モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ライラックの花 咲く頃

2008-04-21 09:21:10 | その他のハーブ
(写真)ライラックの花


サクラのあとは、ライラックの出番でその季節になった。

ライラック色といわれる青紫の多数の小花が葡萄状につらなり
かぐわしい香りとともに風になびいている。
特に、今年のライラックは色鮮やかできれいだ。
(サクラもきれいでした。寒暖の差があった年はきれいですね!)

この花は、札幌市の花で、今年も5月21日からライラック祭りがあるが、
耐寒性が強いので、北国、冷涼な高地などに適した樹ではあるが、
その美しさと幸せをもたらす樹ということもあり、
世界中の門口に植えられる樹として広がっていった。

日本への伝来は
1890年札幌にある北星学園の創始者サラ・クララ・スミス女史
故郷のアメリカ、エルマイラから持ってきたといわれている。

そのアメリカには
フランスで迫害されたユグノー教徒によって1690年頃伝えられたようであり、
ヨーロッパには、チューリップと同時期の15世紀中頃に伝わっている。
しかもブスベックという同じ人間がオスマントルコから持ってきたという。

神聖ローマ帝国のトルコ大使ブスベック(Ogier Ghiselin de Busbecq 1520 or 1521-1592)は、
オスマン帝国の首都コンスタンチノープルからウィーンに戻る1562年に
チューリップだけでなく、ライラックをも持って帰っており、古書・コイン・骨董品などをも収集した。
その中には、ディオスコリデスの薬物誌の時代が異なる写本がいくつかあるが、
その一つを収集したのもブスベックのようだ。

そういえば、世界初のカフェが出来たのが1554年のコンスタンチノープルなので、
ブスベックもカフェに行っているはずで、
コーヒーを飲みながら情報収集者等とあっていたのだろう!
でなければ、古書・骨董・動植物など専門性と機密を要する情報が集まらないだろう。
カフェのおかげで、ライラックが手に入り早く広まったのかもわからない。

ブスベックに先立ちライラックを記述した人間がいる。
フランス人のナチュラリスト・旅行家ピエール・ベロン(Pierre Belon 1517-1564)。
1553年に出版した中近東・ヨーロッパの旅行記『観察記』に、
「紫色の花が小枝のまわりに“キツネのしっぽ”と同じようにふさふさと咲く潅木」と書いている。
ライラックは、フランスが育てヨーロッパ中に広がっていった。
フランスといえば“リラ”そしてシャンソン。
「リラの花が胸に咲く今宵・・・・」(リラの花咲く頃:寺尾 智沙作詞)は、
甘酸っぱい思いを喚起する。

この“リラ”英語ではライラックは、
オリーブと並んで永遠とでも思えるほど寿命が長いという。
だから家の門口にライラックを植える。というわけではなく、美しいから植えるのだろうが、
家の寿命を超えて生存するライラックの青紫の花は、
懐かしい未来を夢想させてくれそうだ。

(写真)ライラックの木と花


ライラック(Lilac)
・モクセイ科ハシドイ属の耐寒性がある落葉樹。
・学名は、Syringa vulgaris、日本名は、ムラサキハシドイ。フランス名はリラ(Lilas)、その英名がライラック(Lilac)。
・原産地は、東欧バルカン半島、トルコ、ペルシャ地方。
・開花期は、4~5月 。ライラック色といわれる青紫色の素晴らしい芳香のある花が咲く。
・落葉小木で、日当たりのよいところ。夏場は、半日陰がよい。

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