007年首相直轄のシリア投資庁が設立され、新しい投資法が成立した。その他いくつかの法律や政令が制定され、私企業の誕生を促した。2009年にはダマスカス証券取引所が取引を開始した。2004年以来多くの私立銀行が設立されており、証券取引所の成立により、投資と融資が活発になった。
私企業に対する規制が徐々にではあるが緩和されたことにより、シリアの経済は劇的に発展した。しかしシリアの製造業は旧式であり、競争力がなかった。自由貿易になっても輸出の望みがなく、外国の製品が流入すれば、対抗できなかった。企業が倒産し、雇用が失われる危険があった。
私企業の増加と成功は喜ばしいが、それは主にサービス業の分野であり、工業は衰退している。例えば2010年の最初の2か月間、28の旅行会社が誕生する一方で、48の繊維企業が倒産している。繊維企業は競争に敗れたのである。新しい旅行会社は利益をあげている。
新たな投資は観光業など、収益が見込まれる事業に向かう。しかしサービス産業は多くの国民に利益をもたらさず、熟練労働者を育てることもない。この問題は投資家に任せていても解決しない。政府が工業分野の育成に取り組まなければならない。
経済の自由化とともに倒産・失業などの社会問題が生まれた。また急激な人口増加の問題もあり、自由化によりすべてが解決するわけでない、と認識されるようになった。
シリアの人口増加率は2.5%、失業率は10%を超えている。これ以外にも多くの問題が山積している。
①石油の埋蔵量が底をつきかけている。
②私企業活動を妨げる官僚制度
③公的企業が企業の半数を占め、しかも大部分が非効率で赤字
④銀行の数が少なく、新規企業の立ち上げを妨げ、現存する企業も新発展ができない
シリアが抱える問題は巨大で、現在の社会的混乱が無事おさまったとしても、前途多難である。また仮に体制転換が起きたとしても、新政権はこれらの問題を引き継ぐことになる。これらの問題はシリアの社会的発展の遅れと結びついており、体制転換によっていっきに解決する様な性格のものではない。
====================(中東政策会議終了)