WEB版「エリンが挑戦!にほんごできます。」にユーザーログインすると「特典ダウンロード」ができるようになりました。 WEB版「エリンが挑戦!にほんごできます。」https://www.erin.ne.jp/zh/ 「エリン」はログインなしでも利用可能ですが、ユーザー登録してログインすると、「私のページ」「学習の記録」「アバター」「にほんごクエスト」といったさまざまな楽しいコンテンツを利用することができます。 このたび、ログイン後のページに、「特典ダウンロード」コーナーを追加しました。サイトにログインした人がWEB「エリン」のオリジナルコンテンツをダウンロードできるようになっています。(イラスト付きの説明を添付します) 生徒の皆さんに是非お知らせください。 「エリン」の活用例は専門家ブログにも載せています。http://blog.sina.com.cn/s/blog_8e214bab0100ysz2.htmlご参考までに。 佐藤 修 国際交流基金 北京日本文化センター HP: http://www.jpfbj.cn ブログ: http://blog.sina.com.cn/tsunagu
今回は北京日本文化センターのブログをご紹介します。 北京「つなぐ」ブログhttp://blog.sina.com.cn/tsunagu北京日本文化センター日本語教育専門家3名の日々の仕事や、中国の日本語教育に関する情報、仕事しながらのつぶやきなどを、発信しています。 この「215教師メーリングリスト」の過去の主な投稿も「お役立ち情報」として載せています。http://blog.sina.com.cn/s/articlelist_2384546731_4_1.html 皆様、是非ご覧ください。 佐藤 修 国際交流基金 北京日本文化センター HP: http://www.jpfbj.cn ブログ: http://blog.sina.com.cn/tsunagu
このところ新聞各紙で、「消えた北朝鮮看板アナウンサー」が、紙面を賑わしている。
朝日新聞の囲み欄を抜粋する。
ーーー「北朝鮮の金正日総書記の動静を “力強い口調”で語る朝鮮中央テレビの看板アナウンサー、リ・チュンヒさんが 10月19日の番組でニュースを伝えたのを最後に 姿を見せていない。ラヂオプレスが伝えた。50日以上に及ぶ不在は異例だ」ーーーという書き出しである。
記事によれば、アナウンサーとしての最高位の「人民放送員」の肩書きを持っている人で、チマ・チョゴリ姿で放送する。
本人の辨によると「金総書記の動静については“格調高く伝え”るように、心がけていたのだという。(12月16日付け朝日。文中、“”は筆者)
たしかに、長い間、私たちには“北朝鮮の声”であり“顔”でもあった訳で、しばらく顔を見せないのは、不思議であるし、どこか寂しい感じさえする。
就中、私たちの記憶に強く残るのは、北朝鮮にとって大切なメッセージを伝えた、あの“力強い口調”であり“格調高く伝えた態度”ではなかろうか。
しかし、私個人にとっては、その“格調の高さ”と“力強い口調”は、戦中の悪夢にダイレクトに繋がっている。
“軍艦マーチ”に乗って伝えられた「大本営発表」・「東部軍管区情報」、“海行かば”をBGMに次々に伝えられる「玉砕」・「特攻隊」の悲報・・・そして「敗戦」。
それは、戦争中、放送で聞かされ続けた、日本のアナウンサーの“口調”そのものであり、“格調の高さ”に生き写しなのだ。
私などは、初めて聞いた時から「ああ、あの調子だ」と身震いをしたものだ。
戦時中、NHKは現在のような法人ではなく、郵政省管轄の放送局であり、アナウンサーは政府の発表文を正確に読むという職業だった。
その頃のアナウンサーの口調のことを、“雄叫び調”というと知ったのは、昭和30年にNHKに入社したときだった。
戦後、ラヂオ時代(敢えてヂを使う)を迎えて、アナウンサーの口調を直すのも、それなりの苦労がいったようで、“話しかけ調”が主流となるまでには、かなりの時間が掛かったらしい。
戦中から戦後にかけての変革の手本は、戦勝国アメリカの放送だったし、放送の内容も全てGHQの監視下に置かれていた。
私が昭和30年(1955)に入局し、鳥取放送局に赴任した頃には、まだ放送部長の席の上に「放送遮断機」が置かれていたのを思い出す。
何の為かを聞いたところ、当時のK部長は「放送中にGHQから命令が来ると、即座に放送を切ったのだよ。ここ暫くは、そんな事態はないがね」と言っていたのを思い出す。無論まだまだラヂオの時代だ。
そして、ラジオからテレビに放送の主流はかわり、「民間放送の出現」なども、今は昔の物語だ。
アナウンサーの仕事も大きく変わったが、その名前だけは「昔の名前で出ています」だ。
だが、もう、“〜調”などという喋り調子で分類されるような職業ではなくなったことは疑いない。 改めて、今の“幸せ”を思わずにはいられない。
でも、この頃ちょっと気に掛かる調子があるんだな・・・
どこの局を問わず、ワイドショウからコマーシャルまで、アナウンサーもタレントさんも、どうしてあんなにも、“叫び・わめく”人が多いのだろうか。我ら聞き手は、狭いリビングで聞いているのにねえ。
ま、この話はまた・・・
朝日新聞の囲み欄を抜粋する。
ーーー「北朝鮮の金正日総書記の動静を “力強い口調”で語る朝鮮中央テレビの看板アナウンサー、リ・チュンヒさんが 10月19日の番組でニュースを伝えたのを最後に 姿を見せていない。ラヂオプレスが伝えた。50日以上に及ぶ不在は異例だ」ーーーという書き出しである。
記事によれば、アナウンサーとしての最高位の「人民放送員」の肩書きを持っている人で、チマ・チョゴリ姿で放送する。
本人の辨によると「金総書記の動静については“格調高く伝え”るように、心がけていたのだという。(12月16日付け朝日。文中、“”は筆者)
たしかに、長い間、私たちには“北朝鮮の声”であり“顔”でもあった訳で、しばらく顔を見せないのは、不思議であるし、どこか寂しい感じさえする。
就中、私たちの記憶に強く残るのは、北朝鮮にとって大切なメッセージを伝えた、あの“力強い口調”であり“格調高く伝えた態度”ではなかろうか。
しかし、私個人にとっては、その“格調の高さ”と“力強い口調”は、戦中の悪夢にダイレクトに繋がっている。
“軍艦マーチ”に乗って伝えられた「大本営発表」・「東部軍管区情報」、“海行かば”をBGMに次々に伝えられる「玉砕」・「特攻隊」の悲報・・・そして「敗戦」。
それは、戦争中、放送で聞かされ続けた、日本のアナウンサーの“口調”そのものであり、“格調の高さ”に生き写しなのだ。
私などは、初めて聞いた時から「ああ、あの調子だ」と身震いをしたものだ。
戦時中、NHKは現在のような法人ではなく、郵政省管轄の放送局であり、アナウンサーは政府の発表文を正確に読むという職業だった。
その頃のアナウンサーの口調のことを、“雄叫び調”というと知ったのは、昭和30年にNHKに入社したときだった。
戦後、ラヂオ時代(敢えてヂを使う)を迎えて、アナウンサーの口調を直すのも、それなりの苦労がいったようで、“話しかけ調”が主流となるまでには、かなりの時間が掛かったらしい。
戦中から戦後にかけての変革の手本は、戦勝国アメリカの放送だったし、放送の内容も全てGHQの監視下に置かれていた。
私が昭和30年(1955)に入局し、鳥取放送局に赴任した頃には、まだ放送部長の席の上に「放送遮断機」が置かれていたのを思い出す。
何の為かを聞いたところ、当時のK部長は「放送中にGHQから命令が来ると、即座に放送を切ったのだよ。ここ暫くは、そんな事態はないがね」と言っていたのを思い出す。無論まだまだラヂオの時代だ。
そして、ラジオからテレビに放送の主流はかわり、「民間放送の出現」なども、今は昔の物語だ。
アナウンサーの仕事も大きく変わったが、その名前だけは「昔の名前で出ています」だ。
だが、もう、“〜調”などという喋り調子で分類されるような職業ではなくなったことは疑いない。 改めて、今の“幸せ”を思わずにはいられない。
でも、この頃ちょっと気に掛かる調子があるんだな・・・
どこの局を問わず、ワイドショウからコマーシャルまで、アナウンサーもタレントさんも、どうしてあんなにも、“叫び・わめく”人が多いのだろうか。我ら聞き手は、狭いリビングで聞いているのにねえ。
ま、この話はまた・・・
2011年12月18日(日)
天津財経済大学 川端敦志
1.今週、誰かの話を聞きましたか?
※以下の場合は、「聞いていない」という行為です。
(1)相手の話の内容を批判する・否定する
例:「どうしてできないんだ」と思う・言う
「なぜやらないんだ」と思う・言う
「前にもできていなかっただろ」と思う・言う
(2)途中で遮る
(3)自分の意見・考え・気持ちを話す
(4)評価する
(5)相手が途中で話をやめてしまった
2.今週、誰かに話を聞いてもらいましたか?
※以下の場合は、「聞いてもらっていない」ということです。
(1)話の内容を批判・否定された
例:「どうしてできないんだ」と思われる・言われる
「なぜやらないんだ」と思われる・言われる
「前にもできていなかっただろ」と思われる・言われる
(2)途中で遮られた
(3)自分の意見・考え・気持ちを話された
(4)評価された
(5)途中で話をやめてしまった
2.仕事の意味についての質問です。
(1)あなたの仕事は、誰と誰と誰とを幸せにしますか?
①
②
③
(2)その3人の方たちの笑顔が見えますか?
(3)笑顔で、あなたに何と言っていますか?
(4)あなたの学費は誰が払っているか、知っている?
(5)支払ってくれる人にどんな形で尽くしているのかな?
3.仕事の成果を考えるための質問です。
(1)どうして日本語が使えるようにならないか、分かる?
(2)能力試験に合格するために、何が必要かな?
(3)(1)と(2)を解決するために、ドーナツができることはある?
(4)学生と社会人って、どこが違うんだろう?
(5)(4)の問題を解決するために、ドーナツができることはある?
(6)(4)の問題を減らすために、ドーナツがやってはいけないことは?
(7)チームで仕事をするときに、何が必要か分かる?
(8)(7)の問題を解決するために、ドーナツができることはある?
(9)支援者を獲得するためには、何をしたらいいのかな?
(10)メンバー以外の人たちにドーナツを知ってもらうために、どうしたらいいかな?
(11)自分たちのチームが、どんな問題を解決できるか分かる?
3.自分自身の成長についての質問です
(1)あなたは今の仕事をすることでどのくらい成長できるか、紙に書いたことがある?
(2)どんな夢のあることを書いた?
(3)来週の月曜日に仕事で成長できたことを書いて提出して!
(4)あなたが成長することで、ドーナツはどのくらい成長できる?
(5)そのために、まず、何から、いつすべきかな?
4.味方を増やすための質問です。
(1)ドーナツのお客さまって誰だろう?
(2)その人たちは、どんな存在だと思う?
(3)そのお客さまにあなたは、何をしてあげられるかな?
(4)「儲かる」という漢字をゆっくり書いてみて。その言葉の一つひとつから何を感じる?もし、あなたが社長なら、「儲かる」ために何を増やせばいいのかな?
5.幸せになるための質問です
(1)成功しても幸せじゃない人って、いると思う?
(2)もし、いるのなら、どこで間違えたんだろう?
(3)ドーナツは、「成功のため?」「幸せのため?」
(4)成功して幸せになるために必要なことって何だろう?
天津財経済大学 川端敦志
1.今週、誰かの話を聞きましたか?
※以下の場合は、「聞いていない」という行為です。
(1)相手の話の内容を批判する・否定する
例:「どうしてできないんだ」と思う・言う
「なぜやらないんだ」と思う・言う
「前にもできていなかっただろ」と思う・言う
(2)途中で遮る
(3)自分の意見・考え・気持ちを話す
(4)評価する
(5)相手が途中で話をやめてしまった
2.今週、誰かに話を聞いてもらいましたか?
※以下の場合は、「聞いてもらっていない」ということです。
(1)話の内容を批判・否定された
例:「どうしてできないんだ」と思われる・言われる
「なぜやらないんだ」と思われる・言われる
「前にもできていなかっただろ」と思われる・言われる
(2)途中で遮られた
(3)自分の意見・考え・気持ちを話された
(4)評価された
(5)途中で話をやめてしまった
2.仕事の意味についての質問です。
(1)あなたの仕事は、誰と誰と誰とを幸せにしますか?
①
②
③
(2)その3人の方たちの笑顔が見えますか?
(3)笑顔で、あなたに何と言っていますか?
(4)あなたの学費は誰が払っているか、知っている?
(5)支払ってくれる人にどんな形で尽くしているのかな?
3.仕事の成果を考えるための質問です。
(1)どうして日本語が使えるようにならないか、分かる?
(2)能力試験に合格するために、何が必要かな?
(3)(1)と(2)を解決するために、ドーナツができることはある?
(4)学生と社会人って、どこが違うんだろう?
(5)(4)の問題を解決するために、ドーナツができることはある?
(6)(4)の問題を減らすために、ドーナツがやってはいけないことは?
(7)チームで仕事をするときに、何が必要か分かる?
(8)(7)の問題を解決するために、ドーナツができることはある?
(9)支援者を獲得するためには、何をしたらいいのかな?
(10)メンバー以外の人たちにドーナツを知ってもらうために、どうしたらいいかな?
(11)自分たちのチームが、どんな問題を解決できるか分かる?
3.自分自身の成長についての質問です
(1)あなたは今の仕事をすることでどのくらい成長できるか、紙に書いたことがある?
(2)どんな夢のあることを書いた?
(3)来週の月曜日に仕事で成長できたことを書いて提出して!
(4)あなたが成長することで、ドーナツはどのくらい成長できる?
(5)そのために、まず、何から、いつすべきかな?
4.味方を増やすための質問です。
(1)ドーナツのお客さまって誰だろう?
(2)その人たちは、どんな存在だと思う?
(3)そのお客さまにあなたは、何をしてあげられるかな?
(4)「儲かる」という漢字をゆっくり書いてみて。その言葉の一つひとつから何を感じる?もし、あなたが社長なら、「儲かる」ために何を増やせばいいのかな?
5.幸せになるための質問です
(1)成功しても幸せじゃない人って、いると思う?
(2)もし、いるのなら、どこで間違えたんだろう?
(3)ドーナツは、「成功のため?」「幸せのため?」
(4)成功して幸せになるために必要なことって何だろう?
ここで もう一度、あの二世団十郎の「ウイロウ売り」のセリフに、ご登場願いましょう。
・・・アワヤ喉 サタナラ舌(ゼツ)に カ牙(ゲ) サ歯音(シおん) ハ・マの二つは唇の軽重、開合さわやかに・・・
この文は、何も「ウイロウ売り」に初めて登場したわけではなく・・・歴代の「不完全な50音図」の頃から、必ずと言ってよいほど付記されていた「唯一の日本語発音仕分けガイド」だったのです。そして、この分類を元に、江戸の寺子屋などでは、商家の丁稚たちの“ことば”教育をやっていたことも分かっています。
数ヶ月前(3月のバックナンバーかカテゴリー50音図)に解説したとおり、この文は、現実には社会一般に認められ、唯一の指導ポイントであることは歴史が示しているのですが、こうした事実を、文科省なり多くの学者が認めるかというと、そうはいかないらしい。就中、国学者たちにとっては、文の冒頭の「アワヤ喉」ですら、賛成出来ないようです。
日本語の音は、原則として子音と母音が結合して音の拍をつくりますね。拍というのは、「ふるいけや・・・」と、指を折って、五・七・五と数える、あの拍です。例えば「タ」の音は、「子音のt」と「母音のa」の音素が結合して「タ」という一拍をつくります。そしてこの「拍」を並べたのが「50音」の表です。
ところが多くの学者や文科省にとっては、「50の拍」は、全て整然と「子音+母音」の形で並んでいなければならぬモノらしい。
では、アッチ欠け、コッチ欠けの「ヤ行」と「ワ行」はどうなのでしょう。「y」や「w」は、本当に子音なのかという疑問が起こります。「y」=「i」ではないのか、「w」は「u」とどう違うのかです。
でも、こうした現実の「日本語の音」についての、文科省は国学の影響もあるのでしょう、一般の人とはかなりかけ離れた考えを持っているようです。
賀茂馬淵ら国学者たちにとっての「50音」は、「“天地(あめつち)の神祖(かみろぎ)の教えたまいし言”であり“五十聯(いつらのこえ)”」(語意考)なのです。
「皇国の正音を外国の音を例として論じてはならぬ・・・これこそが正しい音であり、それ以外は邪音である」(本居宣長)という考えが、現在も生き続けているのでしょう。
だからこそ、「ワ行やヤ行」が「ア行」と一緒の母音なのだと言われては困るのではないか。
しかし昔の「50音図」をみますと、「ヤ行、ワ行」の無い「音図」では、「あいうえお」の行などに、こんな記号がついたものがありますね。
「いあう」「いいう」「いうう」「いえう」「いおう」(註:実際には、中の太文字は、大きく、両側の文字は小さく書かれている)
どういうことかと言いますと、アの音を直音で出すときは「ア」ですが、少し曲がって出すときがあり、曲がり方に二つの方法があるというのです。
まず、音を出す直前に「イ」音の口構えをしてから「ア」と言えば「ヤ」になるし、「ウ」の口構えから「ア」と言えば、「ワ」となるのです。してみると、まあこれは「ア行」の拗音のような扱いですね。
私は、成る程と思いましたね。だから「ヤ行のイ」だけは「イ+イ」ですし、「ワ行のウ」も「ウ+ウ」で直音と同じになる。実に素直に理解できますね。
だから「ヤ行」は「ヤユエヨ」と「イ」が抜けるし、「ワ行」は「ワヰヱヲ」と「ウ」が抜けるのだなと・・・
でもしかし、現在の学者の多くは、「ヤ行音」の/y/や、「ワ行音」の/w/は、あくまでも「半子音」という特殊な音素であるとして、母音・喉音とは認めていないのです。
「半子音」? これまた「半濁音」と同様、まったく不思議な分類ですね。どうやって実際に出せばよいのでしょう。
文科省の方、是非とも教えてくれませんかね。
歴史上「唯一の発音の仕分け・例の文言」では「アワヤ喉」と、「アもヤもワも皆、喉音である」と、明快に言い切っています。実際問題、/y/と/i/、/w/と/u/は、いずれも、日本語の軌範では同じ音素とされていますから、「ア行」の「イ拗音」と「ウ拗音」が、ヤ行とワ行になったという歴史的な経緯は理解でしますし、それにケチをつける積もりはありません。
しかし「日本語の母音はアイウエオの5つしかない」とか「ヤ行とワ行の場合は特殊な半子音を音素とする」などと、妙な屁理屈は止めたら如何かと思うのですよ。
/y/と/i/、/w/と/u/の音は、どれも喉音、即ち母音なのは明らかなことですから、ワ行とヤ行は、「母音ー母音の結びつきである」と、割り切ばいいのですがね。
それににても、音素の数の極端に少ない日本語で、/w/の「ワ行」が消失して行くのは残念至極です。
さて来月は、いよいよ難問の「ん」に迫ってみましょう。
・・・アワヤ喉 サタナラ舌(ゼツ)に カ牙(ゲ) サ歯音(シおん) ハ・マの二つは唇の軽重、開合さわやかに・・・
この文は、何も「ウイロウ売り」に初めて登場したわけではなく・・・歴代の「不完全な50音図」の頃から、必ずと言ってよいほど付記されていた「唯一の日本語発音仕分けガイド」だったのです。そして、この分類を元に、江戸の寺子屋などでは、商家の丁稚たちの“ことば”教育をやっていたことも分かっています。
数ヶ月前(3月のバックナンバーかカテゴリー50音図)に解説したとおり、この文は、現実には社会一般に認められ、唯一の指導ポイントであることは歴史が示しているのですが、こうした事実を、文科省なり多くの学者が認めるかというと、そうはいかないらしい。就中、国学者たちにとっては、文の冒頭の「アワヤ喉」ですら、賛成出来ないようです。
日本語の音は、原則として子音と母音が結合して音の拍をつくりますね。拍というのは、「ふるいけや・・・」と、指を折って、五・七・五と数える、あの拍です。例えば「タ」の音は、「子音のt」と「母音のa」の音素が結合して「タ」という一拍をつくります。そしてこの「拍」を並べたのが「50音」の表です。
ところが多くの学者や文科省にとっては、「50の拍」は、全て整然と「子音+母音」の形で並んでいなければならぬモノらしい。
では、アッチ欠け、コッチ欠けの「ヤ行」と「ワ行」はどうなのでしょう。「y」や「w」は、本当に子音なのかという疑問が起こります。「y」=「i」ではないのか、「w」は「u」とどう違うのかです。
でも、こうした現実の「日本語の音」についての、文科省は国学の影響もあるのでしょう、一般の人とはかなりかけ離れた考えを持っているようです。
賀茂馬淵ら国学者たちにとっての「50音」は、「“天地(あめつち)の神祖(かみろぎ)の教えたまいし言”であり“五十聯(いつらのこえ)”」(語意考)なのです。
「皇国の正音を外国の音を例として論じてはならぬ・・・これこそが正しい音であり、それ以外は邪音である」(本居宣長)という考えが、現在も生き続けているのでしょう。
だからこそ、「ワ行やヤ行」が「ア行」と一緒の母音なのだと言われては困るのではないか。
しかし昔の「50音図」をみますと、「ヤ行、ワ行」の無い「音図」では、「あいうえお」の行などに、こんな記号がついたものがありますね。
「いあう」「いいう」「いうう」「いえう」「いおう」(註:実際には、中の太文字は、大きく、両側の文字は小さく書かれている)
どういうことかと言いますと、アの音を直音で出すときは「ア」ですが、少し曲がって出すときがあり、曲がり方に二つの方法があるというのです。
まず、音を出す直前に「イ」音の口構えをしてから「ア」と言えば「ヤ」になるし、「ウ」の口構えから「ア」と言えば、「ワ」となるのです。してみると、まあこれは「ア行」の拗音のような扱いですね。
私は、成る程と思いましたね。だから「ヤ行のイ」だけは「イ+イ」ですし、「ワ行のウ」も「ウ+ウ」で直音と同じになる。実に素直に理解できますね。
だから「ヤ行」は「ヤユエヨ」と「イ」が抜けるし、「ワ行」は「ワヰヱヲ」と「ウ」が抜けるのだなと・・・
でもしかし、現在の学者の多くは、「ヤ行音」の/y/や、「ワ行音」の/w/は、あくまでも「半子音」という特殊な音素であるとして、母音・喉音とは認めていないのです。
「半子音」? これまた「半濁音」と同様、まったく不思議な分類ですね。どうやって実際に出せばよいのでしょう。
文科省の方、是非とも教えてくれませんかね。
歴史上「唯一の発音の仕分け・例の文言」では「アワヤ喉」と、「アもヤもワも皆、喉音である」と、明快に言い切っています。実際問題、/y/と/i/、/w/と/u/は、いずれも、日本語の軌範では同じ音素とされていますから、「ア行」の「イ拗音」と「ウ拗音」が、ヤ行とワ行になったという歴史的な経緯は理解でしますし、それにケチをつける積もりはありません。
しかし「日本語の母音はアイウエオの5つしかない」とか「ヤ行とワ行の場合は特殊な半子音を音素とする」などと、妙な屁理屈は止めたら如何かと思うのですよ。
/y/と/i/、/w/と/u/の音は、どれも喉音、即ち母音なのは明らかなことですから、ワ行とヤ行は、「母音ー母音の結びつきである」と、割り切ばいいのですがね。
それににても、音素の数の極端に少ない日本語で、/w/の「ワ行」が消失して行くのは残念至極です。
さて来月は、いよいよ難問の「ん」に迫ってみましょう。