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法律か?信仰か?

2015-09-12 12:23:22 | Weblog
同性婚に関する事だけど
アメリカってゲイ先進国で同性婚でもそうなんだろうと思ってたけど
役所の幹部職員が信仰に反する事を理由に同性婚の手続きを拒否するって
記事に接して、ちょっと驚いた。

いやゲイ先進国だからじゃなくて、公務員という立場にありながら
国の指示を無視して個人的な感情を優先してしまうことにね。
確かにアメリカに於ける宗教依存度はかなり強いものがあるし
それを行動や意思決定の規範にする人は多いんだろうな。

もちろん宗教信仰を否定する気は無いんだけど
それを公的な手続きに持ち込んでしまうのはどうだろうな?
しかも聖書の解釈というのは宗派によっても違うようだし
もっと言えば牧師ごとに違うと言ってもいい。

つまり解釈が一貫していないものを理由に公的な手続きを否定するのは
個人的な宗教感を他人に強要してしまうことになるよね。
たとえ聖書で婚姻は男女の間で行われなければならないと記されてても
じゃあ聖書では全ての人々の幸せを願っているんじゃないのかとも思う。

そうであるならば、同性との恋愛や結婚が最も幸福を得られる人には
それを許し祝福するのが正しい行為なんじゃないかと思うけどな。
まあ僕は無宗教で特定の宗教に対する信仰心は全く無いから
これが正しい理解なのかどうかも解らないんだけどね。

今さら信仰してる訳でもない聖書を読んでみようとも思わないし
多分、いや確実に、読んでも理解できないだろうし。
それにしても何の疑いもなく拒否してしまうところに
宗教信仰の危うさというか怖さがあるように思う。

だって同性婚の手続きを拒否した人は、それが与えられた業務であり
それを遂行することで税収から給料を得ているはずなのに
それを拒否してしまうということは、自身の業務に異を唱える行為で
本来その立場を辞するべきなんだよね。

立場をクリーンにした上で同性婚に異を唱えるなら、何の疑問もない。
それはあくまでも個人的な主義主張の範囲内だからね。
だけど同性婚に関して手続き上の権限を持ち続けながら否定するのは
それを望む人たちに対する嫌がらせと言われても仕方ない。

ただ面白いのは、ゲイを否定してる訳ではないらしいんだな。
あくまでも同性同士の婚姻に関して、信仰に反すると言っている。
都合のいい言い分だと思うだろうけど、多分それは嘘じゃない。
つまり敬虔なクリスチャンという意味では、模範的とも言える。

それはこういった人たちの行動を支持する声も多いのが表しているよね。
僕なんかはそこに宗教の持つ危うさを感じてしまうんだけど
生まれてからずーっとそれを判断基準にしてきた人たちには
その危うさが見えなくなっている。

そもそも宗教なんてものは矛盾をあげつらえばキリがないので
だからこそそれを解説しある方向に導く存在が必要なんだな。
解釈が一つではないので、同じキリスト教でも
宗派によって教えに違いが出てきて、対立を引き起こしてしまうんだね。

同性婚に関しては、それを認めようというのが先進国の流れになってるけど
今のところ決して世界的に容認された方向性ではないな。
宗教感も絡んでくるだけに、法的に認めれば済むという話しでもない。
個人的に否定的な人も少なくないだろうし。

アメリカでも同性婚を容認してる人は6割と、なかなか多く見えるけど
多分その6割の中にも、本音では疑問を持ってる人がいると思うね。
それが世の流れだからという理由で賛成して見せてるだけで。
これはなかなか深い問題で、もっと議論が必要だと思ってる。

ただ同性婚を願う人たちの立場に立ってみれば
そんな悠長なことは言ってられない訳で
社会的に受けられる権利や待遇に差があるのは事実だし
社会の自分達に対する態度にも悲哀を感じ続けているのも事実。

国家が国民に等しく権利や幸福を与える義務を有しているなら
同性婚も容認するべきなんだろうとは思う。
あくまでも国家が等しく権利を与えるかどうかの問題だから
それとゲイに対する意識は離して考えないとおかしい。

まあかなり難しい問題ではあるし、特に保守的な日本では長引くね。
まだまだゲイが特殊な存在であることに変わりはないし。
宗教感を全面に出して議論してしまうと難しいから
そこは社会的な問題として議論しなければダメだろうな。

どう思います?