モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

赤と黄色。2007年のフィナーレ!!

2007-12-14 08:50:43 | その他のハーブ



今年の最後は、
「希望」という真っ赤なバラ と 
「マルコポーロ」という黄色のバラ。

たっぷりと時間をかけ、 寒暖の波を乗り切り、
他の花が消える頃を見計らって 
やっと、つぼみから花となった。

いつも
私だけを見ていればいいのよ! と 言わんばかりに。

だが、
赤は、派手さが消え、特色の花弁の裏のオレンジ色も消え、
ツヤ消しの赤となっている。

黄色も、やんちゃなオレンジが抜けてしまった。

厳しい環境に合わせた自己存在の主張。

色気が抜けた、この時期の、この味は、
なかなかわからないが、
常に目立とうとしている姿勢だけは、強烈なインパクトがある。

そして、この花は、寒風・寒雨に打たれ
散るのだろう。

お礼の腐葉土をたっぷりとあげよう。

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ときめきの植物雑学 その2 :花の値段

2007-12-13 10:13:38 | ときめきの植物雑学ノート
その2: 花の値段

17世紀初めに、花を主役とした静物画=花卉画(かきが)が成立した。

17世紀以前の花の扱い方は、
絵画の一部分に“ユリ=マリア”といった描き方で象徴的に扱われていたり、
写本の余白に挿絵として描かれていた。

花が主役となり、しかも写実的にリアルに描かれるようになったのは、17世紀初頭からだ。
その代表が、ヤン・ブリューゲルであり、
『木桶の花束』は、1606年に描かれている。


(出典)
ヤン・ブリューゲル(Jan Bruegel the Elder)(1568~1625)
『木桶の花束』 (1606年) Alte Pinakothek München所蔵

この絵のヒロインは、センター最上段にある“ヨウラクユリ”
学名フリティラリア・インペリアリス(Fritillaria imperialis)。
ウィーンの王室庭園で栽培されたので、別名 王冠ゆりとも言われる。
この“ヨウラクユリ”を中心におびただしい数の花が描かれているが、
“ヨウラクユリ”には、十字架にはりつけになったキリストを見て、
悲しみのあまりうつむいてしまった。 
という伝説がある。

この“ヨウラクユリ”の値段だが、森洋子先生(明治大学教授、西洋美術史)によれば、
「1本で役人1年分の給料」ということだから相当高価であり、
“花の命は短い”ということを踏まえると、宝石・貴金属以上の価値が有った。
と思わざるを得ない。

“ヨウラクユリ”は、トルコ~ヒマラヤが原産地で、
ヨーロッパには、チューリップと同時期の16世紀にトルコから入る。

チューリップは、“ヨウラクユリ”よりも更に高価だった。

1554年トルコから園芸品種のチューリップがヨーロッパに入り、
オランダを中心に交配種が生み出され、
16世紀後半~17世紀前半には、チューリップ球根の値段が上昇した。

1634年に、球根取引の単位をアースという小さな単位(1グラム=20アース)に改正し
小口でも球根取引に参入できることが可能となった。
さらに、現物取引がルールだったのが、書類上での取引に変わったため、
1637年には、1ポンド120ギルダーの安価な球根が1500ギルダーまで暴騰した。

1ギルダーの貨幣価値だが、
オランダのライデン大学周辺の道路舗装に使われた石1個が1ギルダー。
デルフトの町で、大工仕事の手間賃が1日1ギルダーであり、
大工仕事の月収は、20~30ギルダーとなる。
これから見ても、チューリップの球根は相当高いことがわかる。

チューリップで最も高い球根は、
“常夏(Tulip Semper Augustus)”という白の地に赤の班が入ったチューリップで
13,000ギルダーもしたというからすごい。
1639年に、レンブラントがアムステルダムに大邸宅を購入したが、
この値段が、13,000ギルダーであり、
レンブラントは、この支払いに終生苦しみ、最終的には破産にまで至った。

チューリップの球根の値段が、レンブラントが購入した大邸宅と同じところまで
上がること自体に、17世紀オランダ社会での“珍しい花”への異常な関心が表れている。
このチューリップの球根の異常な状態は、バブル崩壊で解決した。

花を主役とした花卉画は、18世紀初頭の画家 ヤン・ファン・ハイスム(Jan Van Huysum)
『テラコッタの壺の花(Flowers in a Terracotta Vase)』 で頂点に至る。



<ときめきの植物雑学>
その1:花卉画の誕生


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汗だくのアッチッチ~もやしそば。神田神保町の「揚子江菜館」

2007-12-12 08:28:44 | グルメ

靖国通りと並行した、神田神保町から駿河台下までの小道を“すずらん通り”という。
この道の、神保町交差点寄りのところに、老舗の中華料理店がある。
“冷やし中華”発祥の店として知られる「揚子江菜館」だ。

古本をあさっているので、
昨日に続いて神保町の老舗中華料理店食い歩きとなった。
しかし、この店の名物“冷やし中華”は、一度も食べたことがない。

だいたい、暑い夏でも
口をタコのようにしてフウフウ~としながら、額から流れるような汗を出して
熱々のつゆソバをすするのがいい。

アンカケされているつゆソバになると更によく
もっともっと汗が出て新陳代謝を促すので、気分爽快となるところがよい。

この店でのお奨めは、アンカケされた熱々の“もやしそば”。
かなりボリューム感があるが、最後の汁まで飲みきってしまうとよくわかる。



当然のごとく、
もやしソバを注文し、思い直して、ビール&つまみのシュウマイを追加した。
斜め後ろの客と目が合ったが、“ご同輩”といった顔をされた。
よく見ると、もやしソバ&ビールで、
ビールよりも、もやしソバの汁に汗だくで取り組んでいる様子だ。

どうも
同好の士が結構いそうな感じがした。

この店のもやしそばは、
生きのいいシャキッとしたモヤシが、細切り豚肉、甘みがあるタマネギ等とからまり
口の中で、アッチッチーとなりながら胃の中に落ちていく。

この最初の一口の味と、胃袋に落ちていく感覚がたまらなく気持ちよく、
アンカケだから、最初の一撃は強烈だ。
斜め後ろの客の様子をにらみながら
好みというものは、変なものがあるものだと気づかせられるもやしソバだった。



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上海蟹とカレー。神田神保町の「新世界菜館」

2007-12-11 09:21:02 | グルメ
神田神保町靖国通り沿いにある
上海蟹で有名な「新世界菜館」を思い出し、遅い昼飯を食べることにした。

この店は、上海蟹があまりにも有名だが、
実は、隠れた一品がある。

それは、カレーなのだ。



この神保町界隈には、古本を目当てにしてくるヒト達の胃袋を満たすために、
有名なカレー専門店、コーヒー専門店、中華料理店が結構ある。
中華料理に関しては、
横浜中華街に時間的にいけない場合に神保町に来る、というほどの通好みの店が結構ある。
それでも、新世界菜館のカレーは、あまり知られていない。
ましてや、コーヒーも飲めると思いつくヒトはいない。
新世界菜館は、混雑する時間をはずしていくと、中華、カレー、コーヒーが楽しめる店でもある。
(ただし、コーヒーはあまり期待しないこと。)

何が気に入っているかというと、
カレー専門店のカレーは、スパイスの調合の争いとなっているようだが、
新世界菜館のカレーは、
フライパンで小麦粉を炒め、カレー粉をいれルーを作り・・・・といった
こんなつくり方をした昔の味を思い出すカレーなのだ。

ボリュームも多く、見た感じでは残すのではないかと思うが、
すっきりと胃袋におさまってしまい、もたれないカレーだから
つい頭が忘れていた頃に、胃袋が要求し食べたくなるカレーなのだ。

季節的には12月でもあり、雄の蟹のミソがおいしい時期だ。

カレーの前に、上海蟹とビールを注文し、
竹ざるに盛られた蟹を確認し、蒸されてくるまでの20~30分、ビールを飲んで待つ。



抜群なのは、やはり蟹ミソだった。
きめが細かい濃厚な味。
後味もスッキリとしており、先ほどの濃厚な味すら残らない。
黄土色のカニミソが輝くばかりにオレンジ・琥珀色になり
切れがいい辛口の日本酒が飲みたくなる。

この新世界菜館の上海蟹が有名なのは、
日本で上海蟹が普及したのはこの店からのようであり、
No1の誉れが高い陽澄湖(ようちょうこ)産の蟹を直接輸入している。
一時問題になった産地偽装とは無縁のようだ。

蟹は、ヒトと一緒に食べる時は、厄介な代物だ。
みをほじくりだすのに夢中になり、ついつい無口になってしまう。
話したくないヒトとカニを食べてもしょうがないし、
そう、しょうがないカニなのだ。

ボイルされた上海蟹                       食べやすくカットされた蟹

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遅すぎる開花。サルビア・ミニアタ(Salvia miniata)

2007-12-10 08:58:52 | その他のハーブ



今年の最終を飾るセージの花は、ミニアタ。

この赤はなんというのだろうか?
サーモンピンクよりは赤が濃く、オールドローズとでもいうのだろうか?
原産地は、メキシコなどの霧のある高原というから、
霧のなかでの霞んだこの色は、もっと淡くなり霧ににじむような感じがする。

通常は、初夏から晩秋と11月頃が花の終わりのはずなので、
つぼみは持ったが、寒さでやられ、開花しないのではないかと思っていた。

花穂がついたのが11月5日。 開花が12月9日。
というから異常に遅い。
夜は室内に取り込み、寒気を避けたのが良かったみたいだ。

か弱いセージは、面倒を見ざるを得ないから、
だんだんとかわいくなってくるから不思議だ。


花穂がつく(11月5日)                  伸びた花穂(11月26日)


サルビア・ミニアタ(Salvia miniata)
・シソ科アキギリ属の耐寒性、耐暑性とも弱い多年草。
・学名は、サルビア・ミニアタ(Salvia miniata)。英名は Belize sage, Smooth leaf sage。
・原産地は、メキシコ、グアテマラの標高600m付近の半日陰の霧が出るところ。
・葉は光沢を帯びた緑色で、メドーセージの葉に似ている。
・草丈は1mと成長するが、今は、15cm程度。
・長く伸びた花穂に鮮やかな赤い花がつく。花の時期は、初夏から晩秋だが、12月9日開花。
・冬場は霜のあたらない屋根下か室内で管理。
・さし芽で増やす。



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ときめきの植物雑学 その1 花卉画の誕生

2007-12-08 10:26:37 | ときめきの植物雑学ノート
ときめきの植物雑学
その1:花卉画の誕生

1632年にオランダ・デルフトで生まれた画家『フェルメール』のことを調べていて
大航海時代⇒コレクション熱⇒博物館・美術館・動物園・植物園⇒知の専門化
という図式があり、
もともと関心があった“セージ・ハーブ”の中世・近世の状況がおぼろげながら見えてきた。

いまは、セージ・ハーブ栽培の農閑期でもあり、
この期に、ハーブと社会とのかかわりについてリサーチしてみようと思い立った。

そのもやもやとした好奇心の序章でもある。

1492年、コロンブスがバハマ諸島に到着し、ヨーロッパ人で初めてアメリカ大陸を発見した。
その6年後の1498年には、バスコ・ダ・ガマがインドのカリカットに到着し、
あらゆる“New”に好奇心と欲が沸騰していく時代が始まった。

様々なスパイス・ジャガイモ・サツマイモ・トウモロコシなどの、
のちの主要産物がヨーロッパに伝播した時期でもあり、
この15世紀後半から17世紀中頃までを“大航海時代”といっている。

この時代は、ポルトガル、スペイン、オランダが活躍した時代であり、
オランダだけが歴史上でも突出した異色な社会であり、
裕福な市民が誕生し、政治的にも共和国という近代社会が登場した。

オランダは、
巨大な王権で統治する帝国主義型の国家に対する対抗軸の国家観として、
古代ギリシャ・古代ローマに近い統治のメカニズムがあったようだ。
だから、ポルトガル・スペインそしてイギリス・フランスとは異なる文化を育んだ。

この大航海時代の日本では、
1582年織田信長が本能寺の変で自害、享年47歳であった。
織田信長は、商業を活発にするために規制緩和をおこない、
自由な市場と既得権益の座の破壊をおこなった。
これが世に言う“楽市・楽座”であり、
誰に学ぶことなく、オランダの生き方を同時代で実践していたとも言える。
時間の流れに“IF(もし)”はないが、信長が長生きしていたら、
1602年に設立されたオランダ東インド会社等と東南アジア貿易でぶつかっていたのかもわからない。
或いは、徳川家康同様に宗教の怖さをわかっているだけに、“鎖国”に近い統治をし、
プロテスタント国家(オランダ)とのみ交易をしたのかもわからない。


『フェルメールとその時代のオランダ』を書いていて、
ルネッサンス(14世紀~16世紀のイタリア)、大航海時代(15世紀後半~17世紀中頃)、
そしてオランダ(16世紀~17世紀)はおもしろい。
と思った。


ヤン・ブリューゲル(Jan Bruegel the Elder)
『木桶の花束』(1606年) Alte Pinakothek München所蔵

ヤン・ブリューゲル(1568~1625)、
16世紀を代表する画家(1525?~1569)ピーテル・ブリューゲルの次男。
「花のブリューゲル」とも言われる。

これ以前に、花が主役となる絵はない。というから驚きだ。
“これ”というのはあいまいだが、“16世紀オランダ”としておこう。

普通のヒトの生活が主役となる“風俗画”が、16世紀以降のオランダで興り、
写真のようなリアリズムで描かれた。
“風俗画”の対象は広がり、“花”を主役とする“花卉画(かきが)”も誕生した。

ヤン・ブリューゲルが花卉画を描き始めたのは、1600年に入ってからといわれており、
この時期は、オランダの大航海時代隆盛の時期でもあり、
世界各国から、珍しい物資(植物・動物・鉱物・産品)、情報がオランダに集まった。

その中で、
植物への関心が高まり、花への関心が高まったから絵の主役になり得たともいえる。
確かに、この時期のオランダでは、チューリップへの関心が高まり、
世界初の球根バブルとその崩壊を招くなど、民衆を巻き込んだ珍しい植物熱があった。

16世紀後半から17世紀初頭には、絵の対象となった植物。
この時期以前は、どんな状態だったのだろうか?
これが、好奇心の出発点だ。

特に、日本の場合は、
1603年~1867年までの江戸時代が鎖国政策であったため、
海外植物品種及び情報の流入は、中国・韓国などの大陸、南東諸島及びオランダ経由と
ルートが限定されると同時に、知識・情報の蓄積に遅れをとっていたのではないだろうか?
こんな疑問も解いてみたい。

農閑期にはいいテーマだと思い、古書店・図書館あさりを始めた。


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ジャガイモと豚ばら肉とのチリソース炒め

2007-12-03 09:06:40 | 男の料理
ジャガイモ・サツマイモに凝っている。

先々、日本の食料自給率が悪いため、食糧不足時代が来る可能性がある。
この対処は、イモ類であり、イモ好きでなければ生きていけない時代が来る。
という理屈で凝っているわけではない。
南仏の紀行番組で農家のジャガイモ料理を見て学習したくなったのだ。

とはいえ、ジャガイモ・サツマイモは地球を救う・・・・かも?
何故かといえば、ジャガイモ・サツマイモは、飢餓・飢饉を救ってきた実績があるからだ!!
ジャガイモ・サツマイモをおいしく食する方法を知っていると
生き延びる可能性が高くなる。



調理の仕方がわからない段階で、
とりあえず3kgも入っている箱を買ってしまった。
カレー、シチュー以外の調理で、メインディッシュとなるものが課題だ。
和風の肉じゃがではない洋風煮込み料理、或いは、炒め料理をテーマとしてのチャレンジた。

ポイントは、
・メインディッシュとしての肉・魚などとの組み合わせ。
・ジャガイモを煮崩れさせない調理法。
・しょうゆ以外の味付け。
・お代わりが出来るボリュームを簡単に作れる。

ということで、
豚ばら肉とチリソースの組み合わせでいくことにした。



味のないジャガイモと、下味の付いた豚ばら肉の濃くの組み合わせは悪くない。
しかも、エビチリのソースがこれにからまっているので、甘ピリカラとなる。
ジャガイモ料理では、新鮮な味かもしれない。
おかずというよりも、主食にしてもいいかなと思えるボリューム感がある。


<材料>(5人分)
・ジャガイモ        7個
・タマネギ         1個
・豚ばら肉ブロック     300グラム
※豚ばら肉つけ汁
 ニンニクすりおろし    1片
 ショウガすりおろし    小1かけ
 しょうゆ         大さじ1
 酒            大さじ1
 砂糖           小さじ1
※炒める調味料
 バター          少々
 しょうゆ         適量
 砂糖           適量
 スイートチリソース    大さじ2
 チリソース        大さじ1

<つくり方>
1.ジャガイモは皮をむき、5mmのスライスにカット。水に5分ぐらいつける。
2.タマネギはスライスに切り取り分けておく。
3.豚ばら肉を2~3mmの厚さでカットし、ニンニク・ショウガのすりおろしに 
しょうゆ、酒、砂糖を加えたつけ汁につけておく。
4.スライスしたジャガイモを電子レンジでチンする。(くしがとおる時間約10分)
5.スライスした豚ばら肉をフライパンで炒め、火が通ったら皿にとっておく。
6.タマネギを炒め、ある程度炒めたら、電子レンジで加熱したジャガイモとバターを加え更に炒める。
7.豚ばら肉を戻し、チリソース2種を加え、しょうゆで味を調える。

<ポイント>
・豚ばら肉の下味がジャガイモに味をつけるのでここが重要。
・電子レンジを活用すると、煮崩れることがなくスライス状態を維持できる。
・チリソースの量は、もっと大目でもOK。

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落ち葉のじゅうたんとオムレツ 日比谷松本楼

2007-12-02 09:10:29 | グルメ

オムレツライスが有名な、日比谷公園にある松本楼。

1903年創業というから100年の歴史がある。
また、1971年、社会人1年生の時だったが、学生運動の末期は暴力が目立ち、
松本楼が放火され炎上した。
その後、再建され、1977年にわたし達の結婚披露宴をここでおこなった。
暴力と再生といった思い出の場所でもある。

しかし、こんなことも忘れるほど時間がたち、
日比谷図書館に行く途上で、松本楼を思い出し、立ち寄ってみた。

うす曇の寒い日だったが、銀杏の強烈な香りと紅葉した木立に囲まれ、
松本楼は、ハイカラ洋館のイメージでたたずんでいた。
11時半なのにすでに行列が出来ており、
外のテラスもいいが、肌寒かったので、中が空くのを待った。

“秋野菜とオムレツライス”を注文し、
ガラス越しに、最後にちかい秋景色を見入っていた。
イチョウ・ブナ等の葉が落葉し、黄色・オレンジ色のじゅうたんが敷き詰められ
足跡がないせいか、人里はなれた森の中にいるような錯覚を起こす。
それほど都市の中で静寂な時間があるところだ。





ニューヨークのセントラルパーク公園脇のホテルに宿泊した時は、
朝早くおきて散歩・ジョギングをしたりしたが、
西側には近寄らないようにして、東側だけを散策した覚えがある。
大都会のど真ん中の公園は、世界的に“危ない”ゾーンなのだ。

日比谷公園も1960年代は社会党浅沼稲次郎委員長が殺傷されたり、松本楼が放火されたり危険地帯であった。
しかし、いまは静寂すら楽しめるところとなった。

そこで食するものが不味いはずがない。



松本楼のオムレツライスに人気があるのは、
100年以上の経験に裏打ちされた“洋食”の老舗の味であり、
卵とクリームの素材の味が、余計な調味料でいじられることなく
シンプルにしっかりと存在している。 
こんなところにありそうだ。

モダンボーイ・モダンガールなどと言われたモボ・モガ達おしゃれな人種
ご愛用の洋食であったとか
孫文が・・・・・とか
ドラマチックな物語もあるが
いまや、オムレツライスは普通の食となり、
意識にも上らない存在となりつつあるようだ。

貧乏な学生時代に、オムレツライスでなく、
ラードギラギラのオムライスにケチャップをたっぷりかけて食べた
下品な味が懐かしくなった。
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フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ その10番外

2007-12-01 20:42:45 | フェルメール
その10(番外): 2008年8月 上野の美術館で フェルメールに会える!

やっと酔いがさめ、新聞を見ていたら、
一面に素晴らしい企画が発表になっていた。

なんと、フェルメールの作品6点が来年日本に来るという。
しばらくは、日本でフェルメールに会えないかと思っていたが・・・・


候補作品は、

『アトリエの画家(絵画芸術)』ウィーン 美術史美術館蔵
『リュートを調弦する女』ニューヨーク メトロポリタン美術館蔵
『ディアナとニンフたち』ハーグ マウリッツハイス美術館蔵
『小路』アムステルダム アムステルダム国立美術館蔵
『ワイングラスを持つ娘』ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美術館蔵
『マルタとマリアの家のキリスト』エジンバラ ナショナル・ギャラリー蔵

行間には、フェルメールの作品6点以上を集めるという意気込みが出ており、
実現したら、素晴らしい企画となり、海外からもフェルメールフアンが来そうだ。

この企画は、
朝日新聞創刊130周年事業企画というから
感謝とともに、おめでとうと言いたい。

素晴らしい。
まだ酔いがさめていないみたいで身体が熱い。


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