グミの木には、なぜか心が惹かれる。特に美味しい果実でもないのに・・・
ロシア民謡に「小さいぐみの木」という唄がある。
♫
何故かゆれる 細きぐみよ
かしらうなだれ 思いこめて
広き川の 岸をへだてて
高き樫(かし)の木 ひとり立てり
ぐみの想い 樫に伝えん
わが身ふるわせ 語るときに
細き枝を 君によせて
日ごとにささやく 若葉のこえ
ぐみの心 とどかざれど
永遠(とわ)の願いは やがて結ばん
かしらうなだれ 思いこめて
広き川の 岸をへだてて
高き樫(かし)の木 ひとり立てり
ぐみの想い 樫に伝えん
わが身ふるわせ 語るときに
細き枝を 君によせて
日ごとにささやく 若葉のこえ
ぐみの心 とどかざれど
永遠(とわ)の願いは やがて結ばん
♫
ロシア語では、樫の木は男性名詞、グミの木は女性名詞だそうです。
この歌を覚えた多感な年頃は、下町育ちの悲しさ、グミはおろかアケビも知らなかった。現在は自宅に植えた夏グミが毎年実をつける。ヒヨドリはこの実の熟すタイミングに精通していて、採りごろの実を先奪りしてしまう。
グミの木は、不思議なことに葉も実も淡い褐色を帯びている。目も心も惹かれるのは、実の形の可愛いさばかりでなく、その色調の深さ故かもしれない。葉にも実にも淡褐色の微細な毛が生えているからだろう。
かつて紅葉の頃に、長野県飯田市の【大平宿】を訪れたことがあった。カラマツ林に囲まれた静謐な廃村の宿場跡の路傍に、びっしり赤い実を着けた秋グミの木が1本立っていた。
帽子にいっぱいの実を摘んで帰り、ジャムにしたら、意外にも佳い風味だった。生食して美味しくない果実は、ジャムにすると美味しいという言い伝えのとおりだった。
その後磐梯高原でも、野生の秋グミに出会った。この時は、ヤマボウシ(山法師)の実も熟していて、それぞれの実を賞味するに忙しかった。
木の実には、原始の人びとが感じた興奮を、今も呼び起こす力があるようだ。
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