インターネットの活用によって、私たちは、無限の情報が駆け巡る中で暮らす存在になった。今や私たち個人は、情報の大海を航海する小舟であって、進路は自分で選べるものの、昼夜を分たず無数に発信される、真偽も定かでない情報に常時接する人生を送らねばならない。私たちは昔と違って、情報の正否に、特段の注意を払わなくてはならなくなっている。
地球の温暖化と砂漠化そして海洋汚染は、それらのどれもが、人間の営為による自然環境の恒常性への干渉の結果だが、この干渉による変動は今日、地球規模で海の生態系に不可逆的な変化をもたらしているようだ。魚食民族の私たちの食生活に、看過できない多大な負の影響を顕し始めている。
この国で、連綿と受け継がれてきた先祖伝来の食生活を維持することが、最早困難になっていることを日々思い知らされている。
昭和の時代、食と健康の将来について警鐘を鳴らし続け、先祖が食べていた食物の健康への関与の重大さを説いていた柳沢文正(農学・医学)博士は、風土と産物に育まれた、各々の民族・人種に固有の、伝統的な食事の大切さを一貫して訴えていた。先祖が食べていた食物を摂ることが、最もその民族・人種の健康維持に適うものだと強く推奨していた。私たちの食が急速に欧米化していた時代のことである。
先祖にまで遡らない先代・先先代の時代の食卓に、毎日当たり前のように上っていた食材・食物が、当代では殆ど入手できなくなっていることに、近頃愕かされることが多い。
誰もがそれを当然と受け止め、異状と考えていないように見える。欧米化は近代化と同義語と心得て来た私たち世代は、食の欧米化を全面的に受け入れ推進して来た。
遠い地球の裏側からでも、容易に食材を手に入れることができる一方で、ごく身近で普遍だった食べ物が希少で入手困難になりつつある。敢えて手に入れようとすれば、相当の出費を覚悟しなければならない。
私たちは日夜グルメ情報サイトにアクセスでき、人気度の高い店を選んで未知のメニューに挑戦する。しかしその一方で、先祖が当たり前に食べていた食物が次々と姿を消し、食べることが極めて困難になっている。
イオンやコストコで山と売られている食品・食材は、原産地まで考慮すると、父祖の時代にはいっさい口にしたことのなかったものばかりである。
日本人の伝統的な食材を使った食品は、既に消滅していると考えても過言ではないだろう。
私たち日本人の食生活に最もかなう食物は、食べられなくなっているのではないか?お父さんの晩酌の肴の刺身の産地は外国産で、それも養殖魚に限られるのが日常になった。
日本の沿岸漁業は、この半世紀、一本釣りや曳網漁業から定置網漁業を経て、養殖漁業に推移して来た。漁労の過酷さを思うと、それは必然なのかもしれない。今や天然の魚介は幻の食材となりつつある。過去数十年に亘る後継者不足と漁業資源の広域化が、この傾向に拍車をかけている。
端的な例にサケがある。日本列島の母川に帰還するサケは、通称白鮭と呼ばれる種で、私たちは先史時代からこれを塩鮭にして日常的に食べていたが、今日では秋の一時期を除いて漁獲はなく、白鮭は過去のものになりつつある。
サケはその母川回帰の習性と資源確保の上からも定置網漁が最適の魚種だが、有限な漁業資源を守る意識の欠如した国の、巨大巻網漁船団による日本列島外周での乱獲により、資源が再生不能なまでに枯渇してしまったようだ。
今日では、白鮭とは種が異なり回帰母川が日本列島でないサケ科の養殖魚、コーホーサーモン、シルバーサーモンが、銀鮭の名で流通している。
チリで養殖が盛んなレインボウトラウト、北欧で養殖が盛んなアトランティックサーモンなども、食材としては皆鮭として扱われる。鮭弁当の主役は、全て養殖サーモンに代わっている。
スルメイカなども、過去の味になりつつある。列島では有史以来大量に漁獲されていたものだが、これもルール無視の大量乱獲漁法により、日本近海ではサッパリ獲れなくなり、焼きスルメや一斗缶単位でつくられたイカの塩辛は、過去のものとなっている。
同じ軟体動物では、列島各地の地磯で生育していたマダコがこの20年徐々に獲れなくなり、外国産に替わっていたが、その海外のタコも枯渇しつつあるらしい。日本の地ダコが取れなくなった理由は、地磯の環境の悪化によるものと思われる。代わってミズダコ(ヤナギダコ)と呼ばれる深海性の大ダコが流通しているが、マダコの味覚に比べるべくもない。
サンマも、件の巨大巻網乱獲漁船団が本邦近海で毎年、ゴッソリ漁獲し尽くすようになってから、不漁続きの魚になった。そこへここ数年の海水温の上昇。餌のプランクトンの不足が影響し、秋刀魚の魚体そのものが小さく脂が乗らない。
こうなるとルール無用・無視の巨大巻網乱獲漁船団はサンマを漁獲しても売れないから、遠くチリ・アルゼンチン沖にまで漁域を移し、傍若無人な一網打尽漁法を展開、現地漁業者との軋轢を引き起こしている。
日本の太平洋岸に沿って北上する上りカツオは、初夏の味覚初ガツオとして、当県県民始め神奈川県・東京都にはなくてはならない食材だったが、回遊の起点に当たる地点で巨大巻網漁をする乱獲船団の出現以来、過去10年以上漁獲量の減少が続いていた。識者は冷水塊による黒潮の蛇行に原因があると説明して来たが、自然現象で言いくるめるには無理がある。
私ごとで恐縮だが、老生は貝が好物で、毎年伊良湖から鳥羽行のフェリーに乗る時には、焼き大アサリを食べるのが若い頃からの楽しみだった。
ところが近年この貝の漁獲が減少し始め価格が高騰、今ではサザエの価格を上まわるまでになってしまった。
それに先立つに20年間には、浜名湖や三河湾でアサリ水揚げ減少が続き、九州の産地でも事情は同じだったらしい。国産アサリの払底の理由はまだわかっていない。何かが狂い出しているのである。そうこうしているうちに、安定していた養殖ノリの生産までが衰え始めている。
私たちは今日、先祖がごく当たり前に手に入れていた食材を、入手できない時代に直面している。昭和の時代までは、ごく当たり前に、任意に入手できていた食材が、物によっては全く手に入らない実情に愕くほかはない。
海洋や河川の汚濁など、自然環境の劣化と、経済的に勃興した人口大国の海産物需要の増大という社会的変化に、海洋の生産能力が追いつかなくなったことを痛感する。
私たちはこれまで、好みのものを好むだけ食べることができていた。地球から、飢餓は追放されつつあるように見えていた。
だが、わが国を始め先進国の食の事情の変化を観察していると、それらの国々の人々も、自分たち民族に固有の、伝統的な食物が様々な要因で食べられなくなっている。これは旧来の飢餓とは別の形の飢餓に、人類が直面しつつあることのように思う。
都会の外食産業は活況を呈しているが、食材の入手難は厳しさを増すばかりらしい。多様な食の自給率を上げないと、わが国では早晩、世界で真っ先にグルメ難民が発生するのではないかと危ぶまれる。
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