前回のブログで、辻政信が300名の傷病兵を生き埋めにして処分した話をした。これだけでもショッキングな話であるが、彼らが弓兵団の数少ない生き残りであることを考えると、さらに痛ましい。
弓兵団はインパール攻略に参加した三兵団の一つであり、インパールを目前にしながら、敵の猛反撃に会い、命からがら退却し、その過程で大半の兵士を失った。兵たちは追撃されて死んだのではなく、飢え死にしたのである。
三兵団は退却の時期がずれ、後から退却する部隊は、前に通った部隊の脱落兵の死体を見ながら退却することとなった。死体の中には白骨化したものも多く、インパールからの退却路は、生還者たちによって後に「白骨街道」と呼ばれるようになった。
「ビルマの竪琴」という映画は、全体的に戦時の緊迫感が欠けているが、ある一場面だけは強烈な印象を与える。撤退兵の一人である主人公が山の斜面を通りかかったとき、その斜面一面に数えきれない白骨が転がっているのを目にするのである。それは、すべて死んだ日本兵であった。
主人公は日本兵の霊を弔うために、僧侶となり、ビルマにとどまることを決意する。
そして映画のラストシーンで、ビルマのオウムが日本語で「ワタシハ、ニホンニ、カエラナイ」としゃべるのである。
私が戦史に興味を持つようになったきっかけは高木俊郎著の「インパール」を読んだことである。