道々の枝折

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「土蜘蛛」考

2024年07月04日 | 人文考察
上古の時代、この国には、ヤマト王権に服従しない異端の人々の集団が、生活して居たらしい。彼らに共通するのは、水田稲作農耕を生業としない人々であるところだろうか?その歴史は、先史時代にまで遡るだろう。
王権はそれらの人々を、熊襲・隼人・蝦夷・土蜘蛛と呼び、人民の大多数を占める稲作農耕民と区別した。4者のうち前3者は漢語、ひとり土蜘蛛のみが和語であるのは、注目に値する。
前3者の名称は一般庶民が呼び習わした呼称でなく、中国の伝統的差別思想に染まったヤマト王権が意識して用いた蔑称である。熊襲・隼人・蝦夷は、狩猟民だったと推定されている。
これに対し和語の土蜘蛛は、彼らの存在を知った水田耕作に携わる一般庶民が呼んだものかもしれない。

おそらく王権の官僚は、水田稲作農業を生業としない人々を異種とみなし、嫌悪乃至は侮蔑の念を抱いていたに違いない。「まつろわぬ者」とは、直接の反抗ばかりでなく、統治システムに馴染まない人々をも指す言葉だろう。
王権は、米の生産と水田の開発に携わらない者は良民と見なかったに違いない。文化の違いは差別を生む。

彼らの生業からの生産物を的確に把握し、貢納させることができない王権の官僚たちは、王権の課税収納制度に馴染まない生活を営む集団を嫌ったに違いない。王朝は彼らを最終的に律令制度に組み込むまで「まつろわぬ者」として扱った。

その「まつろわぬ者」の一つに、他の3者とも際立って異なる「土蜘蛛」と称された人々がいた。他の異端集団と違って、この種族は国内各地に分散していたらしいことが、史書に記されている。
私はこの「土蜘蛛」の名称から、彼らは、穴居生活を営んでいた集団ではなかったかと推理してみたい。
それは彼らが、金属(銅)鉱脈を求めて広範に全国を巡り移動する産銅職能集団だったと推定することから始まる。後の世に、木を求めて山地を移動した木地師という職能集団が現れた事実があるが、それに似てもっと大規模な職能集団だったと考えたい。
何の職能か?それは銅鉱の採掘精錬である。

私はかつて宇佐神宮の成り立ちを調べていて、上古以前の豊の国の山中に、朝鮮半島から渡来し、銅鉱の採掘と精錬を生業としていた大規模な産銅職能集団が存在したことを知った。彼らは銅鉱石を求め山地に分け入り、採鉱地を見つけると、その地で集団総出で銅の採堀と精錬に明け暮れたようだ。銅鉱脈が尽き銅資源が枯渇し始めると、予め見つけておいた予備の採鉱候補地へ集団全体で移動した。

銅の生産には、豊富な専門知識と高度に分業化した生産組織が必要である。
集団の首長は、探鉱の優れた技術者であり、組織の経営者でもあったことだろう。その富と権力は絶大て、まさに王である。ヤマト王権になかなか屈しなかったのも至極当然であろう。彼らの富と生活手段が、抵抗を容易なものにしていたと見る。

産銅は副次的に金・銀の産出をもたらす。それが彼ら集団に、裕福で独占的な生業を保証していた。火力を使う関係で造瓦の技術も併せもち、稲作に依存する農業とは比較にならない生産性の高さを誇っていたことだろう。

農林水産を生業としていた当時の人々から見ると、採鉱・精錬は特殊な先端技術であり、外部から畏敬の念と警戒心もって迎えられていたことだろう。銅は交換価値の極めて高い金属で、少量で食糧を贖うことができたはずだ。耕さず、漁らずの生活を可能にしていた。

彼らの集団は富強であったから、王権に命ぜられるままに唯々諾々と産品を貢納することはなかっただろう。衝突が度々生じたであろうことは想像できる。
また彼らは、資源独占の必要上、集団以外の部外者(杣人・猟師・王権の密偵など)が居住地に接近することは許さなかったろう。他所者は生きて帰れなかったに違いない。

「土蜘蛛」は、統治者のヤマト王権から見れば、怪しからぬ「まつろわぬ者」と見られていたのは間違いないだろう。
統治者が苛斂誅求で臨めば、被統治者の反乱を招くのは必然だろう。古事記・風土記には、当時の天皇による度重なる土蜘蛛討伐が記録されている。

私が土蜘蛛を採鉱と精錬技術をもった職能集団だったと推定している理由は、彼らが採鉱済みの坑道を住居にしていた可能性に考えが及んだからである。
岩体に穿たれた坑道は、拡張すれば極めて居住性に優れた住居に転用できる。耕すことはなくても、食糧等の生活資材は、銅や金・銀との交換で、容易にしかも大量に手に入る。

彼らは採鉱地をみつけると、真っ先に幾つかの坑道を試掘し、鉱脈に当たらない坑道や採鉱の終わった坑道は住居に転用したのではないか?集団の構成単位である各家族の住む洞窟内の居住性は高く、わざわざ建屋を建築する必要はなかったと考えている。
沖積平野で水田耕作をする農民から見ると、全員が穴居生活を営む彼ら集団は、極めて奇異な種族に見えたことだろう。

日本各地にその足跡を遺した土蜘蛛も、ヤマト王朝の度重なる征討により、技術者・技能者は王朝に仕え、採鉱・精錬・冶金の全技術を王権に移譲し、他の種族と同様、農耕の生活に同化していったことだろう。

以上は、遺跡など考古学的発見の一切ない「土蜘蛛」を、例によって素人の私が想像で勝手に独断したもので、何ひとつ事実に触れるものはない。
ただ、歴史の闇に消えた、異端の人々の存在を忘れないための、枝折に過ぎない。

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