以前予告した初春改案のスケッチが見つかったので発表します。
日付けによれば平成11年(1999年)1月となっていますが、本邦初公開です。
原図が見づらいので着色しました。
● 初春改案
当時の日本の軍事的事情を反映し、排水量に比較して過大な重武装を施され
進水直後から傾斜復元の問題が露呈したため大改装された経緯を持ちます。
右図上が竣工時の姿で中が改装後の状態です。
初春型のみならず当時の日本艦艇共通の問題であった重武装化は軍縮条約の
産物であって、個艦戦力を高めて強引に海軍力の底上げを図った代償と言えます。
そして武装の過大さのみならず、他の部位のアンバランスさがこの時一挙に補正
されました。艦橋施設の重量を減らし煙突・マスト・高所の構造物を低くし、一部は
撤去されました。船底にバラストを搭載し軽量化で構造的に弱かった部分の補強
も成されたのです。
私の改案では、ごらんのように船体(船首楼)の一部を切り欠いて、そこへ主砲塔
を移設しているほか、艦尾にも背負い式に砲塔を増設しています。その意図は、
前後の砲塔群をもって対空射撃を実施する空母艦隊の直衛艦にする事にあります。
● 対空射撃艦
そして砲腔兵器の増強が行われる一方、当時から頭角を現してきた航空機の脅威
に対する対策も始まっていました。
駆逐艦用連装砲塔のB型は対空用照準装置を備え、仰角も75度まで取れる設計に
なっていました。ただし、薬嚢式人力装填であり有効な信管秒時調定装置もない為、
ただ上に撃てるだけの砲でしたが、歴史的な方向性としては正しいと言えました。
有効な対空射撃が出来る駆逐艦の登場は、戦争後期の秋月型、松型の登場を待た
ねばなりませんでしたが、両艦が艦隊や船団の護衛を重視していた点も歴史の流れ
であり、私は初春の改装をその流れに沿ったものにしようと考えたのでした。
● 艦首の改装
- 原案をまとめて模型製作に踏み切った後、気にかかる点をいくつか改めました。
艦首の形状をいじったり、一番砲塔と二番砲塔の連装単装を入れ替えたりしています。
そのたびに模型の方も作り変えた記憶があります。
ナックルラインとは船体の角ばった部分のことで出っ張ったナックルラインとへこんだ
ナックルラインの二種類があります。左図のようにした意図は、船首楼の容積を増やして
艦首を波に突っ込んだ時の浮力を大きくするためです。
右図のような配置に変えた根拠は、三つあります。一つは二番砲塔の位置は平射する
時に舳先が邪魔にならないことと、単装砲塔は直径が小さく艦首の細い駆逐艦では、
このレイアウトが有効なこと。又この理論を提唱した平賀譲造船官が初春改装の指揮
を執った事によります。
当時的にこの案は全くの独創であり、誰からもかえりみられないことは明白でした。
二年ほど前にこのブログで発表しようかと考えた時にも躊躇したほどですが、このたび
初春の新造時の模型がアオシマから発売される事を契機に発表に踏み切ったものです。