流れのままに。

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悲しき逃亡者。

2011-07-11 14:32:16 | Weblog

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先日から『英国人英会話講師殺害・死体遺棄事件』の公判が始まっている。

被告はご存じ整形の逃亡者、市橋達也だ。

英国からご家族も来日して、裁判に臨んでいる。

彼等が日本の裁判をどう見るのか、興味があるところだ。


もちろんこれは裁判員裁判で、世間的な関心も高い。

裁判員も重大事件を担当し、内心震えるものがあるだろう。

特に現時点で殺人なのか強姦致死なのかは微妙なところで

最終判断は難しいものになりそうだ。


因みに殺人の最高刑は死刑だが、強姦致死なら無期が最高刑だ。

当然焦点は”殺意の有無”になってくる。

市橋は現時点で殺意を否定し、アクシデントだったと主張している。

これは当然弁護士の入れ知恵だろうし、死刑回避を狙ったものだ。


そもそも「誤って首を絞めてしまった」などと言ってるが

誤って首を一瞬締めたところで、人はそう簡単には死なない。

殺す気で全力で締めても、一定時間は必要になる。

間違っても”誤って”締めたくらいでは死なないものだ。


この誰が聞いてもおかしいと思う言動が通ると思っていることに

市橋容疑者の精神的焦燥感と破綻が窺える。

検察側が立証できるかどうかは別として

当たり前に考えれば、整合性のない主張でしかない。


じゃあ被告はともかく、冷静なはずの弁護士がこれを容認してるのは何故か?

それは目撃者もなく被害者が亡くなってる現状では

殺意を立証するのは容易ではないということを知ってるからだ。

だから不条理と思える主張にも、効果はあると考えている。


ここはあくまでも「殺意はなかった」と主張するのが重要で

それをどう表現するかというのは、さほど大切ではない。

「誤って・・・」と言われれば、それを知るのは市橋だけなので

あながちメチャクチャな主張とは言えない部分もある。


じゃあ検察はどうやって立証するのかといえば

最大の攻撃は解剖所見を基とする医師の見解だろう。

つまり絞殺に必要とする圧力の大きさと、死亡に至るまでの時間だ。

これで誤って締めたのではないということを、医学的に立証することになる。


市橋にとって不幸だったのは死因が”絞殺による窒息死”だったことで

死亡せしめるまでに一定時間を要する現実は、主張を退ける大きな要因となる。

これが例えば頭部を殴打した、もしくは家具等にぶつけた事による

脳内損傷及び出血等によるものであれば、アクシデントという主張も現実味がある。


何か凶器で殴ったにしても「反撃されて怖かった」と言えば

常識的にどうかはともかく、一応主張としての筋は通る。

英国人女性と聞けば、イメージとしてパワフルな印象もあるだろう。

さほど力強くも見えない市橋相手なら、ありそうな話しだとも思える。


何にしろアクシデントだったとする主張は、否定される公算が大きい。

首に手が掛かったのはアクシデントだったとしても

その後亡くなるまで締め続けたのは、明らかな殺意を感じられるからだ。

殺す気で締めなければ、絶対に人は死なないと断言してもいい!


ただ殺意が認定されても、死刑判決は出ないような気はしている。

それは被害者が1人だったからというのではなく

市橋被告に残虐性が薄いからだ。

少なくとも極悪非道という印象は受けない。


強姦しようとして拒否されて殺してしまったというプロセスに

僕はどこか男の悲しい性を感じてしまった。

つまり不本意ながら憐憫の情さえ覚える部分が、どこかにある。

これは僕だけの感情ではないだろう。


殺人者に変わりはないのだが、どこか憎みきれないのだ。

2年半の逃亡生活も、罪から逃れるというよりは

ただ怖かっただけではないだろうか?

罪の重さを知るからこそ、捕まってしまうのが怖かったんじゃないだろうか?


犯してしまった罪の重さを受け止めるのに、2年半が必要だったんじゃないのか?

それは火事場の馬鹿力ではないが、何人もの警官を振り切って逃げおおせた

その必死さにも現れていると思うのだ。

ただ罪から逃れるためだけなら、多分あそこで捕まっていたはずだ。


もちろんだからといって情状酌量してやれと言う気はない。

1人の罪もない女性を殺してしまったのは事実なのだから。

異国からやって来て、日本を愛してくれた女性が殺されてしまったのは

涙なくして直視できない悲劇であることは、間違いがない。


被害者遺族は極刑、つまり死刑を望んでいる。

ただし彼等の母国イギリスに死刑制度は無い。

残虐だと言うことで廃止されたのだが、遺族はあえてそれを望んでいる。

もちろん理不尽だと言う気はない。親として家族として、当然の感情だ。


彼等が普段死刑制度に対してどう考えているのかは知らないが

当事者になればそれを容認してしまうのは、人として当然の感情だろう。

ただそれが彼等を母国で非難の対象としないことを望んでいる。

死刑のある国で死刑を望むのは、決して罪ではないのだから。


娘を異国で殺された上に、母国で非難されるのは耐え難いことだ。

彼等が死刑を望んだのが重要なのではなく、極刑を望んだことが重要なのだ。

そして日本では死刑が極刑だっただけの話しである。

ともすると過激になりがちな死刑反対論者も、そこは理解するべきだろう。


この事件がどういう結末を見るのか興味を持って見守りたいが

それは外国人被害者に対する日本としての見解ともなる。

過剰な罰を科す必要もないが、日本としての誠意は示すべきだ。

そういう意味でも、この事件の判断は今までになく重要なものになる。


選別されてしまった裁判員も、大変な役割を背負ってしまったものだ。

ただ感情的にならないことを願っている。

しかし何とも切ない事件ではある。















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