カラムーン山地 Wikipedia
カラムーン作戦は、2013年11月15日に開始された。この日以来、カラムーン山地での戦闘は日を追うごとに激しさを増した。
11月24日現在、ダマスカスとホムスを結ぶ幹線道路に沿って、激烈な戦いが繰り広げられている。自由シリア軍は「幹線道路の沿線は戦場である」と宣言した。
BBC
敵対する双方にとって、この地方の確保は譲れない。アサド軍にとって、この幹線道路5号線は生命線であり、これに対する攻撃には、敏感に反応した。自由シリア軍がこの道路の方向に向けて一発撃つと、アサド軍は沿線の村々への食糧供給を10日間、停止した。
幹線道路とその西側にそびえるカラムーン山地は、アサド政府にとって戦略的に重要である。山地のふもとには、アサド軍の防衛施設が集中している。
アサド軍はこの幹線道路を用いて、ホムスへ兵士・重火器・補給物資を送っている。ホムス以北のイドリブ・アレッポの作戦も、ホムス経由で行っている。この道路が切断されれば、ホムス以北とダマスカスは分断され、それぞれ孤立してしまう。またダマスカスはホムス経由で物資を得ており、この道路が戦場となったことで、ダマスカスは燃料不足に陥った。
以上のように、 幹線道路の西側の山地一帯に敵が存在することは、首都ダマスカスと海岸部のラタキアとの連絡にとって脅威となっている。
一方反政府軍にとって、カラムーン山地は、レバノンからの物資・戦闘員をシリア各地へ送る中継基地となっている。
<アサド軍がカラの町を爆撃>
アサド軍は、軍を進める前に、5日間、徹底して空爆と砲撃を行った。その後でカラの町に部隊が侵入した。カラの町のすぐ東側を、ダマスカスとホムスを結ぶ自動車道が走っている。北のカラと南のヤブルードを結ぶ線の西側が、反政府軍の支配領域となっている。地図の上方にカラ(Qara)の町が示されている。その南にヤブルード(Yabroud)が示されている。ヤブルードは幹線道路からはずれ、西側にある。
アサド軍の攻撃は、カラの住民にとって悲しい出来事となった。町を脱出した約18000人の住民は、西の山岳地帯に向かい、国境を超え、レバノンの町アルサルに逃れた。アルサル(Arsal)はスンニ派の町である。レバノンのスンニ派は、国内ではヒズボラと政権を争い、隣国の内戦では、反政府軍を援助している。
アルサルに到着したカラの人々(アルサルとカラは地図参照)
Stringer AFP
カラの町から南へ逃れ、10km南にある町デラティヤ(Deir Attiya)に向かった住民もいる。デラティヤ(Deir Attiya)の位置は地図参照。
カラの住民が脱出すると、空爆と砲撃が始まった。5日間の空爆・砲撃の後、いよいよ地上部隊が町に侵入すると、カラの反政府軍は敗走した。アサド軍の攻撃が急で、反政府軍は迎え撃つ準備ができていなかった。もともと死守する考えはなかったようである。カラムーン山地にはいくつもの根拠地があり、カラを失ったからといって、カラムーン地方全体を失うわけではない。しかし、退却の理由はこれだけではないらしい。後半に真相を書く。
カラからは退却したが、反政府軍はすかさず反撃をし、11月20日、カラの南10kmのところにある町を攻撃してきた。町の名はデラティヤ(Deir Attiya)といい、アサド軍が治安を維持していた。カラを脱出した住民の一部が避難していた町である。(地図参照)
<自由シリア軍の裏切り>
アサド軍にとって、カラは攻めやすかった。理由は地形ではない。カラの町は四方を山に取り囲まれており、守り易く,攻めにくい。したがって、アサド軍は慎重に事を進めた。彼らにとって戦いが容易だったのは、住民の中に反政府軍に参加した者がなく、反政府軍を援護する住民もいなかったことである。
反政府軍の退却の理由について、さらに驚くべきことが語られた。反政府軍系地元メディアの広報官が、シリア・ディレクト紙に語った。
ーーアサド軍は、幹線道路がある東側からと、北側からカラを徐々に包囲した。北側から迫る部隊には、ヒズボラ軍も加わった。そしてこの北方軍は防御を突破する主力軍だった。これに対抗すべく、カラの町の北面の守りについたのは、「イスラム軍」の旅団だった。他の諸グループの旅団も、町のそれぞれの要所を守備していた。
アサド軍の攻撃が近づいてくると、信じられないことに、正面を守る「イスラム軍」の旅団が、退却してしまった。彼らは、他の旅団に何も告げず、自分勝手に逃げた。同時に、コンクルス対戦車ミサイルを全て持ち去った。これは唖然とするような裏切り行為だ。この数台のソ連製ミサイルは、カラの守りにとって、中心的な役割を果たすはずだった。だからこそ、敵主力を受け止める、北面を守る旅団に託された。
アサド軍は、前もって地対地ミサイルを大量に発射し、その後で、戦車を町に入れた。
守備側は、守りの中心であるミサイル部隊が逃げてしまったので、残りの旅団も全員、戦わずして退却した。
戦わず退却するという決定は、守備軍各旅団の合意によってなされたのではなく、最も重要な部署を守っていた旅団が、黙って逃亡したのである。守備軍全体を危険に陥れる行為だった。
その後、やむなく退却するはめになった数個旅団が、逃げた旅団に対し、コンクルス対戦車ミサイルを返却するように要求した。しかし、「イスラム軍」は返すつもりがない。現在、捜査と審理が行われている。
「イスラム軍」の旅団が戦わず逃げたのは、自由シリア軍による明白な裏切り行為だ。反政府軍内部で深刻な裏切りが起きている。もはや単なる内輪もめとは言えない。反政府軍の旅団の中に、かなりの数のアサド支持者や内務省のスパイがもぐりこんでいる。旅団ごとアサドのために働いている場合が、いくつもある。 ーーーーーー
(本文) Regime control of Qalamoun is frightening, very frightening.’ inShare0 November 24, 2013
貼り付け元 <http://syriadirect.org/main/36-interviews/955-regime-control-of-qalamoun-is-frightening-very-frightening>
カラムーン山地の洞窟で休む反政府軍兵士
Qara LCC シリア・ディレクト
<コンクルス対戦車ミサイルの威力 >
RPGは戦車を破壊する能力を持っている。甲板の薄い部位に命中すれば、ほとんどの戦車が操縦不能になる。難点は、命中精度が悪いことで、確実を期す場合、目標から100mほどの近距離から発射しなければならない。
それに対し、コンクルス対戦車ミサイルは、照準に従い航路を修正しながら目標に向かうので、命中率が高い。また射程距離も長い。
コンクルス 9M113
Wikipedia
ルーマニア製コンクルス 装甲車に搭載
Wikipedia
反政府軍は最近コンクルス対戦車ミサイルを手に入れ、大きな戦果をあげている。
<熱誘導ミサイルによって破壊された戦車の数が増加>
東京外国語大学の News Middle East から引用する。
-----------------------------------------------
2013年7月3日『ハヤート』 【ロンドン:本紙】
■反体制武装集団が熱誘導ミサイルによって軍の戦車を破壊
複数の活動家は、反体制武装集団がシリア北部の複数か所で政府軍の戦車20両以上を破壊したと述べた上で、この戦果が自由シリア軍戦闘員の手に新式の対装甲ミサイルが供与された結果だと指摘した。
シャームの鷹大隊に属するダーウド旅団は、シリア北西部イドリブ市と西部のラタキア市の間に位置するブサンクール検問所で戦車2両を破壊するビデオ映像2本を公開した。
最近米国で開かれたシンポジウムで、複数の米国人専門家が、自由シリア軍の戦闘員の手に対戦車兵器が供与されたことを受け、36時間の間に戦車18両が破壊されたと発言していた。
<http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20130703_115623.html>
-----------------------------------------------
<反政府軍は「中隊」規模の部隊を「旅団」と呼ぶ>
訳す際ずいぶん迷ったが、青山弘之氏が「旅団」と訳しているので、「旅団」と訳した。
旅団は、2個連隊からなる。師団は3個連隊なので、師団より1個連隊少ないのが旅団である。
もともとは師団は4個連隊からなっていた。4個連隊を2つに割り、それぞれを旅団とした。つまり、2個連隊=1個旅団、2個旅団=1個師団である。1個連隊は3000名の兵士からなる。
時代の変化とともに、師団と連隊の中間にあった旅団は消滅し、1個師団は3個連隊で構成されるようになった。別の言い方をすると、師団は4個連隊から3個連隊に減少した。そして旅団は消滅した。不完全師団として、例外的に用いられた。
くりかえすと、1個連隊は3000名である。この3000名は、1000名で構成される大隊が3個である。
旅団と言う言葉は生き残り、現在は師団のほぼ同意語として用いられている。2個師団の規模の場合もある。
シリア反政府軍の「旅団」は標準からするとだいぶ人数が少ない。標準の規模とは関係なく、独立した部隊を意味するために、この呼び名を用いているようである。中隊は大隊の下位にあるが、旅団は独立した部隊である。
スペイン内戦の時、人民政府側て戦かった、外国人志願兵の「国際旅団」は世界的に有名である。ヘミングウェイが「誰がために鐘が鳴る」で描いた。