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私には様々な動物飼育歴がある。
子供の頃に「伏見稲荷を神棚に祀ってあるから」(狐と犬は不仲)という訳のわからない理不尽な理由で、犬や小動物を飼わせてもらえなかったので、
家庭を持ってから、小鳥・鶏・鶉・兎・犬・猫・川魚と、矢継ぎ早に飼育した。
3人の子どもの末っ子が幼児期をすぎる頃に、雄のシェルティが家族に加わった。何十年か前に逝ったこの犬を、折に触れ想い出す。
夫婦だけで山歩きをするときに、屢々この犬を伴った。
面白いことに、この犬種は洵に使命感の強いところがあって、山道ではいつでも我々を道案内するのだった。未体験の知らない山道でも先導しようとする。
特に、急登で飼主の歩行が捗々しくないときには、先になり後になり、時には吠え追い立て、我々に行動を促し進路を与える。
羊の群れを統御するよう作出された使役犬ならではの使命感には、共に歩くたびに感動した。
ただひとつ、この犬が苦手だったのは、沢に架けられた小さな橋だった。
橋に差し掛かると、竦みあがって動かない。
氷河によって削平された平坦な大地で犬種が固定したからだろうか?渓谷を渡る経験がなかった、という遺伝の問題なのか、単なる臆病だったからなのか?本当の理由はわからない。経験の繰り返しが万年に及べば、遺伝性を獲得することもあるに違いないと思う。
とにかく丸木橋や吊り橋、水面が透けて見えるグレーチング橋が頗る嫌いだった。竦んで立ち止まる度に、私が抱いて渡った。
私はこの犬の気概のようなものを何よりも愛した。積極的に飼主の意図を読もうとする賢さには、敬服の念すら抱いていた。
彼は私の事務仕事のアシスタントを務めることが好きで、嬉々として用を足した。書き損じ書類を丸めて床に置くと、片っ端から屑籠に容れてくれるのである。新聞受けから新聞を届けるのも、彼の仕事だった。褒められると欣ぶのは、犬全般に遺伝している素質だろう。
長い被毛を靡かせて、草原を疾駆する姿は喩えようもなく美しかった。
この愛犬が逝って以降、犬を飼う気になれなかった。
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