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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

10人委員の2人が自殺、残りは亡命

2022-06-29 09:17:37 | 世界史

 【55章】

暫定的な全権者の管理のもとで、執政官の選挙がおこなわれた。L・ヴ
ァレリウスと M・ホラティウスが選ばれ、二人はすぐに執政官に就任した。二人は平民派ではあるが、貴族を不当に圧迫しなかった。しかし貴族は新任の執政官を疑っていた。そもそも平民の自由が保障されることは、貴族の権利を侵害することに他ならなかった。平民の決定が貴族を制約するのは、法律的に違反している疑いがあった。執政官はこの問題を解決すことにした。百人隊の総会(兵士会)を招集し、執政官は「平民が部族の集まりで決定したことは、全ての市民に適用される」と決議した。この法律により、護民官は非常に強力な手段を獲得した。次に執政官は10人委員によって否定された権利を復活させ、「上訴の権利」を制定した。この権利は市民の自由を守るために不可欠だった。上訴の権利が再び法律で認められたことにより、単に復活しただけでなく、強化された。また執政官は市民の訴えを無効にできる高官の任命を禁じた。(これまで民会において市民の救済が決定されても、独裁官はこれを無視できた)。
例外的な権限を有する高官を任命した者は法律に従い死刑となる。またこのような人間を殺しても罪にならない。執政官が上訴の権利と護民官による市民の保護を保障したので、平民の地位は十分に強固になった。護民官の不可侵性を定める法律は古くなり、忘れかけていたので、執政官はこれをよみがえらせることにした。ずっと昔の神聖な儀式を利用して、護民官の職務を神聖なものとしたうえで、護民官以外の平民を代表する官吏、即ち副護民官と10人判事を含め、彼らに暴力を働いた者はユピテル神へのいけにえとなり、彼の財産は売却され、売却益はケレス(農業の神)の神殿とリべール(自由を称揚する神)の神殿に奉納されると法律に定めた。しかし平民派の法律家によると、平民を代表する下位の官吏はこの法律によって神聖なものとならず、彼らに危害を加えた者は罰せられなかったという。実際に、副護民官が上級の官吏によって逮捕され投獄されても、問題にならなかった。これを禁ずる法律ができたにもかかわらず、誰も副護民官を神聖な役職者と考えなかった。一方で護民官の不可侵性は認められていた。護民官の職務が創設さた時の誓いは忘れらてなかった。神聖であるとされた職務には執政官と法務官も含まれていたと解釈する人もいる。どちらの職も神々に保護されていると考えられたからである。特に執政官は神々の代理人として人を裁いた。しかしこのような考えは誤りである。実際には、裁判官と呼ばれたのは法務官であり、執政官ではない。執政官となったヴァレリウスとホラティウスは次に元老院の決定を副護民官に報告せよと命令した。副護民官は神官ではなかったが、ケレス神殿に事務所を置いていた。これまで執政官が元老院の決定を受け取っていたが、彼らはそれを握り潰したり、勝手に改ざんしたりした。
護民官マルクス・ドゥイッリウスは次の決議を提案をした。「平民から護民官を奪ったり、平民の上訴を受け付けない高官を創設した者は棒でたたかれてから、首をはねられる」。

平民はこれを承認した。貴族はこれらの法律・命令・決議を嫌っていたが、反撃を開始する者が現れなかったので、積極的に反対することはなかった。

【56章】

護民官の権力と平民の自由は確固とした土台を持った。護民官はここまで来れば10人委員を処罰しても大丈夫だと考え、最初にアッピウスを血祭りにすることにし、ヴェルギニウスにアッピウスを告訴させた。裁判の日が決まり、アッピウスが身辺警護の貴族の若者を連れて、中央広場にやって来た。これを見て、集会の出席者は、かつて権力を乱用をしたアッピウスを思い出した。ヴェルギニウスが話し始めた。

「あなたがたはこの男の残虐な統治を武力で終わらせた。疑わしい事件については反論が認められたので、私は彼を告訴する理由を長々と述べない。多くの犯罪を犯した人間が図々しく自分を弁護するのを、私は許さない。アッピウス・クラウディウス!お前はこの二年間、次から次と邪悪で神を恐れな
い犯罪をくり返した。私はそれらの犯罪をいちいち取り上げるつもりはない。とりあえず、一つの犯罪について問題にしたい。それは、お前自身が制定した法律に違反する犯罪だ。お前は自由な人間を奴隷であると判決した。お前が無罪であると証明できない限り、私はお前を投獄する」。
アッピウスは護民官の保護を期待できなかったし、人々の判決にも望みがなかったにもかかわらず、彼は護民官に救済を求めた。しかしヴェルギニウスの判決に抗議する護民官はいなかったので、刑吏がアッピウスを拘束した。すると彼は「上訴する」と言った。つい最近の裁判で市民から自由を奪った男が救済を求めると、人々は一瞬沈黙した。しばらくして彼らはお互いに言った。「結局人間の行為を見ていている神々がいる。傲慢な行為や残酷な行為は必ず罰せられる。時期が遅れることがあるが、必ず厳重に罰せられる。あの男は市民の権利を踏みにじってきたのに、今になって市民に保護を求めている。彼は自由市民を奴隷と判決したのだから、その結果、彼自身が自由を奪われ、投獄されても仕方がない」。 
人々がささやきあっていると、アッピウスが叫んだ。「私はローマ市民として保護を求める」。そして彼は彼の一族が国政と戦場においていかに国家に貢献したか、一つ一つ数え上げた。

「私自身について言えば、平民のために行動しようと考え、全ての市民に平等な法律の制定を決意し、執政官を辞任した。これらの法律は貴族の怒りを買ったが、現在ローマの国法となっている。そしてそれを制定した人間は投獄されようとしている。私の正しい行為と悪い行為については、弁護の機会が与えれれば、審判を受けるつもりだ。判決の前に審問が必要であり、弁護の機会が与えられるべきだ。これはローマ市民に共通の権利である。私は定められた日に出頭し、ローマ市民による裁きを受けるつもりだ」。
アッピウスは市民の同情と公正な判断に期待しており、彼らの反感について心配していなかった。もし弁護の機会も与えられず投獄されそうになったら、彼は再び護民官に救済を求め、「諸君が憎む人間の真似をしてはならない」と警告するつもりだった。

「10人委員が上訴の権利を廃止した時、護民官は我々をを批判したにもかかわらず、今になって護民官が上訴の権利を否定するなら、私はローマ市民に訴える。執政官と護民官によってこの権利は承認されている。上訴しても門前払いされ、民会の判決が下されないなら、上訴の権利は消滅したということだ。私が法律によって保護されないなら、最も貧しい平民をも保護していた法律がもはや存在しないということだ。新しい法律が市民の自由を保障するのか、それとも独裁を認めているのか、私の事件によって明らかになるだろう。高官が下す判決に対し異議を唱え、上訴する権利は死んだ文章に過ぎないのか、それとも現実なのか、わかるだろう」。

【57章】

ヴェルギニウスが答えた。「法律は死文ではない。アッピウス・クラウディウスだけが法律の外にある。彼は市民を結び付ける不文律の外にいる。彼はそもそも人間社会の外にいる。彼が主催した裁判を思い出せば、それは明らかだ。裁判所は任期が終了後も地位に居座る10人委員のたまり場であり、正式な護衛兵の代わりに、取り巻き連中が用心棒となり、斧と棒で無差別に市民を脅した。彼は神を恐れず、人間を見下し、裁判を利用して復讐する。この男は市民の財産を没収し、背中を棒でたたき、命を奪った。強奪と殺人に飽きると、性欲が頭をもたげ、彼は自由民として生まれた娘を衆人環視の中で父親から奪い、手下に渡した。残酷で評判の悪い裁判で、娘は彼の手下が所有する奴隷であると判決した。娘の純潔を守るため、父親は彼女を殺した。娘の婚約者と祖父が死んだ娘を抱き上げた。アッピウスは娘が死んでも悲しまず、犯罪的な裁判が批判されるのを恐れ、娘の婚約者と祖父を投獄した。アッピウスと仲間がこの牢屋を建て、「平民の住居」と呼んだ。彼が審判員にもう一度訴えるなら、私は『アッピウス・クラウディウスは自由身分の娘を奴隷の身分に落とした』と申し立てるつもりだ。もし彼が審判員に訴えないなら、私は彼を罪人として投獄する」。
この決定に誰も反対しなかったが、人々は不安だった。偉大な人物を罰するのは行き過ぎた自由だ、と平民は考えていた。護民官ヴェルギニウスは裁判の結審を延期した。アッピウスの裁判の間にラテン人とヘルニキ族の大使がローマにやってきて、身分間の調和が回復したことに祝いの言葉を述べ、記念に黄金の王冠を善良な最高神ユピテルに捧げた。これらの国家は裕福でなかったので、王冠は小さかったが、宗教の儀式は献身的におこなわれ、豪華さは不要だった。また大使たちはアエクイとヴォルスキに関する情報をもたらした。「彼らは全力で戦争の準備をしている」。
執政官はそれぞれの部隊をを準備せよ、と命令した。ホラティウスはサビーニとの戦争を受け持ち、ヴァレリウスがアエクイに対処することになった。二人の執政官は徴兵を宣言した。兵役の義務のない市民も徴兵に応じ、順調に兵士が集まった。戦争経験があって志願した市民が、最も多かった。編成された部隊は人数が多いだけでなく、戦いに慣れた兵が隊列の中心となり、強い部隊となった。彼らが出発する前に、10人委員が制定した「12表法」がしんちゅうの版に刻まれ、市内に掲げられた。数人の著者が「この仕事をしたのは副護民官である」と書いている。

【58章】

カイウス・クラウディウスは10人委員の犯罪を憎み、自分の甥の専制政治に対し誰よりも怒り、レギッルムにある先祖伝来の屋敷に引退してしまった。彼は老齢だったが、隠居の原因となった甥に迫る危険を消滅させるためにローマに戻ってきた。喪服を着たカイウス・クラウディウスは一族の者と取り巻きの連中を引き連れて中央広場にやって来て、市民ひとり一人に話しかけ、頼んだ。

「クラウディウス家に消えない汚点をつけないでほしい。アッピウスを拘束したり、投獄したりしないでくれ。彼は我々の法律を作成し、ローマの法制度の基礎を築いた。将来名誉を与えられるはずの人間が、両手を縛られ、泥棒や強盗と一緒に獄に横たわるなど、あってはならない。怒りの激情を一瞬抑え、冷静に善悪を検証し、よく考えてほしい。クラウディウス家の多くの人間の仲裁を受け入れ、アッピウスを許してほしい。クラウディウス家の一人を憎むあまり、一族の多くの人間の願いを無視しないでほしい。以上述べたように、私は一族の名誉を弁護したが、アッピウスについては許すつもりがない。それでも、彼を苦境から救いたい。勇気によって皆さんは自由を獲得した。寛大な心によって、身分間の調和は揺るぎないものになるろう」。


カイウス・クラウディウスの話を聞いて感動した者もいた。しかしそれは、彼の甥に対する愛情のためであり、叔父の弁護によっても、甥アッピウスに対する評価は変わらなかった。一方ヴェルギニウスは涙を流しながら、「私とと娘に対する同情を失わないでほしい」と市民に訴えた。「平民に対する支配者だったクラウディウス家の願いを聞かないでほしい。3人の護民官の話を聞いてほしい。彼らは私の娘の縁者であり、護民官に選ばれてから、平民を守る努力をしている」。
人々はヴェルギニウスの主張のほうが正しいと感じた。アッピウスは全ての希望を失い、裁判の日を待たずに、自ら命を絶った。続いて別の10人委員がやり玉にあがった。P・ヌミトリウスがSp・オッピウスを呼び出した。オッピウスは10人委員であり、アッピウスの次に嫌われていた。アッピウスが不当な判決を下した時、オッピウスはローマにいたのに、判決に反対しなかった。オッピウスは別の残酷な所業によってさらに人々の怒りを買った。一人の市民が彼について証言した。この市民は27年の軍役の中で、並外れた勇気を示し、8回勲章を授与された。彼はそれらの勲章を身に着けて人々の前に立つと、上衣を破り、背中を露わにした。彼の背中には幾筋ものあざがあった。彼は言った。
「私はいかなる罪で罰を受けたのか。オッピウスにその理由と証拠を言ってもらいたい。もし証拠がないなら・・・。彼は現在権力を持たない、普通の市民に過ぎないが、彼の暴力的な性格は変わらない」。
Sp・オッピウスは獄に連れて行かれた。彼も裁判を待たずに自殺した。護民官はアッピウス・クラウディウスとSp・オッピウスの財産を没収した。残りの元10人委員は外国に引っ越した。彼らの財産も没収された。「ヴェルギニウスの娘は私の奴隷だ」と述べた M・クラウディウスも裁判にかけられ、有罪となった。しかしヴェルギニウスは極刑を求めなかった。それでM・クラウディウスはティブル(現在のティボリ。ローマの東約30km)に亡命した。ヴェルギニウスの娘は生きている時より、死んでから好運だった。彼女の棺は彼女の死の原因となった人物が罰せれるまで、あちこちの家を転々と移動したが、犯罪人がローマから消えたので、やっと休息することができた。

【59章】

貴族は大きな危険を感じた。護民官の表情は10人委員と同様に険悪だった。護民官 M・ドゥイッリウスは護民官の過剰な権力を制限しようとした。

「自由の主張と敵の処罰において、我々は十分すぎるほど達成した。だから今年は、誰かが裁判にかけられ、投獄されるのを、私は許さない。10人委員が処罰され、最近の犯罪は償われた。今では忘れられた昔の犯罪をかき集めることを、私は認めない。二人の執政官が絶えず市民の自由を見守っていることが最大の保証となり、護民官の権力を必要とする事件は起きないだろう」。
護民官が穏健な姿勢を示したので、貴族の恐怖は減少したが、彼らは執政官を嫌う気持ちが強まった。執政官は完全に平民の側に傾いているように見えたからである。貴族を代表するはずの執政官よりも、護民官のほうが貴族の安全と自由に関心を持っていた。執政官が護民官の傲慢をくじこうとするまでもなく、護民官は貴族を罰することに嫌気がさしていた。護民官が長年要求してきた法案が元老院で可決されたので、護民官は調子に乗った、とほとんどの人が主張している。確かに、その通りだ。護民官は情勢の圧力に屈したのである。


【60章】

市内の問題を解決し、平民の地位が確実に保証されると、執政官はそれぞれが担当する地方へ出発した。ヴァレリウスはアエクイとヴォルスキの連合軍に対する作戦をわざと遅らせた。10人委員の不幸な支配の後の、ローマ軍と敵軍双方の感情を考慮すると、ローマ軍が大敗北したかもしれない。ヴァレリウスは敵から一マイル(1.6 km)離れた場所に陣地を作り、兵士を陣地から出さなかった。敵は戦闘態勢を取り、両軍の陣地の間の土地に進出した。しかしローマ軍は何の反応もしなかった。アエクイ軍とヴォルスキ軍は戦闘が始まらないのでいやになり、自分たちが勝利したとみなし、戦場を去り、ラテン人とヘルスキ族の土地を略奪した。ローマ軍は陣地の防戦はできたが、野戦をする能力はなかった。しかし敵がローマ軍を恐れて逃げて行ったので、ローマ兵は勇気を取り戻した。執政官ヴァレリウスは兵士に戦列を組ませ、攻撃を命令した。しかし兵士の一部は戦力の低下を自覚しており、
戦闘を拒否した。彼らは後方に下がった。大部分の兵士はこれらの臆病な兵士を降伏した兵ととみなした。ローマ軍は丸一日敵を探しまわったが、夜になり陣地に引き返した。アエクイ軍とヴォルスキ軍は不利な戦いを避けただけで、逃げたわけでなかったが、兵が分散していた。各地で略奪をしていた兵士たちが急いで呼び集められた。近くにいた兵はすぐ陣地に戻ったが、遠くにいた兵は見つからなかった。空が明るくなると、ローマ軍は出陣した。敵と交戦できなかったら、彼らは敵の陣地を攻撃するつもりだった。太陽はすっかっり昇っていたが、敵が向かってくる様子はなかった。執政官は相変わらず、「前進!」と命令した。アエクイとヴォルスキの兵士たちは陣地の土塁に守られて戦うのを潔しとせず、勝利を求めて戦うことにした。彼らは出撃命令を要求して、騒いだ。出撃命令が出た時、兵士の一部は既に陣地の門から出ていた。残りの兵も並んで門を出て、決められた場所に立った。しかし彼らが戦場で全力を発揮できる態勢を取る前に、ローマの執政官は攻撃
を開始た。アエクイとヴォルスキの兵士の中にまだ陣地を出ていない兵士もて、彼らは戦列を組んでおらず、群衆のような状態だった。彼らは動揺し、うろたえ、互いに仲間を見あうだけで、どうしてよいか、わからなかった。ローマ兵は掛け声をあげながら、攻撃を開始した。アエクイ・ヴォルスキ軍は崩壊しかけたが、すぐに戦意を取り戻した。将軍たちは兵士を勇気づけた。「敵は我々を恐れて、陣地から出なかったではないか」。
アエクイ・ヴォルスキ軍は持ちこたえた。

【61章】

一方ローマ軍では、執政官が兵士を励ました。

「諸君がが自由を回復してから最初の戦争だ。自由なローマのために戦え! 自分のための戦いだ。10人委員はもういない。勝利の果実を手にするのは諸君だ。戦闘を指揮するのはアッピウスではなく、執政官である私だ。私の一族は代々ローマ市民の解放者であり、私自身もそうだ。これまでローマ軍が負けたのは、指揮官のせいであり、諸君が破れたのではない。国内の敵と戦う時は勇敢なのに、外国と戦う時臆病なのは恥だ。自国の市民の奴隷になるのを嫌いながら、外国人の奴隷になるのは平気なのか。自国が安全なら,

貞節が奪われそうになるのはヴェルギニウスの娘だけであり、危険な権力者はアッピウスだけだ。しかし戦争に負ければ、数千の敵兵を前に、全ての市民の子供が危険にさらされる。このような厄災がローマに降りかかるこを、ユピテル神もマルス神も許さないだろう。我々の祖先はこれらの神々の加護のもとにローマを建国したのだ。諸君がアヴェンティーヌの丘と聖山に結集したのは、何のためか。自由を獲得するためではないか。数か月前で完全な支配権を失ってよいのか。丘の支配権を取り戻すのだ。10人委員が追放された今こそ、ローマ軍が昔の強さを取り戻したことを証明しなければならない。市民の平等を基本とする法律が制定されても、ローマ人の勇気に変化はないことを見せるのだ」。
執政官は歩兵にこう言ってから、騎兵の方に馬を走らせ、叫んだ。

「さあ、出撃だ、若武者よ! 諸君は地位と名誉において、歩兵より上である。勇気も彼らに勝ることを証明せよ。歩兵は最初の攻撃で敵の戦列を崩した。諸君は敵を戦場から追い出せ。」。
諸君の攻撃に、敵は耐えられない。既に彼らは動揺し、気力を失っている」。
ローマの騎兵は馬の手綱を緩め、全速力で敵に向かって行った。敵の崩れた戦列の間を突き進み、歩兵をなぎ倒し、彼らは敵の後部に達した。一部の騎兵は敵を通り過ぎてしまい、馬を反転させて、逃げる兵士の首をはねた。ほとんどの敵兵が陣地に向かって逃げた。執政官が率いるローマの歩兵は彼らを追いかけ、戦場は敵の陣地に向かって移動した。ローマ軍は多くの敵兵を倒し、敵の陣地を占領した。ローマ軍は大量の戦利品を獲得した。アエクイ軍とヴォルスキ軍にとって、兵士の損失より物品の損失の方がおおきかった。勝利の知らせがローマに届き、サビーニと戦っているローマ軍にも知らされた。ローマ市民は喜びの声を上げ、勝利を祝った。サビーニと戦っている兵士は競争心を刺激された。ホラティウスはのサビーニの領土に侵入し、敵と小競り合い愛をし、ローマ兵の勇気を試した。ローマ兵は実践を経験することにより、自信を取り戻し、10人委員時代の敗北を忘れ、勝利を確信するようになった。一方昨年の勝利で自信を得たサビーニ兵は絶えずローマ兵を挑発し、た。本格的な戦闘に持ち込もうとした。ローマ兵がちょっと侵略しては退却し、無駄に時間を費やしているのはなぜだろう、とサビーニ兵は思った。「ローマはまるで山賊のように戦争を避けている。彼らは激突するつもりがなく、一か八かの戦争をするつもりがない」。

 

 

 

 

 

 

 

 

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