流れのままに。

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臓器移植について。

2008-11-21 18:04:05 | Weblog
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昨日地元TV局制作で医療特番をやっていたけど、

内容の中心は臓器移植。

北海道の医療機関は、なかなか熱心に取り組んでいるらしい。


しかしどうして日本は臓器移植が進まないんだろうな。

まぁ様々な要因があるんだろうけど、

一番は”脳死移植”に対して、臆病になってるし、

責任の所在を押しつけ合ってることだと思うな。

脳死移植さえ一般的になれば、

一気に移植医療は進むと思う。


結局どこがネックかというと、

『脳死は”死”なのか否か』

ってところに尽きる。

その辺りの判断基準がまだ日本では確率されてないんだね。

だれも責任取りたくないから。

つまりね、国なり医師会なり移植学会なりが、脳死は死である

という判断を下したとするでしょ。

すると脳死判定に関する責任の所在は、言い出しっぺになってしまうんだね。


とどうなるかというと、反対グループなりマスコミなりの

攻撃対象になってしまうわけだ。

そして長年脳死判定は是か非かなんて論議に巻き込まれていくんだね。

メカニズムとしては死刑と同じ。

つまり人の死に対する倫理観の争いになる訳だな。


これはね、答えなんか出ないよ。

心臓が動いていれば”生”なんだと言われれば、脳死は死じゃないし、

自己の意思も示せず、自発呼吸も出来ないのは”死”に等しいと

言われればそうだとも思うし。


ただ僕はね死の定義や倫理観はともかく、

移植をすることで助かる人がいるなら、

それは有効に活用するべきじゃないのか?と思ってる。

二つの死が一つで済むし、亡くなった方も一部としてではあるけど、

生き続ける訳だからね。



それが神に背く行為だという宗教的な定義には、

何を述べる礎も知識も持ってないから、

擁護も否定もする気はないけど。


確かに難しい問題ではある。


ただ、脳死移植自体法律で禁止されている訳ではないし、

要は本人と家族の意思の問題でしょ?

一番尊重されるべきはそこだと思う。


本人や家族が納得してるなら、マスコミその他の部外者が

とやかく言うべきじゃないんじゃないかなぁ。

本来倫理観というのは多数決で決するものじゃないし、

個人の意思が尊重されて然るべきだと思うから。


僕はガンの既往歴があるし、転移・発症の可能性もあるから、

なかなか臓器提供は難しいけれど、

もし五年生存率をクリアして、尚かつ完治を認められたら、

可能性は出てくるんだよね。

ただもしガンで死んだとしても、角膜は提供できるらしいから、

ドナーカード持つ意味はあるな。

ドナーカードを持つこと自体は、だれでも出来るしね。

角膜を必要としてる人が、どれほどいるのか知らないけど。


ということで、臓器移植というより、脳死に関する内容に

なってしまった。

ま、いつものことってことで。



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○胃癌の情報サイト『胃がん.com』

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