トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

アパシーその後のその後。

2021-03-09 13:09:36 | 病気

サインバルタという薬で、どうもやる気が起きないという副作用が出てしまいました。

アパシーという現象らしいのですが、医師である夫が自画自賛します。

「僕、優秀だな!なんてったって、アパシーだ、と見分けがついたんだから!」

 

なるほど、サインバルタという薬は基本的に気分をあげるものなので、やる気がなくなるとか気分が落ち込むというのは考えにくい現象だそうなのです。

あまりに普通ではない現象なので、副作用としてもなんなら否定されてもおかしくないということです。

僕、すごいでしょ?すごいでしょ?と、子どものように褒めて欲しそうにニコニコしています。

こちらは具合が悪いのです。

大のおじさんをほめそやかす余裕はありません。

でも、考えてみれば確かにすごいなあと思いましたので、

「うん、確かに。すごいね。」

と言うと、照れながら喜んでいました。大人でも褒められるのは嬉しいものですね。

重たい空気の我が家が、少しほっこりしました。

 

結局やっぱりやる気がでないなあと思いながら無意自閉な日々を過ごし、この間にこれまた下手の横好きではじめた刺繍をもくもくとやっていました。下手なんですけど、時間が経つのを忘れられるので好きな趣味のひとつです。

いつもだとやめ時が見つからずに通常の生活に支障が出ます。あれ?もうこんな時間!?あとちょっと、みたいに、自分の弱さが露骨に出てくるので困ったものです。ですからこういう時の方が取り組みやすくていいですね。

それでも時々ムキになってふんふんと針を刺して肩に力が入りまくりのときがあるので、私は一体何やってるんだろうと、呆然とすることもあります。

ほんと、自分が謎。

 

そして、やっぱり結構しんどいので1ヶ月後の受診で主治医の先生に相談しました。

したところ、え?そんなことが起こるのかね?と。確かにサインバルタで落ち込むという現象はほとんど聞いたことがありませんが、主人がそう言うので先生に相談してみたらどうかと言うので、とお伝えしたところ、

「そっかあ。」

と、聞いたことがないということを言いつつも、やっぱり今回も否定せずに私の話を聞いてくださいました。

「えーっとね、なんだっけな。他のがあるのよ。えーっと」

そして早速、サインバルタに代わる他の薬を考えてくださっているようでした。

「そうだ!サインバルタだ!」

 

先生。豪快に思い出されたその薬の名前は、、、

「いえ、先生、、その、今飲んでおります。」

「あ、そうだった。えーっとね、えーっとね。」

いつも思うのですが、お薬の名前を覚えてるってすごいですよね。一般名と商品名でひとつの薬なのに2つ以上の名前がありまして、今はジェネリックというものも一般的になってしまいましたから3つも4つもひとつの薬で名前があるわけです。私なんか朝から駄菓子のラムネのお菓子ひとつ分くらいジャラジャラと服用しますが、それぞれ覚えるだけでも大変です。朝にどれ、昼にどれ、レスキューがどれ、えーっと?もう自分のことですらこのような有様ですから、いくらプロとはいえ、どんどん出てくる新薬にも対応しつづけるわけですよね。すごいなあと思います。

 

「パキシルよ、パキシル!」

「パキシル?SSRIの?へー!パキシルが効くんですか?」

先生が思い出されたようで、パキシル!と言われたのですが、私には明後日の薬というか、え?なんのこと?みたいな感じでとてもびっくりしました。非常に有名な精神科の抗うつ薬のひとつがパキシルという薬です。あまりにメジャーなのですが、逆に抗うつ薬以外の用途を知らないのです。パキシルと疼痛?

その後、疼痛と精神科薬の歴史を話してくださいました。

元々、疼痛と神経痛に対する精神科薬の利用はパキシルから始まったそうです。

今は第一選択薬がサインバルタだそうですが、昔に戻る人がいたところでなんの疑問もないよ!とのことでした。

 

こういう歴史の話は主人も知らなかったらしく、勉強になるなあとつぶやいてみたり、そんなことまでお話ししてくれるの?と驚いてみたり、相変わらず先生の診察の技術も知識も、そして人の話を否定しないという姿勢も医師である主人にとっては勉強することだらけです。私はいわずもがなですが。勉強したところで発揮する機会もありませんけど、いつも心は洗われて帰ってきます。

こんな高名で素晴らしい先生も、診察室の中では時々おちゃめな間違いをされることがあって、もちろん「つっこむ」なんて恐ろしくてし難い先生なんですが、つい常連になってきて先生がお優しいのも知っているので「つっこみ」を入れてしまいます。

 

ということで、私のアパシー生活はもう少しで終わるかなと思います。

パキシルも、副作用が出ないかちょっと怖いですけれども、がんばることになるのかなと思っています。

離脱症状が出るといけませんので、サインバルタ、もう少しだけ飲む予定です。(精神科薬の場合、ずばーんと切ってしまうと頭痛とか吐き気などの離脱症状が出てしまうことがありますので、ゆっくり減らし、ゼロにする時は慎重に、というのがセオリーだそうです。)

離脱、出ないといいなあ。


真の「つよさ」とは

2021-03-08 14:22:41 | 日記

ニュートンが万有引力について、ずーっと考えていたところ、りんごが落ちるのを見てという話は有名ですよね。

私もそんな塩梅で、もしかしたらずーっと考えていたのかもしれません。

 

真の意味での強さや優しさというのはどういうものなのか。

 

ある日突然訪れた高校の友人たちとの再会。

そして、そのオンライン上での再会で、私の友人が話す内容を聞いて、別の友人から聞いて借りた言葉も含めると感じたことはこうでした。

そこまで話してくれるんだ

自分の弱いところを話す、これが優しい社会を作る素地になる

ということでした。

 

自分の弱いところを見せるというのは、本能的にもなかなか難しいなと思います。

理由はいくつもあると思いますが、自分が嫌だと感じる理由の他にも、不幸自慢という言葉があるように他の人が聞いても不快なのではないか、という不安が大きいのではないかと思います。

でも、その友人が話す内容を聞き、そしていろんな人とその後話したことから考えると、確かに不幸自慢と不愉快に思われてしまう人もいるに違いないけれど、それはあまり気にしなくていいということでした。

そして確かに、私が自らの弱いところを話す友人の話を聞き、また別の友人の本なんかを読んだりしますと、弱いところを話されてもこちらは不愉快に思うことはありませんし、むしろ勇気づけられることもあったりしました。その通りだなと思ったのです。

 

さて、では私も弱いところを、とこのブログを始めたのですけれども、はー!なんとまあ!やはり難しいことでした。

やっぱりどこかで自分をよく見せようとか思ったりしちゃいますね。

そして一番の弱いところなんかは、どう料理していいものかとまだ思案しています。

偽善者め、とも思うのですが、かと言って明け透けにすればいいというものでもありません。難しいなとも思えて仕方ないのです。

 

友人たちを見て、強いなあと思いました。

自分で実践して、なお、真の強さはこういうことなのだと知りました。

もちろん私はそういう域に達していません。

けれども、それでもあきらめるのではなくて、少しずつでも頑張りたいと思っています。

 

また、つよく、やさしくなるには、知識も必要です。経験も勉学も。

自分の情けなさも持ち合わせながらにはなりますが、少しずつ研鑽を積んでまいります!!(口ばっかり動かしてる気がしてきましたが!)


はい、今日は意識消失の日でしたー

2021-03-06 13:42:33 | 日記

人との交流というのは、これだから価値があるなと思うのですが、本当に励まされたり影響されることがいっぱいあります。自分とは違う価値観や世界観を教えてもらえて、感心したり、楽しくなったり、人生観がひっくり返ることすらある、本当にありがたいことです。

 

私の友人のひとりは、相談室をオンラインで開催?開室?していまして、私もその相談室の相談会の仲間入りをさせてもらえました。

私の友人たちは本当にすごく慈善的かつ活動的な人が多くて、私はいつも頭が下がります。「友人」なんて平気で言ってますけど、すごいなあと思いますし、えーっと友人でよろしいでしょうか、といちいちそういう考えがよぎってくるのに友人たちは「え?友達でしょ?」という雰囲気で、時に敬語になってしまう私をいさめてくれたりしつつ気さくに話してくれるので、そっか、どうもどうも、とありがたくも友人という立場におさまらせてもらっています。

彼女たちが繰り広げる世界を、ここでもご紹介できるほど私に力があればいいのに、と思ってしまうほど、みんなすごいです。

 

ところで、その相談室のみなさんといろいろオンラインで話していたとき、

「なんかさ、こうやって会うと普通だし、元気なんだけど、ブログを見るとかなり大変そうなんだよね!」

と、友人。

へー、とみなさん。

何か仕事を請け負いたい気持ちはいっぱいあるけど、何時から何時、という時間の縛りがある仕事は今はできないと思っています、なぜなら意識消失というか、寝ちゃうというか、そういう時間があるから、と話しますと

「え!そうなの!」

とみなさん、一様に驚かれました。

で、何に驚かれたかというと

「なんだ!そんなこと気にしてたの!?」

「そんなの、みんな何かあるよ!」

「そんなことで遠慮とか、仕事しないとかしてたら、私たち何もできてないに等しいじゃない!」

とか、もうそういう感じで、終いには

「そうそう!今日は、はい、意識消失の日でしたーってことでいいじゃん!」

と言うのです。

もうおかしくて仕方なくて、涙まででてくるほど笑い転げてしまいました。いや、そんなことしたら仕事に穴開けて!って怒られるに違いないと思っていました。

「なんなら、そういう日があってくれる方が、私たちも気楽になれるし!」

などと、気休めにしても嬉しい会話がポンポンと出てきます。

わいわいそんな話で盛り上がってもらえて、とにかく気が楽になって楽しい時間を過ごせました。大変に励まされました。

 

今まで、私の意識消失はただの迷惑行為であり、無駄な時間であり、残念な出来事でした。

仕事ともなれば、実際は穴を開けるわけにはいかないと思いますけれども、でもそういう仕事があるだけで、違う仕事もあるかもしれません。(実際、わずかですが、私は在宅でできる仕事をしています)

少なくとも、そう言う考え方や捉え方があるんだ!と知ることができて、とても勇気づけられました。

もう少し体調が良くなる方法を実践して効果が出始めているので、もっともっと何かできることが出てくるかもしれません。

しかし、その前にも、何かできそうな気がしてくる、面白い出来事でした。ありがたやー。


お習い事はお友達のおかげ

2021-03-05 14:14:46 | 家族

私の中では、お習い事は基本的には自分が教えられないことを教えてくれるところ、家ではできない、要するに運動、を思い切りできるところ、というのがテーマでした。

ところが、当たり前ですが主役は娘なので、娘が気に入ったものややりたいと思ったものではないといけませんし、これが難しいのです。

何かやってみたいことはないの?と問うと

「なーい」

と決まって大体こう答えられてしまうのです。

ない、と言う前にもう少し深く考えてよ、と思うのですが、確かに何がお習い事として習えるものなのかも知らない娘が「これをやりたい!」と言えるはずもありません。

 

ということで、大体娘のお習い事の始まり方は2つ。

私がやらせてみたらどうかと思ったものに体験参加をして気に入ったもの

お友達から聞いてきてやってみたいと思ったもの

このどちらかでした。

 

そして、長く続いたお習い事は、大体がお友達のおかげでした。

そのひとつに、体操クラブがあります。

元々短期教室に通わせてみて、それでよかったらと思ったことと、実家に近いお教室で、要するに送迎を実家に頼ろうとする私のずるい心もありました。

そのお教室は、先生もきびきびされていて、内容も充実していたらしく、娘は大好きになりました。早速入会し、始めることになりました。

その後すぐ、同じ学年の仲良しのお友達ができました。

コロナで休講になったりしながらも、そのお友達とは学校も違うので会えなくなってしまうのが嫌だという理由で体操教室は続けたいと私に懇願してきたくらいです。

 

私の体調が少しだけ良くなった頃、しかしコロナのせいで実家も頼り切れなくなり、えっちらおっちらとヨタヨタしながらそのお教室に通わせていた頃がありました。

車での便がいい場所なのですが、逆に車以外での便が悪いので電車とバスだと少し大変でした。

その頃はヘルパーさんを再びお願いしていた頃で、足の脱力感が半端なく、車の運転もできませんでした。そのヘルパーさんも主人もとても心配していました。娘の懇願に応えたい自分と、言うことを聞いてくれない体と。相談しながらの送迎が続いていました。

 

そんな折、娘ののんびり癖が出て、電車の時刻に間に合わず、結果1時間に1本のバスに間に合わずにおけいこに参加できない日が出てしまいました。

娘は行きたいーと言って泣くのですが、だから急ぎなさいと言ったでしょう、と説得か説教かわからない口調でいさめます。しかし結局、どんなに言っても聞かないので最寄りまで電車で行き、バスがもう来ないのだということを確認させました。急ぐことが苦手な娘にとってはとても良い教育の機会ではありました。が、流石に心身ともに多少、いえ、かなりのダメージが 笑

その晩、突然電話が鳴りました。

先程の、お稽古のお友達のママさんからです。

 

え?何か不義理なことでもしたかな。お友達を泣かせてしまったかな。電話を取る前から早速ちょっと不安になりました。

「もしもし? 今、忙しくない?今日は大変だったねー。」

仲良くなったお友達のママさんとは私も仲良くさせてもらっていました。

なので、経過を報告して、今日は体操教室に行けなくなったということもお伝えしていました。

早速ねぎらってもらって。なみだなみだです。正直電車の中では、遅くなったのは自分のせいなのに、なんで泣かれなくてはいけないのか、とはらわたが煮え繰り返りそうでした。ママさんに報告して、こんな私の荒ぶる心を鎮めてもらいました。

それなのに、また夜にも。ありがたいことです。

「ところでね、体調悪いよね?足の具合も良くないでしょう?」

そうなの。そうなのです。でも来週は時間に余裕をもっていくよ!と伝えると

「迎えにいくよ!車で一緒に行こう。」

と誘ってくれました。

申し訳なさすぎる!と遠慮しようと思ったのですが、「娘も喜ぶから!一緒に行こう?」と、ありがたい言い訳を付け加えてくれました。

こうした思いに甘えすぎるのはいけないと思いながらも、本当に助かるなと思いまして、ずうずうしくもありがたく受けることにしました。

 

娘なんかもうこのことを報告したら小躍りですよ。すちゃらっかすっちゃらっか、わーいわーいってなもんでして。

人の気もしらんと、と思いつつ私もとっても気が楽になって、おけいこが楽しみになりました。送迎の負担から解放されて、お稽古をやめなければいけないのかなという自責の念からも解放されて、晴れやかな気分でした。

 

そして本当に翌週から何ヶ月も、毎週お世話になりました。

道中はとっても楽しかったです。

 

しかし一方で、このお友達は週に1度1時間のお稽古なのに、なぜこんなに仲良しなんだろう?と少し不思議に思っていました。

結構ケンカなんかもするそうで、内容は仲良しだからのケンカだとしか思えないのですが、だからなんでこんな短い時間で?ととにかく不思議でした。

理由を聞いてみました。するとたったひとつの出来事がきっかけだったようなのです。

「ママがね、ひょこひょこ歩いていた時にね、遅いし。ごめんねって言ったの。」

確かに、このお稽古は通い始めた当初からあまりまともに歩いていなかった気がします。

「そしたら、『え?大丈夫だよ、待ってようよ。そんなことより遊ぼう!』って言われたの。すごく、優しいなって思ったんだ。」

と、小さな声で、少し私に申し訳なさそうに話してくれました。

 

この話を聞いて、ママさんの行動とかも含めて、あゝこういうところが親御さんに似るんだなと、じんわりあったかくなりました。

子は親の背中を見て育つと言いますが、そうじゃないもん!と自分で子育てしていると思ったりもします。だって、全然別人格だし、私の思うように動くことなんてサラサラありません。

でもやっぱり、親の背中、というのもあるんですね。こうしたやさしい行いは、教えてできることではないと思うんです。こういう時に優しくしようって言って教えることもできますが、やさしさってそういうものではないところもあるんですね。

娘は私のひょこひょこ歩くところを「全く意に介されなかった」ということと、待っていようと「配慮」してくれたことに安心感を感じたと思うのです。このお友達なら母親のことを悪く言われない。こうした意に介さないやさしさは、お母さんからなんとなく肌で学んだことなんだと思えて仕方ないのです。送迎をしてあげようという提案も、送迎をしてあげるよ、と言う時の言い方も、なんてやさしさに溢れているんだろうと思ったものです。そうしたことは娘さんにも備わっていて、ああ、すごいなあと思いました。私も見習わなければいけないなと思っています。

そして何より、「遊ぼう!」と自分に対しても興味を持ってくれていて、いっぱい楽しいこともできる、そんな優しいお友達だから大好きなんだということです。

ふたりの遊び方は優しいばかりでなく、割とやんちゃなこともあるので、コラコラと怒ることもあるんですけど 笑

とにかく楽しそうです。ありがたいことです。

 

このおけいこ、私と娘の気晴らしで通っているようなところが大きいです。

体を動かすこととお友達に会えることはコロナ禍での貴重な元気の源でした。

技術は、ゆっくりかもしれませんが、上達はしてるので一石二鳥的な?いや、先生には本当に感謝してるんですけど!もちろん。

動機はともあれ、楽しく続けられたらなあと思っています。


将来の夢

2021-03-05 08:42:00 | 家族

娘が通っていた幼稚園では、お誕生日のお祝い会というものが開かれていました。

まだ年少児の頃でしたが、そこで大きくなったら何になりたいかを発表する機会があったそうです。

娘はその頃決まって

「ちょうちょになりたい!」

と言っていたので、私はその夢の行方がどうなるのか、楽しみにしていました。

そしてお誕生祝い会でもそう答えたのだろうと思っていたら、ダメだと言われてしまったと少ししょんぼりして帰ってきました。

職業でないといけないと言われてしまって、ちょうちょはダメなのだそうです。

 

そっか。

 

それで、娘なりに一生懸命考えたようです。自分も大好きで、他の人も笑顔になるからという理由でアイスクリーム屋さんになりたいって言ったの、とニコニコしながら話してくれました。

このアイスクリーム屋さんという夢は、実は今に至るまで必ず候補に将来の夢のひとつなので、本人なりにすごく考えて考えて出した結論なのだと思います。

幼児教育としてもナイスアシスト!に違いないのですが、ちょっと私はさみしく感じました。いいじゃん、ちょうちょでも、と。笑

 

この当時、相談相手と言えばヘルパーさんがメイン中のメインでして、この話をしたところ

「え?なんでちょうちょじゃダメなんですかね!?」

と何も言わないのに、反応してくれました。

ちょうちょになれないのだということを知ったときどうするんだろうとか、ちょうちょに代わる夢ってなんだろうとか、もう少し言葉がうまく操れるようになったらなぜちょうちょになりたいのか聞いてみたかったので、私はさみしく感じたのだと思います。子どもの感性をとにかく大事にしていたのもあるこもしれません。

その大人の感覚や気持ちを共感してもらえて、とっても嬉しかったのを今でもこうして覚えています。

 

そしてこの話をしながら、娘が唐突に私に聞いてきました。

「ママ!おおきくなったら、何になりたいの?」

 

え!?

 

これ以上、大きくなったら、ママ大変よ!

ということではなくて、そっか。私はまだこれから何かすることができるのかな?

将来の夢とか、子どもが持つものだと思ってた。

 

目を白黒させながら、ぼーっと立っていたに違いありません。

そのまま「どうしよう、思いつかないなあ」、と言うと、へえーと言いながらも、少し驚いたような反応でした。


この時から、将来かあ、と私が私に質問することが時々訪れました。

なかなか明確な答えは出ないまま月日は流れ、また娘から同じ質問をされた時、こんな風に答えてしまいました。

「あなたにとって、自慢のお母さんになりたかったなあ」

キレイなお母さんに憧れていました。時々ハイヒールとか履いて、細身のパンツやフレアのスカートを履いて、お化粧もしてお散歩しちゃう、みたいなママになりたかったです。

他のお母さんやお友達から、あなたのお母さん変ね、とか、かわいそうね、などと言われない人になりたかった。

と、話すと


「えっ!」

と娘、びっくりしています。


なになに?


「ママは、私の自慢のママだよ。」


えー!!!

なんで?なんで?


「お料理も上手でおいしいし、絵とかもかわいく描くし、運動はできないけど教え方は上手だし、やさしいもん。」

と、ツラツラ、娘にとっての私の良いところを列挙してくれました。

もちろん、娘ならではのバイアス入りまくりで褒めすぎもいいところなんですけど、それをわかっていてもジーンとしてしまいました。

そっかあ。

私は自慢のお母さんになってるのかあ。

他の人からの評価は、もうどうでもいいや!って思いました。(その場は笑)


こうして、私の将来の夢さがしは続くことになりました。