木枯らしが吹き紅葉が散ると、県内の山野にも、裸木の林とカヤトの原が出現する。落葉樹の林とカヤトの原は、セットのような間柄。敢えてススキの原と言わずカヤトの原と呼ばせてもらうのは、日本の暖地に独特の、冬の低山歩きの好フィールドのイメージを、適切に表現したいからだ。
雪の積もらない山地の、初冬の陽を浴びたカヤトの原の光景は、柔らかく暖かい。
周囲の濃緑の針葉樹林や澄み切った青空との色彩の対比を眺めながらベージュ色の原を踏み分ける。
老生は今はもう歩かないが、冬の低山のカヤトの原を歩くのは好きだった。
其処は大昔から里の村々の採草地や放牧地として管理されて来た、入会地という名の周辺の村々の共有地で、独占は許されない土地である。
茅葺屋根の材料を提供し、家畜の飼料の生産地だった。決して天然自然のままの原野ではない。幾千年となく絶えざる人手が加わり、維持管理されて来た、生産活動の重要な拠点だった。
原に隣接するコナラ・クヌギ・アベマキなどのブナ科や、イヌシデ・アカシデ・クマシデなどカバノキ科の林も、薪炭材料やシイタケのホダ木の供給源であると同時に、日常燃料の粗朶(ソダ)の採集地として、里の人々には、大切な共有地だった。
山里の生活と密接していたカヤトの原と落葉広葉樹の雑木林は、冬であっても、人の温もりを直感させる。長い年月に亘り人の暮らしを支えて来た原であり林である。春には可憐な各種の山野草が、ススキや雑木の根元を彩る。
そのような経緯を知ったからだろうか、カヤトの原は格別旅情に訴えかけるものがある。言葉ではうまく言い表せないが、緑濃い森林を抜けた途端に展開するカヤトの原に、心安らいだ経験をもつハイカーは多いだろう。
深山であったなら、遠目に緑の絨毯に見える平原も、一旦中に足を踏み入れれば丈なすササが密生し、視界は定かならず。至る所に隠れた倒木と獣道が錯綜する原始の原で、藪漕ぎの苦闘は筆舌に尽くせない。
それと違い、里に続くカヤトの原の道は、大抵真っ直ぐ原を縦断していて、見通しが効き平坦で歩き易い。原全体が憩いの場である。
地勢と地形と地質の組み合わせがカヤトの原を出現させ、そこに人の営みが加わり、カヤトの原を永く安定させて来た。カヤトの原を遷移から遮断し、他の植生の侵入を許さず安定させて来たものは、人間の生活である。
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