たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

「白骨街道」と呼ばれたインパールからの退却路

2013-11-23 19:34:59 | 日本の政治

 

前回のブログで、辻政信が300名の傷病兵を生き埋めにして処分した話をした。これだけでもショッキングな話であるが、彼らが弓兵団の数少ない生き残りであることを考えると、さらに痛ましい。

 

弓兵団はインパール攻略に参加した三兵団の一つであり、インパールを目前にしながら、敵の猛反撃に会い、命からがら退却し、その過程で大半の兵士を失った。兵たちは追撃されて死んだのではなく、飢え死にしたのである。

 

三兵団は退却の時期がずれ、後から退却する部隊は、前に通った部隊の脱落兵の死体を見ながら退却することとなった。死体の中には白骨化したものも多く、インパールからの退却路は、生還者たちによって後に「白骨街道」と呼ばれるようになった。

 

「ビルマの竪琴」という映画は、全体的に戦時の緊迫感が欠けているが、ある一場面だけは強烈な印象を与える。撤退兵の一人である主人公が山の斜面を通りかかったとき、その斜面一面に数えきれない白骨が転がっているのを目にするのである。それは、すべて死んだ日本兵であった。

 

主人公は日本兵の霊を弔うために、僧侶となり、ビルマにとどまることを決意する。

 

そして映画のラストシーンで、ビルマのオウムが日本語で「ワタシハ、ニホンニ、カエラナイ」としゃべるのである。

 

私が戦史に興味を持つようになったきっかけは高木俊郎著の「インパール」を読んだことである。

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ビルマ戦史から消された事実

2013-11-22 21:42:34 | 日本の政治

 

古川愛哲著「原爆投下は予告されていた」という本を紹介します。タイトルの内容は本の後半で語られ、前半では、一般にこれまでの戦史からは消えていたいくつかの事実が語られています。

第一章は次のような文で始まります。

「戦争の歴史には、記録されない事実が膨大にあり、その抹消(まっしょう)された記録を掘り起し、事実を浮き彫りにするには、その時代の精神風土や歴史記述の中を貫く思想について知っておく必要がある。」

ここで言われている[その時代の精神風土]ということについて,私なりに補足説明すると、戦後生まれた人間が、戦前の「軍隊の精神風土」を理解するすることは、そもそも難しい。

例えば、私の父が日本の軍隊で経験したことをよく言っていました。「軍隊では、『靴の大きさが自分の足に合わなかったら、足を靴の大きさにあわせろ』と言われる」

子供の私は戦前の話には興味がなかったので、実際にどれぐらい小さ過ぎる、または大きすぎる靴を渡されたのか、聞かないでしまいました。

靴の大小ぐらいと思う人がいるかもしれませんが、小さすぎる靴を実際に履いたら、これは大変、靴ずれができて、歩くたびにヒリヒリする。大きすぎるのは、ある程度なら、慣れれば何とかなるが、あまりに大きすぎるのは、もはや靴ではなく、たちの悪いスリッパです。

足の大きさに合わない靴というのも、決して馬鹿にできないことですが、軍は必要に迫られて、空恐ろしいことを兵に要求しました。

「原爆投下は予告されていた」というこの本の中で、そのような例がいくつか語られていますが、その一つを引用します。それはビルマ戦線の話で、弓兵団がビルマから撤退する時のことです。 

[引用開始]------------------------------------------------- 

ビルマ戦線に飛行機でやってきた辻 政信作戦参謀は、兵站病院に対して「勅命」と称して、とんでもない命令を出した。

それは「払暁(ふつぎょう)までに病院および傷病者を始末し、撤退を命ず!」というものだった。

川島博士の話によれば、「ビルマの兵站病院は、大きな幕舎二つに、300名の患者を収容していたのですが、撤退に際して、建物だけでなく患者も処分された。

方法はね、大きな穴を掘って、300名の患者を幕舎とともに生き埋めにしたんです。生きながら穴に放り込まれて、土をかぶせられる傷病兵の悲鳴が上がり、それを見て号泣する日赤看護婦の声で、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図だったそうです。」

この事実は弓兵団の戦史や戦記にも、日赤看護婦の回想にも出てこない。大穴を掘った兵を含めて全員が口をつぐんでしまったのであろう。

 ---------------------------------------------[引用終了]

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ダマスカスでの化学兵器使用以前にあった計画―米軍の攻撃と連動した反政府軍の大攻勢

2013-11-10 13:00:31 | シリア内戦

 

国連の報告が出たことで、ダマスカス近郊での化学兵器使用は、アサド政府軍によるもの、との結論が出たように思われます。しかし、アメリカのミサイル攻撃を引き出すために、反政府側がおこなったという主張はその後も根強いものがありました。ロシア国連大使は、「国連の報告を一方的に解釈してはならない。異なった解釈ができるものを、自分に都合がよいよようにだけ解釈してはならない。」と言います。プーチン大統領は、「使われた砲弾がロシア製ということだが、あれは旧式のもので、シリア軍が現在使用しているものではない。」と言います。このプーチンの主張に対しては、「使われた二種類の砲弾のどちらも、これまで政府軍が使用してきたものと同一の種類である」という反論があります。

 

国連の報告が出る前のことですが、アメリカ国内でもアサド軍犯人説を疑問視する声が上がっています。たとえば、米情報機関が傍受した通信内容というものは、実は実際に傍受したものではなく、イスラエルの情報機関から知らされたものにすぎない、というものです。イスラエルは米国のシリア攻撃を望んでおり、同国から与えられた情報をうのみにするのは危険だ、という義論です。傍受内容とされるものは次のものです。

 

[ シリア国防省の高官があわてた様子で化学兵器を管理する部隊に問い合わせると、化学兵器を使ったという返事だったので、高官は非常に動揺し、即座に撤収するよう命じた。]

 

傍受通信に対するこの疑問については、元CIA職員が大統領に進言したもので、広く知られていますが、ネットのオイル・プライスというサイトに掲載されたヨセフ・ボダンスキーの報告はあまり知られていないと思うので紹介します。

 

[ボダンスキーの記事の内容] ------------------------------------

 

821ダマスカス近郊で化学兵器が使用された。その一週間前、トルコにある自由シリア軍の基地で、大規模な反撃の計画について、打ち合わせが行われた。そこで話されたことは、近いうちに戦況を変える出来事が起こり、それを機にアメリカ軍による攻撃が行われる。それに合わせて反政府軍は全面的な攻勢に出る、というものだ。そしてその大攻勢は、これまでにない規模のもので、ダマスカス陥落とアサド政権崩壊を目標とするものだ。

 

反政府軍の高級司令官は集まった現地司令官たちに対し、急いで攻撃の準備をするように、そしてアメリカ軍による攻撃を最大限に活用し、アサド政権を倒すのだ、と語った。

 

そして821日から23日にかけて、ハタイ州にある反政府軍のすべての基地に向けて、前例のない大量の武器の配布が開始された。レイハンリ地区だけでも400トンを超える武器を受け取り、その中には携行式対空ミサイルも含まれていた。

これらの武器はアメリカの情報員の監督のもとに、カタールとトルコの情報員が管理する武器庫に保管されていた。

 

8月24日と25日に再び数百トンの量の追加供給がおこなわれが、これには高性能の誘導式対戦車ミサイルが含まれていた。今回の武器援助は二年前に内戦が始まって以来最大のものだと、ハタイ州の反政府軍の役員が語った。

 

これらの武器は、北部全域の反政府軍に配られ、アルカイダ系を含むイスラム派部隊にも与えられるという。

 

----------------------------------[以上ボダンスキーの記事から]

 

この記事について検証はしていませんが、「中東全域から続々と情報が集まっている。」という書き出しで始まるこの文章は迫真性があり、また反政府軍に対する武器援助の実態についての情報としても貴重なので、紹介しました。

 

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田原が山本太郎との会談で日本の政治の核心を語る

2013-11-05 11:10:02 | 日本の政治

 

201110月に田原総一郎が山本太郎に語った言葉は究極の名言なので、書き留めたい。

 

[田原]  日本の政治を動かしているのは誰だと思う。

 

[山本]  総理大臣じゃないですよね。

 

[田原]  それじゃ、誰が日本をこうしようと考えて、そのようにし

     ているの。それは官僚だと思っているでしょう。

 

[山本]  そうです。官僚だと思います。

 

[田原]  ところが、そうじゃないんです。日本には、政治的な決定

     をしている人はいないんです。つまり真の権力者はいない

     んです。日本を動かしている影の実力者というものもいな

     いんです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

田原の考えを、少し変だと思う人がいるかもしれませんが、日本の権力構造を見抜いた貴重な洞察だと思います。官僚も閣僚も自分の地位を守ることを優先し、力関係の中で、その場限りの判断をしているだけだと思います。官僚のトップの次官でさえも、省益に縛られており、また省内の主流派の代表としての立場に制約されています。主流派の一員として出世し、次官にまで登りつめたのですから。

 

また次官といえども、与党の総理大臣・閣僚・実力者に対して、上級権力者としての立場で命令できるわけでなく、いろいろと画策して、省の方針を実現していくわけです。

 

1990年以降は、国民の多くが、困難な時代に入ったことを肌で感じており、国政において英断がなされない限り、この時代は切り抜けられない、と考えていました。

 

この国民感情に答えるかたちで、小泉政権と鳩山民主党政権が誕生しました。この二つの政権を成立させたのは、無党派層と中道派でした。しかし、どちらの政権も国民の期待を裏切り、日本という国家は、運転手が意識を失っている自動車のようでした。

 

国家というものは自然現象ではないのだから、指導者が決めた方向に動くはずだと思いがちですが、それは間違い。日本には、指導者がいないのだから、運転手のいない車と同じで、どちらの方向に動くか、だれにも分からない。

 

みんなで死ねば怖くない、というのが日本という国の国柄。そして、わずかな人々がちゃっかり生き残って、彼らにとって、日本という国はす晴らしい国柄。

 

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