私は生来そそっかしく、よくあちこちで足を壁際や柱の角にぶつけることがある。このときもグラスを取りに急ぎ、台所へ勢いよく飛び込んだ・・・。直後、激痛が脳天までつき抜けた・・・。
弾みというものは怖いものだ。右足の親指の爪が、ナイフで果物の皮を剥くように冬瓜の表皮を削り取ったのだった。親指を見ると、削ぎ取られた冬瓜の皮が、爪と指肉の間を甘皮近くまで貫入し、その部分から血液が流れ出ていた。
皮の末端が出ていないので、端をとげ抜きで掴んで引き抜くことができなかった。とても素人では対処できないと、夜間救急病院へ行った。
診察の際、事情を話すと当直の若いドクターは「トーガンねえ・・」と訝しげに患部を眺め、側にいた中年のナースに「ところでトーガンてどんなものだっけ?」と聞いた。
それを聞いて、私は顔の血の気が退いてゆくのを感じた。トーガンを知らなければ、その皮の物性もわからないだろう。人間未知のモノは過大に評価するのが普通だ。爪を剥ぎ取るほどの大手術になるかと予想して観念した。
ただちに手術?が始まった。「ハイ、横になって、麻酔を注射します」。ドクターは、麻酔が効いてきたのを確かめると、鋏で爪を限界まで切りとった。そして、しばらく患部を眺めていたが、やおら「そこの注射針を」とナースに指示した。注射針を使って、爪と指肉の間の冬瓜の皮を掻き出すつもりらしい。爪を剥がれるのは免れたが、予想を覆す展開に慄然とした。
「ハイ、我慢して!」というが、注射針が爪の中の内容物を掻きだすときの痛みは強烈で、麻酔が効いていることが到底信じられない。
トーガンの皮は繊維質ではないから、爪の中で細かく破砕されている。それを注射針で丹念にひとつづつ掻き出す作業は、延々と無限に続くかと思われた。
何回「我慢して」が続いたろうか。「ハイ、これで大丈夫」と言われ、ナースが包帯を巻き始めたころには、人事不省の状態に陥っていた。
翌日からは、患部の消毒をしてもらうため近所の外科医のもとへ通った。此処のドクターも「トーガンで怪我ねぇ・・前代未聞だなぁ・・」とナースと一緒になって面白がり、まっとうな患者として扱って貰えなかった。肩身の狭い思いの通院が続き、漸く包帯が取れたのは10日後だった。以来、トーガンは見るのも食べるのも嫌いな野菜になっている。
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