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なんか震災による原発事故以降
電力会社・政府及び政府機関・当該自治体等による
いわゆる『嘘』や『隠蔽』が明らかになっているけど
近頃も安全対策強化に強力な横やりが入ったなんて記事があった。
要するに「そんなことしたら、安全神話が崩れるだろ!」ということらしい。
せっかく国民を騙せてるのに、何で藪でヘビを突くんだってことだ。
本来安全に最大限尽力するべき政府機関がこんなことを平気でやっている。
結局の所国民は欺かれっ放しなんだってことだ。
そもそも絶対安全なんて意識がどこから生まれたのか知らないが
冷却水が失われただけで爆発するような設備のどこが安全なのか?
壁一枚で放射能を隔離しているだけで、何が安全なんだろう?
使用済み燃料の処理方法も曖昧なのに、何が安全なのか?
僕は処理方法の一点に限ってもずーっと疑問を持っていたが
それを嘘で固めて国民を欺していたのが許せない。
もっともその嘘を信じた国民にも責任はある。
どう考えたって絶対安全ではあり得ないのだから。
それはチェルノブイリが教えてくれた筈なのだが
政府はソ連(当時)と日本の技術は格段の差があるとうそぶいた。
それが詭弁であったのは日本のみならず、世界中が知ることになった。
まったく赤っ恥もいいところだ。
どうやら日本という国は、世界に核の恐ろしさを伝える役目にあるらしい。
しかしそれは多くの場合成功しているとは言い難く
広島・長崎の犠牲はより核兵器の威力を示す結果になり
その後気が狂ったかのように大国は核兵器配備に奔走した。
今回の原発事故にしても、世界的に反原発・脱原発の気運を生んだが
一方で未だ原発を導入しようという国家は多く
手ひどい痛手を食らった日本でさえ原発を輸出しようとしてるに至っては
人間の学習能力の無さに呆れてしまう。
もちろん僕にしても原発が発電手段として優れているのは認める。
現時点で原発に匹敵する大規模発電装置はこの世に存在しない。
しかしだからといって、安全を蔑ろにしていいという論理は成り立たない。
安全が担保出来ないなら使用するべきじゃない。
そんなことは小学生にだって分かる話だ。
しかしどういう訳か原発に関しては、それがまかり通ってしまう。
事故が起きて「すいません」で済む話しではない。
犠牲になった人はもとより、故郷を失った人にどう謝罪するのか?
考えてみると、原発に関して世界一安全だといわれた日本で
これほど大規模な事故が起こってしまったのは
こんな言い方は不本意だが、それこそ天の意思なのではないのか?
つまり全く安全ではないんだと警鐘を鳴らしたと思える。
昨日『運命の人』というドラマが最終回を迎えたが
あれも政府の嘘と隠蔽が題材になっている。
結局の所政府は(それに準ずる機関も含めて)
その仕事の何割かを国民を欺くことに費やしているということだ。
もちろん国家間の駆け引きと思惑の中で、裏取引は必要だろう。
それ自体は国際外交のテクニックとして必要だろうとも思う。
ただ国民の安全に直結することを隠蔽するのは
国民が国家の根幹を成している以上、絶対にあってはならない。
この国は民主主義国家なのだから。
国民を欺く行為は、間接的国家反逆罪と言っても過言ではない。
しかし今回の原発のことといい、社保庁の年金問題といい
国民はどこまで馬鹿にされ続ければ済むのだろうか?
僕は日本人が大人しいからこそ
その怒りが爆発したときの破壊力を懸念している。
かつてこの国は大国アメリカにケンカを売り
たった3国で世界を支配しようとした。
その情熱が未だ国民一人一人の中に燻っていないと誰が言える。
少なくとも国民性としてDNAには刻み込まれているはずだ。
そのエネルギーが表出し、国内に向けられないことを
本気で願っているのだが、考えすぎだろうか?
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