たぬきニュース  国際情勢と世界の歴史

海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

5巻40ー43章

2024-01-30 17:07:24 | 世界史

【40章】
こうして、死ぬ運命の老人たちは互いに慰めあった。兵士たちが砦とカピトルの丘に向かうのを見送り、彼らは励ましの言葉をかけた。「ローマの最後の運命が諸君の勇気にかかっている。360年間ローマが勝ち続けたことを忘れないでほしい」。
ローマの希望と救いを担う兵士たちが、ローマの陥落と同時に命を落とす人々に別れを告げると、女性たちが泣きだし、この場面を一層悲しいものにした。絶望した女性たちは夫と息子の後を追いながら、「私たちを見捨てないで」と泣きながら訴えた。これほど残酷な運命はなかった。結局多くの女性が息子の後を追って、カピトルの丘に登った。非戦闘員を多く抱えることは防衛戦にとって不都合だったが、だれも反対しなかった。彼女たちの受け入れを拒否することは非人間的だった。他にも市内から去りたい人が大勢いたが、カピトルの丘は小さな丘であり、トウモロコシの蓄えも不十分だったので、これ以上の受け入れは不可能だった。主に平民からなる群衆が列をなしてローマを脱出し、テベレ川を渡り、ヤニクルムの丘に逃げた。彼らはそこからローマの地方や近隣の都市に行った。彼らには指導者がいたわけでなく、互いに合意もしていなかった。安全を保証するはずの国家から見捨てられ、絶望した人々は自分の考えと目的に従って行動した。キリヌス(戦士の神)神殿の神官とヴェスタ神殿の処女たちは自分たちの財産を心配せず、どの聖なる品物を優先して持ち出すべきかを検討していた。(キリヌス神は王制初期にサビーニ人がローマに持ち込んだ)。神官と巫女たちはすべてを運び出すことはできず、どれかをあきらめるしかなかった。また運び出すにしても、安全な場所を選ばなければならなかった。考えたあげく、彼らは良い方法を思いついた。神物を土製のツボに入れて、神官の家の隣のお堂の地面に埋めることにしたのである。現在(紀元前1世紀後半)、この場所で唾を吐くことは禁止されている。残りの物は各自が運ぶことにした。彼らはテベレ川にかかるスブリキウス橋(アヴェンティーヌの丘のふもとから対岸に渡る橋)に向かう道路を歩いて行った。彼らがヤニクルムの丘を登っていくのを、L・アルビニウスという名前の平民が見ていた。アルビニウスは兵役に不適な市民の一人で、同類の者たちと一緒に丘に向かっていた。このような危機にあっても、ローマ人は神々を敬う気持ちを失わない。アルビニウスは妻子と一緒に荷車に乗っていた。国家の神官たちが歩いて神器を運んでいるのに、自分たちが荷車に乗っているのは不都合だと、アルビニウスは考えた。彼は妻と子供たちを荷車から降ろした。巫女たちと神器を荷車に乗せると、アルビニウスは目的地のカエレに行った。(カエレはエトルリアの都市で、ティレニア海沿岸にある。ヴェイイの西で、ローマから比較的近い。地図では Caisra となっている)。
【41章】
カピトルの丘は状況の許す限り完全に防備された。老人たちもこの仕事に参加し、完了すると、自宅に帰っていった。彼らは死を覚悟して敵が来るのを待った。最高官を経験した老人は当時の地位と名誉と功績を表す記章のついた衣服を着て死を迎えることにした。その服は神々の馬車を乗り回した時着ていたのだった。また市内を凱旋行進した時もその服を着たのである。彼らはこのように正装して家の前に座った。数人の著者によれば、M・ファビウスの提唱に従い、彼らは国家と市民に命をささげるという神聖な語句を詠唱した。
戦闘の後一晩休んだガリア人は意気揚々とローマに入ってきた。戦闘といっても内実がほとんどなかったので、ガリア人はいたって元気だった。攻撃も戦闘も不要な入城だったので、ガリア人は落ち着いており、気がたっていなかった。彼らは空いていたコリナ門(北端の門)から入り、中央広場まで来ると、いくつもの神殿や砦を見回した。どれも防備が施されていないようだった。念のため広場に守備兵を残し、は分散し、略奪品を探して通りを進んでいった。通りに人の姿はなかった。数人彼らは数人のグループを組み一軒一軒ドアを開けて中に押し入った。獲物を独占しようと遠くまで出かけていく連中もいた。しかし無人の街は異様であり、これは何かの策略で、間もなく一斉攻撃が始まるかもしれないと考えはじめた。彼らは急いで隊列を組み中央公園に戻った。平民の家の前にはバリケードが築かれていたが、貴族の広間はドアが開いていた。ガリア人は締まっている家より、ドアの開いた家を警戒し、入るのをためらった。屋敷の入り口に座っている人々を見て、彼らは畏敬の念を抱いた。衣服とたたずまいに気品があるだけでなく、表情に威厳と神々しさがあった。ガリア人は彫像を見るように彼らに見入った。やがて一人のローマ貴族、M・パピリウスがガリア人の激情に火をつけた、と伝えられている。一人のガリア人がパピリウスの頭を象牙の武器でなぐりつけてから、満足そうに自分のひげを撫でた。ガリア人はみな長い髭を生やしていた。M・パピリウスは最初の犠牲者となった。他の人々は椅子に座ったまま殺された。著名な人々に続き、平民が殺され、生き残った人はいなかった。ガリア人は再び家の中を略奪してから、家に火をつけた。
【42章】
とは言っても、放火された家は少なかった。攻略した町に火を放つ場合、大々的にやるものであるが、ガリア人はそうしなかった。戦闘がなかったので、彼らの破壊本能が呼び起こされていなかったのだろうか。それとも指揮官たちはローマの降伏を望んでいて、「降伏しなければ家を全部焼くぞ」と脅したのだろうか。町を人質として取り、相手の戦意を弱めようというのである。ともかく、焼かれた家の数は少なく、攻略したその日に町全部を焼き払うやり方ではなかった。砦にいたローマ人は市内にガリア人があふれ、通りを歩き回るを見ていた。略奪に続き、いたるところで市民が殺されると、彼らは居ても立ってもいられなくなった。こちらではガリア人のどなり声がしたかと思うと、あちらでは女性と男の子の悲鳴があがる。かと思うと、ごうごうと燃える音がし、家が焼け落ちる。運命の女神が彼らを国家の滅亡に立ち会わせているのだった。彼らは命だけは助かったものの、それ以外のすべてを失った。ローマを脱出し、ローマの陥落を見なかった者たちも哀れである。生まれた土地から離れている間に、彼らの所有物が野蛮人のものになってしまった。恐るべき日が終わり、夜となっても、平安にはならなかった。一時間の休みもなく、別の悲劇が繰り返された。すべてが破壊され、焼け落ちるのを見て、彼らは数えきれない悲劇に打ちのめされたが、彼らに残された一つの地点、小さく貧弱な拠点、アヴェンティーヌの丘を守る決意は一瞬も揺るがなかった。このような出来事が日々くリ返されるうちに、彼らは惨めさに慣れ、自分の右手の刀に注意を向けるようになり、残された唯一の希望は戦闘であると気づいた。 
【43章】
数日間ガリア人は建物を相手に無益な戦いを続けた。町は灰となり、市内の人間は死んでしまったが、丘の上には、ローマの武装集団が残っていた。彼らは降伏しないと決心していた。ガリア人は散々彼らを脅したものの、彼らは降伏を拒否した。ガリア人は結局丘の上の敵と戦うしかなかった。夜が明けると、ガリアの指揮官は戦闘を命令する合図を出し、全員を中央広場に集めた。彼らは雄たけびしてから、楯を上に向け、盾と盾の間の隙間をなくして前進した。ローマ人は冷静に待ちうけ、敵を恐れなかった。守備兵が増やされ、すべての登り口に配置された。敵の声がすると、精鋭の兵士たちが声のする方角に送られた。彼らは敵を自由に登らせ、急峻な崖まで登って来たところを突き落とした。勾配が急であれば、敵を突き落とすのが容易だった。ガリア人は用心深くなり、丘の中腹で待機した。するとローマ兵は崖をなだれ落ちるように下って行った。ローマ兵の突然の猛攻により、ガリア人の多くが死傷した。ガリア人は崖から突き落とされたり、恐ろしい攻撃を受けたりして、二度と丘を登ろうとしなかった。丘の上の敵との戦闘ををあきらめ、彼らは丘を封鎖する準備を始めた。しかし彼らはこの時まで封鎖を考えていなかったので、自分たちの食料を用意していなかった。ローマ市内のトウモロコシは全部焼いてしまったし、郊外のトウモロコシは、ガリア人が市内に入って以後ヴェイイに運ばれていた。そこでガリア人は二つに分かれ、半分が包囲を続け、他の半分は近隣の都市に行って食料を徴発することにした。徴発部隊はアルデア(ローマの南、ティレニア海に近い)に行った。これは運命の女神のいたずらであり、そこで彼らはローマ人の勇気に出会うことになった。アルデアはカミルスの亡命地だった。彼は自分の不運を嘆くより、祖国の運命を嘆いていた。彼は神々と人間たちを責めながら自分を苦しめた。「ヴェイイとファレリーを占領したローマ兵はどこへ行った。すべての戦争で彼らが見せた勇気は不滅であり、勝利は結果にすぎない」。アルデアの市民がカミルスに告げた。「ガリア人がこちらに向かっている。アルデアの市民は不安になり、対策を話し合っている」。
カミルスはこれまでアルデアの議会に出席したことがなかったが、この時は霊感に取りつかれ、議会に赴いた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5巻37ー39章

2024-01-23 16:06:06 | 世界史

【37章】
運命の女神は狙いを定めた人間を盲目にする。計り知れない災難が国家に降りかかろうとしている時、それを避ける努力がなされなかった。フィデナエやヴェイイなど近隣の国家との戦争の際、多くの場合最後の手段として独裁官が任命された。しかし、見たことも聞いたこともない僻遠の民族が海と地の果てからローマに迫っていたのに、独裁官は任命されず、いかなる対策も取られなかった。無謀な行為により戦争を引き起こした三人が司令官となり、これまでにない多数の市民を徴兵した。三人は今回の戦争の規模を理解せず、戦争回避のための交渉を考えなかった。一方でガリアの大使は帰国し、ローマに軽くあしらわれたと報告した。「我々の要求は無視され、国際法に違反した者たちに栄誉が与えられました」。
ガリア人は感情を制御できない民族だったので、ローマに対し怒り、軍旗を取って急いで進軍を開始した。彼らが行軍する音を聞いて、通りすがりの都市の市民は慌てて武器を取り、郊外の人々は避難した。ガリア人は人数が多く、人馬の群れが遠くまで続いた。ガリア人は大声で「ローマを滅ぼしてやる」と叫びながら進んだ。ガリア人がローマに向かっているという噂や報告を最初に伝えてきたのはクルシウムの人たちだった。その後、他の都市が次々に同じ報告をしてきたので、ガリア人の進軍の速さが分かり、ローマの市民は恐怖におののいた。急いで二つの軍団が編成され、ただちに出陣した。ローマからわずか17kmのところで両軍が衝突した。そこはクルストゥメリウム山から勢いよく流れ下るアリハ川がテベレ川に合流する地点で、街道の下が戦場となった。このあたり一帯ににガリア人が押し寄せていた。勢いに乗ったガリア人は不気味な叫び声をあげ、不調和な音をたてるので、ローマ兵は恐怖を感じた。
【38章】
ローマ軍の司令官は陣地の設営場所を確保せず、兵士が身を隠す塹壕も掘っていなかった。司令官は神々に無関心なだけでなく、敵の戦闘力についても無関心で、神々が示す良好な兆候もなく、戦闘を命令した。敵に回りこままれないよう、ローマ軍は戦列を左右に広げた。それで縦の厚みが薄くなった。中央部においてガリア軍のほうがはるかに優勢であり、ローマ軍は対抗できなかった。右翼側の地面が少し高くなっており、ローマ軍の司令官は予備の部隊を投入して右翼を増強した。劣勢が明らかな中央のローマ軍は放置され、彼らは見捨てられたように思い、逃げだす兵士もいた。優勢な右翼はローマ兵の支えとなり、逃げた兵士にとって安全地帯となった。ガリアの首長ベンヌスはローマ軍の中央部の兵数が少ないのを見て、罠があると感じた。中央を攻めていると、敵の予備部隊が側面と背後から襲ってくるかもしれない、とベンヌスは考えた。そこで彼は「ローマの増援部隊を攻撃せよ」と命令した。注意を要するのは丘の上の増援部隊だけであり、それを叩き潰せば、ガリア軍が圧倒的に優勢だった。勝利は容易だ、とベンヌスは考えた。運命の女神が野蛮人に味方していただけでなく、野蛮人の戦術も勝っていた。ローマ軍の側には、特筆すべき司令官も兵士もいなかった。ローマの兵士は恐怖のあまり、逃げることばかり考えていた。恐怖に支配された彼らは、ローマに向かって逃げず、テベレ川を渡ってヴェイイに逃げた。地続きのローマより、川で隔てられたヴェイイのほうが安全だと思ったのである。一方で、丘の上ローマの増援部隊は有利な場所にいたので、しばらく持ちこたえたが、隣の部隊の近くでガリア人の叫び声がした。続いて背後からもガリア人の叫び声がしたので、増援部隊は慌てて逃げ出した。この部隊はまだガリア人と戦っていなかったし、敵の顔も見ていなかった。彼らは敵の声を聞いただけで逃げ出したのであり、対抗して掛け声を上げることさえしなかった。彼らは戦っていなかったので無傷だったが、密集して互いに押し合いながら逃げているうちに、敵に追いつかれ、殺されてしまった。一方、ローマ軍の左翼の兵士たちは、全員が武器を捨てテベレ川の岸に沿って逃げた。しかし、多くの者が殺された。川に飛び込んだ者は助かったが、泳げずに溺れた者、また甲冑の重さのためテベレ川に流された者がいた。無事にヴェイイに逃げた兵士たちは首都の防衛に参加しようとしなかっただけでなく、ローマ軍の敗北を報告すらしなかった。増援部隊以外の右翼の兵士たちのはテベレ川からは遠く、丘のふもとに近かったので、ローマに向かって逃げた。市内に入ると、彼らは門を閉める余裕もなく、砦に逃げ込んだ。
【39章】
ガリア人は突然の大勝利に、あっけにとられた。勝利を信じられれず、彼らはしばらくその場にとどまった。気持ちが落ち着くと、彼らは騙し打ちを警戒した。それもないとわかると、ローマ兵の死体から首を取ると,彼らの慣習に従い、生首を山のように積み上げた。周辺に敵がいないことを確認すると、ガリア人は行進を開始し、日没前にローマに到着した。隊列の先頭を進んでいた騎馬兵が首長に報告した。「ローマの城門が開いていて、見張りの兵士もいません。城壁の上に守備兵がいません」。
簡単な勝利に続き、ローマの無防備はガリア人を驚かせた。彼らは罠を恐れると同時に、知らない都市で夜の市街戦は危険だと考え、ローマとアニオ川の中間で野営することにした。ガリア人は偵察兵を派遣し、他の門と城壁の周囲を調べさせた。敗北したローマ軍は最後の防衛に必死なはずであり、彼らがいかなる策略を考えているか知る必要があった。一方ローマの人々は、大多数のローマ兵がヴェイイに逃げてしまったことを知らなかった。ローマに帰ってきた兵士だけが生き残りだと彼らは思った。すべての戦死者と負傷者のためにローマの人々は嘆き、悲しみがローマの街を覆った。ガリア人が近くに来ているという報告があり、人々の悲しみは恐怖に変わった。間もなく、荒々しい叫び声や雄たけびが聞こえてきた。壁の外をガリアの騎兵たちが走り回っていたのである。敵が今にも攻撃してきそうなので、ローマ市民がはらはらしながら夜を過ごしているうちに、夜が明けた。敵が城壁まで来た時は、すぐにも攻撃が始まると市民は思った。攻撃の意図がなかったら、敵はアリア川に留まるはずだからである。(アリア川はテベレ川の小さな支流、ローマの北16km)。また日没前にも、攻撃が始まると感じた。暗くならないうちに攻撃してくるかもしれなった。夜になると、敵は大規模な夜襲を計画しているのかもしれないと心配した。夜が明けると、市民は恐怖のあまり理性を失いかけた。門から敵の旗が入ってくるのを見て、市民の恐怖は頂点に達した。緊張の連続で精神が限界に来ていたので、最後の一撃となった。それでも、市民は兵士と違って踏みとどまった。アリハ川がテベレ川に合流する地点の戦闘で兵士は逃げ出してしまったが、市民は抵抗を決意した。わずかな兵数でガリア人に正面から立ち向かうことはできなかったので、砦とカピトルの丘の防衛を強化し、ここを拠点に防衛戦をすることにした。兵役の年齢の市民に加え、身体が丈夫な元老たちが妻子と共に陣地に入った。大量の武器と食料を運び込み、戦闘に備えた。これはローマの神々と自分たちを守る戦いであり、ローマの偉大な名声を守る戦いだった。国家の神聖な品物が戦火と殺戮に巻き込まれないよう、神官と巫女たちがこれらを遠くへ運び出さなければならなかった。生き残ったローマ人が最後の一人となっても、国家の宗教を守らなければならない。神々が住む砦とカピトルの丘を守り抜けば、市民の精神的な支柱である元老たちが生き残るのである。国政を導く元老に加え、兵役の年齢の市民の何割かが戦闘を生き延びるなら、たとえローマが破壊され、市内に残った老人たちが殺されても、ローマはは滅びないだろう。老人は戦禍がなくても、残された年月は少ない。平民の老人たちが残酷な運命を受け入れ安くするために、かつて執政官を務め、ローマに勝利をもたらした人々が「自分たちも彼らと運命を共にする」と表明した。「年老いた肉体で武器も持てず、戦えない我々が兵士たちの負担となるのを避けたい」。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする