たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

2013年 グータ化学兵器事件 ザマルカ

2017-06-30 05:42:00 | シリア内戦

   

2013年821日ダマスカス郊外の2か所に化学攻撃が行われた。2か所は互いに16㎞離れている。最初に攻撃があったの東グータのザマルカであり、午前23時である。やや遅れて午前5時頃、西グータのムアダミヤが攻撃された。どちらもの場合も地対地ロケットが使用されたが、ザマルカの330mmロケットは大きく、5060リットルのサリンを搭載する。これだけの量のサリンを注入するには専門的な技術と経験を必要とする。サリンは猛毒であり、わずかな量のサリンに接触しただけで、死に至る。

日本の地下鉄サリン事件では、犯人一人が使用したのは2リットル(1リットルの袋2つ)である。これを5人が別々の電車内で散布した。合計で10リットルである。林泰男だけ3リットル散布たので、正確には11リットルである。

ザマルカの場合、ロケット一発で5060リットルであり、これが数発撃ちこまれた。規模の大きさが感じられる。

これに比べ、ムアダミヤを攻撃した140mmロケットはかなり小さく容量は2.2リットルである。

人権監視団はムアダミヤから書き始めており、それを前回訳した。続いてザマルカの部分を今回訳す。

 

=====《Attacks on Ghouta》==========

 Analysis of Alleged Use of Chemical Weapons in Syria

 

    《東グータのザマルカ》

821日ムアダミヤにに打ち込まれたのは140㎜地対地ロケットであるのに対し、ザマルカに着弾したのは地対地330㎜ロケットである。

地元の活動家が以下の情報を人権監視団にもたらした。

①目撃者の証言

GPSによる着弾地点の位置

③現場を撮影したビデオとその場所の衛星写真

これらの情報により、少なくとも4発の330㎜ロケットがザマルカに打ち込まれたようだ。

  • マハリク通りに2発 (Ghazal ビルディングMehyi al-deen ビルディング)
  • Naher al-Tahoun通りのボスタン地区に1
  • ハムザ・モスクの近くに2発。1発はモスクの隣。もう一つは近くのカマル祭儀場。
  • タウフィク・モスクと小学校に隣接したマズラート地区に3発。

  

 

爆発音を聞いたという証言はない。またロケットの残骸と被害者の症状により、これらのロケットは強度の爆発弾や燃焼弾ではない。犠牲者には傷がなく、ロケットが落ちた場所の窪みも小さい。爆発弾であれば大きな穴ができ、被害者は外傷を負う。燃焼弾による犠牲者はやけどの跡が残る。

従ってザマルカに落ちたロケットは化学弾である。

ザマルカの情報センターのスタッフが人権監視団に連絡してきた。彼はザマルカのマズラート地区に落ちたロケットを直後に見に行った。

 

ーーーーーー(情報センターのスタッフの話)ーーーーー

821日、私は情報センターにいた。午前2時ー3時友人たちが電話してきて、ザマルカが攻撃されたと言った。私はすぐにマズラート地区の野戦病院に向かった。ロケットが落ちてから約30分後だった。

ロケットが落ちた時、私はとても低い音を聞いた。ヘリコプターの音に似ていた。爆発音ではなかった。私は野戦病院を出て、着弾地点に走って行った。私は着弾地点につく前に、多くの被害者に出会った。

多くの負傷者が地面に横たわっており、人々は叫びながら走っていた。近くの家に入ってみると、男性と妻が横たわっていた。家は破壊されていなかった。この家にロケットが落ちたわけではなく、近くで落ちた様子もなかった。それでも2人は死んだ。

私は約40分救助活動をしていたが、身体が痛み出し、力が抜けて動けなくなった。そして目が痛くなり、頭痛が始まった。煙はなかったが匂いがした。病院に連れて行ってくれと友人に頼むと、彼は車で運んでくれた。マズラート地区を去ろうといた時、犬が道路を横切っていた。犬をひかないでくれ、と私は友人に叫ぼうとしたが、衝突する前に犬は倒れてしまった。

ーーーーーーーーーーーー(情報センターのスタッフの話終了)

この証言者は病院で多数の負傷者と死者をビデオ撮影し、ネットに投稿した。

もう一人の証人がマズラートに落ちたロケットの残骸のビデオを人権監視団に送ってきた。どのロケットも同一の型だった。

 

ザマルカの情報センターのスタッフは容体が回復し、8日後の29日マハリク通りに行った。彼はそこに落ちたロケットをビデオと写真に撮り、それらを人権監視団に送ってきた。これらのロケットはマズラートに落ちたロケットと同型であり、口径が330mmだった。

彼はまたマハリク通りの別の場所で、国連の調査チームが330mmの残骸を調べる様子を、ビデオに撮った。

 

 

 

東グータに着弾した330mロケットは一般に知られていないもので、国際的に未知のロケットである。シリア内戦で初めて登場した。821日の化学攻撃に先立つ数か月間、このロケットが反政府軍の支配地に打ち込まれている。反政府活動家によれば、そのうちの一度は化学弾だった。(これについては、後に述べる。)

 

東グータの地域活動家が330mロケットの弾頭部分の正確なサイズを教えてくれた。それによれば、弾頭は約5060リットルの化学物質を搭載できる。西グータのムアダミヤに落ちた140㎜ロケットの弾頭の搭載量はわずか2.2リットルである。

330mロケットの発射の際、5060リットルの猛毒化学物質を注入するのは極めて危険な作業であり、通常の場合、専門的なチームが特殊な防護服を着て行う。化学物質に接触するならば、即死するからである。

反政府軍は大量の化学兵器を所有していない。また危険な化学物質を弾頭に注入するという、専門的の技術を持っていない。

 

 

東グータの活動家が与えてくれたロケットの寸法と高解像度の画像により、人権監視団は330mmロケットの特徴を再現した。

直径約330mmは注目すべきである。これはイランのFalaq-2発射機と互換性がある。Falaq-2の口径は333mmである。また330mmロケットはFalaq-2の模造品や派生品により発射できる。

333mm口径のロケット発射機を所有しているのはイランだけである。

シリア軍がFalaq-2発射装置から330mmロケットらしきものを発射しているビデオが存在する。これは昼に撮影されたもので、821日の映像ではないが、シリア軍がFalaq-2を使用していることは確かである。

330mmロケットは空気力学を考慮しない形をしており、ノズルのすぐ上に変な回転安定装置がある。その結果このロケットは射程距離が短く、目標を正確に定めることができない。このロケットは工業的に生産されたものではあるが、国際基準を大きく下回り、地元の需要を満たすだけのものである。イランのFalaq-2発射装置と共に使用する目的だけで製造されたようだ。人権監視団はこのロケットがどこで製造されたか、確認できてきていないが、イランのFalaq-2で発射するのに適していることから、シリアが製造しているに違いない。

化学弾を発射する兵器の製造は1993年の化学兵器禁止条約に違反する。この条約に参加していないのはシリアを含む次の5か国だけである。シリア、エジプト、パレスチナ、南スーダン、北朝鮮。

シリア軍はこれまで爆発型弾頭を装着した330mmロケットを使用してきた。821日に使用された330㎜ロケットは爆発型とほぼ同一であるが、わずかな違いがある。このこれはビデオや写真から確認できる。

①弾頭とエンジンの接続部分にある小さな穴の数が多い。これは化学物質の注入するためである。

②爆発型は化学物質型より、400mm長い。

③化学物質型に帰されている数字は赤色で書かれている。赤色で900と記されたロケットもあり、生産された化学物質型のロケットが900を超えていることを示している。

爆発型のロケットには黒色の数字が記されている。数字の色によって爆発型と化学物質型を区別しているのだろう。

 

821日、東グータのザマルカに打ち込まれた330mmロケットは、すべて化学物質型の特徴を示している。弾頭の長さが短く、小さな穴の数が多い。弾頭部分の仕様は化学物質の放出に特化しており、外皮が薄く、50―60リットル収容できる大きな容器となっている。心棒は細い管でできており、先端に爆薬がある。爆薬が爆発すると、薄い容器が破れ、中身の化学物質は気化し、周囲に発散する。

 

爆発型の330mm地対地ロケットが最初に使用されたのは、2013124日ダマス郊外のダラヤに対してである。(ダラヤはムアダミヤの東) 次に同年82日ホムスのハリディーヤ地区に打ち込まれた。反対派はこの2つの攻撃をしたのはシリア軍だと主張している。これについて、人権監視団は客観的な確認をしていない。

85日反対派は化学物質型の330mm地対地ロケットの残骸を撮影した。ロケットには注入口らしき穴があり、書かれている数字は化学弾を示していた。場所はダマスカスカスの北東の郊外アドラである。これを撮影したビデオがあり、330mmロケットらしき残骸と死亡した動物やひん死の動物が映っている。外傷がなく、神経ガスによるものと考えられる。

反政府軍が330mm地対地ロケットとその発射機を所有しているという証拠はなく、これまで330mmロケットによる攻撃を受けたのは反政府軍とその支配地域である。シリア軍はイランのFalaq-2333mmロケット発射機を保有していることが知られている。

821日の発射の場面を映したビデオは存在しないが、この日以前にシリア軍がトラックに載せたFalaq-2から330mmロケットを発射する場面のビデオがいくつか存在する。

 

       《死者数》

 

  

 

821日の攻撃は互いに16㎞離れた2つの場所で起き、被害者があまりに多いため現場が混乱していたので、正確な死者数を確定するのは困難である。どちらの場所にも大きな病院がなく、被害者を受け入れたのは認可を受けていない小さなクリニックであり、満足な医療設備もなかった。

人権監視団の聞き取りに対し、医者たちは「あまりに多くの患者が運ばれてきたため、圧倒された」と答えた。すでに死んでいる者はクリニックに運ばれてこなかったため、クリニックには死者に関する記録を持たない。

国境なき医師団によれば、この地域にある彼らの3つの病院で、攻撃の3時間以内に少なくとも3600人を治療した。これらの患者は神経ガスの影響による症状を示していた。

人権監視団は西グータのムアダミヤで死亡したとされる80人の名前を得た。2つの情報源によれば、21日ムアダミヤで死亡したのは103人である。

東グータの場合攻撃が広い範囲に及び、被害者は多数の小さなクリニックに運ばれたので、死者の総数を確認するのは、さらに難しい。94日ザマルカのメディア・センターの一人と地元のジャーナリストたちが語ったところによれば、ザマルカの地方議会はザマルカの死亡者734人の氏名を記録している。

  

=======================(人権監視団終了)

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2013年 グータ化学兵器事件 ムアダミヤ

2017-06-21 23:53:31 | シリア内戦

 

サリンは重いガスで、風がないと地上を漂い、低い地下室などへ流れる。背の低い子供には影響が大きい。

8月21日未明、ダマスカスの気温は午前2時から5時にかけて低下し、重いガスが地表付近にとどまった。建物の下層階に避難した場合、被害が拡大した。

国連の報告書によると、「攻撃は最大限の効果を発揮する条件で行われた。当時は気温の低下に伴って空気の流れが下降しており、サリンガスも地面近くに滞留。その結果、多くの市民がガスを浴びた」。

攻撃があったのはダマスカスの郊外2か所であり、南西の郊外のムアダミヤと東の郊外のザマルカである。

ムアダミヤとザマルカは互いに16㎞離れているが、どちらもグータ平原にあり、「グータへの化学兵器攻撃」としばしば言われる。国連の報告でも「グータ事件」と言われている。

グータはダマスカスの東と南に広がる平原であり、田園地帯となっている。ダマスカスに近い部分は市街化している。そこでサリン事件が起きた。

事件直後の様子をシリア人権監視団が書いている。

=====《Attasks on Ghouta》=======

            Human rights watch

 Analysis of Alleged Use of Chemical Weapons in Syria

 

 8月21日の朝、多くの死者の映像がYouTubeに現れ始めた。投稿者は化学兵器の結果だと説明した。これらのビデオは数十本あった。病院に収容されたされた犠牲者も映されており、彼らは毒ガスによる症状を示していた。多数の動物も死んでいた。羊、犬、猫の他に野鳥も死んでいた。これらのビデオを投稿したのは地元の市民活動家のようだ。

続いて詳しい情報がもたらされ、攻撃があったのはダマスカスの郊外の2か所であり、互いに16㎞離れた場所である。どちらも反政府軍の支配地である。住民の話によれば、東グータのザマルカが攻撃されたのは午前2時から3時頃であり、西グータのムアダミヤが攻撃されたのは午前5時頃であり、朝の礼拝が終了した時だった。

被害者の症状は次のようなものである。

①窒息 ②呼吸困難 ③けいれん ④はきけ ⑤口から泡を吹く ⑥目や鼻から水が出る ⑦めまい ⑧目がかすむ ⑨目元がただれる ⑩目の瞳孔が小さくなる

これらの症状はサリンのような神経ガスの影響だとされている。シリア内戦で、最近サリンが使われるようになった。

          《西グータのムアダミヤ》

ムアダミヤのラウダ・モスクの近くの共同住宅にロケット弾が落ちた。その直後現場に到着した人が人権監視団に語った。

「午前5時ごろ、私たちがモスクにいた時、ロケットの着弾音がした。我々は音がしたほうへ駆け付けた。それはモスクから400mほど離れた場所だった。我々は普通の爆弾だと思っていたが、現場に近づくと誰かが「毒ガスだ! 毒ガスだ! 」と叫んでいた。ロケットは4階建ての建物の2階に落ちていた。全員が寝ている間に死んだ。建物の破壊は小さく、壁に穴を開けただけだった。毒ガスだ、という叫びを聞いたので、人々は水につけたシャツで顔をおおった。空気は何のにおいもなかったが、人々は気絶し始めた。私は濡れたシャツで顔を覆い、倒れた人々を医療センターへ運んだ。ガス弾が着弾した建物の中へ入るのは危険だと私は思った」。

5日後国連の調査団がその場所に来てロケットの残骸を調査した。証言者は、5日後も現場はそのままであり、ロケットの残骸は同一であったと語った。

もう一人の証言者はムアダミヤの報道センターで仕事をしている人物で、彼は次のように語った。

「ムアダミヤの2か所に7発のロケットが着弾した。ラウダ・モスクの隣に4発、同モスクから東へ500m離れたところ(Qahweh 通りとZeytouneh通りの間)に3発である。7発のロケットはすべて同型だった」。

 

人権監視団はラウダ・モスクの隣の道路に落ちたロケットの映像を見て、それがソ連製の140㎜ロケットだとわかった。M-14地対地ロケットと呼ばれるものである。ロケットの最後尾に10個のノズルと電気接触盤がある。これはソ連製の140㎜ロケットの特徴である。ロケットの表面に製造工場を示す数字が記されている。179という数字により、ノボシビルスクの工場であるとわかる。ソ連時代ここは、砲とロケットの最大規模の工場であり、140㎜ロケットもここで生産されていた。

現場に残っていたのはエンジン部分(推進部)であり、弾頭部分は残っていなかった。

シリア政府が140㎜ロケットを所有していたことが記録に残っている。140㎜ロケットの発射機として用いられるのは、1950年代に開発されたBM-14である。1967-1969年に、ソ連は200機のBM-14をシリアに引き渡した。同時に140㎜ロケットを含む大量のロケットを引き渡したと推測される。以上は、武器の流れを追跡しているストックホルム国際平和研究所(SPRI)の資料で確認できる。

140㎜ロケットの弾頭は3種類ある。

   ①Mー14ーOF   破壊力の大きい爆発物質

   ②Mー14ーD        煙を含む白燐(リン)

   ③2.2キログラムのサリンを含む化学弾頭

8月21日ムアダミヤを攻撃したロケットの弾頭については、

   ①爆発の仕方についての証言

   ②弾頭部分が残っていない

   ③被害者の症状

などから、爆発弾や燃焼弾ではなく、化学弾であると推定できる。

 

140㎜ロケットの射程距離は3.8km以上、9.8km以内である。ムアダミヤの2人の証言者によれば、ロケットはマッゼ軍事空港と第4機甲師団基地の方角から来た。前者は着弾地点から4km離れており、後者は5-7㎞の距離にある。攻撃された場所はいずれの基地からも射程内にある。それ以外にもいくつかの政府軍基地、訓練所、対空ミサイル基地などが射程範囲内にある。

人権監視団はこれまでに政府軍が使用してきた武器の種類を記録している。

①住宅地への240㎜迫撃砲 ②対人地雷 ③6種類以上のクラスター爆弾 ④市民に対し燃焼弾 ⑤弾道ミサイルによる無差別殺戮

8月21日に使われた140㎜ロケットは、これまで記録されておらず、この日新しく登場したものである。人権監視団は反政府軍が140㎜ロケットやそれの発射機を所有しているという情報を得ていない。

===================(人権監視団終了)

ムアダミヤに打ち込まれた140㎜ロケットの種類が特定されていることは、犯人を特定する手がかりとなる。シリア政府がこれを所有していたようである。しかしそれは45年も昔の話である。シリアは化学兵器の開発を重視しており、化学兵器用のロケットも更新している。シリア軍が犯人であるとすれば、大量にある現役のサリン用ロケットを使わずに、すでに退役した古いロケットを使ったことになる。

各国の軍事装備を記録するグローバル・セキュリティのシリアの項目に記録されているのは、新型のBM-21であり、シリアはこれを300台所有している。BM-14は保有していないことになっている。そもそも持っていないのか、新型のBM-21に取って代られたので、記録からはずしたのか、わからない。ウイキペディア(日本版)を読むと、BM-14 が旧式なロケットであることがわかる。BM-14は140㎜ロケットの発射機である。 

 

 

==========《BM-14》===========

  

BM-14は、BM-8/BM-13 カチューシャの代替として使用されていたが、ソ連軍では1963年以降は順次新型の122mm口径BM-21に更新されて退役した。

BM-14はキューバやアルジェリアなどが装備し、1993年からのアルジェリア内戦で使用されている。現在でも世界中のゲリラ組織がBM-21と共に使用しており、レバノンのヒズボラやアフガニスタンのタリバン、イラクの武装組織などが使用している模様。

=================(ウイキペディア終了)

BM-14は古い兵器であるが、非正規軍の間では現在も使われている。イラクの武装組織がBM-14を使用している、とあるので、ヌスラやイラク・イスラム国がBM-14を所有していたことになる。

 

イラクの武装組織の中にはシーア派民兵もあり、彼らはアサドのために戦っている。2013年の時点で彼らは人数が少なく、彼らがBM-14を所有しいた可能性は低い。

 

ヒズボラがBM-14を所有している意味は大きい。ヒズボラはアサドの重要な同盟軍である。

 

反政府軍がBM-14を手に入れた可能性は他にもある。

 

①アルジェリアのBM-14がフランスの仲介により、反政府軍に渡った。

 

②タリバンのBM-14がサウジアラビアの仲介により反政府軍に渡った。

 

現在BM-14は非正規軍の間で広く使われており、反政府軍が使った可能性がある。シリア軍が倉庫に眠っていたBM-14を使ったとは限らない。

 

 

 

ソ連ではBM-15は1963年に退役したと考えられている。しかしロシアは現在もBM-15を保有している、という情報もある。Igor Stuaginによれば、実際にロシアはBM-15を公開しているという。

 

シリア軍は倉庫に眠っていたBM-14を取り出して使ったのかもしれない。しかし現在BM-14は非正規軍の間で広く使われており、反政府軍が使った可能性もある。アサドの同盟軍であるヒズボラの可能性もある。 

 

ストックホルム国際平和研究所(SPRI)の資料には、

19671969年に、ソ連は200機のBM-14をシリアに引き渡した」と書かれている。

 しかし、ロシアはこれを否定している、という。

 インディペンド紙によれば、「ロシアはBM-14をシリアに渡していない」。

 =====《Gas missiles 'were not sold to Syria' 》====       

         The Independent 921日 2013

 821日のグータの事件について、ロシアが所有する新しい証拠が出回っている。その中には、攻撃に使用されたロケットの輸出についての情報が含まれる。ソ連は1967年製のロケットをアラブ諸国に売却した。イエメン、エジプト、リビアである。ロシアはこの種類のロケットをシリアには売却していない。

 これについて、ロシアは文書によって説明していない。

 グータの事件について、プーチンは重要な発言をしている。『サリン攻撃をしたのはアサド軍でない、とオバマは知っている』。しかしプーチンはそれ以上詳しく話さない。

 

====================(インディペンド終了)

 

 

人権監視団の記事について、もう一点説明したい。

 

2番目の証言者によれば、着弾したロケットは7個である。「モスクの隣に4個、東へ500m離れた所に3個」とある。

1番目の証言者は爆発音を聞いて、すぐに爆発地点へ向かった。彼は「そこはモスクから400m離れたところだった」と語っている。モスクにいた彼は、モスクの隣に落ちた4発について何も語っていない。

140㎜ロケットは小型である。弾頭の大部分はサリンであり、火薬は少なく、爆発音は小さい。400m離れたところに落ちた場合、爆発音が聞こえるだろうか。

           〈国連の報告〉

ムアダミヤの報道センターの報告者は7個のロケットが着弾したと述べている。モスクの隣に4個、東へ500m離れた所に3個」としている。

国連のチームが調査したのは2個だけである。その報告書からは、調査した場所がどこかわからない。「共同住宅の2階に衝突した」とあるので、モスクの隣ではなく、モスクから400-500離れた場所のようである。上記人権監視団の記事の中で、1番目の証言者が「ロケットは4階建ての建物の2階に落ちていた」と述べている。「その場所を国連が調査した」とも述べている。国連が調べたもう一個は「そこから65メートル離れた場所」である。

国連は「モスクの隣に4個」については調べていない。「モスクの隣の4個」は根拠がないように思えるが、「ラウダ通りが最も被害が多かった」という証言もある。モスクの名前はラウダ・モスクである。モスクから東へ500m離れた場所はQahweh 通りとZeytouneh通りの間である。

国連の報告の中から、ムアダダミヤに落ちたロケットに関する部分を抜粋する。

======《ムアダミヤの事実》===========

 Report  of the United Nations Missionto Investigate Allegation of the Use of Chemical Weapons in Syria

調査チームは共同住宅の裏庭の着弾地点を調べた。住民の話によれば、8月21日この建物の周辺が攻撃され、毒物の影響により人々が死亡または負傷した。その場所で、裏庭には石のタイルが敷かれており、その一部に衝突による小さなくぼみがあった。くぼみの周辺には土、石のかけら、金属片が散らばっていた。さらに興味深いことに、くぼみを引き起こしたと考えられるロケットのエンジン部分が残っていた。エンジンの先端には土と石のかけらが付着しており、それらはくぼみの周辺に散らばっている物と同一である。くぼみとその周辺には爆発の影響がなく、弾頭は別の場所で爆発し、エンジン部分だけここに落ちたのである。くぼみの近くにある、格子状の垣根が破損しており、ロケットは最初東側の共同住宅の2階に衝突し、弾頭が爆発した。エンジン部分だけが垣根を突き破り、裏庭に落ちた。

調査チームはこれらの場所からサンプルを取り、毒ガス検知器(LCD3.3)で計ったが、計測値はゼロだった。

チームはこれらの場所の写真を撮り、調査の過程をビデオに取った。

目撃者たちと話し合ったうえで、東側の共同住宅の調査に向かい、ロケットの最初の衝突による石造の建物の破片とそれより小さな金属片を発見した。ロケットのまとまった残骸はなかった。建物の内部と外の地面からサンプルを採取した。

この共同住宅の住居者が毒ガスのため死んだり、負傷したということである。

    <発見されたエンジンの特徴〉

色 :明るい灰色

文字①外側に黒文字で97-179 

      ②円形の底部の刻印    

サイズ 長さ 630Mm  太さ 140mm

エンジンの底部には10個のノズルが並んでおり、中心に電気接触盤がある。

      

    〈予想される弾道〉

エンジンの特徴から判断すると、これはM-14ロケットの一種である。弾頭は残っていないので、ロケット本来の弾頭であったか、独自に作成したものを取り付けたか、わからない。

発射されたロケットは共同住宅の2階に衝突し、エンジン部分だけが生け垣を貫き、裏庭に着地し、石畳に浅いくぼみをつくった。生垣と窪みを結ぶ線は35度である。発射されたロケットの弾道の方位角はその逆であるから、215度である。

65メートル離れた所に場所に着弾したもう一つのロケットの方位角も215度である。この2発は同一の連弾発射機から発射されたと考えられる。

         〈調査の限界〉

2か所を調査し、サンプルを取る時間が限られていた。調査の前にも調査中にも、この場所は人の出入りがあった。破片や他の証拠が変更されたり、他所から持ち込まれたことは明らかである。

==================(国連の報告終了)                                                                

 ロケットの射程距離と飛来した方向から、政府軍の支配地で発射された可能性が極めて高い。これは決定的な証拠に近い。ただし、北方と北東は政府軍の支配地であるが、東北東と東方は反政府軍の支配地である。ロケットの射程距離を示した地図を見れば、マッゼ軍事空港の東側一体が反政府軍の支配地であることがわかる。射程範囲を示す赤字に黒斜線のため、見えにくいが注意しして見るとわかる。北東と東北東の違いはわずかである。

 方位角215度を調べたら、南西と南南西の中間である。ロケットは発射地点からこの方角に飛んだ、ということらしい。 着弾地点から発射地点を見た方位は北東と北北東の中間となり、間違いなく政府軍支配地である。

方位角215度が正しければ、ロケットは政府軍の支配地から発射されたことになる。

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2013ダマスカスのサリン攻撃 米国とサウジの陰謀2

2017-06-09 23:56:26 | シリア内戦

 

            リワ・イスラムの指導者ザフラン・アルーシュ

 

      

 

リワ・イスラムはダマスカスの反政府軍の中で、ヌスラ戦線と並ぶ有力集団である。リワ・イスラムはダマスカスを含む南部戦線で中心的な存在である。リワ・イスラムの指導者ザフラン・アルーシュは反政府軍屈指の戦闘指揮官であり、ヌスラ戦線の指導者ハンマド・ジャウラーニーと並び称される。

 

  

   

ヌスラ戦線のジャウラーニーの指導力の根底にあるのが狂信性であるのに対し、アルーシュは戦闘経験を積んだ優秀な指揮官である。

アルーシュはダマスカス近郊のドゥーマに生まれ、内戦が始まるとダマカスの東部近郊を支配下に置いた。2013821日彼の支配地東グータにサリン攻撃がなされた。

 

 

アルーシュの父はイスラム教の学者であり、ダマスカスのアサド・コーラン研究センターの理事長を務めた。

アルーシュ自身はダマスカス大学法学部を卒業後、メディナのイスラム大学でイスラム法学の博士の学位を取得した。

201512月ロシアの空爆により、アルーシュは内戦の結末を見ることなく死亡した。

        

 

20138月のダマスカスのサリン事件の首謀者はアルーシュであるという説があり、前回紹介したNSNBCの記事はその一つである。自分の支配地にサリン弾を撃ったことになり、あり得ない話に見えるが、微妙な戦略上の駆け引きがあり、簡単には否定できない。

アルーシュがサリンを有していたことは間違いなく、彼はサリン事件の容疑者である。国際メディアにおいては、アサドの化学兵器部隊が第一の容疑者であるが、これには有力な反論があり、簡単には結論がでない。

以下は前回紹介したNSNBCの記事の後半である。

 

=========================

化学兵器の使用を決断したのは、リワ・イスラムの指導者ザフラン・アルーシュであるが、実は早い時期にサウジと米国の連絡将校がこれを決定していたこのである。化学兵器が使用されるなら、米・英・仏がシリアを攻撃する可能性があり、敗北している反政府軍に奇跡的な逆転をもたらす。

ロシアとシリアの情報関係者によれば、リワ・イスラムは通常の火薬弾ロケットを改造し、サリンを注入できるようにした。そしてそれをトラックの荷台から発射した。

 

   《有名な電話傍受は嘘》

8月のダマスカスの事件について、サウジと米国の関与を示唆する多数の証拠がある。この事件で利益を得るの彼らであり、軍事干渉の口実を手に入れた。彼らは自らの犯罪を隠すため、偽情報を流した。

米国は電話の傍受内容と称するものを発表した。

「政府軍の化学兵器部隊の司令官が国防省に電話し、化学兵器の使用を報告した。国防省の高官は明らかに動揺したようだ。運悪く、国連の調査チームがダマスカスに滞在していた。彼らは数か月前アレッポで起きた化学兵器事件の調査を終了し、帰ろうとしていた。国連に発見されることを恐れ、国防省の高官は化学兵器部隊をすぐに撤収するように、と述べた」。

以上が傍受内容であるが、これは偽情報であり、そのような事実はない。ドイツの情報機関はシリア軍の将校と軍首脳の会話を傍受していたが、化学兵器に関する会話は一切なかった、としている。

国際的な反響が大きく、自分たちにとって戦略的に不利益なことを、シリア政府と軍が敢えてするだろうか。

オバマ大統領が変心したため、米国の主戦派・サウジ・イスラエルは目的を実現できなかったが、シリアに化学兵器の放棄を約束させることに成功した。履行しなかった場合、シリアは安全保障理事会の制裁を受けることになる。

これとは別に、安保理は「シリア国民保護の義務」を決議し、シリア国内での国連の活動を要求した。これは人道的理由のもとに、シリアの国家主権を制限するものである。シリアの国内難民を保護する国連の活動は、反政府軍にとって有利となる。

 

     《ザフラン・アルーシュ》

821日ダマスカス近郊でサリン事件を起こしたのはリワ・イスラムであるが、事件の背後にはサウジ情報相のバンダル王子がいる。

リワ・イスラムの化学兵器部隊の指揮官ザフラン・アルーシュは1980年代、当時のサウジ情報相のトゥルキ王子の下でアフガニスタンとイエメンで活動していた。1990年代になると、アルーシュはシリアでワッハーブ主義テロリストのネットワークに参加し、シリアの情報機関に逮捕された。20113月末、アサド大統領が政治犯を釈放した時、彼はその一人だった。獄から出るとすぐに、彼はサウジの情報機関から巨額の資金と武器を与えられた。そのおかげで彼はリワ・イスラムを結成することができた。したがってリワ・イスラムはサウジ内務省の管理下にある傭兵部隊である。

重要人物の暗殺と大規模爆破を得意とするオマル旅団も、サウジアラビアの傭兵である。

 

     《リワ・イスラム、大事件を起こす》 

リワ・イスラムは201278日の爆破事件で一躍有名になった。この日ダマスカスにある国家安全保障会議の本部が爆破され、シリアの安全保障の中枢メンバー数人が死亡した。

①大統領の義理の兄弟である副国防相アッサフ・シャウカト

②ダウード・ラジハ国防相

③ハッサン・トゥルクマニ前国防相。死亡時、彼はシャラア副大統領の軍事顧問を務めていた。

この時期政権は地方の大部分の統制を失っており、政権の中心部を攻撃されたことは、政権崩壊の始まりと見えた。

 

   《カタールの時代からサウジの時代へ》

2012年夏前に、主にカタールが支援するムスリム同胞団と自由シリア軍が敗北した。7月と8月リビア人によって補強されたが、カタールの影響力は低下した。これに代わり、米・サウジ枢軸が強化された。一新された命令系統に不満なカタール派旅団は別のグループを形成したが、先細りとなり、彼らの時代は終わった。サウジ系のワッハーブ主義グループが優勢となり、ますます多くのワッハーブ主義者がシリアに流入した。この流れの中でリワ・イスラムは主導的な役割を果たした。現在ヌスラ戦線とリワ・イスラムが最も戦闘的なグループである。両者は米国とサウジアラビアから武器を供給されている。

自由シリア軍は2013年半ば少数勢力に転落した。強力なイスラム主義グループが支配地拡大広をめぐり互いに争う状況となり、多くの愛国的な自由シリア軍の指揮官たちはアサド政権と同盟するようになった。政権はこうした流れを奨励し、指揮官たちに名誉ある待遇を提供した。

反政府軍は事実上アルカイダ系のみとなったのであり、自由シリア軍に内実はなく、「穏健な反政府軍を支援する」という米国の建前のためにだけ存在しいた。カタール、リビアのムスリム同胞団とトルコによって支援された自由シリア軍の時代は終わったのである。

 

   《査察団はアレッポの事件の調査に来ていた》

  

 

821日ダマスカスのグータ地区でサリン事件が起きた時、偶然国連の調査チームがダマスカスに来ていた。5か月前アレッポ近郊で化学兵器が使用され、政府軍兵士と住民が死亡した。シリア政府は国連に調査を要請したが、国連はすぐに応じようとせず、ロシアの圧力により、また反政府軍が大量の化学兵器を保管していたことが判明し、ようやく要請に応じたのである。バニアスのテロリストが281バレル(たる、またはドラム缶)の化学物質を保管していたことについて、ジャファリ国連大使は次のように述べた。

「昨日シリアの治安部隊はバニアスで、281個のたるに入った極めて危険な化学物質を発見した。国家を全滅させるほどの量ではないが、都市を全滅させることができる量である」。

国連の査察団は818日ダマスカスに到着した。821日調査を開始する予定だった。その日、グータで化学攻撃が行われた。査察団は急きょこの事件を調査することにした。査察団が準備を終え、東グータに向かおうとした時、正体不明のスナイパーが国連の車を銃撃した。国連の専門チームの安全のために、アルーシュとリワ・イスラムが警護を申し出た。そしてアルーシュはザマルカを拠点とするリワ・バラアに査察団の警護を任せた。こうして東グータを調査する査察官は犯罪者の管理下で、犯罪の捜査することになった。

有名な化学兵器の専門家アッバス・ファルーサン(Abbas Forouthan)は国連の調査報告を痛烈に批判した。

「全体的にこの報告は医学的に疑問点が多く、国際的な医師団による再調査が必要である。医学的な観点からは、この報告に示されている証拠は、サリンの存在を証明するのに不十分である」。

被害者の救助を行った者たちが被害を受けていないので、サリンの毒性が弱く、これは手作りのサリンである、とロシアの専門家などは考えている。アルカイダ系反政府軍が所有する手作りのサリンがシリアとトルコで発見されている。

化学兵器が使用されたことに、多くのシリア国民が衝撃を受けている。反対派の人々もショックを受けている。

様々な政治的立場の人たちがロシアの外交官に情報をもたらした。

 

    《米軍のシリア攻撃は決定されていた》

  

 

グータのサリン事件が起きたのは821日であるが、同じ月の2日、サウジのバンダル王子がモスクワでプーチン大統領と会談した。アサド大統領の処遇が話題の中心だった。アサドを失脚すさせることにプーチンが協力するなら、サウジはロシアの武器を買うと、バンダルは持ちかけた。ロシアのガスの権益を保障するとも述べた。アサドに代わってサウジの代理人(イスラム主義者)を政権に就けることを、バンダルは提案した。シリアにおけるロシアの権益については心配しなくてもよい、と彼は約束した。シリアの体制転換にロシアの協力を求めながら、バンダルはプーチンを露骨に脅した。

「来年ソチの冬季オリンピックの際にテロが起きないことを保障する。冬季オリンピックを脅かすチェチェン・グループは我々の支配下にある。彼らは我々の同意無しにシリアに入ることはない。イスラム主義グループは我々にとって脅威ではない。シリアの政権を倒すために彼らを使っているが、彼らはシリアの政治的将来において役割はなく、影響力もない」。

プーチンは答えた。

「サウジが10年前からチェチェン・テログループを支援していることは、知っている。あなたの提案は国際テロと戦う共通の目的に反している」。

バンダルはシリアについて話を続け、アサドが政権に留まることを、サウジは認めないと述べた。

これに対し、プーチンが言った。

「野蛮なテロリストがシリアの将来を決めるべきでなく、それするに適しているのはシリア国民だ」。

アルカダの司令官が殺害した政府軍兵士の肝臓を食べたことに、プーチンはあきれている。

バンダルは再びプーチンをおどし、ロシアがアサドの追放に同意しないなら、米軍の攻撃は避けられないと述べた。「シリアの混乱は軍事的に解決するしかない」。最後にバンダルは捨て台詞を述べた。「もうすぐ米国が軍事介入することになる」。

グータの事件が起きる20日前、米国の軍事介入は決定されていた。米国の軍事介入が決定されていたことは、その口実となる化学兵器事件も準備されていた可能性が高い。サウジの情報相であるバンダルは米国のブレナンCIA長官と密接な関係にあり、この2人がグータ事件とそれに続く米軍によるシリア攻撃を共謀したようだ。両者はグータの事件の第一の容疑者であり、国際刑事裁判所による調査が必要である。

ロシアがアサド辞任を受けなければ、米国は軍事介入をする、というおどしと最後通牒について、バンダルは「この提案は米ホワイトハウスの最上部の承認を得ている」と主張した。

「私はロシアに来る前に、ロシアとの交渉内容について

オバマ政権の最上部と調整した。サウジとロシアの間で決定された事項について、特にシリアについて、米国は責任を持って実行する、と彼らは約束した」。

 

オバマ政権がシリア攻撃を決定していたことは確実である。718日デンプシー統合参謀本部議長が上院で次のように証言した。「わが政府はシリアへの軍事介入を真剣に考えており、その方法を探っている。地上軍を派遣するか、海と空からの攻撃にとどめるか。現在こうした問題が担当部門で検討されている」。

    

 

軍事介入時期が決まっていながら、介入にふさわしい事件が偶然起きるのを待っているはずがなく、化学兵器事件も同時に計画されていたに違いない。

すでに述べたように、マフラク(ヨルダン北部)の米特殊部隊は反政府軍に特殊作戦の訓練をしていた。これには獲得した化学兵器の管理方法も含まれていた。

パレスチナ人の情報員がNSNBCに次のように語った。「私の情報源の話によると、米国の特殊部隊は化学兵器の使用法を反政府軍に教えている」。

新しく武器を供給されたにもかかわらず、ダマスカス周辺の反政府軍はジョバルで決定的に敗北した。その直後に化学兵器が使用された。

サウジのバンダル情報相と米国のブレナンCIA長官は化学兵器が使用されることを知っていたに違いない。

===========================-(NSNBC終了)

 

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