そもそもクラブの在り方は、千差万別、特殊性があっていいのだ。
クラブは、そのクラブに所属する会員の総意の発露が基準であるから、他のクラブの真似などする必要はない。霞と東京クラブの相違があっても、何ら不思議ではない。同じであること自体、違和感があり、特殊性が失われ、クラブのいい色が褪せる。
だからこそ、よそのクラブを批判したり、クラブにモノ申すは、お門違いということになる。アメリカでも、ヨーロッパでも、地域性と特殊性は、かたくなに守られて、クラブの歴史を大事にしている。たとえば、オーガスタの会員だから、どこのクラブも歓迎してくれると思うと、そうではない。古びれたカントリーのクラブでも、そう簡単に、プレーはできない。基本は、その地域のクラブの優位性と他言無用のクラブ精神が、息づいて、時を刻んでいるのである。ワトソンかペインかが、ミュアフィールドでプレーをしたいと訪問したが、出来なったというエピソードがある。クラブは、ゴルフだけのものではなく、紳士の社交場であり、会員を家族として、受け入れるホームなのである。日本では、そうではない。どこのコースも、同じ形をしていて、特殊性の本質が、いつの間にか、消えて、独特のクラブが利用されていない。
ゴルフクラブといえば、ゴルフをプレーすることが、主役になっており、友人との談話や、ゲストの歓迎など、あまり、進まないのは、日本社会が縦割りの性格が強く、職業などが重要視され、横の社会を構築しない欠陥がある。実際は、クラブの会員は、縦割りでは、ないはずで、クラブの会員である事実だけで、十分ではないのか。日本のクラブの大半が、プレー主義に落ちているから、ゴルフがうまいと、あたかも、上位にいるような錯覚にあるのも、歪めれた性質である。幅広い横の繋がりであれば、プレー主義よりも、人間友誼のサークルのほうが、クラブの特殊性を強く打ちだせるのではないか。
クラブが、会員をして、会員様と呼ぶ不思議極まる尊称は、笑ってしまう。クラブに入れば、誰も同じ会員で、並列である。意識ある世話好きの会員が、文化委員やゴルフの識者が理事長を拝命すれば、クラブの良さが、損なわれることはない。
そんなクラブは、辞めたほうが、いい。それは、クラブではない。他人行儀なプレー専門企業だ。クラブではない。名誉も責任もないクラブだ。
他のクラブのことは、批判するのは、止めたほうがいい。クラブはクラブ内で事件の解決をするのが、筋であって、門外に出すのは、よろしくない。同時に、裁判などで争うのは、ますます、滑稽である。クラブの性格から、よそから干渉や批判を受ける筋合いのものではない。とくに、内部抗争が紛じて、法廷まで足をのばし、クラブにメスを入れさすのは、間違っている。ハイヒールを履いて、グリーンをあるくような人を理事長にしてはいけないことだけは、言っておこう。クラブ以前の問題だから。
アメリカのクラブで、あまり聞かない話だ。地域性のあるプライベートメンバーコースこそ、彼らの一流のコースであり、クラブなのだ。名前が、売れる必要性などないのである。