2012年7月23日シリア外務省報道官が「シリアの化学兵器は外国の軍事干渉に対する対抗手段である」と発言した。国内の武装反乱について、シリア政府は常々武器を持つ者は外国のテロリストだと言っており、反政府軍は自分たちに化学兵器が向けられるのではないか、と恐れた。反政府軍を支援している隣国も警戒感を強めた。これが最初の化学兵器危機となった。
1週刊後、ドイツの英字紙シュピーゲルが、シリアの化学兵器について書いている。
=====《シリアの化学兵器は戦争の引き金に》=====
Fate of Syrian Chemical Weapons May Trigger War
Spiegel 2012年7月31日
〈シリアの巨大な化学兵器施設〉
米国とその同盟国はアサド政権崩壊後の混乱に備えており、ミサイル、毒ガス、近代兵器を確保する準備をしている。
今年(2012年)5月、米国の指導のもとに19の国から12000人の兵士がヨルダンに集結し、共同作戦のための訓練をした。政権崩壊後の無政府状態を考えると、この人数は明らかに足りない。ペンタゴン(米統合参謀本部)の内部研究によると、化学兵器貯蔵設の確保には7万5千人の兵士が必要である。
シリアの化学兵器貯蔵施設は最も厳重に守られた場所にある。施設の門に至る道路の数キロメートル手前に、シリア軍の検問所がある。貯蔵施設には二重の鉄柵が張り巡らされ、守備兵が立っている。
これらの貯蔵施設を守備する部隊はアサド大統領に最も忠実な将兵で構成されている。貯蔵施設はダマスカスの北東、ホムス付近、ハマ付近にある。ハマ付近の貯蔵施設では、VXガス、タブン、サリンが製造されていると言われる。
これらの貯蔵施設以外にも、化学弾頭用のスカッドミサイルとその発射台を備えた施設がある。その最大の施設はマシャフ(ハマの南西)とサフィラ(アレッポの南東)にある。
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〈マシャフ〉
マシャフはハマの西方にあり、オロンテス川の谷間にある。ここには古い城塞がある。この城塞はかつてハマと海岸部との通商路を守る役目を果たした。
城塞の土台と下部はビザンチン時代に造られ、その後ニザール派(イスラム教)、マムルーク、オスマン・トルコが増築した。マムルークはエジプトの王朝で、コーカサス人やトルコ人傭兵がエジプトの支配者となったものである。サラディンが創始したアイユーブ朝は80年で終わった。(1171年-1250年)。これに代わったマムルーク朝は260年続いた。(1250年 - 1517年)
イスラム時代マシャフを支配していたのはスンニ派アラブ人だったが、1141年ニザール派がこれに取って代った。
ニザール派は暗殺教団として知られ、恐れられた。彼らの別名アサッシンは西洋語で暗殺者を意味するようになった。
1176年サラディンが城を包囲したが長く続かなかった。13世紀末までマシャフはニザール派の首都だった。
1260年モンゴルが城を包囲した時、ニザール派はマムルークと同盟し、モンゴルをシリアから追い払った。しかし10年後(1270年)、マムルークがマシャフ城塞を占領し、マシャフのニザール派は消滅に向かった。ニザール派の滅亡後、アラウィ派がマシャフに勢力を伸ばした。
マムルークはモンゴルをシリアから追い払っただけでなく、十字軍の難攻不落の要塞(クラック・デ・シュヴァリエ)を陥落させた。(1271年)
クラック・デ・シュヴァリエはホムス県の北西にある。
〈サフィラ〉
サフィラは2013年2月ヌスラによって占領され、住民の多くが町を去った。ヌスラの支配は化学兵器施設には及ばなかった。2か月後シリア軍は町の支配を回復した。2013年以後、アレッポは反政府軍に包囲され孤立したが、サフィラは健在だったため、アレッポ市西半分への輸送が可能だった。政権がアレッポを完全に失うことなく、アレッポ市西半分を維持する上で、サフィラは重要な役割を果たした。
シューピーゲルの記事に戻る。シリアはソ連・ロシアの技術によって化学兵器の製造が可能になったこと、イスラエルにとってシリアの化学兵器が脅威であることなどが書かれている。
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Fate of Syrian Chemical Weapons May Trigger War
軍事情報誌ジェーンによると、シリアの化学兵器貯蔵施設のほとんどがイランの技術者の指導を受けた。これらの施設を運営しているのはシリアの科学研究所であり、一万人が働いている。シリアが保有する化学兵器の量については様々な報告があるが、ドイツ政府は約千トンとしている。
アレッポの南東20kmの谷間にあるサフィラの複合施設は最大であり、最重要である。5000平方kmの敷地に3つの製造プラントがある。スプリンクラー、冷却システム、地下に2つの巨大なタンクがあり、サフィラの複合施設は他の軍施設と異なっている。敷地の北東と北西の隅にはロシア製の対空ミサイルが据え付けられており、外国の空爆に備えている。2008年の衛星写真には、レーダーと発射台が映っている。
〈シリアとロシアの結びつき〉
シリアは1980年代に化学兵器を造り始めたようだ。動機はイスラエルとの戦争に備えるためだった。シリアはイスラエルによって占領されたゴラン高原の奪回を望んでいたが、イスラエルと戦争をする考えはなく、化学兵器は抑止のためだった。
初期の化学兵器は航空機から投下するサリン爆弾だった。その後スカッド・ミサイルの弾頭に毒ガスを入れる方法を開発した。現在シリアは700発の化学弾を所有すると考えられている。イスラエルの情報機関によれば、シリアの化学兵器に関する技術はソ連とチェコスロバキアからもたらされた。しかし日本とヨーロパの私企業もシリアを助けた。
1990年代シリアは化学兵器最も毒性の強いVXガスを造るのに成功したと言われる。ロシアの将軍アナトリー・クンツェビッチがこれに関わった。彼はエリツィン大統領の補佐官で、化学兵器の処分を担当していた。1960年代以来シリアはロシアの親密な同盟国だった。ソ連は中東の衛星国に260億ドル相当の武器援助をした。戦闘機、戦車、スカッド・ミサイルなどだった。ロシアはシリアに化学兵器を与えたことをかたくなに否定している。
ロシア国防相諮問会議の議長であり、「国防」という雑誌の編集長イゴール・コロチェンコが述べた。
「ソ連は外国に大量破壊を渡したことはない。化学兵器も同様だ」。
しかしこれは事実に反する。シリア でバース党政権が誕生して間もない1963年、ソ連はシリアのバース党に本格的な教育を開始した。5万人の生徒がソ連の様々な大学で学んだ。その中の9500人は軍事大学で学んだ。1990年代になってもロシアは情報将校をゴラン高原とシリア北部に配置していた。エリツィンの特使アナトリー・クンツェビッチは何度もシリアに入った。化学兵器の専門家である彼は、ハフェズ・アサド政権の主要なメンバーと信頼関係を築き、巨額の資金を受け取ったと言われている。その代償に、クンツェビッチはVXガスの製造方法を詳細に教えた。
シリアは化学兵器の製造を望んでおり、クンツェビッチは800リットルの化学物質をシリアに送った。
〈クンツェビッチの不審な死〉
シリアが化学兵器を手に入れると、イスラエルは怒り狂った。2002年4月3日クンツェビッチはダマスカスからモスクワへ向かう飛行機の中で死んだ。彼はレーニン賞を受賞した人間であり、エリツィンの補佐官を務め、この時はゼリンスキー有機化学研究所の職員であった。彼が死んだ時の状況は謎めいている。モスクワ西部にあるトロイエクロフスコエ墓地の墓石には、彼が3月29日に死んだと書かれている。報道では4月3日飛行機の中で死んだことになっている。
もう一人、ロシアの海外軍事情報部(GRU)の副部長ユーリー・イワノフも2010年の夏の終わり、謎の死を遂げた。
彼は溺死した。イスラエルの情報機関モサドが2人の死に関わっていると言われている。
クンツェビッチの最後の数年に関するCIAの極秘資料には、シリアが大量の化学兵器を製造したと書かれている。
2007年7月、サフィラの化学兵器施設で起きたことも謎めいている。サフィラの複合施設は、シリア人と北朝鮮人が共同で建設した。7月25日毒ガスの成分の生産ラインで爆発が起きた。生産ラインのパイプが爆発し、工場全体が炎に包まれた。爆発の威力が大きく、ドアが吹き飛んだ。その結果工場のガスが外にもれ、施設全体に広がった。シリア人15人とイラン人技術者10人が死亡した。
アサド大統領が任命した調査チームは、サフィラの化学兵器工場の事故は破壊活動によるものだと結論した。
後にイスラエルの首相は皮肉を言った。「サフィラの事故は喜ばしい出来事だ」。イスラエルはシリアの化学兵器製造の実態を把握しているようだった。2010年サフィラを出た輸送トラックの車列が国境を超えレバノンに入るのを、イスラエルのスパイが発見した。この時イスラエルは我慢の限界を超えた。トラックの積み荷はスカッド・ミサイルの部品であり、レバノンのヒズボラが受取人だと、イスラエルは考えた。この車列を空爆すべきだ、ネタニヤフ首相は進言された。首相はこの進言に従わず、この情報を米国に伝えた。2010年3月1日米国駐在のシリア大使が米国務省から呼び出され、はっきりと言われた。
「戦争を避けたいのなら、ヒズボラに武器を送らないほうがよい」。
現在(2012年7月末)、ヒズボラが既に非通常兵器を持っているなら、絶対にそれを手放さないだろう。アサド政権が揺らげば、ヒズボラはシリアから補給線が切断されるかもしれない。これは彼らにとって死活問題である。そうなった場合、非通常兵器は最後の拠り所となる。もしヒズボラが現在非通常兵器を所有していないなら、アサド政権が倒れる時、彼らはイランの革命防衛隊と協力し、シリアの化学兵器をレバノンに運ぶだろう。その結果イスラエルとの戦争になるだろう。
====================(シュピーゲル終了)