T.N.T.-SHOW

メカデザイナー山本薫のBlogです~2006・11・30 お仕事募集中 sp2q6z79@polka.ocn.ne.jp

ボギー転輪について

2013-03-31 23:46:48 | スケッチ

 ● 二輪ボギー転輪

  • Photo_3

 たびたび用語の出てくるボギー転輪について解説します。

  二輪ボギー転輪は、最も原始的な懸架装置の一つです。

上図左がその概念図で非常にシンプルな事がお分かりになると思います。

この装置は二個の転輪をシーソーのようなビームで一組にしただけのもので、

スプリングの類は一切使っていません。それでもこの装置がサスペンションと言われる

ゆえんは、真ん中の図のような原理によります。

 高さaの障害物を前の転輪が乗り越えたとき、テコの原理で車体の軸は1/2aの高さだけ

上昇します。この時後ろの転輪には下側の力が加わりますが、地面が軟弱でない限り

車体を押し上げる事になります。車輪が固定されている場合よりいくらかマシである上に

構造が簡単なので初期の戦車等に装備例が見られます。

 上図右、Ⅳ号戦車の転輪はそれぞれの転輪に一本ずつアームがセットされているので、

独立懸架と言えない事もないのですが、板バネが二つの転輪にまたがっています。

前の転輪が障害物を乗り超えると板バネのしなりにともなって後ろの転輪に下向きの力が

加わり車体が持ち上げられるので、動きとしてはボギー転輪のものと似たものになります。

 弾力を持ったボギー転輪とも言えるこの懸架装置は、古い設計という評価が大勢を占め

ますが、当時的には技術的冒険のない最新の考え方に思えます。

 ● 前のアームが長い場合

  • Photo_4

 Ⅳ号戦車のボギー転輪は、前のアームが若干長くなっています。どうしてこのような

設計になっているか分からなかったのですが、上図のような理由の為ではないかと

推測できます。

 今、車体への取り付け軸の位置が二輪の車軸間の2:1の位置にあったとします。

すると、テコの原理によって車体の持ち上がる高さが前の転輪が乗り越えた高さの

1/3ですむことになります。この比率が大きくなればなるほど車体が持ち上がる見かけ上

の高さは小さくなるのです。

Photo  [余談ですが、上図を考えているとき思い浮かんだのが

チョッパー式のアメリカンバイクです。

これもただスタイル追求でできたわけではなく、実用的な

意味合いがあったんですね。]

.

 ただし、その分後ろの転輪が障害物を乗り越える時の車体の上昇が高くなるのですが

一旦持ち上がった車体には慣性が働いているので、Ⅳ号戦車のようなケースでは微妙

なバランスが取れているのではないかと考えられるのです。

 一見古い設計に思えるⅣ号戦車のサスペンションはドイツらしい凝った設計になって

いると再認識できます。これに比べるとアメリカのM-4やソ連のT-34はすごく割り切った

設計に見えてくるのです。

 ● ダブル・ボギー

  • Photo_5

 技術史にはダブル・ボギーなるものがあります。

これは二つのボギー転輪をさらにシーソーで連結したものです。

上図のように最前輪がaの高さを乗り越えた時、車体の上昇は1/2aのさらに1/2の

1/4aの高さですむという物です。

 図で見る限り非常に巧妙にできているのですが、この機構はあまり普及しませんでした。

その理由は、四つの転輪に対して車体に固定する軸が一ヶ所であるために、前後方向

に不安定になる為と思われます。

 仮に8輪のダブルボギーだとすると車体側の軸は二ヶ所になり、その位置は車体の中央

に寄って来ます。するとかえって車体の前後の上下動が増長され、複雑なメカの意味が

薄れてしまうのです。

 これの変形が日本の九七式中戦車のものと思われますが、詳しい構造が不明なので

別の機会に触れることにします。

 ● M4シャーマンのサスペンション

  • Photo_7

 アメリカのM4シャーマン戦車はその基本設計が古く、始祖は1934年のT5戦車にまで

さかのぼる事が出来ます。

構造は、上図左のようなもので、外見は二輪が一組になっていますが、それぞれの転輪

にアームとスプリングが一対づつ付いているので、実態は独立懸架であるといえます。

 ところが、1943年に更新された懸架装置は、水平ボリュートスプリングという方法で

前後の転輪が干渉するようになっています。

 これは形は違ってもⅣ号戦車の懸架装置と考え方が同じで、ボギー転輪と独立懸架の

中間の形態と言うことが出来ます。ひょっとしたらアメリカはⅣ号戦車のサスペンションを

研究・参考にしたのかもしれません。

 その後のアメリカのチャーフィー等の大戦末期の戦車はトーションバー式サスペンション

を採用していて、これもドイツが量産したⅢ号やパンターの影響があるのではないかと思える

のです。

 

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Ⅳ号戦車の転輪ボギーについて 2

2013-03-31 02:56:57 | スケッチ

 ● Ⅳ号Aのボギー転輪

  • A

 某所で写真を見る機会があったので、その記憶のみで描きました。

初期のⅣ号戦車の転輪ボギーは後期のものと比べていくつかの相違点があります。

改良の要点は、地上近くの低い所の形状を洗練させて泥等が付着しにくくしたもの

と思われます。

板バネの前面を鉄板でエンクローズして破損防止とし、二本のボルトを廃止。板バネの

固定用クサビの先端を曲げて抜け防止としていたのを止め、先端をその中に納まる

ようにしています。いずれも地上物があたって破損したりひっかかったりする事への

防止策でしょう。

 板バネの強化についてはまだ記述は見つけられませんが、ヘッツァーの記事の中に

前方が重くなったので前のリーフスプリングを7mm厚から9mm厚にしたとありますので、

Ⅳ号でも同様の方法がなされた可能性が出てきました。

 ● Ⅳ号戦車の鋼製転輪(サイレントブロック)

  • Photo_4Photo_5

 Ⅳ号戦車系列の重量増加対策の一つがスチール転輪です。

上左図はパンツァー誌の図面を若干手直ししてトレースしたものですが、細部が

実際の物と異なるようです。青い部分がゴムのパッドで振動や衝撃を吸収する

ようにしたメカです。緑の部分はベアリングですが、円筒形のコロが使用されていた

ようです。赤い棒が車軸ですがどうやって車輪を固定しているか今一つわかりません。

ハブキャップで押さえているとは考えにくいので、固定用の部品が中にあるはずです。

Youtubeに当時の整備風景を見つけたのですが、肝心の固定作業は映っていません。

 当時のニュース映像

http://www.youtube.com/watch?v=VwLunJBdy3g

 Ⅳ号系列の走行系は、小さめな転輪と簡単な機構のため整備性は極めて良好

だったと思われます。

 ● 計画戦車E-50/75の転輪

E50_3

  • E50_4

 Eシリーズという戦闘車両製造計画が大戦末期にドイツで立案されています。

E-5、E-10、E-25、E-50/75、E-100、からなる戦闘車両群は、例の

兵器局第6課の提案になる次世代の生産計画を統合するものでした。

 いくつかの設計が実際に製造され写真も残っていますが、車両として完成したもの

は一つとしてありませんでした。

 上図はそうしたものの一つで、1944年に完成した転輪サスペンションです。

タイガーⅡ戦車に実際に装着されて走行試験を行ったとされていますが、詳細は

分かっていません。

 形状的に気が付くのは、Ⅳ号戦車やフェルディナント駆逐戦車のサスペンションと

よく似ているということでしょう。ただし、二本のアームはそれぞれのスプリング・ダンパー

ユニットに接続されているので、独立懸架装置であるといえます。スプリングは独自の

板バネを重ねた構造になっていて、コイルスプリングより大きな加重に対応できそうです。

 二個の転輪がオーバーラップしていますが、タイガーなどの複雑な転輪配置から

見ればかなり簡略化されています。これで実際に問題が起きなければ、Ⅳ号戦車でも

私の案のようなオーバーラップの大径転輪が使えることになります。

 どこかに前述の実験の詳細についての資料があればよいのですが・・・。

 ● オーバーラップ転輪の配置

  • Photo_2

 オーバーラップ配置にも種類があって、ドイツはそれらをすべて製造しました。

千鳥式とはさみ込み式があり、キャタピラへの重量分布を一定にした上、捻り応力が

かかるのを極力避けようとしていたことが分かります。

 タイガー戦車の転輪は整備兵泣かせとして有名で、その教訓からか後年に簡略化が

進んでゆきます。最終的に到達したE-50/75の配置は、整備性と実用性の経験上

から導き出された回答ですので、実現する可能性は充分であったといえましょう。

 ただし、大戦後の戦車がオーバーラップ配置を全くかえりみなかったことを考えると、

技術上の特異点であったことも又事実といえます。

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Ⅳ号戦車の転輪ボギーについて

2013-02-27 23:17:14 | スケッチ

● Ⅳ号戦車系の転輪ボギーの図面

Photo_2

 PANZER誌に掲載された当時の図面をトレースしたものです。

(トレースが不正確なのでご注意下さい。)

 今回は、この図面から読み取れるⅣ号戦車の性能について、解説してみます。

 1944年という記述を信じる限り、この図面はⅣ号H型の左最後方の物のようです。

図面向かって左が前方になり、車体右側面の転輪は反対の形状の物が取り付けられます。

1944年の6月からJ型の生産が開始されますが、J型では赤い矢印のボルト二ヶ所が省略

され前後のストッパーの形状も省略されたものになっているので、J型のものではないと言う

ことがわかります。

 この図面は書式からエルンスト・レーア教授の振動の研究の1ページなのかもしれません。

そうだとすると資料の記述からも当時の量産型Ⅳ号であるH型の図面ということになります。

 H型はⅣ号戦車シリーズの中でも装甲強化が進んでおり、車重が各型中最も重くなって

いるので、サスペンションのスプリングも最も強いものになっているはずです。

図面の数字からは厚さ9mm幅90mmのリーフスプリングが14枚重ねになっている事が

読み取れます。おそらくこれがⅣ号駆逐戦車などの自走砲車台にも使われているはずです。

 前後のスィング・アームの長さは異なっており、前方のアームの、支点から車軸中心

への長さが転輪の半径と等しくなっているようです。(つまり転輪直径は480mm)

 二つの転輪のホイールベースは500mmとなっており両輪の間が20mmと狭めになって

いることがわかります。ドイツ戦車はキャタピラに対する転輪の重量分布を均一にするために

オーバーラップ式の転輪を広範囲に使用しましたが、小径の転輪を間を詰めて多数並べる

事でも同じ効果が出せます。ただし、小径の転輪では速度性能に限界があり、Ⅳ号戦車では

スィングアームの短さもあって地形追従能力も良くありません。

Ⅳ号戦車の路上最高速度は約時速40km、不整地では約15kmとなっています。不整地

での速度低下は、キャタピラの幅が38cm(後に40cm)と狭い上に、車体の最低地上高

が40cmと低いため底面が容易に接地してしまう事が影響しているようです。

 ● 軟弱地での沈み込み

Photo

 車体の底面が地面に擦れて抵抗になれば、ギアやエンジンへの負荷も大きくなって、

故障を起こすリスクを伴うので、スピードを上げる事が難しくなるわけです。最低地上高を

50cmにせよと言う勧告はそういう点からもなされたはずです。

 ソ連やアメリカの戦車ではこの部分を妥協しているものの、さして悪い評価があるわけでも

なく、ドイツ戦車はメカに凝りすぎな印象を受けます。その後、直径の大きな転輪片側6輪に

Ⅳ号を改造しようとした案も生産性の点から見て妥当な考え方であったと思えます。

 ●ポーポイズ運動

Photo_3

 ただ、このサスペンションは乗り心地がよくない代わりに車体の動揺が少ないという特徴

があり、それは射撃に際して照準をつけやすいという利点がありました。サスペンションが

緩やかで最低地上高が高いと、車体の前後の揺れがなかなか収まらないという弊害が

あります。これはポーポイズ運動(イルカが海面から出たり入ったりする様子に似ている

ためにこの名前があります。)と呼ばれ、戦車の設計では避けなくてはならないものです。

これを避けるため、Ⅲ号戦車の第一と第六転輪には油気圧ダンパーが設置されています。

 ソ連のT-34戦車は不整地を踏破する性能が高かったものの、スピードが低いうちから揺れ

が発生し、走行中の射撃はもちろん停止直後の照準が困難でした。

 Ⅳ号戦車はローテクであったがために、射撃という点ではアドバンテージがあったのです。

一方、研究の成果を取り入れて作られたパンターは全ての速度領域で前後振動が少なく

他の追従をゆるさない射撃が可能でした。トーションバー式のサスペンションは仕掛けが

大掛かりであった代わりに戦車にとって理想的であることがパンターによって証明された

のです。

 パンターについてはまた別の機会に書きましょう。

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Ⅳ号戦車の装甲増強に関連したetc. 2

2013-02-12 13:35:33 | スケッチ
 Ⅳ号戦車の架空の装甲強化案です。名称をK2型としました。
以前モデルアップした前の型はK1型となります。

 ● Ⅳ号戦車K2型


  • Photo_21






  •  地上と車体の間を40cmから50cmへ引き上げるため、直径の大きい
    鋼製転輪に換装しました。シュルツェンはその為上下幅が短くなっています。
     史実では、1943年9月7日に兵器局第6課ホルツ・ハウァー少佐からⅣ号戦車の
    最低地上高を400mmから500mmにするように提案がなされており、変更箇所
    が大きすぎるという理由で却下されています。
     その時のプランは、おおよそ次のⅢ/Ⅳ号戦車のプランと同じもので、転輪を
    直径の大きなものにしたのだと思います。

     ● Ⅲ/Ⅳ号戦車 A型

    Photo_19







    •  ドイツではⅣ号戦車の車台を使った自走砲を多く製作しており、やがてⅢ号戦車の
      ギアを組み合わせたⅢ号Ⅳ号共通車台というものが作られました。
       そしてその車台を使ったⅢ/Ⅳ号戦車が計画されましたが、 生産に移すまでの余裕
      がなくペーパープランに終わっています。
       図のように直径の大きな転輪を使ったために片側6つの転輪になっています。
      この方法では部品の共通化を図っても限界があり、車体にあけるボルト穴も位置を
      変えねばならず、工作機械の入れ替えが必要だったかも知れません。
       パンター戦車の場合、車体の側面に開ける穴を一挙に全部加工するボール盤があり
      新造されたⅣ号戦車の生産ラインでも採用されていると思われます。このような工作機械
      は生産時間の短縮に効果がありますが、設計変更に対処するには機械そのものを
      交換するしかない上に、機械の製作にも長い準備期間が必要になあるのです。
       そこで、パンターのようなオーバーラップ式にすれば変更が最低限になると考えた
      のが今回の私のプランです。

       ● Ⅳ号戦車系の二輪ボギー転輪

       Photo_7 Photo_8






        四号戦車の転輪は二輪が組みになったリーフスプリングによる緩衝機構を
      採用しています。単純な機構で作りやすく、故障や破損が少なく、メンテナンスも
      タイガー戦車などより格段に楽だったはずです。
       一方で、乗り心地はそれなりのもので凹凸を乗り越えた時の衝撃が直に乗員の
      負担になったようです。
       ドイツが実戦を行う前にⅣ号戦車は設計されており、常に細かい改良が加えられ
      ながら終戦まで生産が続けられましたが、転輪を取り付けるサスペンション部分は
      ほとんど変更がなかったようです。車体の重量増加にともなってスプリングの強化は
      されていると思うのですが、40cmの地上高では実戦の機動で不足だったようで
      前述の最低地上高の引き上げが勧告されたのでしょう。
       生産上の理由から大きな変更を伴う改良は使えなかったⅣ号ですが、重量増加
      のために転輪ゴムの磨耗が激しく、末期にスチール・ホイールが開発されます。
      これは内部に緩衝ゴムリングを内蔵した転輪で、ゴムの節約にも貢献しました。
      しかしⅣ号系列の自走砲には優先的に使用されていましたが、Ⅳ号戦車自体には
      使われませんでした。
       一部の車両では第一転輪をスチール・ホイールに換えたものもあったので、前方が
      重く磨耗が激しかったことをうかがわせます。つまり急停車の時など前方へのめり込ん
      だはずで、最低地上高の増大は機動力を増す効果があったことは間違いないと言えます。


      Photo_20Photo_10






         そこでⅢ/Ⅳ号戦車の転輪の図面を参考に直径の大きい転輪をオーバーラップさせる
        方法を考えました。共通のスチールホイール(内部に緩衝ゴムを内蔵)をスペーサー
        をはさむことで内外両方に使い分け、従来どおり片側4組8個の転輪となります。
         小さな転輪を外して大きな転輪に差し替え、キャタピラを何枚か付け足すだけで
        10cmの地上高増大ができるので、前線でもジャッキがあれば交換可能な実用性の
        あるプランだと思います。
         ただし、転輪のキャタピラへの接地面積から言うと従来のものより少なくなりますし、
        キャタピラに捻り応力が加わるので、何かの不具合が出ることが想定できるでしょう。
         また第一転輪にⅢ号戦車のような油気圧ダンパーを加えればより効果が上がるはず
        ですが、これは工場生産時に施工する必要があります。
         ● クルップ社によるⅣ号H型のプラン

      • Photo_11






     Ⅳ号戦車がG型からH型に更新される時、軍側から装甲強化に関する要請がなされ、
    クルップ社は上図のような提案を返しました。
     1943年2月5日の提案は上部車体を傾斜装甲で設計しなおすとともに、砲塔の後面
    を45mm厚の装甲板にして対戦車ライフル対策としています。その重量増加のためか
    砲塔後部の雑具箱はなくなっています。
     そして全体の重量増加対策としてキャタピラを560mm幅の冬季仕様にするとして
    いますが、結局全体の重量増加にギアが耐えられないという理由で実現しませんでした。
     H型の生産数に鑑みるに新工場の生産ラインがこの時点で整備されたはずです。
    もしこの時、重量の問題が解決されていたら、新造工場で根本的な改良と傾斜装甲
    を備えたⅣ号戦車が大量生産されていたかもしれません。
     この架空戦史に関してはまた別の機会に考えたいと思います。


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    一昨日、10日と11日の間の深夜の数時間に1800件あまりのアクセスが記録されました。
    このブログは毎日100件以下のアクセス数で少ないときは20件を下回ります。
    異常な事態なので、どこかにリンクが貼られたのかと思いましたが、内容を分析すると
    そういうことではないようです。
     アクセス元は10ヶ所以下で、すべて設定画へのものです。おそらく一人か少人数による
    更新で回線をアクセスしにくくさせる攻撃だったと思われますが、意図は全く不明です。







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    Ⅳ号戦車の装甲増強に関連したetc.

    2013-01-12 17:33:58 | スケッチ
    •   ●Ⅳ号K型改
    • Photo

     Ⅳ号戦車の架空の装甲強化バージョンK型です。

    砲身が短くなった印象を受けますが、砲身が30cm(75mmの4口径分)砲塔内に

    引っ込んだためです。

     砲塔の外形を保ったので、旧来のシュルツェンの装備も可能でしょう。

     実は本家ドイツではすでに装甲強化のプロトタイプがいくつか作られていて

    プラモデルの作例や実車の写真がネットでも閲覧できます。

      ●Pz.Kpfw.IV Ausf.E "Vorpanzer"

    • Photo_3

     フォーパンツァー(?)と言うこの車両はE型をベースに装甲強化が試みられた比較的

    初期もので、図のように砲塔と上部車体前面にスペースド・アーマーが、上部車体側面に

    増加装甲が施されています。戦車メーカーによって正式に作られたプロットタイプですが、

    これらの改良は、F型以降の装甲厚増加と主砲の長砲身化にともなって見送られたもの

    と思われます。

     また、砲塔後部の雑具箱が四角断面のものになってピストルポートも廃止されていますが、

    これも不採用になったようです。

     後にH型にシュルツェンが装備されるに至って車体側面のバイザーやピストルポートは

    全廃されるのですが、その時になっても雑具箱の変更はなかったようです。

      ●当時のドイツ戦車のターレットリングの構造

    Photo_4

     図はパンターのものですが、Ⅳ号戦車もほぼ同じ技術が使われている と思われます。

    多数のボールベアリングを内外のリングで挟んでボルトでそれぞれ砲塔と車体に固定

    してあります。果たしてどうやって組み立てたのか良くわからないのですが、非常に強固

    な結合力を持っていて、ちょっとやそっとの加重や衝撃ではびくともしそうにありません。

     こうした構造がベースにあるので、Ⅳ号戦車は度重なる装甲強化や主砲の長砲身化も

    許容できたのだと思います。

      ●撃破されたⅣ号戦車

    • Photo_6

     写真をトレースした図ですが、 Ⅳ号戦車が被弾して弾薬の誘爆を起こした場合、

    砲塔が吹き飛ぶわけではなく、この絵のように車体が上下に分断されるケースが多い

    ようです。これは砲弾の収容場所や上部と下部の車体の結合部位の関係もあると

    思うのですが、砲塔旋回リングの結合力の強さを示す良い例といえましょう。

     それにもかかわらずⅣ号の砲塔前面装甲板が最後まで50mmのまま増強できなかった

    のは、砲塔バランスの偏りで旋回速度が遅くなったり傾斜地で旋回が困難になったため

    と思われます。

     戦場での写真を調べてみると、現地改造でキャタピラなどを増加装甲にしている例が

    ありますが、それらはある程度覚悟の上での装備であって、何らかの代償を払っている

    と想像できるのです。

       ●Ⅱ号戦車の組み立て

    • Photo_7

     ドイツの戦車は車体が 二段になっているものが多く、それはソビエトのT-34戦車

    に影響を受けるまで続きます。明らかに構造的に不利なのですが、Ⅳ号戦車もその部分

    が改良できずに最期まで生産が継続されました。

     よく、「どうしてⅣ号戦車は前面の装甲板を一枚板にできないのか」と言ったコメントを

    見かけますが、その理由は、ドイツが戦車製造を始めた初期の頃の事情が尾を引いていた

    ためと考えられます。

     図のようにドイツが最初に作った軽戦車Ⅱ号は砲塔を含んだ上部車体と下部車体を

    違うメーカーが作って、組み立て工場で結合する方法をとっています。

    この方法の利点は、戦車製造が未経験なメーカーに経験を詰ませることができるという事

    と各メーカーに平等に仕事を割り振りするというナチスの方針に沿ったものにできるという

    所でしょう。

     この方法は、後に戦車車台の自走砲への転換という手法に良い影響をもたらしますが、

    別の見方をすれば、中小のメーカーが林立するドイツ工業界の事情の裏返しでもあります。

     現在でもポルシェなどの高級車は親方が弟子に指示を出すマイスター制度で製造され

    ていますが、ドイツが再軍備を始めた頃はほとんどの工場がこの体制で動いていました。

    戦車の生産台数が少ないうちはそれでも良かったのですが、徒弟制度が物量戦に対応する

    大量生産に移行できるものではないのは明らかです。

     この後、軍需相に就任したシュペアーは、このマイスター制を廃したフォード式大量生産

    を導入するために、大規模な組織の構造改革を行いました。大量生産ラインでは、熟練工

    の数を極限することができるので、未経験者の大量動員によって工場の拡大も容易と

    なったのです。

     こうして、構造的に洗練されたパンター戦車の製造工場が建設できたと言えます。

    おそらく、Ⅳ号戦車においてF型以降に急速な生産数の増加があったのも、工場の大規模

    ライン化が計られたためと思われます。そして最盛期には月産300台を生産して戦線を

    裏から支えたのです。

      ●治具(ジグ)の想像図

    • Photo_8

     工場で部品を組み立てるときに用いれる補助用具を治具(ジグ)と言います。

    部品の形や大きさによってさまざまなものがありますが、図は二枚の鉄板を溶接するため

    の治具の想像図です。

     工場ではこうした機材が大量にあり、非熟練工を大量に使った工場はもちろん、自動化

    を計った工場になればなるほど多くの機材が設置される必要があります。

     Ⅳ号戦車の初期の工場では、熟練工がマイスター制度によって現場で細部の設計変更に

    対応できたのですが、大量生産が本格化すると容易には行かなくなってゆきます。非熟練工

    は治具の助けなくしては生産スピードが上がらないばかりか、全く生産ができなくなるので、

    細部の変更でも治具の交換が(平行して複数の製造工程があれば複数の治具の交換が)

    必要になるからです。

     Ⅳ号戦車の装甲増強に関しては、以上のような事情を勘案する必要がありました。

     今の所、Ⅳ号戦車の生産ラインに関しては僕は全くと言っていいほど把握していません。

    したがって今回のⅣ号K型改案も、まだ暫定的な案と言えます。

     資料が入手できたらまた挑んでみたいと思いいます。

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    Ⅳ号戦車 改造案の別案

    2012-12-04 19:09:43 | スケッチ

     2009年にⅣ号戦車の改造についてスケッチと解説を掲載しました。

    その後モデルアップしてイエローサブマリンの模型コンテストに出品しましたが、その記事

    の中で別案が必要だと書きました。その理由は、Ⅳ号戦車の改造は生産ラインに大幅な

    改編を加えることなく実行できるものでなければならないからです。(後述します)

     今回はその別案ができましたので紹介しましょう。

    ●Ⅳ号K型 改砲塔

    Photo

     ご覧のように外見上は主砲の防盾がザウコフ型に

    変わった他、砲塔上面が変わった程度に見えます。

    これは砲塔の主要な装甲板に前回のような大きな改変

    を加えると生産ラインへの影響が大きくなりすぎるからです。

     本家ドイツでⅣ号戦車の車体前面装甲をⅣ号駆逐戦車

    のように改変しようとしたところ、ジグを交換する間のライン

    の停止が生産数に深刻な影響を及ぼすので不可能という

    結果になったのです。

     そこで今回の別案では、装甲のパーツの形状変更を最低限にして、ジグの変更に依存

    しないような案にしたのです。

    ●変更点の概要

     この案の変更点は大きく分けて三つあります。一つは砲塔前部装甲の増強、次に車長席

    の移動、そして主砲取り付け部分周りの変更です。

     砲手・装填手用ハッチは変更するのが好ましいのですが、旧来のままでも問題がなければ

    そのままにしておいても良い部分と言えます。

    Photo_2

     前面装甲の増強に関しては、内部から装甲板を内張り

    して内部スペースを作り防御するという方法を考えました。

    前面の50mm装甲板はそのままで、そこを敵の砲弾が

    突き抜けた場合、内側の30mm装甲板が斜め面によって

    上へ弾くプランになっています。

    このスペースは上面を開けておいて雑具箱として使用できます。

     砲塔左側のこの部分には砲塔の旋回ギアボックスがあるらしく、詳しい形状が分かって

    いません。モーターとの兼ね合いから移動が困難なので、プランの変更が考慮されます。

     砲塔右側には装填手用の砲塔旋回用手動ハンドルが設置されていますが、これは

    わずかな設計変更で移動できるはずです。

    Photo_3

      車長席は色々検討した結果、上方へ15cm後方へ30cm

    移動することになりました。シルエットの増大となりますが

    後述の主砲の改造と関連があるので外せない部分です。

     Ⅳ号戦車の三面図で計算したところ、キューポラを取り付け

    る開口部の直径が約60cmであることが分かりました。

    後方への移動距離はこの半分、上方へはその1/4となります。その為、キューポラの下に

    円筒形のスペーサーを入れ、前方に防盾を設置して基部とします。この防盾はⅢ号突撃砲

    のような鋳造のものが良いでしょう。

     そして砲塔後部の雑具箱を15cm高く設置してキューポラの防御にします。

    この雑具箱は設計変更した新型になりますが、外形はほぼ以前の物と変化なく、既成の

    シュルツェンが使えるようになっています。

     これらの変更で幾分か後方への重量分布を稼げるので、砲塔前方の装甲強化の助け

    になるはずです。

    Photo

     主砲は、車長席を30cm後退させた分だけ後方へ砲尾を

    伸ばせます。

    この変更は主砲本体に変更はなく、砲耳の基部の設計変更

    で対処します。

    車外に突き出た駐退復座機のシリンダーは、その部分の長さがちょうど30cm程なので、

    基部に納めることで箱状のカバーを廃止できます。

     機銃の装備位置も30cm後退できるので基部のカバーに収まってしまいます。

    こうしてザウコフ型の防盾を取り付けることが可能になるのです。

     これらの追加された装甲パーツは上から見ると主砲を先端としたくさび形を形成し、

    良好な被弾経始を得る事ができるはずです。

    ●Ⅳ号K型 砲塔の組み立て

    Photo_4

     砲塔を製造するにはまず上図のように装甲板を組み立てて

    箱を作った後、様々な加工をしてパーツを追加して行きます。

    この工程で旧来のジグが使えれば、生産ラインへの影響は

    最低限になるはずです。

     次に、砲塔のスリップリング用のベアリングを取り付ける

    平面加工が必要になります。

    溶接で鉄の箱を作ると微妙な歪みが出て、そのまま設置

    すると精密部品のベアリングが正確に旋回しなくなるためでしょう。

    おそらく図のような大型工作機械で切削加工をすると思われますが、砲塔の形状がこの

    時点で変更されていると、加工に関連するジグの変更が必要になると思います。

     キューポラの支筒やドアの閉鎖板はこの加工の前に溶接するのが好ましいと思います。

    ドアの開口部は最初から穴の開いていないパーツにしても閉じる事ができますが、部品

    のストックを消費するまではこのような工程が必要です。 

     ●車体部前面の変更

    Photo_5  

     車体前部の装甲は、Ⅳ号戦車の場合充分な増強が

    なされており、他国の中戦車と比べても見劣りするもの

    ではありません。

     しかし、常に戦車不足に悩んでいるドイツでは様々な

    局面にⅣ号を投入せざるをえず、前面80mmの81度

    傾斜の装甲板でも充分とは言えなかったのです。

     本家ドイツでの改造プランでは傾斜装甲板への変更

    がいくつか提示されていますが、いずれも実行されていません。

     その大きな理由は、改造部位が大きいと生産ラインに影響をきたすからでしょう。

    (またしても!)

    そこで私は上図のように、最小限の変更で改造可能な案を考えました。

     Ⅳ号戦車はトランスミッションの点検ハッチとドライバーの位置の関係から、充分な

    傾斜を持った装甲板の設置が難しいので、途中で屈折した装甲板の設置なら可能

    だという結論になったのです。

     下10cmの部分は厚さ100mmですが、その上は80mm45度の装甲板を溶接して

    砲弾をそらすようになっています。

     A案ではⅣ号の銃眼と視察用クラッペの流用が可能です。

     C案ではパンターのものを流用するアイディアになっていますが、装甲板の傾斜が

    パンターより浅いので部品に変更が必要でしょう。

     B案は二つの折衝案ですが工数の割には効果は薄いと思います。

     いずれはこれらの案を又モデルアップしてみたいと思っています。

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    ● ガールズ&パンツァー

     絶賛放送中のアニメですが、戦車描写が非常に良く、あなどれません。

    主役がⅣ号戦車に搭乗しているとあって毎回楽しみに拝見しています。

    1クールと言わず2期も3期も製作して欲しいと思います!!

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    僕の考えた大戦艦(笑い)

    2012-07-30 03:12:01 | スケッチ

      巷では夏ですので戦争関連の書籍が沢山見られるようになりました。

    ヤマト2199第二章も公開されましたので戦艦のスケッチなど描いてみることにしました。

      ● 戦艦 葦原

    • Photo

      葦原とは日本を指す古い地名です。葦原中國(あしはらのなかつくに)は日本神話

    に記される日本の国土の事で、一部では有名な名称のようです。

    大和は大和の国(現在の奈良盆地のあたり)を指す地域名から来ているので、日本全体

    を指す地名を艦名にして良いものかと思いましたが、そこは架空のお話ですので

    命名しました。

     四連装41cm砲塔を三基、艦の前半に配置し艦橋構造物は第二砲塔と第三砲塔の

    間に位置します。主砲は12門となり長門型戦艦の5割増しとなります。

     四連装砲塔は絵のように二連装が同軸で二組を搭載する形式です。6門ずつ交互に

    射撃し弾着の修正を短時間で行っていきます。

     日本海軍の砲塔では安全上の配慮から動力に水圧方式を採用していますが、どうしても

    高出力の動力を開発できず、全門斉射を行うと後座した砲を元に戻すのに時間を要する

    ために、半数ずつ交互の射撃が標準化されているのです。

     艦の後半には機関室と缶室があり艦尾近くに煙突が位置します。煙突は日本の空母

    によく見られる下向きの形式であり、艦が傾斜した際に片方を閉じる事もできます。

       ● 葦原の内部

    • Side_upper

      まだ検討段階ですが、ヴァイタルパートの内部配置はこのようになっています。

    弾火薬庫と機関を前後に分けた事により、それぞれの装甲厚を変えることが可能

    になりました。これは巡洋艦利根型で試された方式であり、大和型戦艦もこの形式

    で計画されていました。

     敵の砲弾が命中しヴァイタルパートを貫いた場合、そこが機関か缶室ならば戦闘

    継続の可能性が残されています。しかし弾火薬庫だった場合、即爆沈となって戦力

    は失われるのです。そこで弾火薬庫を一箇所にまとめ、やや厚い装甲で覆う事が

    計画されました。

     これが藤本喜久雄造船官の考え方による集中防御方式で従来の物より進歩した

    考え方でした。

      葦原ではさらにこれに加え、第三主砲塔を後方に向けて開けた射界を取れるよう

    工夫しました。上図では艦尾の煙突が起倒式ですが、これも第三砲塔の射界を確保

    するためです。

       ● 葦原 弾火薬庫

    • Photo_2

     艦橋の前後幅をできうる限り切り詰め、第二砲塔と第三砲塔の間におきました。

    その下のスペースには副砲である12.7cm連装砲等の弾火薬庫になっています。

    事情が許せば長10cm砲も乗せたい所ですが、駆逐艦や巡洋艦等に対する砲撃力

    が不足する恐れが残ります。

     このように葦原は主砲による砲撃力に特化した設計となっており、甲板上の全ての

    部分は主砲の爆風に供えた耐爆仕様になっています。

     ただし、今のままだと艦載機の搭載スペースが露天となってしまうので甲板の構成を

    考え直す必要があると思います。それはまた次の機会にいたしましょう。

    ───────────────────────────────────────────────────

      ● ヤマト2199 第二章

     劇場で観てきました

    前回に比べると手馴れた印象があり、演出の軽さやメカの動きにも改善が見られ、

    安心して観る事ができました。一部で言われているような全く駄目という評価は少し

    厳しいと思います。

     ひとつ気になった事は演出の作為ではなく演出の欠損です。

     真田技師長がロボットのように描かれ、周囲の人間の反応がコミカルに描かれます。

    それによって表現されるところはさして問題ではないのです。問題なのは沖田艦長が

    真田技師長以上にロボット的な事なのです。

     艦長の重責を全うし、若い乗組員を統率する沖田十三の言動は常に一貫した視点

    を保って微動だにせず、指令は常に的確な判断から下されます。しかし、その判断を

    下すまでの考慮の間が描写不足なために、機械的に見えてしまうのです。

     これはおそらく沖田の側に立って考える事ができる人物が製作側に不足している為

    でしょう。故に感情移入が描写されず人間的な感じがしないのです。

     もう少し話が進めば、沖田の人間性を描写するストーリーもあるかもしれませんが、

    要は日常における僅かな描写であって、彼にも人生があると理解することなのです。

     次の第三章は10月だそうですが、見に行くかどうかは検討中です。

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    ぼくの考えた戦艦 改 (笑い) 2

    2012-03-04 09:13:29 | スケッチ

      引き続き航空戦艦能登の内部構造についてです

    • Photo

     上図は機械室あたりの横断面図です

    緑の部分が上部格納庫、赤い部分がヴァイタルパート、オレンジ色が煙路です。

    格納庫の天井は二重構造になっており、緑の濃い部分は天井裏で上下に20mm鋼板が張られています。

    この間隙は滑走路上に立てる可動防風柵や様々な装備を格納するほか、爆発に対する干渉帯ともなります。

    その上の滑走路には75mm装甲板が貼られています。これは500kg爆弾の急降下爆撃に耐える厚さです。

    この滑走路は重量制限の関係で飛行機の離発着できる最小限の部分にしか装甲板が張られておらず、

    それ以外の場所に爆弾や砲弾が命中した場合、甲板を貫通して下の格納庫内や船室に突入することが

    予想されます。その下にはヴァイタルパートの水平装甲板があり、スピードの落ちた爆弾を跳ね返し、

    信管が正常に作動すれば爆発はそこで起こるはずです。

     艦の心臓部である機械室・缶室や弾火薬庫は40cm砲弾に耐える装甲板の箱で防御されており、格納庫内

    での爆発でも影響を受けません。艦内で発生した爆風は横に向かって拡散し、斜め下の非装甲部や外側に

    外れるように設置された舷側装甲帯を吹き飛ばして外へ出るのです。

    Photo_4

     この時重要なのは、装甲滑走路が艦内の爆発に対してめくれ上がったり変形したりせず、離発着能力を保持する点にあります。

    これは爆弾や砲弾を跳ね返す以上に重要な点です。敵弾を受けることが前提の航空戦艦では、被弾しても

    艦載機の運用能力を失わないという事がそのまま戦力保持を意味するからです。

     勿論、艦内で爆発が起これば損害は発生しますが、それを最小限に抑えるのが下に記した

    縦横に張り巡らした隔壁による間接防御と消火・防火設備などによるダメージコントロールによる所となります。

    • Photo_3

      艦首の内部構造です。

    赤いヴァイタルパートの前方は従来は船室でしたが、航空戦艦である能登の場合は航空機の燃料であるガソリン槽があります。

     ガソリンは揮発して空気と混合すると爆発性の高いガスとなり、極めて危険です。日本の空母大鳳はそれが

    原因の爆発によって轟沈しました。日本はガソリン槽の防御に関して欧米より遅れており、それが露呈された

    形となったのです。また、そればかりでなく戦艦の間接防御に関して徹底していない部分もあり魚雷の攻撃で

    浮力を失いやすい欠点もありました。

     そこで能登ではその点を改善すべく艦首の内部構造を多重の間接防御で固めてみました。

    船体の水線下の一番外側には、魚雷が命中した場合の干渉スペースとなる空所があります。その内側は

    重油槽により爆発の圧力を受け止める層になっており、その内側に破片を防ぐスプリンター防御鋼板による殻があります。

     内部のガソリン槽は四つに分割され外側はコンクリートと不活性気体(CO2)を充填した空気層で覆います。

    船底は三重底で真水タンクや空所、前は碇の錨鎖庫、上は水平防御鋼板とコンクリート層で守られます。

    こうすることで魚雷が命中しても容易に被害は広がらず、ガソリン槽の安全と予備浮力の確保ができます。

     正規空母では艦の後部にもガソリン槽がありますが、能登の艦載機は30機程なので前部のみとなります。

    そこで艦の後方の空所は主に船員室に当てられ、ここも艦首同様の間接防御を施すことで予備浮力の確保を図ることになるでしょう。

     旧日本帝国海軍の戦艦は極端な集中防御で、予備浮力の確保に難があったと言われており、これは

    平賀譲造船技官の理論が反映した結果と言われています。それに対し藤本喜久雄技官の理論では間接防御

    による予備浮力の確保を重視しており、これが実施されていれば大和級戦艦はもっと沈みにくい艦になったと思われます。

     能登に関しては艦載機のアイディアがありますので、機会があったらまた発表することにします。

    ────────────────────────────────────────────────

      ●仕事に関して

     現在、一社のゲーム会社からスカウトを受けており、近々仕事に入る見込みとなりました。

    ただしまだ本採用となるかは流動的な状態ですので就職活動は続行することになりそうです。

     今後の情勢に関しては引き続きこのブログで発表して行く予定です。

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    ぼくの考えた戦艦 改 (笑い)

    2012-02-12 21:35:04 | スケッチ

     以前発表した航空戦艦の改稿を考えました

  • ●航空戦艦 能登
    • Photo

     全体のレイアウトは以前とほとんど同じですが今回は主に内部構造を考え直しました。

    航空戦艦能登は41cm砲8門と艦載機約30機を搭載します。その主な目的は

    敵の空母機動部隊を捕捉し撃滅する事にあります。

     船体は大和型戦艦を元にしていますが主砲が41cm砲である関係で防御装甲板

    の厚さはそれに対応した厚さとなっています。各部のレイアウトによってヴァイタルパート

    を縮小し、浮いた重量を飛行甲板の装甲甲板に充てるようにしました。

    これにより、空母大鳳に習って飛行甲板は20mm鋼板の二重構造の上に75mm

    装甲板を重ね、500kg爆弾の急降下爆撃に耐えるようになっています。

    ● 内部構造と平面図

    • Photo_2

     主砲塔二基を前部にまとめる事により弾火薬庫の集中防御を可能にするという

    藤本造船技官の理論に従い、航空機用の弾火薬庫も隣接させてヴァイタルパートの

    前部にしています。前後に砲塔を配置するとバランスは良くなりますが、二つの砲塔間

    のヴァイタルパートを均一に装甲しなければならず、重量増加の原因となります。

    砲塔群を一箇所にまとめて集中的に防御し、その後部の機械室と缶室をやや軽めの

    防御にすることで重量を節減するという考え方と、間接防御を多く設けて魚雷に対する

    防御力を増強するという理論が藤本技官の提唱した理論でした。

     本艦ではそれに加え、缶室と機械室のレイアウトを前後入れ替え煙突と艦橋を

    より後部へ寄せるようにしました。缶室と弾火薬庫の間に機械室を挟むことで防火

    対策とし、缶室の底を三重底にすることもメリットになります。そして、艦橋を後方へ

    移動することにより前方に余裕ができエレベーターが飛行甲板に被ることが無くなり

    ました。

     ● 能登 横断面

    • Photo_4

     司令塔付近の断面です。

    平面図に示した通り飛行甲板は全てが装甲されているわけではありません。

    装甲甲板の意義は、砲爆弾を跳ね返す以外にも艦内で起きた爆発に対して変形せず

    発着艦能力を維持することにあります。

     上図の緑の部分は上部格納庫で上面が装甲されています。また舷側の一部も薄い

    装甲板で防御されていますが、内部の爆発によって外れるようになっています。

    また、ヴァイタルパートとの間に非装甲部分があり、そこから爆風が逃れるように配慮

    されています。

     大鳳の沈没原因となった軽質油の防御は日本の艦艇ににとって共通した問題で

    本艦もその問題を抱えています。その対策として、艦首部分を空所と重油層と破片防御

    の装甲板で防御して、その内部にタンクを設置する方法を考えています。

     それはまた次の機会にしましょう。

    ─────────────────────────────────────────────────

    今回の作画作図にはSAIとPhotoshopを使用しました。いくらか慣れてきたので

    普通のイラストの線画などにも挑戦したいとおもいます。

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    線画の彩色

    2011-06-26 02:13:14 | スケッチ

     24日にフォトショップとイラストレーターの授業が一応終了し発表会がありました。

    終わった印象ではイラストにその技術を使うには自分なりの工夫と訓練が必要という

    ものです。体験版ではその機会に限界がありますので、フォトショップを購入して

    使い込む必要を痛感しました。


    Photo_58_b3_2





    ●フォトショップで半日で画像処理した絵です

    線画と背景の写真があり、線画に着色した後レイアウトしました。

    着色そのものは出来てしまえば簡単ですが、問題はスピードとクォリティーです。

    それは今後の課題といえましょう。

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