モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ときめきの植物雑学 その8 :サツマイモの伝播④

2007-12-25 08:48:29 | ときめきの植物雑学ノート
その8 :サツマイモの伝播には、人類大移動のロマンがある

コロンブスの時代の天文学者で、地球は丸いと唱えたパオロ・トスカネリ((1397~1482)が、
地球の直径とアジアの経度の計算を間違っていたため、
コロンブスは、インドに到着したと信じて疑わなかったようだ。
迷惑なのは、アメリカの原住民だ。
インドのヒトなので、インディオ或いはインディアンと呼ばれ、
新大陸だということがわかっても修正されることがなかった。

しかし、このインディオの祖先は、アジア居住のモンゴロイドだった。
コロンブスは誤解していたが、結果的にはいいとこを突いていたようだ。

ベーリング海峡を陸路で越えたモンゴロイド
5~6万年前に、
アジアとアメリカ大陸とを結ぶベーリング海峡を越えたモンゴロイドが
アンデス地帯にたどり着いたのは、紀元前8000年頃といわれている。
紀元前2500年頃から農業がはじまり、紀元前1200頃には土器がつられ、
トウモロコシ栽培が始まった。

太平洋をカヌーで超えたモンゴロイド
一方、いまから5万年前頃、東南アジアから太平洋に乗り出した人々がおり、
ニューギニア高地人、オーストラリアのアポリジニなどの先祖に当たる。
この時期は、氷河期の後半にあたり、アジア大陸から新天地への民族大移動があったとも言える。

さらに、いまから5000~7000年前に、
アジア南部・中国南部・台湾あたりから海を渡った人々がおり、
ニューカレドニアの北側にあるビスマルク諸島・ソロモン諸島・フィジー・トンガ
サモアなどの南太平洋諸島に移り住んだ。
この人々はラピタ土器といわれる美しい文様の土器とアウトリガーカヌーといわれる
カヌー本体の片側或いは両側に浮きをつけ安定性をましたカヌーを発明し、
東はペルーに近いイースター島、西はビスマルク諸島、北はハワイ、
南はニュージランドまでの広い地域に移動・定住・混血を繰り返した。
彼らは、海のモンゴロイドともいえ、
共通の言語(オーストロネシア語)、高度の造船・航海術、美しい文様の土器、
食料となる樹木・根茎類を持って移動した。

南アメリカ大陸で出会ったモンゴロイド
陸路でベーリング海峡を渡っていったモンゴロイド。
海から島伝いに南太平洋一帯の島々に渡って行った海のモンゴロイド。
彼らは、アンデス山脈の裾野で交わり、
海のモンゴロイドが、サツマイモを南太平洋の島々に持って帰った。

という説がかつては“ひょっとしたら”という歴史ロマンであったが、
最近では科学的に有力な説になっているようだ。
航海技術があれば、フンボルト寒流を乗り切って戻ることが可能だからというだけでなく、
3500年前の南米インディオのミイラから、氷河をわたってきた人間ではありえない、
暖かい温度でしか生きられない寄生虫の卵が見つかり
ベーリング海峡を超えてやってきたモンゴロイド以外に
海からやってきたモンゴロイドがいるということのリアリティが高まっている。


(地図出典) http://www.yashinomi.to/semi/yashidai1_04.html
『ポリネシア考古学一 ハワイ人のルーツを探る 』篠遠喜彦(しのとうよしひこ)

食べ物を調理・加工・貯蔵保存するために土器が生み出され、
実用に美を加味した美しいラピタ土器を持っていた海のモンゴロイドは、
サツマイモなどのイモ類を手にいれることにより、
土器というものを使う文化を必要としなくなった。
というのも面白い。
縮小再生産的で企業人には支持されそうもないが、
“必要ないものはいらない”ということでの価値連鎖の再構築は
地球環境に負荷を与えない発想ともなる。
きっと、“ラピタ文化”が地球を救うのではないだろうか!

植物が生活の中心にある
また、人類の大移動は、飢餓という現実に直面し、
これを乗り越える高度な文明と最低限しか持っていけないミニマルな選択が欠かせず、
生存に直結する食料(動植物・種)がその中心とならざるを得ない。
ということが確認できた。
つまり、どんなときでも、植物が生活の中心にあるのだ。
ということだろう。

アメリカ大陸が原産のジャガイモ・トウモロコシ・トマト・かぼちゃ・パイナップル
イチゴ・チョコレート・とうがらしなど、これらがなかったら今日の我々の食事が
つまらないものになりそうだ。
これらの作物は、産業革命以降の西欧型社会の生存を支えてきたといっても過言ではない。
一方、アメリカ大陸原産のサツマイモ・ヤム芋などは、
どちらかといえば非西欧型社会に定着し、この生き方をもっと学ぶ必要がありそうなこともわかった。

最大のわき道にそれるが、
日本人のルーツは、どうもラピタ文化を持っていた人々とは、
無縁でもなさそうだ。
だとすると、我々の遺伝子の中には、今使っていないこの楽観的で、アドベンチャーで
多くを望まない洋々たるアイランドスピリッツ(島国根性)がありそうだ。

これまでの雑学ノート
 
その1:花卉画(かきが)の誕生

その2 : 花の値段

その3: 17世紀の絵画の値段

その4:世界を変えたジャガイモの物語

その5 :サツマイモの伝播①

その6 :サツマイモの伝播②
サツマイモ>ジャガイモ Way? ⇒ サツマイモは媚薬と信じられていた


その7 :サツマイモの伝播③
ペルー沖から102日の漂流で南の島に!



コメント