会津地方を旅した。会津若松から喜多方へ向かう車の窓から眺めると、広大な会津盆地のあちこちに白い煙が立ち昇っている。煙の近くを通ると、一帯の田は全面黒く焦げていた。稲を刈った後の田を焼く煙だった。
ところが、この田を焼く行為を一語で表現する言葉をしらべても、辞書に見あたらない。言葉が無いのは、そのような行為が古くから行われていなかったということか?ネットで検索してみたら、東北の各地には「稲藁焼き」と言う言葉が多かった。あまり詩的な響きでないので、季語に何かあるのではないかと調べてみたが、それらしい語は見つからなかった。
そこで旅を共にした人にメールで訊ねてみた。俳句を嗜むその人は、自分の師に訊ね、句作には「刈田焼く」が適切であろうとの教示を受けたと返事をくれた。
小生に俳句を詠む能力はないが、「刈田焼き」ならあの情景を表すのに相応しい言葉だと思った。
会津盆地独特の農事かと早合点したが、後に関連サイトを見て、事情がわかった。この会津盆地に煙が立ち昇る光景は、昔からのものでなく、近年になって、コンバインによる刈り取りが普及してからのものだった。刈り取り、脱穀、藁の裁断までを連続して処理するこの機械は、刈り取りの跡に籾殻や藁屑を落としながら移動する。刈り取りの済んだ田に堆積した籾藁は、土壌の消毒と加里肥料をつくる目的で、燃やされる。
藁を捨てることなく縄や筵、その他の素材として利用していた時代、秋の会津盆地では、あのような一斉に田を焼く煙は立たなかったのかもしれない。また今後は、煙害や消防上の問題から、今のような野焼きが難しくなることもあるだろう。
ある光景が呼び起こす詩情を地域の多数の人々が共感し、それが風物詩として定着するまでには、数十世代にもわたる時を必要とする。
あの会津盆地の刈田焼が、秋の風物詩となるまで続くことができるのか、些か気に懸かる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます