現代日本の最高の知性、西部邁さんが、旅立たれた。氏は自分よりも4つも年齢が若いのに、ただ残念という言葉ではだけでは表現ができないほど大事な人だ。東大時代に左翼的思考で、日本の底辺の政治経済をアメリカ依存でいいのか、日本の未来は、と危惧されて、学生運動を展開された。その後、日本の左翼的思想に幻滅を感じて、国家国民の保守陣営の総体理論を展開された真の闘士であったと記者は右でも常に、尊敬の念を抱いてきた。言葉の存在を顕著に表現でいなくなった時が、自分の存在価値を否定するときだと決めておられた様子で、心なしか心配していた。
江藤淳の自分の存在を消すときに、形骸化したおのれは価値はないという結実に、人間の生き方に疑問を挟む余地はなかったに、似て厳粛な気概が胸をよぎる。西部邁さんには、80歳前2年の余生があったので、もう少し、他類を見ない言論を発して未来につなげてほしかった。合掌 享年 78歳
伊佐千尋さんが亡くなった。力作の「逆転」で大宅壮一ノンフィクション賞に上り詰めたゴルフ好きな好人物である。彼は、言論人新聞社、日本時事新聞社の執筆同人の優れた論客であった。仲間の一人として、いろいろ教授された功績は、執筆同人の宝である。合掌 享年 88歳
知性を失うのは、体から血液が抜けるようだ。存在価値だけで、世の中の動静が解読できるからだ。日本は、もっと、知性を大事にする習慣をつけるべきであり、政治家や経済人だけを保存する誤差は、避けるべきである。実情の総括をできるのは、知性が醸し出す洗浄で、政治家や経済人ではない。国民は、判断を誤ってはならないのだ。
言論人新聞社、日本時事新聞社 執筆同人 一同
デスク 古賀剛大