道々の枝折

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「無謬性の原則」という誤謬

2022年08月14日 | 随想

日本の政府・官僚組織の政策立案において、ほとんど無意識のうちに前提とされて来たものが「無謬(むびゅう)性の原則」だと教えられ、愕然とした。この無意識に身についたクセのようなものは、クセモノである。

無謬性の原則とは、「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはならない」という信念だという。

政策・施策や計画の概念とその目的を根本的に無意味なものにする、不合理かつ不健全な、トンデモない妄念である。国を衰亡に導く、看過してはならない考えではないか。

当事者の組織とは、国や大企業など、権威ある機関のそれである。
省庁など行政機関、軍隊もこれに該る。
ヒエラルキーの上位の信念は、下位に無条件で及ぶ。理知的な人々で構成される組織が、こんな信念で動いていたら、国は間違いなく滅ぶだろう。

明治維新(1868年)以後、欧米の文化を見習って、曲がりなりにも近代国家の仲間入りをした(と思っていたわが国に)、このような正義にも合理性にも悖る不条理な信念が存在していたかと思うと、日本の内政・外交・国防などあらゆる統治に関わる政策への信頼が揺らぎ、無力感に襲われる。このような考えが、今なお陋固として社会の統治機構の各組織に生きていることが信じられない。

人は過つもの誤るものとの前提で、それを出来るだけ排除する統治システムを目指し、制度を組み立てる西欧的合理精神からは、無謬性の原則や神話などという考えは、絶対に理解不可能であろう。文化人類学や社会人類学の研究対象になるようなテーマである。

明文化されたルールなら、民主国家においては即刻廃止されてしかるべきものだが、制度的なものでなく、我が国の組織集団に特有の暗黙の了解(インフォーマルルール)だから始末が悪い。この原則は、日本社会の凡ゆる官僚的大組織を貫いている、最高にして絶対のインフォーマルルールであるらしい。

そもそも人間がすることを、A失敗しない・失敗してはならないと考えることには、合理性が微塵もない。
「失敗しない」「失敗してはならない」のだから、B失敗した時のことは考える必要はないし考えてはならないというのは論理の飛躍であり逆転である。こういう「A→B」式の論理の飛躍・逆転は、幕末以後の日本の政治史では、屢々見つかっている。
どうやらこのような論理の飛躍は、日本人が近代文明に触れた結果、旧来の伝統的価値観が新来の西欧近代思想と衝突し、軋轢を生じた時に発生したものかもしれない。それは専ら議論を封じる手段に使われて来た。

戦争の時代の「昭和」に起きた事変・戦争における数々の軍事作戦で、陸軍の参謀本部や海軍の軍令部という作戦計画部門は、「無謬性の原則」の下で正しく機能できていたのだろうか?優秀な参謀による数々の作戦計画は、敗北をいっさい考慮しないで立案されたものだったのだろうか?軍の多数の将兵の命が懸かった作戦計画で、所期の計画が蹉跌した場合に次善の策が講じられていないか等閑にされていたとしたら・・・

貴重な人命と膨大な国費を投入する軍事作戦において、万一の敗北による部隊の速やかな撤収と兵站確保を予期しない作戦が現実にあったとは考えられない。しかし今となっては、敗戦時の陸海軍証拠隠滅により、事実は全て近代史の闇の中に消え検証されることはない。

このような「無謬性の原則」という迷妄は、今なお政府機関に限らず、大企業や自治体など、民主国家日本のあらゆる官僚的組織内に、信念として広く共有され墨守されているらしい。組織を永続させるために失敗は許されないから、その組織に過誤は生じない。このロジックは、民主主義にとって極めて背反性の高い考えである。隠蔽体質もここに起因する。

計画が失敗したときに起きる最悪の状況(財政・社会保障の破綻など経済政策の失敗や国土防衛計画の作戦失敗)が具体的にどういうことになるのかを予見したうえで、そのときの善後策として何ができるかを検討することは、国家の政策軍事作戦計画では極めて重要である。立案には種々シミュレーションをする義務が伴うのではないか?政策当局に「失敗してはならない」という重責があるからといって、「失敗した時のことを想定してはならない」という理屈にはならない。それは余りにも不合理な結論である。

日本の官僚組織が「自分たちの政策が失敗した時のことを考えてはならない」という信念で担務を処理しているとしたら、究極の無責任体制が其処から生まれる。それなら、公文書の保管管理が西欧先進諸国と際立って異なり、甚だ粗放である理由も理解できる。国民の不遇の根源は、すべてこの理解不能な原則に起因していると言っても過言ではないだろう。

日本の権威ある組織に蔓延する「無謬性の原則」または「無謬性の神話」は、戦時中の日本軍のミッドウェー海戦敗退以降の大陸、西・北太平洋、南太平洋での数々の作戦の敗北と、延いては無条件降伏の素因だったと見ることができる。彼我の物量・生産力の格差に敗因を求めて納得していては、問題の本質は見えてこない。

私たちの現在の為政者が、敗戦前の非合理な時代の為政者と、その精神構造において何ら変わっていないとしたら、この現在の危うい世界の政治情勢のもとで、私たち国民は自分たちの政府や行政機関に何を頼り何を期待することができるだろう。

最悪の事態への綿密詳細な対策を「立てない・立てられない」なら、国民の生命・財産など守られるはずもない。政治家は守るというが、どうやって守るのかが、大問題である。過去には守らなかった。

この不合理で不健全な原則が、日本社会の凡ゆる無責任の体質と、政策破綻時における無為無策や収拾の拙劣さの淵源になっていることを、私たちはしっかり念頭に置かなければならない。

例によって日本のメディアは、この不合理で不健全なロジックを知っていながら、一部を除いて知らないふりをし、国民に問題提起をしないで来た。メディアの組織そのものが、この原則の下で機能していだからだろう。
これでは、良心的なジャーナリズムや野党が、政府を監視し失政を追求し、記事や国会で糾弾しようにも、政治と行政の担当者は自らの責任を決して認めないし、認める必要を感じないだろう。果たして今日の日本は、民主主義国家と呼べるかどうか甚だ疑わしい。

明治に近代国家として歩み出した我が国は、徳川幕府以来の官尊民卑の弊習を身につけたまま、近代市民意識不在の封建制の台木に西欧の立憲君主政治を接木した。
江戸時代の封建制の下でお上の絶対に馴らされた民衆は、お上が誤ることなどあるはずがないという教条を信じ、違和感なく官尊民卑の「無謬性の原則」を受け入れたに違いない。お上が将軍から天皇に変わっただけの明治の政・官にとって、民に問われる責任などあろうはずがないという考えは単なる前例踏襲だった。これが文明開化後の、行政官僚と軍事官僚が主導した官僚制国家日本の真の姿である。

それは明治以降の政治・行政における為政者の精神として、大正・昭和の時代も連綿と受け継がれている。それは今日も守旧勢力の信念として機能しているかも知れない。もしそうなら、民主国家に生まれ変わり、主権在民が憲法に明記された戦後においても、統治の本質は戦争前と些かも変わっていないことになる。

戦後の民主主義は、ある意味錯誤か偽装に近かったのではないか?そのように理解すれば、1955年以来の保守政権の治世下で度々国民が遭遇した、政治・行政上の数々の不祥事の謎も氷解する。

私たちの求める民主政治とは、平時においては政策の立案時に、戦時においては戦略・作戦の立案時に、それが万一失敗したり破綻した場合の収拾案が充分検討し尽くされて初めて実行されるものでなくてはならない。
政策の策定に於いて、それらが実行され失敗した際の収拾策の検討を無用のものにし、失敗原因の究明も責任者の追及も行わず、従って再発防止策も立てられないのは、今も「無謬性の原則」が厳然と生きているからに違いない。








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