【40章】
護民官の決然とした発言に、貴族はぼう然とし、怒りのため言葉を失った。10人委員の孫のアッピウス・クラウデイウスはセクスティウスとリキニウスを抑え込む見込みもなく、怒りと憎しみに駆られ、次のように述べたと言われている。「市民のみなさん、かつて私の家族は革命好きな護民官にさんざん非難されたものです。現在の護民官が話すことは私にとって新しいものではなく、少しも驚きません。そもそも国家にとって、貴族の名誉と権威以上に重要なものはない、と私は考えています。我々貴族はいつも平民から敵と見られています。お互いの利益が対立しているからです。高利貸しの利子が暴利を得ていること、また一部の貴族が国有地を大々的に占有しているという批判を、私は受け入れます。我々貴族が元老院に迎えられて以来、指導的な貴族の権威が増強され、権威が傷つけられないよう努めてきたのは事実です。皆さんは私の家族もそのような家族であると見ているかもしれません。平民の要求というよりは、護民官の要求である、執政官の一人を平民とする法案について、私の考えを述べるなら、私自身も私の家族も、公職に就いていた時、意識的に平民の不利益になることをやったことはありません。国家のためにやったことがすべて平民にとって有害だとと考えるのは、現実を無視した妄想です。ローマのために為されたことが他国の市民にとって有害な場合は珍しくないが、ローマの市民全員にとって有益だったことははありません。貴族の最高官の行為や言葉が平民の要望に反する場合があるかもしれませんが、平民の利益を害する目的で為されたり、言われたりしたことは一度もありません。仮に私がクラウディウス家の人間ではなく、貴族でさえなく、普通の市民だったとしても、自分が自由市民の息子であり、自由な国家に生きていると自覚しているなら、現在の状況に黙っていられません。 L・セクスティウスと C・リキニウスは終生の護民官となり、9年間市民に自由な投票をさせないできた挙句、信じられないほど厚かましく振る舞うようになりました。セクスティウスとリキニウスは市民から自由な投票と法律制定の権利を奪っているのです」。
クラウデイウスは話を続けた。
「二人は次のように言います。『我々を10回めの護民官に任命したいなら、条件がある。条件とは、法案を一括して採決することだ」。
セクスティウスとリキニウスは市民の要望を鼻から軽蔑し、高額の割増金を払わなければ、彼らの要望の実現に骨を折るつもりがない、というのです。セクスティウス様とリキニウス様に護民官になってただくための割増金とは、複数の法案を一括して採決することです。複数の法案の中には市民にとって不要で、市民は賛成するつもりがない法案があるのに、それが実現できないなら、市民に必要な法案を実現するつもりがないというのです」。
ここでクラウデイウスはセクスティウスに問いかけた。「タルクイニウス王さながらの護民官にお願いするが、私がこれから言うことをよく聞いてほしい。私が集会の参加者の一人として、こう叫んだとします。『これらの法案の中から我々に有益なものを選ばせてください。有益でない法案を拒否させていただきます』。するとあなたはこう答えます。
『いや、駄目だ。それはできない。それを認めれば、諸君は高利貸しを禁止する法案と国有地を分配する法案だけに賛成し、 L・セクスティウスと C・リキニウスが執政官になるという偉大な事業を拒否するだろう。諸君はこの偉大な計画を敬遠し、嫌っているからだ。3つの法案をまとめて受け入れないなら、私はどの法案も提出しない』。君たちがやろうとしていることは、飢えで苦しむ人に毒の入った食べ物を与えるようなものだ。身体に必要な栄養が欲しいなら、一緒に毒を飲め、というわけだ。もしローマが自由な国であるなら、何百人もの市民が叫ぶだろう。『くたばれ護民官!護民官のための法案など無用だ!』。
そうだ、貴族だって護民官ほどひどいことを言わない。平民のための改革を妨害したい貴族だって、これほどひどいことは言わない。みんなに嫌われているこの私、クラウディウスだってこんなことは言わない」。
クラウディウスは再び市民に向って言った。「市民のみなさん、いつまで護民官の横暴を許すつもりですか。暴君のような二人に執着せずに、別の方法で自分たちが望む法律を実現すべきです。長年聞き慣れた護民官の言葉に盲従するのをやめ、我々貴族の言うことに耳を傾けてみてはどうですか。セクスティウスの言動は自由な国家の市民にふさわしくありません。皆さんがセクスティウスの野望のための法案を拒絶するので、彼は本当に怒っているのです。彼にとって大切な法案の目的は何でしょう。それは、執政官を自由に選べなくすることです。彼の法案が実現すれば、執政官の一人は必ず平民から選ばなければならなり、執政官が二人とも貴族のほうが良い場合、困るのです。かつてエトルリアの王ポルセンナがヤニクルムの丘に陣を敷いた時、ローマは大変な脅威を感じましたが、再びエトルリアが兵を動かしたら、どうなるでしょう。最近ではガリア人の大軍が押し寄せてきて、カピトルの丘と砦を除き、ローマの大部分が占領されました。再び同じような脅威がローマに迫った時、執政官の一人は F・フリウス・カミルスがなるとして、もう一人の執政官になるのが L・セクスティウスではまずいではありませんか。セクスティウスが確実に執政官になるような制度は実に危険です。またカミルスのように偉大な人物でさえ執政官に選ばれないかもしれません。名誉を平等に分け合うと、このような問題が発生するのです。執政官が二人とも平民がなることはあっても、二人の貴族が執政官になれないのなら、国家が揺らぎます。貴族が執政官になれないないなら、恐ろしい結果になるでしょう。身分の平等は国家を破壊します。ひょっとすると、セクスティウスはこれまで経験していない国家の重責に就任することで満足せず、執政官が二人とも平民になることを求めているかもしれません。彼はこう言っています。『執政官の選挙を自由投票ににするなら、市民は平民を選ばないだろう』。彼が言いたいことは『自由な投票では、市民は執政官にふさわしくない人物に投票しない。だから私は市民の遺志に反する選挙を強制する必要がある』。このように特殊な選挙で執政官に選ばれた平民は、市民に感謝する必要がなく、法律に感謝するだろう」。
【41章】
クラウディウスは話を続けた。
「セクスティウスとリキニウスは名誉を求めているというより、強要しているのである。彼らは最大の恩恵を受けても、少しも感謝しないだろう。ささやかな恩恵であっても、人は普通感謝するものである。彼らは自分たちの資質によって名誉ある地位を得ようとせず、偶然によって得ようとしている。自尊心が強すぎて、自分の能力と要求を検査されたり、調べたりするのを嫌う人は多い。そういう人は競争者たちの中で自分だけが名誉ある地位にふさわしいと考える。そして選ばれて当然と考えるのである。その結果、彼は評価を人々に委ねようとせず、自由な選挙を強制的で奴隷的な選挙に変えてしまうのである。リキニウスとセクスティウスは何年も連続して護民官に選ばれ、まるでカピトルの丘の国王のようになってしまった。強制的な手段のおかげで二人は好条件を与えられ、執政官になるのが容易になるだろう。った。しかし我々貴族にとっては条件が悪くなり、我々と我々の子孫にとって、執政官への道が狭くなるだろう。皆さんが貴族の誰かを執政官に選びたいと思っても、それは許されない。みなさんは、望むと望まないとに関係なく、セクスティウスやリキニウスのような人を選ばなければならない。平民も威厳を持てるようになりたい、とセクスティウスは繰り返し語った。しかし彼は地上の人間にしか関心がなく、神々には興味がない。彼は宗教的な勤めや前兆をなおざりにしている。神々に関することを軽蔑し、冒涜している。神々がローマの建設を望み、前兆が現れたので、我々の祖先はこの場所に町を建設したのだ。だから、戦時においては戦場で、平和な時には首都において、重要な決定は前兆に従わなければならない。建国以来、神々の意向を伺ってきたのは誰か。それは貴族である。平民には前兆は現れないので、神官に任命された平民はいない。神々の意向を知ることができるのは貴族だけである。人々が貴族を最高官に選ぶ時も、前兆に従わななければならない。またを最高官が死亡したり、突然辞任した場合、我々貴族は市民に相談することなく暫定最高官を選んでいるが、良い前兆が現れなければ、選びなおさなければならない。役職についていない貴族に対しても、神々は前兆を与えるが、平民は最高官になったとしも、前兆を得られない。もしセクスティウスとリキニウスの改革が実現し、平民が執政官に就任したら、神々はローマに前兆と庇護を与えないだろう。最近宗教心のない輩を見かけるようになった。神々を畏怖している貴族を見て、平気であざける人がいる。『神聖な若鶏が餌を食べないことが、それほど重大事か。鶏小屋から出てこないことが大問題か。鳴き声がいつもと違うことが、そんなに不吉か』。
確かにそれらは些細のことかもしれない。しかし我々の祖先はそうした小さな変化に注意を払うことにより偉大な国家を作り上げてきたのだ。ところが最近、神々と良好な関係を保つ必要がないかのように、宗教的な儀式をおろそかにしている。大神官、前兆を判断する神官、そして神々に捧げ物をする神官に誰がなってもよいだろうか。主神ユピテルに仕える神官の帽子を誰がかぶってもよいだろうか。神聖な盾や神殿を守り、神事を執り行う聖務を不信心な者に任せてよいだろうか。宗教に関する法律は制定されなうなるだろう。神官や最高官は前兆がないまま任命されるだろう。元老院は百人隊の集会や部族集会の開催を承認する権限を失い、セクスティウスとリキニウスは新しいロムルスやタティウスとしてローマの支配者になるだろう。
(日本訳注;タティウスはロムルスの共同王。ローマとサビーニ人の戦争の最中に、ローマ人の妻となっていたサビーニの女性たちが割って入り、戦争は中止された。サビーニの指導者ティトゥス・タティウスがロムルスと共同の王となった。)
セクスティウスとリキニウスは貴族のお金と土地を市民に配ることで、人々から絶大な信頼を獲得した。しかし二人は貴族にとっては略奪者なのだ。国有地の占有者を追い出せば、広大な土地が荒廃することを、二人は予見できない。また貸金業を廃止するなら信用取引が消滅し、都市の経済が成り立たないことを二人は考えない。多くの理由でセクスティウスとリキニウスの法案は拒否されなければならない。神々が皆さんを正しい決断に導くよう祈ります」。
【38章】
この年が終わっても、ローマ軍はヴェリトラエから帰還しなかった。それで二つの改革は翌年の執政副司令官の時代に持ち越された。翌年の執政官に選ばれたのは以下の6人である。T・クインクティウス、Ser・コルネリウス、Ser・スルピキウス、Sp・セルヴィリウス、L・パピリウス、L・ヴェトゥリウス。
平民は迷わず、リキニウスとセクスティウスを再び護民官に選んだ。平民は二人の改革を熱心に支持していた。年の初めに、平民と貴族の戦いは最終局面を迎えた。部族会議が招集されると、リキニウスとセクスティウスは同僚の拒否権行使は無効であると主張した。事態が危険な法方向に向かっていると感じた貴族は最後の砦、つまり最高の権力を行使できる人物に頼ることにした。彼らは独裁官の任命を決定し、M・フリウス・カミルスを独裁官に任命した。カミルスは L・アエミリウスを騎兵長官に任命した。貴族の恐るべき対抗手段に対し、リキニウスとセクスティスは勇気と決意という武器で平民の権利を守ろうとした。二人は部族集会を招集し、投票を求めた。独裁官は怒り心頭になり、精鋭の貴族に守られながら集会にやって来ると、リキニウスとセクスティウスを威嚇する態度で席に着いた。改革案を提案する者と拒否権でそれをつぶそうとする者の間の激しいつばぜり合いが始まった。法的には独裁官の立場が強かったが、法案は平民に圧倒的に支持されており、セクステイウスとリキニウスはカミルスより人気があった。実際最初の部族は既に「賛成」と表明していた。これを批判してカミルスは述べた。
「市民の皆さん。護民官は権限外のことをしており、正当な権威を否定しようとしています。彼らを支持してはなりません。護民官の拒否権は平民の会議で承認された、正当な権利です。それなのに、この権利は現在、暴力的に無効にされようとしています。もっとも拒否権自体が冷静な話し合いによって承認されたのではありませんが。独裁官として私は、国家のためだけでなく、平民である皆さんのためにも護民官の拒否権を擁護するつもりです。現在皆さんが破壊しようとしている拒否権を、独裁官の私が守り抜きます。もし C・リキニウスと L・セクステイウスが同僚の反対を受け入れるなら、貴族である私は平民の会議に干渉しない。もし同僚の護民官の反対を無視して、二人がまるで戦争の勝者であるかのように、改革を国家に強制するなら、私は護民官の権限の悪用を許さない」。
セクステイウスとリキニウスは独裁官の主張を軽蔑し、揺るがぬ決意で改革を推し進めることにした。するとカミルスは怒り、異常な権幕で護衛兵に平民を追い払えと命令した。「もし彼らが集会を続けようとするなら、彼らを兵士とみなし、首都から連れ出せ」。
平民はおびえたが、彼らの指導者は独裁官の威嚇にしり込みするどころか、怒り狂った。独裁官と護民官の戦いはどこまで行くかわからなかったが、突然独裁官が辞任した。独裁官の任命に不正があったと主張する歴史家もいれば、護民官が独裁官を処罰する提案をし、平民がそれを承認したからだと考える歴史家もいる。「もしカミルスが独裁官として威嚇を続けるなら、彼に50万アスの罰金を課す」と平民が決議したので、カミルスは処罰を避けるために辞任したというのである。しかし平民が独裁官を処罰した前例はなく、この説明は受け入れ難い。私は前兆が間違っていたのだと思う。またカミルスの性格を考えると、罰金を課すという脅迫に屈するはずがない。カミルスの辞任後すぐにマンリウスが独裁官に任命されており、元老院は間違った前兆を信じてカミルスを独裁官にしてしまったのだろう。カミルスが敗北してしまったら、いかなる貴族が独裁官になっても、勝てる見込みはない。カミルスは翌年再び独裁官に任命されており、前年護民官に打ち負かされていたら、再び独裁官に就任するのを恥じただろう。彼に罰金を課す決議がなされたとしても、そもそも独裁官の権限を制限しようとする行為は無効である。独裁官は全権を有しており、すべての市民は彼の命令に従わなければならない。誰も彼の決定に反対できない。従ってカミルスは平民の決議を無効にできただろう。独裁官は何物にも制約されないからである。護民官がカミルスに巨額の罰金を課そうとしたのは、3つの改革案を独裁官につぶされたくなかったからである。しかし護民官が独裁官と争おうとしても無駄であり、独裁官は護民官の法案を無効にできる。護民官はこれまで執政副司令官と争ってきたが、独裁官の前では無力である。
-----(日本訳解説)ーーーーーー
護民官が執政副司令官の選挙を止め、5年間執政副司令官が不在だった。共和制が始まって以来このようなことは起きたことがない。執政副司令官が不在の期間は1年だけだったという説もあるが、護民官が執政副司令官の選挙を止めたという古い記録がある。なお「歴代執政官のリスト」は5年という説を採用している。元老院が黙ってこれを受け入れたのは、驚きである。セクステイウスとリキニウスに指導された平民運動が異常な高まりを見せ、元老院はその圧力に押され、引いてしまったのだろう。しかし、その後セクステイウスがさらなる挑戦をしたため、元老院は我慢の限界に達し、反撃に転じた。M・フリウス・カミルスを独裁官に任命したのである。カミルスは並外れた精神力を持つ人物であり、最強の軍事指揮官である。彼の名声はギリシャにも伝わっていた。カミルスの登場により、平民と貴族の戦いは最大の山場を迎える。元老院が我慢の限界に達した原因は、セクステイウスが、同僚の護民官の拒否権を乗り越えようとしたからである。いかなる障害も乗り越えて進むセクステイウスが本領を発揮した。拒否権が無効にされれば、貴族は護民官の過激な法案を封じる手段を失ってしまう。拒否権を乗り越えようとしただけでなく、セクステイウスは執政官の一人を平民から選ぶことを再び主張し(37章の終わり)、「聖なる書物」を管理する神官の数を2人から10人に増やすことを新たに提案した。10人となった定数の5人を平民とすることを求めたのである。これらの要求は貴族にとって最後の一線を越えるものだった。執政官の地位の重要性は言うまでもないが、「聖なる書物」を管理する神官の地位も非常に高いのである。無宗教の現代人には理解しがたいが、一般に神官の地位は高く、貴族でなければ神官になれず、神官の職は貴族の牙城になっていた。特に、「聖なる書物」を管理する神官になれるのは、執政官経験者だけである。
恐れを知らない挑戦者であるセクスティウスによって、平民の戦いはこれまでにない高みに達した。これに対し、最終解決者として独裁官カミルスが登場し、貴族と平民の最後の決戦が始まる。リヴィウスが説明しているように、独裁官は元老院にとって切り札であり、本来いかなる者も独裁官の命令に従わなければならない。外国の軍隊ならいざ知らず、護民官が独裁官と争うことなどありえない。最初からセクステイウスに勝ち目はない。ところがである。貴族と平民の究極の戦いは中途半端に終わる。カミルスが突然独裁官を辞任してしまう。平民はあくまでローマ市民であり、外敵ではく、同胞であり、彼らと全面戦争をするわけにはいかない。平民との争いは微妙で、政治的に解決すべきである。元老院が国内の問題ででカミルスを起用したのは失敗だった。元老院はこれに気づいた。カミルスと護民官の争いが平民を巻き込んだ全面衝突に発展する前に、早々とカミルスを引っ込めた。平民との全面面戦争になれば、カミルスが勝ったとしても、貴族と平民の間にしこりが残り、両者の溝が深まる。カミルスは老人であるが、軍隊の指揮官として彼は健在であり、国内問題で彼に汚点がつくのは避けたい。翌年の戦争で彼は力を発揮する。国内問題でカミルスを起用した過ちを、リヴィウスは「前兆が誤っていた」と説明している。カミルスと護民官の戦いが恐ろしい結末になる前に、元老院は「前兆の誤り」という理由で独裁官を変えた。土壇場で元老院は作戦を変え、対決路線を捨て、柔軟な路線を採用したのである。この時代の元老院は250年後、グラックス兄弟の時代の元老院と違って、思慮深く、柔軟だった。-----ーーー(解説終了)
【39章】
カミルスが辞任し、マンリウスが独裁官に就任するまでの間、平民会を牛耳る護民官はまるで暫定最高官のようにふるまった。しかし平民と護民官の考えにずれがあることが判明した。平民は二つ法案を強く要望したが、残りの一つについては、護民官は熱心に要求したが、平民の関心は低かった。その結果、高額の利子を禁止する法案と国家の土地をすべての市民に平等に分配する法案は平民会で承認されるのは確実であるが、執政官の一人を平民から選ぶ法案は平民会で否決されるように思われた。
新しく独裁官となった P・マンリウスは平民に融和的であり、平民の C・リキニウスを騎兵長官に任命した。 C・リキニウスは、紀元前400年平民として最初に執政副司令官に就任した C・リキニウス・カルブスの孫だった。
(日本訳注:騎兵長官になったリキニウスは護民官として活躍しているリキニウスと別人。どちらも C・リキニウスであるが、騎兵長官になったのは C・リキニウス・カルブスで、護民官のほうは C・リキニウス・ストロである。なお C はガイウスである。C はクと発音されるので変であるが、クとグは似ているので頭文字として採用されたのだろう。)
平民が騎兵長官に任命されたことに、貴族は反発した。しかし、独裁官といえども、平民全体が敵となっては、権力の行使が難しくなる。独裁官は述べた。「騎兵長官は執政副司令官のような高い役職ではない」。
護民官の選挙が公示されると、セクスティウスとリキニウスは再選を希望しないと表明した。しかしこれは二人がかけひきをしたのである。平民は自分たちの目的が達成されないと困るので、ぜひ二人に護民官になってほしかった。セクスティウスとリキニウスは言った。
「9年間我々は貴族と戦闘状態だった。我々の命が危険にさらされたにもかかわらず、民衆は何の成果も得られなかった。同じ護民官が長年同じ要求をしてきたので、我々二人は擦り切れ、要求は色あせた。我々が提出した法案は最初同僚の拒否権で妨害され、次に多くの平民がヴェリトラエの戦場に行ってしまい、採決が延期された。最後に、独裁官が登場し、我々に襲い掛かった。幸い現在は裏切者の護民官はいないし、戦争も終わり、カミルスは辞任してしまったので、これまでの障害はすべて消えた。現在の独裁官は平民が執政官になることに前向きで、平民を騎兵長官荷任命した。ところが、信じられないことに、平民が自分たちの真の利益に盲目であり、我々に反対している。平民が正しい選択をすれば、高利貸しから解放され、国有地を不法に占拠している貴族を追い払うことができるだろう。もし以上のことが実現したとしても、平民のために素晴らしい提案をした者二人が最高の栄誉を獲得するのを妨げられ、希望を失うなら、平民の諸君は恩知らずではないだろうか。高利貸しによる重荷を振り払い、国有地の分配を要求しながら、諸君の要求を実現するために働いた護民官が老後に栄誉と名声を期待できなかったたら、ローマ市民に自尊心がないと言われてもしかたがない。諸君は自分たちが真に求めるは何か、決めなければならない。それから選挙で自分たちの意志を表明しなければならない。もし複数の法案を一括して採決するつもりなら、我々は再び護民官になってもよい。もし諸君が自分たちが望む法案さえ実現すればよいと考えているなら、我々は再び護民官になって貴族に憎まれるのは嫌だ。我々が護民官にならなければ、諸君の要望は実現しないだろう」。
【36章】(前の章は376年、この章は370年)
幸いなことに、外国との戦争は一度しかなかった。平和な時代に自由になりすぎたヴェリトラエの植民者が、ローマ軍の不在をいいことに、様々な機会にローマ領に侵入した。その後彼らはトゥスクルムを攻撃し始めた。トゥスクルムはローマの古い同盟国であり、現在はローマの市民権を得ており、当然彼らはローマに助けを求めた。トゥスクルムの窮状は元老院だけでなく平民の同情を誘い、トゥスクルムを助けないのはローマの恥だと人々は考えた。護民官はついに折れ、執政副司令官の選挙を承認した。暫定最高官が任命され、占拠を管理することになった。そして以下の6人が執政副司令官に選ばれた。l・フリウス、A・マンリウス、Ser・スルピキウス、Ser・コルネリウス、P・ヴァレリウス、C・ヴァレリウス。
執政副司令官たちは選挙の時は気づかなかったが、徴兵を始めると、平民が反抗的なのに気づいた。苦労の末、執政副司令官はなんとか軍隊を編成できた。ローマ軍はトゥスクルムに向かい、城壁の前の敵を引きはがすと、敵は城内に逃げ込んだ。その後ローマ軍は植民者の本拠地であるヴェリトラエを攻撃することにしたが、ヴェリトラエの攻略はさらに大変だった。ヴェリトラエを包囲したが、ローマ軍の司令官はこの町を攻め落とすことができなかった。そこで司令官を一新することになり、新しく6人の執政副司令官が選ばれた。Q・セルヴィリウス、C・ヴェトゥリウス、A・コルネリウス、M・コルネリウス、Q・クインクティウス、M・ファビウス。
司令官が代わっても、ヴェリトラエの状況は少しもよくならなかった。一方国内が危機的な状態になった。リキニウスとセクスティウスは8回連続して護民官に選ばれた。リキニウス・ソルトの義父であるファビウス・アンブストゥスが二人を支持していた。ファビウス・アンブストゥスは前面に出て、自分が始めた一連の処置の正当性を主張することにした。最初は、護民官団の中の8人が彼の提案に反対していたが、現在反対する者が5人に減った。反対を続ける5人は自分の階級を裏切った人間がそうであるように、追い詰められてどぎまぎし、貴族にひそかに教え込まれた理屈を並べて自分の立場を弁護するのだった。5人は次のように主張した。「多くの平民がヴェリトラエの戦場に行っているので、兵士たちが戻るまで、市民集会を延期すべきだ。平民の利益に関係する事柄は全員出席のもとで採決すべきだ」。
長年平民を扱ってきて、平民の扱いに熟練しているセクスティウスとリキニウスは味方の同僚たちと共に、執政副司令官であるファビウス・アンブストゥスの協力を得て、貴族の指導者たちを呼び出し、彼らの庶民に対するやり方について、一つ一つ質問した。「あなた方は、平民には2ユゲラの土地しか与えないないくせに、自分たちは500ユゲラ以上の土地を要求している。図々しいとは思わないのか。実際、一人の貴族が平民300人分の土地を所有できる。それに対して、平民の土地は雨をしのぐ屋根の広さほどしかない。墓の場所を確保するのも難しい。借金で平民が押しつぶされるのは、あなた方の喜びなのか。彼らが奴隷っとなって足かせをはめられ、罰を受けるのが、楽しいのか。平民が元金の2倍を完済して自由になるのは、面白くないのか。大勢の平民が債権者の所有物となり、広場から連れ出されるのが、面白いか。貴族の家が囚人であふれるのが、愉快か。どこの貴族の家にも私的な牢屋があるのがよいのか」。
【37章】
貴族の非道なやり方について、彼らは人々の面前で告発した。この問題は聴衆にとって切実な問題だったので、告発者の想像以上に聴衆は貴族に対して怒った。セクスティウスとリキニウスは告発を続けた。
「結局、貴族による国有地の接収と高利貸しによる平民の殺害には限度がない。これをやめさせ,平民の自由を守るには平民出身の執政官を選ぶしかない。貴族の使い走りをする護民官がいて、拒否権を行使するので、護民官の制度が破壊されてしまった。護民官は今や軽蔑の対象となった。行政権が貴族の手にある限り、公平で正しい統治は期待できない。なぜなら護民官は拒否権を行使することによって自らを否定してしまったからだ。行政権が平民に開放されない限り、平民にはは発言権がない。執政官の選挙に参加できるだけでは無力だ。少なくとも執政官の一人が平民から選ばれるようにしない限り、平民の執政官は誕生しない。そもそも執政官が最高官だったのに、最高官を執政副司令官に変えたのは何のためだろう。貴族は忘れているようだが、それは平民も最高官になれるようにするためだった。それなのに、44年間一人の平民も執政副司令官に選ばれなかった。貴族はどのように考えたのだろう。最高官の地位に慣れた貴族8人が執政副司令官に就任すれば、2人の平民をを執政副司令官にしてもよいと考えたようだ。しかし10人の最高官は多すぎるとわかり、貴族だけの6人にしたのだろう。こうして長い間平民を執政副司令官に就任させなかったので、今後は平民が執政官なるのを認めようと考えるようになったのだろうか。貴族がどう考えたかはともかく、平民は貴族の恩恵によっては得られない地位を法律によって手に入れなければならない。議論の余地なく、執政官の一人は平民がなるように決めなければならない。執政官の一人を平民と限定せず、自由競争にするなら、必ず強い階級の者が執政官に選ばれてしまうだろう。昔は貴族が平民の挑戦を受けて苛立ったものだが、今では最高官にふさわしい平民は絶滅したので、貴族はいらだつことがなくなった。P・リキニウス・カルブスが平民として初めて執政副司令官になって以後、貴族の政府は魂を失ったようようになり、貴族が執政官を独占していた時代の活力がなくなったのだろうか。いやそんなことはない。最高官の職を終えてから弾劾された貴族が数人いる。執政副司令官になった平民が少ないとしても、弾劾された平民は一人もいない。執政副司令官の地位と同じようにクァエストルも数年前から平民が選ばれるようになった。
(日本訳注:⓵ 「 P・リキニウス・カルブスが平民として初めて執政副司令官になったのは、紀元前400年。② クァエストルは執政官の下僚で、財務と裁判とを担当した。)
執政副司令官やクァエストルになった平民に対して、市民が不満を述べたことは一度もない。平民に残された最後の課題は平民の執政官を誕生させることである。これは平民の自由を保障する最も確かな手段である。もし平民がこれを実現したら、君主制がローマから完全に消えたとわかるだろう。その時こそ平民の自由が揺ぎ無く確立されるのである。これまで貴族が独占してきた優越性、すなわち政治力、権威、軍事的栄光、貴族的な性格が、平民のものになるのである。平民は偉大さを享受し、その偉大さをを子孫に残すのである」。
自分たちの演説が承認されたのを見て、セクスティウスとリキニウスは新しい提案をした。これまで二人の神官が「聖なる書物」を管理してきたが、これに代わり、10人で構成される神官団の創設を提案をしたのである。10人の神官団の半分を貴族から選び、残りの半分を平民から選ぶのである。執政官の一人を平民から選ぶこと、そして「聖なる書物」を管理する神官を10人に増やし、5人を平民から選ぶことを決めるは、ヴェリトラエを包囲しているローマ軍が帰還してからになった。