たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

戦時の記憶と三島由紀夫の死

2014-08-16 20:10:53 | 日本の政治

ネットで三島由紀夫の動画を見た。戦争について語っていた。彼は終戦の時10代半ばの少年だったので、招集されることはなかった。沖縄では、彼と同年齢の少年が徴集され、悲惨な死に方をしたが。

 三島は戦地に赴くことはなく、彼の戦争体験は内地の一般人が経験したことにすぎない。しかも、空襲の悲惨さも経験せずにすんだようである。

 それにもかかわらず、戦争は公威(きみたけ=本名)少年に深い影響を与えた。自分より少し年上の青年が戦地に赴いて、戦死したことは、彼に強い印象を与えたのである。また当時の新聞・ラジオが報じること、そして周囲の大人が語ることが、彼の記憶に刻みつけられた。

 

今回ビデオで彼を見て感じたことは、彼の感受性が常人のものではない、ということだった。山奥に人知れず咲く花のように、孤独で、人間の世界からかけ離れたものであることだった。彼は生まれつきの芸術家だと感じた。芸術家は、努力してなるものではなく、そのような性格をもって生まれるのである。

 三島由紀夫は出征した若者の心情を後世に伝える作家となった。「風と共に去りぬ」の著者が南北戦争を後世に伝えたように。

 三島由紀夫は、沖縄の少年とは違って、地獄の体験をしたわけではないが、戦時の印象は彼の生き方を決定付けた。彼は戦後の平和な時代に生き、国家の要請があるわけでないのに、終戦から25年目に、自ら戦死するような死に方をした。

平和な時代に、時代錯誤の死に方をした三島を、観念的だとみなす人もいる。

しかし「軍隊を持たない平和主義の国」という考えの方が、よほど観念的である。大戦後、世界でどれほど多くの戦争があったかを理解しない人が、観念的に平和主義を唱えるのである。

    

          <軍隊の本質を問いただした三島>

  三島の創設した盾の会は、少人数ままで終わり、消滅した。この民兵組織についても、観念的と言う人が多い。ただし、三島は重要なことを言っている。「徴兵された兵隊は駄目だ。自らの信念に基づいて志願した兵の集団でなければならない。」したがって「傭兵も駄目だ」ということだろう。この考えは永遠に正しい。自らの意思で戦う者の集団でなければ、いかに多数の軍団であっても、すぐに瓦解する。春になって溶ける雪のように、一瞬のうちに消えてしまう。

 また戦争の目的を理解せずに戦場に送られた兵士は、退役後、反国家主義者になる。日本の徴集兵の多くが、戦後、平和憲法を受け入れた。現在の米国でも、退役兵が反戦運動の中心になっており、強力な反戦主義の世論を形成している。

 戦争の目的を理解し,信念を持って戦った場合でも、戦争の悲惨さを体験すると、戦争自体の意味を疑うようになるのであるから、まして国家の命令で戦場に送られた若者が、戦後、反国家・反戦主義者になるのは当然である。

したがって戦争に対して慎重であるのは大切であるが、「戦わず」という決定は現実に即してなされるべきで、現実から遊離し、最初から「不戦」を大前提にするのは、無知な観念論である。

 

「軍隊なしに国家は存在しない」ということと、「その軍隊には精神的な支えがなければなら ない」という簡明で重要な三島の主張は、先見の明があった。

 1970年に観念的と受け取られれていた彼の主張は、現在、現実的なものと理解され始めている。

 人間は過去を忘れて、前に進むものであるが、過去を簡単には忘れられない人間がいるものである。

 

                   < 沖縄の少年兵(=鉄血勤皇隊)>

 沖縄の軍は県民に対し、「軍の指導を理くつなしに素直に受入れ、幼女と老婆を除き、全員が兵隊になること」を要求した。15歳以下の少年や65歳以上の高齢者まで根こそぎ戦場へ動員された。書類手続はなく、口頭で徴用され、病弱の者でも容赦されなかった。

 法的根拠がなかったため、形式上は「志願」とされた。

 少年兵は、陣地構築をしたり、伝令として働いた。

 伝令は砲弾をかいくぐって走りまらなければならず、危険な任務だった。同じ内容の文書を複数人が持ち、そのうち1人がたどり着けばよいというありさまだった。

  さらには、斬り込み隊として、本格的な戦闘に参加した少年もいた。ある少年は箱に火薬を詰めた爆弾を背負い、米軍への自爆攻撃をした。

 「皇軍の兵は、捕虜になるよりは、死を選ぶ」という教えを守り、自決した少年もいる。

15歳にもならない少年兵に、「自決しろ」と命令した例は、世界史にもない。さすがに日本は、世界に例がない「よい国」である。

例外的にナチスドイツが、やはり敗戦直前に少年兵を集め、「死ぬまで戦え」と命令しているが。

本土決戦の前に終戦になったが、沖縄は「決戦」をしたのである。

 

 日露戦争の時、与謝野晶子が「親は、人を殺す人間にするために、わが子を育てただろうか」と歌ったが、世界史を学んだ私は「14歳の少年を戦場に駆り出し、自爆攻撃をさせ、または自決させた国が他にあるだろうか」と問いたい。

 

              <硫黄島の少年兵>

 沖縄戦の少し前、硫黄島の戦いでも、沖縄の少年は駆り出されていた。硫黄島の戦いは、米国でも有名な戦いである。「硫黄島からの手紙」は米国では、3本目の映画である。日本で映画がつくられれたことはあるのだろうか。

比較にならない戦力差があったにもかかわらず、日本軍は頑強に戦った。日本軍の巧妙で粘り強い戦いによって、上陸した米軍は多くの損傷者を出した。

すり鉢山は戦史に残る激戦地となった。米兵の戦死者が多かった「硫黄島の戦い」は、「すり鉢山の死闘」として米国民の記憶に残っている。

                <硫黄島>

 

                               ウィキペディアより

米軍にとって困難な戦いとなった原因は、日本軍が岩山の内部に陣地を構築したからである。もともとあった洞窟に加え、新たに穴を掘りぬき、それらを内部通路で結んだ。いくつもの穴を深く掘り進むのは、大変な作業であった。それで沖縄の少年の手伝いが必要になったのである。ほとんどの兵が掘ることに従事したので、他のことに手が回らなくなり、人手が足りなり、少年兵が必要になったのかもしれない。くなったのかもしれない。硫黄島の少年兵は、法的には、戦闘以外の運搬・土木工事などに従事する「軍属」であった。

 岩山内部の陣地はマジノ線に匹敵する陣地となった。

硫黄島の数少ない生存者が語ったことだが、ある時、少年たちの歌声がするので、そちらの方に歩いて行くと、栗林司令官が立っている。中将は歌声を聴いていたようである。栗林中将は、声は出さず手振りで、「少年たちの方に行くな。彼らの邪魔をするな、そっとしておいてやれ。」と合図した。

栗林司令官は、少年たちを「地獄の戦場」に駆り出したことに、心を痛めていたのだろう。

少年たちは、米軍上陸の前に、沖縄に戻ったかもしれないが、その可能性は低い。

    <硫黄島の頂上を奪取し、勝利の旗をたてる米海兵隊>

                             ウィキペディアより

           <大韓航空機撃墜の真相>

  三島と同じように、戦時の記憶を簡単に捨てられない人間のもう一人が、石原慎太郎である。彼は負けん気が強く、三島とは違うが、過去にこだわる点では同じである。

石原慎太郎は、国家の自立と国防の問題について、重要な指摘をしてくれる。

 最近、大韓国航空機撃墜事件の真相をを語ってくれた。

大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん)は、1983年9月1日に、大韓航空機がオホーツク海上空でソ連の領空を侵犯し、ソ連の戦闘機により撃墜された事件である。乗員乗客269人全員が死亡した。

 石原が語るところによれば、ソ連の戦闘機は、民間機であることを確認し、撃墜してもよいのか、と司令官に質問した。現地の司令官はうろたえ、モスクワの本部に問い合わせた。それを聞いて、本部は「撃墜せよ」と命令した。モスクワは民間機と知りながら、非情な決断をしたのである。

戦闘機のパイロットと現地の司令官は極度に動揺しており、暗号を使って交信する余裕がなく、通常の言葉でやりとりした。傍受した日本側はすぐに状況を理解できた。

 大韓航空機がソ連の領空を侵犯したのは、これが二度目であり、一回目はヨーロッパ側で、ムルマンスクの付近で領空を侵犯した。ムルマンスクには重要な軍事基地があり、最高度の機密が保たれている。この時、大韓航空機は撃墜されず、雪原に強制着陸されられただけだった。

 しかしソ連軍上層部は、領空侵犯を許した現地の防空軍に対して厳しく対処した。現地の司令官は処刑され、「二度と領空侵犯を許してはならない」という厳重な通達が出された。

 ソ連は、たとえ民間機であっても、スパイ行為を働く以上、スパイ機とみなし、二度目は撃墜したのである。

 

 

 

 

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中国の防空識別圏は前代未聞

2013-12-29 13:35:02 | 日本の政治

<http://blog.goo.ne.jp/fuwa_toshiharu/e/42bbd80248de444a057848d88aed178f>

gooブログ「ネットde新党」の記事「半藤一利<昭和史>を読んでみよう 5」に、片山さつき議員のラジオでのインタビューが埋め込まれれているが、彼女の発言は、問題の核心をついており、ネットには他に例がない。それについて書く前に、前回私が書いたことに、認識不足な点があったので、それから始めます。

  私だけでなく、防空識別問題については正確に理解されていないように思います。ネットとyoutubeで、あれこれ読んだり聞いたりして、おおよそ理解できたような気がした時に、田母神元航空幕僚長の文章を読んで、面食らいました。なにか話が違うという感じです。

 その原因は、防空識別圏を領空の延長のように考えるからです。両者は本質的に違います。領空侵犯というということはありますが、防空識別圏侵犯ということはあり得ません。防空識別圏内は飛行自由です。基本的に公けの空です。したがって他国の航空機に対する規制は一切ありません。警察の職務尋問と同じで、間接的にさらりと質問する以上のことはできません。

 他国の航空機全般に対しては一切強制力がない。そういう条件下で、防衛する側は、攻撃の意図をもって領空に侵入してくる敵機を、的確に識別しなければなりません。

 だから、防空識別圏とは、有っても無いようなもので、防衛する側が工夫して敵性機を識別しなければなりません。自国の国土交通省から民間旅客機の飛行計画を手に入れて、とりあえず、無害な航空機を把握しておくというのも、その一つです。

 防空識別圏は、領空と違って、軽い意味しかありません。だから、一方的に設定できるのです。

  また、防空識別圏を公表していない国もあるということです。その場合、どの範囲が防空識別圏なのかわかりません。したがて、飛行する航空機には、自分が防空識別圏に侵入したかどうかもわかりません。防衛する側が勝手に設定して、偵察・監視活動活動をおこなっているだけです。

 田母神氏以外には、ヘーゲル米国防長官が同じこと言っています。「民間航空機が、海岸から遠く離れた外洋を飛ぶ場合、まして自国に向かうのでなく、ただ通り過ぎる場合、防空識別圏内であっても、関係ない。そのような民間機に対し、飛行計画を出せというのは変な話だ。」

 この点を予備知識として持っていないと、田最母神元幕僚長の文章が理解できません。

 以下、田最神元幕僚長のブログ「防空識別圏の設定」から引用します。

 [引用開始]--------------------------------

(前略)

 外国に対しウチの防空識別圏はこうなっていますから、許可なく飛んでもらっては困るというようなものではない。防空識別圏を設定することによって、そこを通過する航空機に何か報告義務を課すことは出来ないし、行動を制約することも出来ない。

 我が国では防衛省の訓令で防空識別圏を定めており、航空自衛隊は我が国の防空識別圏に飛来する全ての航空機の識別を24時間態勢で常時行っている。

識別は、航空自衛隊が国土交通省から入手した民間航空機の飛行計画との照合によって、また電波で航空機に対し応答信号の発信を求めることによって実施される。

国際線を飛ぶ民間航空機などは、国際民間航空機関(ICAO)が定めているコードによって常時応答信号を発信することが義務付けられている。不審機と認められる場合には、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進をして不審機に接近、国籍や飛行目的の確認を行っている。

 防空識別圏そのものは、どこに設定しようが各国の自由であり、それを日本のように公表している国もあれば、また公表していない国もある。

各国とも勝手に防空識別圏を設定しているのであり、中国が今回のように防空識別圏を設定すること自体は、何ら問題はない。

中国に対し防空識別圏を撤回させよという意見があるようだが、それは、おかしな話である。問題は中国が、防空識別圏の設定と同時に公告した公示内容である。

 今回の中国の公告によれば、「防空識別圏は中国国防省が管理する」とした上で「圏内を飛ぶ航空機は、中国国防省の指令に従わなければならない」とし、「指令を拒否したり、従わなかったりした航空機に対して中国軍は防御的緊急措置を講じる」と明記されたのである。

中国の発表は、防空識別圏に名を借りた空域の管轄権の主張であり、我が国などにとって受け入れられるものではない。

公海上空の飛行の自由は国際法上認められた各国の権利であり、これを侵されてはたまらない。

まして尖閣上空に防空識別圏が設定されて、その管轄権を主張されたのでは、尖閣諸島は中国のものであると言っていることになる。中国はそれを意図して今回の設定を行ったことは明らかであり、我が国が激しく反発したことは当然である。

 貼り付け元  <http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11715953977.html

 ---------------------------------[引用終了]

 中国が防空識別圏を新たに設定することは自由ですが、それを領空として適用していることが、前代未聞だというのです。

それだけでなく、本来の目的とは異なる目的のために防空識別圏を無理に利用したということです。その目的とは、大陸棚が中国の経済水域であると主張することと、尖閣諸島の領有です。

 そのことは、防空識別圏をどのように設定したかをみれば、明らかです。

新しく設定した中国の防空識別圏が日本のそれと重なることはやむを得ないとしても、問題なのはその重なり方です

。中国沿岸と沖縄の中間を境界とせず、沖縄の近くまで張り出してきています。それは、大陸棚は中国の経済水域であるという主張にあわせる形で、防空識別圏を設定したからです。

 また尖閣諸島が中国の領土あるという前提で、防空識別圏を設定しています。ヘーゲル国防長官は言っています。「中国による防空識別圏設定は、領有権の主張を目的としており、非常に特殊である。」

 ヘーゲル国防長官と田母神幕僚長外に、この点をはっきりと問題にしているのは、片山さつき議員です。

防空識別圏を設定することによって、中国は「尖閣諸島は中国が領有する。大陸棚は中国の経済水域である。」と宣言したのである。したがって日本政府は猛烈に反発した。

 マスコミとネットの多くは、聞きなれない防空識別圏という言葉に惑わされて、中国の露骨な策謀に気づかなかった。

 海で戦われている国境紛争が、空でも始まったということです。片山議員が言う「中国という国は黙っていたら、どんどん出っ張ってきますから、おしかえさなければ、だめです。」という状況です。

 

 <青線で囲まれた濃い青の部分が日本の防空識別圏。

赤線で囲まれた赤い部分が中国の防空識別圏>

  <CNN中国の防空識別圏設定で高まる緊張>から借用

貼り付け元  <http://www.cnn.co.jp/world/35040613-2.html>

 

 

 

 

 

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中国の防空識別圏を米が認めたという報道は真実か

2013-12-25 08:42:50 | 日本の政治

                                               Goo ブログ「インターネット新党」の「見識に欠ける片山さつき」から引用します。

 [引用開始]--------------------------------------------

 先日、自民党の片山さつきがラジオに出演していた。

メインテーマは彼女が深く関わっている「生活保護法改正」だったのだが、彼女が色めき立ったのは、その後の中国による「防空識別圏変更」の問題である。

 彼女自身「この問題は私の専門分野」とさえ言っていたのだが、そこから聞こえてくるのは「場合によってはドンパチ」とか「中国は一歩引いたら、百歩踏み込んでくる連中だ」といった、高校生レベルの単純な交戦論でしかない。

 貼り付け元  <http://blog.goo.ne.jp/fuwa_toshiharu/e/42bbd80248de444a057848d88aed178f>

 -------------------------------[引用終了]

 文章の終わりに、片山さつき氏の「国会演説」の音声が埋め込まれていたので、それを聞いて、「防空識別圏」問題の重要性について知った。「インターネット新党」の著者が再びこの問題を取り上げてくれるのを待つつもりでいたのですが、気になって、自分で調べてみました。

 「防空識別圏」問題はかなり深刻です。「防空識別圏」とは領海と同じような「領空」のようなものです。ただし、ジェット戦闘機・爆撃機はマッハ2というスピードなので、領海の上空まで敵機を侵入させてしまっては、次の瞬間には本土が攻撃されてしまう。それで「領空」は「領海」と一致させずに「経済水域」とほぼ一致したものにします。しかし、これを規定する国際法はなく、各国が勝手に設定し、敵機がそれを犯した場合空中戦になるということです。民間機がそれを犯すと、撃ち落されて終わりです。

 第二次大戦後、アメリカ軍が東シナ海の上空に設定した防空識別圏に挑戦する国はありませんでした。

 今回中国が初めてそれに挑戦しました。アメリカの防空識別圏の内側に食い込む形で、中国の防空識別圏を新たに設定したのです。陸上の話でいえば、国境線を勝手に引き直したのです。アメリカ空軍が黙っているはずがありません。尖閣諸島の場合、日本の島と経済水域に対する挑戦でしたが、今回は米空軍に対する挑戦でした。もちろん同時に日本の航空自衛隊に対する挑戦です。

 米空軍は南西諸島上空での訓練を、今までのようにはできなくなります。訓練のための空域のうち西端部分を失うことになります。

 また民間航空機は東寄りに航路を変更しなければなりません。今まで通りの航路で飛びたいのなら、日本にではなく中国に飛行許可を申請しなければなりません。

 米軍が設定した空の国境線を真っ向から否定することは、米軍に対する宣戦布告に等しい。米軍は認めるはずもなく、中国は引き下がるしかない。中国は、できるだけ面子を失わずに引き下がる方法を探すしかない。これが、米メディアの一般的な見方です。

 ところがです。Yahooニュースが,新華社のとんでもなない話を転載していました。

 [引用開始]--------------------------------------

  <新たな大国関係を模索する中米にとって、「反中興奮症」の日本の存在はさほど重要ではない>

 

 中国の防空識別圏問題で、「反中興奮症」にかかっている日本はホワイトハウスに対し、安倍政権との一致を保つよう強く求めた。中国に防空識別圏の撤回を求める共同声明の発表を迫ったのだ。

 日本は米国を対中抗争の最前線に立たせようとした。だが、日本の要求は米国に拒絶されてしまう。しかも、米政府は自国の航空会社に対し、中国当局への飛行計画提出を“助言”した。日本政府が自国の航空各社に「中国への飛行計画提出を拒否するよう」毅然と要求した直後である。

 貼り付け元  <http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131205-00000024-xinhua-cn>

 -------------------------------[引用終了]

 

超大国アメリカが認めるはずがないことを、現在のアメリカは認めてしまうのだろうか。私はこの記事を読んで愕然としてしまった。

ネットの一部では、最近、米中接近が語られている。それも、ニクソン・キッシンジャー時代の時よりもさらに密接な関係である。上記の引用文で、新華社が米中の信頼関係を誇らしげに語っているが、これが現実なのだろうか。アメリカという国に今地崩れが起きているというのは本当なのだろうか。

 もしそうなら、片山さつき議員が主張するように、航空自衛隊は中国空軍との空中戦を覚悟しなければならない。もちろん、戦略を練ってからの話であるが。空中戦の決断は、政治も含めた全戦略が決まってからで遅くない。

 

ただし、ロイターは新華社と正反対のことを伝えている。

 [引用開始]----------------------------------

 12月6日、副大統領ジョー・バイデンは、尖閣諸島上空に中国が新たに設定した防空識別圏を、合衆国政府は認めない、と語った。

 バイデンは北京での会談について触れて、言った。「私は、大統領に代わって、これ以上ないほどはっきりと言った。われわれは、今回中国が設定した防空識別圏を認めない。アメリカ空軍は完全にこれを無視する。完全にである。」

 -----------------------------[引用終了]

 

新華社がとんでもないデマの報道をしたようであるが、万一密約があり、バイデンの方が嘘をついているとしたら、空恐ろしい話である。政治・軍事・外交は何が起きてもおかしくない闇の世界である。

 

  

 

 

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「白骨街道」と呼ばれたインパールからの退却路

2013-11-23 19:34:59 | 日本の政治

 

前回のブログで、辻政信が300名の傷病兵を生き埋めにして処分した話をした。これだけでもショッキングな話であるが、彼らが弓兵団の数少ない生き残りであることを考えると、さらに痛ましい。

 

弓兵団はインパール攻略に参加した三兵団の一つであり、インパールを目前にしながら、敵の猛反撃に会い、命からがら退却し、その過程で大半の兵士を失った。兵たちは追撃されて死んだのではなく、飢え死にしたのである。

 

三兵団は退却の時期がずれ、後から退却する部隊は、前に通った部隊の脱落兵の死体を見ながら退却することとなった。死体の中には白骨化したものも多く、インパールからの退却路は、生還者たちによって後に「白骨街道」と呼ばれるようになった。

 

「ビルマの竪琴」という映画は、全体的に戦時の緊迫感が欠けているが、ある一場面だけは強烈な印象を与える。撤退兵の一人である主人公が山の斜面を通りかかったとき、その斜面一面に数えきれない白骨が転がっているのを目にするのである。それは、すべて死んだ日本兵であった。

 

主人公は日本兵の霊を弔うために、僧侶となり、ビルマにとどまることを決意する。

 

そして映画のラストシーンで、ビルマのオウムが日本語で「ワタシハ、ニホンニ、カエラナイ」としゃべるのである。

 

私が戦史に興味を持つようになったきっかけは高木俊郎著の「インパール」を読んだことである。

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ビルマ戦史から消された事実

2013-11-22 21:42:34 | 日本の政治

 

古川愛哲著「原爆投下は予告されていた」という本を紹介します。タイトルの内容は本の後半で語られ、前半では、一般にこれまでの戦史からは消えていたいくつかの事実が語られています。

第一章は次のような文で始まります。

「戦争の歴史には、記録されない事実が膨大にあり、その抹消(まっしょう)された記録を掘り起し、事実を浮き彫りにするには、その時代の精神風土や歴史記述の中を貫く思想について知っておく必要がある。」

ここで言われている[その時代の精神風土]ということについて,私なりに補足説明すると、戦後生まれた人間が、戦前の「軍隊の精神風土」を理解するすることは、そもそも難しい。

例えば、私の父が日本の軍隊で経験したことをよく言っていました。「軍隊では、『靴の大きさが自分の足に合わなかったら、足を靴の大きさにあわせろ』と言われる」

子供の私は戦前の話には興味がなかったので、実際にどれぐらい小さ過ぎる、または大きすぎる靴を渡されたのか、聞かないでしまいました。

靴の大小ぐらいと思う人がいるかもしれませんが、小さすぎる靴を実際に履いたら、これは大変、靴ずれができて、歩くたびにヒリヒリする。大きすぎるのは、ある程度なら、慣れれば何とかなるが、あまりに大きすぎるのは、もはや靴ではなく、たちの悪いスリッパです。

足の大きさに合わない靴というのも、決して馬鹿にできないことですが、軍は必要に迫られて、空恐ろしいことを兵に要求しました。

「原爆投下は予告されていた」というこの本の中で、そのような例がいくつか語られていますが、その一つを引用します。それはビルマ戦線の話で、弓兵団がビルマから撤退する時のことです。 

[引用開始]------------------------------------------------- 

ビルマ戦線に飛行機でやってきた辻 政信作戦参謀は、兵站病院に対して「勅命」と称して、とんでもない命令を出した。

それは「払暁(ふつぎょう)までに病院および傷病者を始末し、撤退を命ず!」というものだった。

川島博士の話によれば、「ビルマの兵站病院は、大きな幕舎二つに、300名の患者を収容していたのですが、撤退に際して、建物だけでなく患者も処分された。

方法はね、大きな穴を掘って、300名の患者を幕舎とともに生き埋めにしたんです。生きながら穴に放り込まれて、土をかぶせられる傷病兵の悲鳴が上がり、それを見て号泣する日赤看護婦の声で、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図だったそうです。」

この事実は弓兵団の戦史や戦記にも、日赤看護婦の回想にも出てこない。大穴を掘った兵を含めて全員が口をつぐんでしまったのであろう。

 ---------------------------------------------[引用終了]

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田原が山本太郎との会談で日本の政治の核心を語る

2013-11-05 11:10:02 | 日本の政治

 

201110月に田原総一郎が山本太郎に語った言葉は究極の名言なので、書き留めたい。

 

[田原]  日本の政治を動かしているのは誰だと思う。

 

[山本]  総理大臣じゃないですよね。

 

[田原]  それじゃ、誰が日本をこうしようと考えて、そのようにし

     ているの。それは官僚だと思っているでしょう。

 

[山本]  そうです。官僚だと思います。

 

[田原]  ところが、そうじゃないんです。日本には、政治的な決定

     をしている人はいないんです。つまり真の権力者はいない

     んです。日本を動かしている影の実力者というものもいな

     いんです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

田原の考えを、少し変だと思う人がいるかもしれませんが、日本の権力構造を見抜いた貴重な洞察だと思います。官僚も閣僚も自分の地位を守ることを優先し、力関係の中で、その場限りの判断をしているだけだと思います。官僚のトップの次官でさえも、省益に縛られており、また省内の主流派の代表としての立場に制約されています。主流派の一員として出世し、次官にまで登りつめたのですから。

 

また次官といえども、与党の総理大臣・閣僚・実力者に対して、上級権力者としての立場で命令できるわけでなく、いろいろと画策して、省の方針を実現していくわけです。

 

1990年以降は、国民の多くが、困難な時代に入ったことを肌で感じており、国政において英断がなされない限り、この時代は切り抜けられない、と考えていました。

 

この国民感情に答えるかたちで、小泉政権と鳩山民主党政権が誕生しました。この二つの政権を成立させたのは、無党派層と中道派でした。しかし、どちらの政権も国民の期待を裏切り、日本という国家は、運転手が意識を失っている自動車のようでした。

 

国家というものは自然現象ではないのだから、指導者が決めた方向に動くはずだと思いがちですが、それは間違い。日本には、指導者がいないのだから、運転手のいない車と同じで、どちらの方向に動くか、だれにも分からない。

 

みんなで死ねば怖くない、というのが日本という国の国柄。そして、わずかな人々がちゃっかり生き残って、彼らにとって、日本という国はす晴らしい国柄。

 

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優先すべきことをはっきり言う緒方貞子

2013-08-21 17:24:37 | 日本の政治

 

NHKスペシャルで「緒方貞子」を見た。国連難民高等弁務官として、海外の多くの人から信頼され、尊敬された「緒方貞子」の生き方をドラマとインタビューで紹介した番組である。特に、父ブッシュの湾岸戦争後のクルド人の反乱の時、サダム・フセインの攻撃を恐れて避難しようとしている大量のクルド人を救おうとした彼女の努力が語られ、「高等弁務官緒方貞子」の生き方がよくわかった。

 

クルド人たちは、毒ガスによる攻撃を恐れてトルコまたはイラン国境方面へ逃げていたのであるが、トルコは国境を閉ざした。したがって国境を超えてトルコへ逃げようとした人々は逃げ場を失った。トルコ政府は自国内のクルド民族の独立運動に悩まされており、トルコ・イラク両地域のクルド人の合体を促すようなことはできなかったのである。

 

逃げ場を失い、国境付近にとどまっている多数のクルド人を救わなければ、と緒方氏は考えたのであるが、法務担当の職員に反対された。難民とは、「本国での迫害を逃れ、他国に避難して困窮している人」であり、自国に留まっているクルド人は難民の定義にあてはまりません、というのである。

 

イラク国内に国連は無断で入っていく事はできないし、勝手なことはできない。したがってイラク国内のクルド人を救済するには、「主権」の壁を越えなければならない。安保理決議を経れば済む話ではあるが、どのようにして解決したか、番組では、語られていない。

 

方法はともかく、緒方貞子は、前例を破り、クルド人難民の救済を決定し、実行する。そしてこの時、「国内避難民」という新しい規定が生まれた。

 

クルド人難民問題の時、死と隣り合って生きている難民を救うという国連本来の任務に立ち返り、前例にとらわれず大胆な決定をくだした緒方氏であるが、ユーゴ紛争では、彼女の姿勢が裏目に出る。

 

ユーゴ国内の難民に救援物資を空輸していた国連の航空機が撃ち落され、乗っていたイタリア人兵士2名が死亡する。敵側の難民に物資を空輸する航空機は、敵機とみなされたのである。相手は、おそらく国連機と知っていて、敵とみなして撃ち落したのである。

 

敵側の民間人はやはり敵なのか、敵兵とは一線を画すべきなのか、判断が分かれるところである。これは、非常に難しい問題である。大原則はもちろん、兵と民間人は区別すべきである。しかし、味方の兵が多く死に、その原因が、民間人による敵への情報提供だったとしたら、どうするのか。

 

ユーゴ紛争の場合は、民間人同士が互いに敵になってしまったので、悲惨なものになった。この難しい状況の中で、緒方高等弁務官は、内戦に巻き込まれた住民の救済ということを第一の任務として行動した。また同時期、おなじユーゴで、国連の特別代表だった明石氏は、中立という国連の立場を貫いた。二人の日本人が、国連創設の理念を最終的な拠り所として行動した。

 

明石国連特別代表は、国連の中立性を守って行動したことが高く評価されているが、他方において、現実的な判断を誤り、国連の部隊に多くの犠牲を出したという批判にもさらされている。この点を突き詰めて考察している本があれば、ぜひ読みたいのですが。

 

今回のNHKスペシャルも、国連の無力な立場を提示し、「緒方貞子」の前に立ちはだかる皮肉な現実を描いているのだから、もう少し掘り下げてほしかった。

 

番組は、救われた人の多くが、緒方高等弁務官の決断によるところが大きかったことを知って、彼女に感謝していることを伝えている。私としては、もう一歩踏み込んで、困難な現実に対して彼女を支える理念について伝えてほしかった。

 

映画ではあるが、「アラビアのロレンス」では、並はずれの信念の持ち主である主人公が完全に挫折する場面がある。その描き方は徹底していて、ロレンスは、任務途中ですべてを投げ出し、退官する決意をするのである。戦争の現実は生易しいものではない。

 

難民となった人々を助けたいと願う緒方高等弁務官に対し、あざ笑うかのような皮肉な現実がたちはだかっている。彼女は、それを直視し、深く考えているようなので、「主権国家にたいして無力な国連」という難題について、彼女がどう考えているかもっと聞きたかった。

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終戦時、玉音放送を阻止しようとした将校の回想

2013-08-11 18:06:25 | 日本の政治

 

「玉音放送を死守せよ」というドキュメンタリーを見た。なんと、終戦時の近衛師団の反乱の時、玉音放送をさせまいとNHKに乗り込んだ中隊長が、当時を振り返る。NHKに乗り込んだときの話だけでなく、反乱に至るまでの当時の状況が語られる。

 

本土決戦が迫っており、いろいろな噂が乱れ飛ぶが、正式な本土防衛計画は何も伝えられない。不安になった彼は陸軍省に行ってみた。陸軍省には、緊迫感が感じられず、昼間から酔っぱらっている将校もいた。

 

これは、作家が書いている小説ではない。当時の中隊長が自ら語っているのである。サイパンでも沖縄でも、兵士と住民は降伏を許されず、厳格この上ない規律に従って死んでいった。サイパン玉砕の時の映像で、日本女性が断崖から海に向かって飛び降りるシーンを見ると胸を突かれる。実は、その映像はカットされていて、最近ノーカット版を見ることができた。母親は自分が飛び降りる前に、赤ん坊を崖の下に投げている。

 

国民に対しこれほどの厳格さを求める陸軍であるが、その中枢である陸軍省は、たるんでおり、昼間から酔っぱらっている将校もいる。

 

陸軍省は参謀本部と違って、軍隊特有の緊張感はない。大蔵省はじめ各省と同じく、内閣に属するからである。参謀本部は内閣から独立して、天皇に直属する。陸軍省が内閣の一員だからと言って、「昼から酒を飲んでいるほどだらけている」など、聞いたことがない。

戦後になって批判ばかりされる陸軍だけれども、戦後の国民は当時の国家が直面していた現実について何も知らないし、一方当時の将校の多くは問題解決に必死だった。戦後言われれるのと違って、かれらは多面的にあれこれ考え、考え抜いていた、というのが私の実感です。 

したがって今回の「陸軍省がだらけている」という証言は、大変な驚きでした。

 

参謀本部に対しても、不信感を抱いている将校が多かった。いったい参謀本部は確固とした本土決戦の計画を立てているのだろうか? 下級将校の間で疑念が深まり、陸軍全体が反乱するという噂が真実味をおびていた。

「蹶起(けっき)して、自分たちで本土を防衛しよう」という気運が生まれた。大隊長でさえ、反乱を止めようとせず、迷っていた。

 

終戦前夜、近衛師団の将校が師団長を殺害した。部隊に偽命令を発し、出動させた。NHKの放送を使って、全国民に呼びかけようとした。軍中枢に対する若手将校の不信感には深刻なものがあった。

 

200万の将兵の頂点に立つ参謀本部と、底辺に位置する中隊の将校とでは、隔たりが大きすぎる。参謀本部は作戦全体を把握し、将来を見据えなければならない。参謀本部が下した決定は、軍団・師団・連隊・大隊を経て中隊に伝えられる。

中隊は、広大な戦場の極小の一点で戦っているにすぎない。

 

また逆に、参謀本部の側では、遠い戦地からの電文を読むだけの場合もあり、戦場の様子をことごとく理解するのは、そもそも難しい。参謀本部がすべての戦場について、実際的な感覚を持つことは、不可能に近い。それでいて、自分が命令したことを「実行せよ」と迫る。

 

 ガダルカナルから現地の様子を報告に来た参謀が、泣きながら、東条に向かって「馬鹿野郎」と怒鳴りつけたという話があります。ガダルカナルで、米軍は防備を固め、日本兵は、敵の機関銃になぎ倒された。その後は、戦うどころか、飢えとマラリアで死んでいる、と参謀は涙ながらに語ったのです。

 

ただ、この時は、それを聞いた辻政信が、あわててガダルカナルに飛んで、対策が取られたので、溝は埋められ、参謀本部本来の機能が果たされたといえます。

 

スターリングラードの時のヒットラーはもっとひどい。独軍の猛攻をうけたソ連軍は、ターリングラードのほとんどを失いますが、最後の一角と補給線だけを守り抜き、冬を待ちます。極寒の冬こそがソ連軍にとって最強の援軍です。独軍のの将兵は寒さで病気になり、凍傷によって手足の指を失います。ソ連軍は大反撃に転じ、独軍をはさみ撃ちにします。独軍は降伏します。

 

降伏する前に、独軍司令官パウルスは退却の許可をヒトラーに求めました。戦況が悪化し、これ以上戦えないと判断したからです。

ヒトラーの返事は「退却は断じてならぬ。最後の勝利を信じて戦え。」というものでした。この時、ヒトラーは、戦場から何千キロも離れたところで、愛人や党幹部の妻子そして愛犬に囲まれて暮らしていました。

 

改めて確認しますが、独軍屈指の司令官は、この時降伏しています。将兵どころか島民にまで降伏を許さなかった日本というものがどういう国か、考えるうえで参考になります。ヒトラー自身の考えは日本の軍部と似ており「勝利もしくは全滅あるのみ」の二者択一でした。しかし、司令官パウルスは自分の判断で降伏しました。日本の場合,ほとんど全ての司令官は「全滅」の道を選びました。

 

300名の兵を率いてNHKに乗り込んだ中隊長の話に戻ると、彼は、反乱が陸軍全体によるものと考えていました。しかし、反乱したのは、自分の属する近衛師団だけかもしれないと考え初め、非常に悩んだ、と述べています。

自分の命令に従う兵のことを考えると、万一、少数派の反乱に加わっているとすれば、かれらを逆賊にしてしまう、と思ったのです。

彼は、場合によってはNHKの人間を斬る、という覚悟で乗り込んだのですが、迷っているうちに、反乱中止の決定が伝えられ、彼の中隊は血を流すことなくNHKからひきあげました。

 

彼が陸軍省に行ったのは、近衛師団の反乱とは関係なく、それ以前の話です。当時彼は状況がせっぱつまっており、やきもきしていました。敵が首都に迫るときは房総に上陸すると聞いていたので、彼は、自転車で千葉に行きましたが、何の防備もされていませんでした。

 

海軍の消滅という歴然たる事実。戦車は中国にあり、海を渡って運べないという状況でした。しかし彼には降伏などという考えはなく、本土決戦をするつもりでした。

しかし本土防衛の作戦について具体的に何も知らされず、「敵を上陸させ、内部にひきこみ、それから、本格的にたたく。たとえば、宇都宮あたりまで下がる。」という噂が彼の知る全てでした。

 

「内部に引き込んで、それから叩く」という作戦は理解できるとしても、千葉の海岸に何の防備もしないで、ただ敵を房総に上陸させるというのでは、彼でなくとも不安になります。それで何か情報を得ようと、彼は陸軍省に向かったのです。

 

終戦前夜に、近衛師団の中隊長が置かれた状況がよくわかるドキュメンタリーだったので、書きとめました。

 

中隊長は、作戦全体からすれば、将棋の駒、しかも金でも銀でもなく、歩にすぎませんが、日本軍の中隊長は敵国から高い評価を受けています。日本の下級将校あ兵と一体となって戦いました。決死の覚悟と機転の利いた戦方を、多くの敵将が賞賛しています。

 

番組のタイトルが「玉音放送を死守せよ」となっているように、番組の前半は、その時のNHKのアナウンサーの回想です。反乱将校に拳銃をつきつけられたアナウンサーです。

「日本の一番長い日」の二人の当事者、玉音放送を阻止しようとした将校と、それを放送しようとしたアナウンサーが当時を回想した番組です。

 

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