木曜日に発表した改革は新しいものではなく、2005年のバース党会議で決定された内容と同じです。改革は以前から政府の重要課題でした。当時政府に対する圧力は無く、自主的に改革に着手したのです。
2004年チュニスでアラブ首脳会議が開かれました。米軍によるイラク侵攻後初めてのアラブ・サミットでした。この時アラブ首脳は独立心を失い、米国に追随する姿勢があからさまでした。しかし米国が要求した改革と民主主義については、我々は拒否しまた。米国の試みは失敗しました。
米国のシリアに対する圧力は、イラクでの抵抗運動と我が国の外交が原因でした。
2005年のバース党の改革案は外国の圧力によるものでなく、シリア独自の判断でした。
現在国民から改革を求める圧力があります。2005年に改革を開始したのですが、その後実行が遅れたので、国民が不満を持っているのです。改革の方針は正しかったのです。
木曜日に改革の実行を再確認したのは、反乱を鎮めるためではありません。改革の結果が実を結ぶまで時間がかかります。
政府は改革を約束したが実行しなかったという意見があります。これに答えるため、私が大統領になった2000年以後の経過について話したいと思います。
2000年には、改革に具体性がありませんでした。具体化に着手する間もなく、大きな問題が起きました。就任後の国会演説の2か月後、パレスチナでインティファーダ(住民の抵抗運動)が始まりました。すると、この抵抗運動を抑え込もうとする陰謀が始まり、我が国に対する圧力が高まりました。
翌年9月11日、米国の貿易センターが破壊され、イスラム教徒とアラブ人が敵とみなされました。米国はアフガニスタンとイラクを攻撃しましたが、シリアはこれに反対しました。このため米国は今まで以上にシリアを憎むようになりました。
2005年にレバノンで起きたことは、よく覚えていると思います。2006年の戦争とその影響、2008年末のガザ戦争も同様です。この期間を通じて、我が国は外国の圧力を受けました。この時期は国内でも災難がありました。4年間連続して干ばつに見舞われ、我が国の経済を破壊しました。
その結果、優先順位を変更せざるを得ませんでした。この重要な点について、外国のメディアに一度ならず話しました。4年間の干ばつに対処することは、政府の能力を超えていました。経済を立て直す方策が皆無ではありませんでした。2000年に10歳だった世代は、この時のことを覚えていると思います。最優先すべきことは安定でした。当時と比べるなら、現在は安定しています。当時もう一つの優先事項は生活水準を回復することでした。国民の間に様々な不満がありましたが、生活苦が最大の問題でした。
言い訳になりますが、経済の問題が優先され、改革は延期されました。戒厳令の廃止や政党法の改正などの政治的な問題は、後回しにされたのです。国民が最低の生活もできないほど貧しい時、彼らの境遇の改善を後回しにはできません。政党の改革は、数か月後あるいは数年後に延期することができます。しかし子供の朝食のパンの配給を延期することはできません。戒厳令その他の法律、または行政が原因で起きる不都合の改善は、遅らせることができます。しかし、親にお金がなく、あるいは政府に薬がないため子供が治療を受けられない場合、対策を延期することはできません。政府は日々こうした問題に直面しています。国民議会の議員はよく知っていると思います。
2009年と2010年に貧困問題は改善したので、政治改革に取り組む余裕ができました。バース党は政党法改正の原案を作成しました。しかし国会で審議はされませんでした。少し遅れても国民の判断にゆだねた方がよいと考えました。2005年以来、私は改革の意志を変えていません。私は官僚に強制すべきだったかもしれません。官僚の怠慢などよって改革が遅れました。私を含めた指導部はシリア国民の一部であり、国民をよく知っています。
近い将来国会を解散します。新しい国会になり、内閣も変わるでしょう。地方政府のメンバーも変わり、新たに地方議会が誕生するでしょう。2011年には政治が一新されるでしょう。シリアは改革の新しい段階に進みます。
これまで地方議会の創設を遅らせてきた理由は、過去に政府が行ったことを説明する必要があり、それを新設された地方議会に提出しなければならないからです。
国と地方の全ての組織に、新しい人材を登用するつもりです。
我々が予定している改革は流行ではありません。アラブ世界を席券している新しい波の影響でもありません。2か月前エジプトで大衆デモが起きた時、ウォール・ストリート・ジャーナルの記者が私に質問しました。「あなたは改革をするつもりですか?」私は次のように答えました。「すでに改革を始めていなければ、もう手遅れです。改革の意志を持たず、計画もなく、あわてて改革を始めても、失敗するだけです」。
外国の政府の人間が私に言います。「あなたは改革者です。しかしあなたの周りにいる人たちが改革を妨害している」。私は答えました。「それどころか、私の周囲の人たちは、わたしに改革を迫っています。邪魔する人はいませんが、なぜか遅れているのです」。改革に反対していいるのは利権を持っていて、腐敗している人だけです。ほとんどの人が改革に賛成しています。腐敗した連中は非常に少なく、この議場から消えてしまいました。難しいのは、どのような改革をすべきか、です。経済状態に引きずられて改革をしてはいけません。逆効果に終わります。
我々は10年間改革に取り組んできました。現在行うべき改革は過去十年の経過を踏まえ、将来の10年を考慮するものでなければなりません。現在の流行に振り回されるのではなく、他国の経験を参考にするのです。例えばチュニジアの出来事は、エジプトの場合より学ぶべきものがあります。チュニジアの経験から学ぶために、我々は専門家を派遣しました。チュニジアの改革は我が国の手本でした。チュニジアで革命が始まった時、富の分配に問題があることが明らかになりました。政治の腐敗により貧富の格差が大きかっただけでなく、地域間の格差も大きかった。これは我が国の問題と共通しています。我々はこの問題の解決に努力し、富の公平な分配を求めてきました。
我が国が改革を先延ばしするなら、破滅的な結果になるだろう。しかし最も難しいのは、改革の方法です。もうすぐ提出される改革諸法案において、シリア人としての能力が問われる。木曜日に発表した戒厳令の廃止と政党法の改定は、1年以上前にバース党が作成した法案に沿っており、私が発案者ではない。その他いくつかの法案は公開討論され、関係機関で議論されるだろう。
木曜日に発表しなかった改革事項もあり、それらは国民の一体感を強めることを目的としている。汚職と戦う、メディアの自由を認める、雇用を増やすことであるが、これらは十分審議した後に決定したい。昨日辞職した内閣が審議を始めていたが、これらの事項は新内閣の優先事項となるだろう。昇給については私が経済チームと検討している。いくつかの議題のうち、昇給については結論が出た。
しかし1500シリアポンドの昇給額について不満があったので、1時間前、増額を決定した。
経済チームが上からの命令を待たず、自主的に昇給問題に取り組見ました。私はこれを高く評価しており、国民に伝えたい。来月には他の改革事項も決定したい。ある程度時間を限定して検討したい。しかしあまり早急に決定すると、いい加減な内容になるので、必要な時間をかけ、最善の決定をしたい。
私が発表した改革は不十分だと、衛星テレビは批判するでしょう。我が国が破壊されない限り、彼らにとって不十分なのです。彼らの原則は嘘をつくことであり、最後には自分の嘘を信じてしまう。しかし、嘘は事実によって反ばくされ、矛盾が明らかになり、自滅するのです。
私の兄弟や姉妹である皆様! 私は人間として最近の出来事を悲しんでいます。私は反乱や殺人が嫌いです。もめごとが嫌いなのです。しかし危機を克服することはある意味でよいことです。シリアの強さの秘密は、これまでの歴史でいくつもの危機を経験してきことにあります。特に独立後はそうでした。勝つという自信と決意を持って、危機にた立ち向かわなければなりません。困難な問題が発生した時、それから逃げなければ、我々は前進します。逃げればつまづき、失敗します。立ち向かうことによって、自信を獲得します。
問題が困難な時、焦って解決しようとせず、正しい解決を得られない場合、解決がないままじっとしている方がよいのです。これが、私がこれまでの危機から学んだ教訓です。