前回、密輸の町ベサスランの現地取材について訳した。ベサスランは小さな町であるが、ここの国境線は反政府軍にとって重要である。石油の密輸は反政府軍が集中している地域で行われている。アレッポとイドリブはシリア内戦の主戦場であり、最後まで死闘が続けられルことになる。ハタイ県とイドリブ県の国境地帯について慣れ親しむことは今後の戦闘を理解する助けになる。
前回訳したバズフィード・ニューズの記事では、トルコのハタイ県で石油の需要が多く、シリアからの密輸が盛んなことが語られた。
一方でシリア国内の需要も大きい。ISIS地域の住民は燃料を必要としている。自動車・発電機の燃料、そしてパンを焼くため燃料は不可欠である。イラクとシリアにまたがるISIS地域には約800万人が住んでおり、石油に対する需要は大きい。ISISに利益をもたらす市場が広範囲に存在する。
以下は前回の続きである。
====《ISISが石油を密輸する方法》======
バズフィード・ニューズ 2014年11月3日
著者:Mike Giglio
ISISは今年(2014年)6月モスル攻略によって、世界的な名声を獲得した。その時トルコの大使館員とその家族49人を人質にした。その直後、ハタイ県国境の密輸取り締まりが厳しくなり、密輸がやれなくなった、とオマルや他の密輸業者が語る。
しかしその後密輸は復活した。密輸業者は国境を超える必要もなく、ベサスランでパイプラインから石油を受け取っている。以前のように、石油の出所はISISの油田である。
オマルは自由シリア軍の密輸の下請けをやっているが、国境のシリア側を支配しているのはヌスラ戦線である。自由シリア軍はヌスラと協力的な関係にある。
2014年10月上旬、オマルはベサスランに近いアトメで密輸の現場をビデオ撮影した。アトメはシリア側である。アトメの位置は上記の地図参照)
国境警備員が国境を開け、一晩で数千個のドラム缶がアトメから国境を超えてトルコにはいる。
ビデオには、空になったドラム缶を持ってシリアに帰って来る男たちが写っている。空のドラム缶を一人で4つ運んでいる。片手に2つは持てないので、2つをひもで結び、そのひもを肩にかける。残り2つも同じようにして肩にかける。
オマルが言う。「もう少し早くアトメに行っていれば、石油が入ったドラム缶がトルコに入る場面を撮影できたのだが」。
密輸の仕事はよい収入になるが、もうこの仕事をやめたい、とオマルは言う。「密輸は戦時略奪の最悪の例だ。内戦によってシリアの財産が奪い去られた。クズ鉄から高価な工芸品に至るまで、ありとあらゆるものが奪われた。私は連中が私たちの国に対して行った犯罪を明らかにしたい。
ブルッキング・ドーハ研究所のルアイ・ハティーブ(Luay al-Khatteeb)
がトルコへの密輸について説明する。精製され燃料となった石油だけでなく、精製前の原油が大量に密輸されている。
ISIS地域の精油所は製油できる量が少なく、ISISは支配地の需要にこたえることができない。精製しきれない原油は日々3万バレルである。ISISの原油は1バレル35ドルで売れるので、合計105万ドルである。この大量の原油はトルコの精製所へ売られる。売上金の大部分は精製された石油を買うことに使われる。
つまり日々3万バレルの原油がトルコに向かい、それより少ない量の製品石油(燃料)がトルコからシリアへ入っている。
製品石油の大部分はISIS地域で売られ、残りがトルコへ密輸されたり、アサド政権に売られたりする。売上金はISISの戦争マシーンの原動力となる。
アンタキヤで石油関連の事業を幅広く営んでいるいるビジネスマンに話を聞いた。彼をユースフ(仮名)と呼ぼう。
彼はヌスラと自由シリア軍の両方から石油を買っている。
「簡易パイプラインを利用して末端の売人から原油を買った。ヌスラ戦線のトラックは堂々と検問所を通ってトルコに入ってくる。彼らから大量に原油を買った」。
ヌスラは警備兵にお金を払い、1日300回検問所を通過した。ユースフは買い取った原油をトルコの製油所に運んだ。彼は製油所の名前と場所を言わなかった。
彼は話しを続けた。
「私はベサスランの人間をよく知っている。彼らは貧しい。彼らは石油を運んで売人に渡しているだけだ。トルコの石油ステーションに売ることもある。他の町には大がかりな密輸業者がいて、そういう連中は警官に守られている。
500マイルの国境のどこでも、密輸がおこなわれている」。
ユースフは事務所でコーヒーを飲みながら、契約書を取り出し、私に見せてくれた。ISISがトルコで売り込もうとしている石油の種類が書かれている、と彼は言う。その契約書は、トルコの会社の代理人であるユースフとISISの代理人の間に成立した合意を示している。
158リットル容量のバレルを日々3000バレル渡すと書かれている。契約期間は1週間で、1バレルの値段は45ドルである。1週間後に両者が満足したら、取引量を増やすと書いてある。
しかし契約書にはサインがない。ISISとの直接取引ではなく、仲買人との取引だったので、ユースフはこの話を断った。彼はISISを嫌っておらず、人質解放の仲介をしたいと思っていた。密輸ブローカーからもらう手数料より、利益が多い。ヨーロッパ諸国は人質解放のため、数百万ドル支払った。ISISによって人質とされているジャーナリストが現在もいる。
ガズィアンテプを拠点にしている別のビジネスマンも、シリア産の石油の密輸に深くかかわっている。かつて彼はシリアに石油ステーション、精油所、パイプラインを所有していた。これらは数百万ドルの値打ちがあった。これらを活用して、自由シリア軍と石油の取引をしていた。しかし今年になって、ISISが彼の施設を取り上げた。ISISの石油ビジネス拡大しており、彼の施設はそれに組み込まれている。
トルコ政府の取り締まりにもかかわらず、ISISは大量の石油をトルコに密輸している。国境線は長く、何事にも抜け道がある。
ガズィアンテプのビジネスマンは話を続けた。
「ISISにとってトルコへの密輸は、二重三重に利益がある。原油の代金に加え、仲買人に手数料を課す。ISISの検問所を通過する原油に対し、税を課す。原油の販売後に原油の流通過程からも収益を得る。
ISISの石油をトルコに長年密輸してきたワイヤム(仮名)も同じことを言っている。輸送費が高いので、国境のトルコ側で受け取る時には値段が2倍になっている。「ISISは石油ビジネスに関して恐ろしく真剣だ。彼らを怒らせたら、こちらの命が危ない」。
ワイヤムがシリア側のテル・アビヤドで密輸を始めたのは、ISISがこの町を支配する前だったので、検問所でひとつのトラックから別のトラックへ移し替えるだけの作業だった。「簡単な仕事だった」。
今年(2014年)ISISがテル・アビヤドを占領すると、ワイヤムはISISに誓った。ISISの名前で仕事をすることがうれしかった。彼は言う。「ISISは誰からも恐れられている。ISISは強力だ。同時に自分が過ちを犯した場合のことを考えると、怖かった」。
しばらくして、ISISが彼の仕事を嫌っていることに、彼は気付いた。彼が独立した業者だったからである。「トルコにはISISの仲間がいる。彼らはトルコの密輸業者を把握している。ISISは私の同僚の密輸業者を数人殺した。それで、私はすぐにトルコに逃げた」。
ワシントン研究所トルコ部門のソナー・カガプタイが指摘する。「トルコ南部では石油の密輸が昔から行われていることなので、急にやめさせるのは難しい。汚職を前提とした密輸ルートができあがっている。ただ最近、より多くの利益を求めて、密輸が活発になっていることは確かだ。密輸の取り締まりが成功しない別の理由はトルコの姿勢である。ISISはトルコにとって脅威だ。しかしトルコにはさらに重大な敵がいる。アサド大統領と国境地帯のクルドである。
トルコ政府の職員は、この問題についてメディアに話すことを禁じられているが、職員のひとりが匿名で語った。
「ISIS石油のトルコへの密輸は誇張されている。密輸は実際に行われているが、それは地元の役人の汚職が原因だ。政府は関わっていない。米国だってメキシコとの国境を管理できていない。国境管理が難しい場合が少なくない。
アサド政権はこの2年間ISISから石油を買っている。ISISとヌスラ戦線から石油を買うことで、彼らを援助している。そのことについて誰も批判しない」。
トルコのエネルギー省の職員たちが、電子メールを送ってきた。
「トルコ政府はシリア国境での密輸を一切認めていない。国境地帯での石油の密輸を厳しく取り締まっている。
シリアとイラクの政府機能が失われ、国境地帯が無法状態になっていることが、トルコへの密輸の原因である。ISISの登場が事態をさらに悪化させた。石油の密輸をとりしまる仕事は、トルコ政府が単独でやらなければならない。
トルコの南部国境では昔から密輸がおこなれているが、シリア内戦の開始以来、トルコ政府は取りしまりを強化してきた。
2ページの長さのメールは取締の具体例を列挙していた。 ①今年(2014年)の最初の7か月で、密輸された530万ガロン(約15万バレル)の石油を押収した。同時期の昨年と比べると4倍増えている。今年9月5日ー11日の7日間で、318ガロン(約9バレル)の密輸石油を押収し、2300メートルのパイプラインを撤去した。
シリアとトルコの国境の長さは800Kmを超えており、密輸を消滅させるのは困難な仕事である。
警官が密輸を許可している事実が判明したら、トルコ政府は捜査するつもりである」。
(原文) This Is How ISIS Smuggles Oil
=================(バズフィード・ニューズ終了)
本文中にあるガズィアンテプとテル・アビヤドの位置を次に示す。アル・ジャジーラなどの記者は、ガズィアンテプを拠点として北シリアについて取材している。テル・アビヤドは、当ブログで何度か取り上げた。テル・アビヤドはラッカの北に位置し、国境を隔てたトルコ側はアクチャカレである。後藤健二さんを解放する予定だった越境地点である。彼がアクチャカレに出て、サジダ・リシャウィがテル・アビヤドに入る捕虜交換は実現しなかった。